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少ないリソースをやりくりできる能力と、たくさんの人数や、大きな予算をその大きさなりに使ってみせる能力とでは、求められるものがずいぶん違う。

同じ「切る」道具であっても、手術用のメス刃とチェーンソーとでは異なって、「丸太を切る」という問題があった時に、「大きなメス刃」は解答としてふさわしくない。

大きな問題を「だいたいこうだ」と概算して、問題の大きさに見合った道具を提案できる人は案外少なくて、マイクロソフトにしても、Google にしても、「独特の面接」として紹介される問題は、そうした概算の能力を問われるものがけっこう多い。

新人だった田中角栄の選挙第一声、「みなさん、あの山を削っちゃいましょう。余った土は海に入れて佐渡ヶ島とつなぎましょう。山がなくなれば雪は全部関東の方にいく。新潟の耕作可能免責は飛躍的にひろがる」というあれは、見事な概算だと思う。言っていることは無茶苦茶なのに、語られているのはたしかに「問題」そのものであって、その問題が解決されればどういう事態がおきるのか、不思議と風景がよく見える。

大きな問題を解決するためには概算の能力が大切で、「だいたいこうだ」とリーダーが概算を語ってみせれば、それを聞く側にある種の安心が生まれる。今の原発の問題にしても、災害対応の問題にしても、細かい話は無数に聞こえてくるわりに、政治の側から「だいたいこうだ」という話が聞こえない。個人的にはそれが恐ろしい。

実情を見て、問題を概算してみせ、ゴールを設定し、そこに淘汰するために必要なものを語るのが「現実主義」なのだと思う。概算を放棄して、認識可能な細かい数字のみをひたすら語り、ゴールというおのを「血のにじむような努力をしたさき」にあるものと定義するのは「現実の放棄」なのだと思う。実際問題できないのだからしかたがないのだろうにせよ、細かい数字を語ることで「私には現実が見えている」という論は、「私には能力が足りません」とだいたい等しくことを言っていることのほうが多い。

ちょっとしたビルを建てようと思ったら、鉄骨と重機、何よりも完成をイメージできる図面がなければ話しにならない。真面目を全面に出す人は、図面を書かずに「レンガは積むと高くなる」という観察にすがる。「一生懸命やれば、レンガを積めばビルが建つんです」と胸を張る。誰にだってそれは無理だと分かるのだけれど、「レンガを積む」ことはたしかに反論できない事実なものだから、議論になると、案外こういう人が強かったりもする。

原発の問題も、概算の話がぜんぜん聞こえてこないのがおっかない。実際に事故が起きたものを指さして、「みんなまじめにやってます。大丈夫です信じてください」と言われたところで、信じられるわけがない。「今度事故が起きたらこんな対策をします。避難計画と、それに必要なインフラを整備しました。準備はできています」なら、せめて説得されるのだけれど。

概算をする能力を持たない人が上司になると、部下の技量をレンガの積みかたで評価するようになる。

必要なのがビルであっても、上司には図面を読む能力がないものだから、上司はひたすらレンガをにらむ。「お前、ここに来てレンガを積んでみせろ。ほら1ミリもずれている。たるんでいる」なんて、図面を書ける部下を叱りつけたりする。こんな空気が連鎖すると、その組織からは図面が書ける人がいなくなる。

組織が持つ概算能力みたいなものは、恐らくはその組織が長く続くほどに、一方向的にどんどん落ちていく。かつてビルを作った職人集団は、10年すると家を立てるのがやっとになって、20年するとブロック塀を積める人だけが生き残る。ブロックの積みかたは精密を極め、誰もがレンガ積みの達人になった結果、その組織にビルを頼む人はいなくなる。

政府は一生懸命であるのだろうとは思う。

庭仕事に使う手掘りのスコップでビル建設に挑んで、基礎工事に全力を投じ、この2年間でたぶん、基礎は鏡のような平滑度で仕上がった。400平方メートル必要な基礎に対してできたのは1メートル四方、柱一本立たなかったというだけで。

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