被災地で働く:若者たちの選択/2 岩手・陸前高田「ダブルワーク」日常化
毎日新聞 2012年07月04日 東京夕刊
◇親に迷惑かけられぬ
午後2時過ぎ、岩手県陸前高田市の飲食店で、二十歳の男性が客にコーヒーを出していた。正午から午後4時までのアルバイト。終われば午後7時から翌朝5時まで、工場で夜勤が待っている。
二つの仕事をこなす「ダブルワーク」を始めて1カ月。工場が日勤の日は午後7時から午前0時までバイトに入り、翌朝5時に起きて出社する。工場でもバイト先でも立ちっぱなしで足が棒のようになり、だるい。「やりがいとか、全然ないです」。幼さの残る横顔に疲労がにじむ。
男性は高校卒業後、食品関連会社に正社員として就職した。給料から駐車場代やガソリン代を引かれると、10万円程度しか残らない。ボーナスは半分が食品の現物支給だ。「生活できない」と、同僚が何人も辞めた。
震災で会社は正社員の給料を10%カットした。今も残業代はほとんど出ない。買ったばかりの軽自動車は津波で流され、100万円のローンだけが残り、返済が続く。地元では車がないと通勤も生活もままならないが、新たに買う余裕はない。離婚して離れて暮らす母が、自分の車を譲ってくれた。「お金がないと人に迷惑をかける」。とにかく貯金したかった。
会社が幹部用に車を新調したと知り、残っているのがばかばかしくなった。辞めて東京に出ようとも思ったが、「面倒を見てくれた先輩たちの顔に泥を塗ることになる」と、考え直した。いつか給料が上がるまでバイトでしのぐと決めた。