決別
――――ロゥ
ロゥはなのはを連れ、アイギスの全方位攻撃を転移によって逃れていた。
あの使い魔、やたらとデカイ魔力だと思っていたが、想像の範囲外だ。 規格外だ。
みたところ今やられたのは指向性のない魔力を全方位に放っただけのものだ。
魔力を振り撒くだけの行為の筈なのに周囲を粉々にするなんて異常すぎる。 どのくらい異常かと言うとくしゃみで町を半壊させてしまうような異常さだ。
今だって咄嗟に結界を張らなかったらこの近辺がどんな生き地獄になったかと思うとぞっとしない。
「ぅ……ッ!? ロゥくん、背中ッ!?」
「ん? あぁ、無問題」
なのはを抱えて転移したのはいいのだが、少々余波に当てられたらしく背中に傷を負った。 それほど傷は深くないし、硬質化が発動しているので出血は止まっている。
怪我自体かなり痛いがオレが慌てふためいたらなのはに動揺がうつってしまうので意地にでも平常心を装う。
「あそこで暴れられるとかなり問題あるからアイギスちゃんを沖合に連れ出すね、なのはちゃんはアースラに連絡とってクロノにすぐに来るように言って」
「わ、わかった! ロゥくん、気を付けてね」
ロゥはなのはに見送られてアイギスの元へと向かった。
「――ァァァァァアアアアアアアア!!!」
「女の子が絶叫するんじゃねぇよ、はしたない。 フォルテ、あの放出される魔力の波動周期を解析しろ」
《…………》
いつもの通り不言実行なff、すぐさま解析結果が送られてきた。 仕事が早い。
アイギスは叫びながら魔力を放出しているのだが、やはり指向性が無い。
指向性のある魔力と言うのは射撃魔法だったら球体、砲撃だったらゴン太ビームといった目的に見合った形状を持った魔力のことで、これらは魔導師が制御を手放すか破壊されない限り指向性を失うことが無い。
しかし、指向性を失った魔力はただ、空中を漂うだけの誰のものでもない魔力へと変わる。
一度指向性を失った魔力に再び指向性を与えるのは至難の業であり、これを行うのが集束魔法である。
ちなみに、魔力に指向性を持たせることのできる回数は集束技術にもよるが、大抵二回が限度だ。 それ以上は魔力自体が耐えきれなくなる。
つまり、使っては集束使っては集束、といったことは不可能だ。
そして、この理論からいけばアイギスの放つ魔力はあと二回再利用できることになる。
「じゃ、やるか。 ……バグ、発動」
両手をポケットに納め、肩から指先にかけての意識を手放し、その意識をバグの制御にあてる。
ロゥの身体を淡い紫色の球状の領域が包み込む。
「――フル稼働」
ロゥが呟くと、淡い紫色だったバグがハッキリとした、それでいて妖しい紫光をゆらゆらと放つ。 さらに領域の表面には普段は見えない無数の文様が浮かび上がっていた。
バグ。 ロゥの魔力容量の問題で普段はわずかしか魔力を込められないソレの機能は領域内の解析、それと魔法構築・発動の補助だ。 しかし、あくまでわずかしか魔力を込めなかった場合である。
バグが必要とする魔力を流し込めば更なる効果が望める。
バグ、本来は『魔喰』と表記していたのだが作者が読みづらいと考えカタカナ表記になったこの魔法は解析と補助に加え、解呪と集束の効果が付加されるのだ。
この追加効果でどのようなことが出来るのかと言うと、領域内に侵入した魔法を解体し指向性を失った魔力を絡め取り自身の制御下に置くのだ。
その効果はまさに『魔』を『喰らう』そのもので、難点と言えば発動にそれなりの魔力を必要とするため相手が攻撃をしてこなければあっという間に魔力が底をついてしまうことだ。 まさに餓死。
「フォルテ、強制転移魔法構築、必要な魔力を確保次第発動、使い魔を沖合に転移させろ」
《…………》
ロゥはバグを発動させた状態でアイギスの元へと近づいた。
バグがアイギスの深紅の魔力を絡め取りその規模を広げてゆく。 その輝きはアイギスの魔力を多量に飲み込んだため、紫色だったそれはすでに赤く染まっていた。
アイギスの放つ魔力は余波だけでもかなりの量になる、強制転移に必要な魔力は滞りなく集まった。
「フォルテ!」
《…………》
ロゥの掛け声とともにアイギスは沖合へと転移させられた。
――――クロノ
アースラでフェイトの裁判の資料を整理していたところ突如警報が鳴り響いた。
ブリッジへと向かうとなのはからすぐに来るようにとの連絡が入った。
なので僕はデバイスを持つと即座に鳴海市へと向かった。
「クロノくん!」
現場に到着するとなのはがいた。 ずいぶんと焦っているようだ。
「なのは、先程の説明では状況がうまくつかめなかったのだが、一体何があったんだ?」
「そ、それなんだけど――」
「やーやークロノ君、重役出勤ご苦労だったね」
クロノが状況を確認しようとしたところタイミング良くロゥが現れた。
「これでも出来る限り急いだんだが」
「それは知ってるよ。 さて、状況を説明するよ?」
喋り方が普段と違うのはなのはの前だからだろう。
「まず最初に事態はさほど深刻じゃないね、放っておいても鳴海市が吹き飛ぶとか次元断層がどうとか、そういった深刻な問題は発生しないよ」
「ロゥくん! それじゃあアイギスちゃんはどうなるの!?」
ロゥの発言になのはが咎めるような声を出す。
「待つんだなのは、ロゥは自分一人で解決できるような問題に僕を呼んだりはしない、そうだろ?」
「もちろん」
僕の問いにニヤニヤと笑いながら当然とばかりに答えるロゥ。
「さっきも言ったようにアイギスちゃんをこのまま放っておけば問題解決なんだけれどね、残念ながらボクは諸悪の根源を消し去ってハッピーエンド、それだけじゃ満足できないような欲張りなんだよ。 ボクが満足するには諸悪の根源も一緒に笑えるようなみんな仲良しエンド以上じゃなきゃいけない、誰かの犠牲の上で成り立つ平和なんてまっぴらゴメンだね」
素直に助けたいと言えばいいものを、相変わらずヒネた性格をしている。
「ロゥ、口上もいいが時間がないんだろ? 僕たちは何をやればいいんだ?」
「わかったよ、二人にやってもらいたいことはボクが近づけるようにアイギスちゃんの放っている魔力を吹き飛ばして欲しいんだ」
「え!?」
なのはが驚きの声を上げる。 それはそうだろう、あの使い魔の放つ魔力はたとえ僕となのはが全力で砲撃を放ったとしてもびくともしないだろう…………いや――
「――なるほど、集束砲か」
「ふぇ?」
「ピンポーン、確かにボクらの魔力全てをつぎ込んだとしてもあの魔力はどうにもならないけれど、あの驚異的な魔力を集束砲で打ち出すことが出来たならそれも可能になるんだよね」
集束は膨大な魔力を制御することが出来るのなら、理論上は自分の魔力容量を遥かに上回る魔力も使用可能だ。 しかしそれはあくまで理論上の話であり、現に出来たという報告は聞かない。 失敗すれば危険だ。
「……可能なのか?」
「さあ? 失敗の危険性とアイギスちゃんの命、天秤にかけてみればいいよ」
嫌な言い方をする。 だが、言われてみればもっともなことだ。 仮に危険があればやらないのかというと、答えはNOだ。
「なのはちゃんだけじゃ集束しきれないだろうしクロノ以外の局員は補佐どころか妨害になりかねないからね」
「あ、あの、ロゥくん、だったらユーノくんも呼んでいいかな? ずっとわたしのことを補佐してくれてたから、だから今回は適任だと思うんだけど」
「ユーノ? ……………………あぁ、ユーノくんね! もちろん呼ぶつもりだったよ!」
……絶対忘れられていた。 憐れユーノ。
「ところでロゥ、魔力を吹き飛ばした後はどうする気だ?」
「クク――」
ロゥはニヤけた顔を隠すように狐の仮面を被り直す。
「――プレシア戦でお見せできなかった『夢幻泡影』をお披露目してやるぜ」
そう答え、ロゥは使い魔の元へと向かっていった。
――――ロゥ
夢幻泡影の発動には下準備が必要だ。 『コトノハ』『ヒャクシキ』『ウツシエ』の三種類の精神干渉魔法を発動しなければならない。
コトノハは音、ヒャクシキは光を媒介に発動できるので不意を突くなら発動に問題ない。
問題はウツシエだ。 この魔法は一種のウイルスのようなもので対象の神経回路に干渉し外部情報を誤認させるもので、主成分は魔力よりもロゥの精神回路で構成されている。 発動をミスればロゥは大ダメージを受ける。
しかもこの魔法、形状が儀礼用のナイフの形状をしており標的以外に触れると自壊してしまうという非常に脆かったりする。
つまり、ウツシエを発動するには近接戦闘で相手の攻撃を掻い潜り、防がれることなく一撃のもと切りつけなければならない。
「ハァ……それだけでも難易度高けぇのに」
ロゥは海上で叫び続けるアイギスに話しかける。
「アイギスちゃーん、少しお話いいかな?」
「アアアアアアァァァァァ!」
「…………もしもーし」
「マスタァァァァァァ!」
「やーい、ガキー、チビー、泣き虫―」
「イヤァァァアアアア!!!」
アイギスがロゥの言葉を受け付けないのでコトノハすら発動できていなかった。
このままではなのはたちの集束砲が完成してしまう、タイムリミットが迫っている!
「ふぅ、こんな戦い方は好きじゃないんだけどな。 スゥー……」
ロゥは大きく息を吸い込む。
そして――
「あ! あんな所にリア・アークがいる!」
「ッ!?」
うむ、もう少しましな言い方があったんじゃないかと思う、しかし使い魔が喰いついたからよしとしておこう。
アイギスは驚きの表情でこちらを見る、一緒に魔力放出を止めてくれれば儲けものだったのだがさすがにそこまで甘くない。
アイギスがこちらを見るのを確認するとオレはすかさずアイギスの背後を指さした。 まるでそこに誰かがいるかのように。
「マスター???」
「ほら! あそこ! あそこにいる!」
アイギスはいるはずもない人物を探し、見つけることが出来ず向き直りオレに問いかける。
「マスターはどこにいるの?」
「オレが知る訳ないだろ」
オレの答えに息を飲むアイギス、その目に涙を浮かべるアイギス、再び絶望がアイギスを飲み込もうとしている。
しかし十分だ。 アイギスはオレの言葉を聞き、オレに言葉を返した。 オレを認識した。
ならば十分だ。 道化師は一度捉えた|客の心(獲物)を逃しはしない。
ロゥは己が声に魔力を込める。
「しかし、お前のご主人は大したことないな、ちょっとしたことで暴走する使い魔なんて役に立たないだろ。 それに莫大な魔力を持った使い魔を作ったところでその使い魔が魔力放出しか使えないなら、そんな使い魔維持するだけ魔力の無駄だ。 それすらも判断できない魔導師なんて三流だ。 死んで当然、むしろそんな魔導師は死んだ方が――」
――世の中のためになる、そう言おうとしたが叶わなかった。
なぜならアイギスが突進し、ロゥはそれを回避するために転移を発動したからだ。
「ククク、図星か?」
「……るさい」
「自分が出来そこないだと理解したのか?」
「うるさい」
「それとも――」
オレはイヤったらしい間をおいて言い放つ。
「――自分のような出来そこないを飼っていたお前の主も、出来そこないだと気付いたのか?」
「うるさいうるさいうるさいッ!」
再び突進を開始するアイギス。
「マスターはわたしに心をくれた、マスターはみんなを助けた、マスターはみんなに笑顔を取り戻した! そんなマスターが出来そこないのはずがない!」
叫びつつ突進するアイギス、しかしそれはロゥとは正反対のあさっての方向だった。
「コトノハ発動確認。 恨んでくれていいぜ使い魔、助かったらな」
ロゥは幻体を追うアイギスにそう呟いた。
…………。……
『ロゥ、集束を終えたぞ!』
「遅ぇ! とっととぶっ飛ばしやがれ!」
コトノハ、ヒャクシキを発動してから数分後、激しい魔力消費とアイギスの突進の余波に苦しんでいたロゥにようやく吉報が届いた。
「フォルテ、ウツシエ起動」
《…………》
一瞬の床がなくなったような浮遊感の後、ロゥの右手には漆黒の儀礼用ナイフが握られていた。 幻でできたそれは内にロゥ・アイアスの欠片を秘めている。
なのはたちがカウントに入った。
「フォルテ、転移魔法スタンバイ」
《…………》
ロゥの周囲が歪み始める。
「スターライト――」
失敗は許されない、息を飲んだりはしないがその事実にロゥの内心は穏やかでいられない。
「――ブレイカーッ!」
なのはの特大極太の集束砲がアイギスめがけて放たれる。
アイギスの魔力と一瞬の均衡、しかし集束砲がアイギスの瞬間発揮値を超えていたためにアイギスの放出する魔力を吹き飛ばした。
ロゥは即座に転移する。砲撃後のノイズだらけの空間を正確に解析しアイギスの目の前に降り立つ。
「なっ!?」
ロゥは驚きの声を上げる暇すら与えず、アイギスの胸にナイフを突き刺す。
そして再び転移し、安全地帯まで脱出した。
「……………………プハァ~~緊張で死ねる。 と、これで下準備が整ったと、フォルテ『夢幻泡影』の詠唱に入る補助をしろ」
《…………》
ロゥの周りに大小様々な魔法陣が浮かび上がり、ロゥを中心に衛星のように回り出す。
「エルドラド・ラルド・ウル・アトゴウラ」
呪文を紡ぐ。
「カラクレカラナリ・其は夢、其は幻、其は泡、其は影、一切の存在が実態を持たず内が空なるものとして虚実の世界へ誘え」
両手を広げる。
「アルフ・ライラ・ワ・ライラ」
魔法陣が紫に輝く。
「夢幻泡影、開演」
――――アイギス
突然景色が変わった。空には厚い雲がかかり足元には周囲を海に囲まれた純白の砂浜、海は深紅に染まっている。
「ここは?」
「精神世界、オレの心の中とでも考えてくれ」
「ッ!」
背後からかけられた声に魔力を放って応える。
生々しい肉の砕ける音、振り返るとそこにはバラバラになった狐面の魔導師がいた。 死んでいる。
「死ん……だ?」
「…………」
返事が無い、ただの屍のようだ。
魔導師の死体はアイギスの見ている前で服が霧散し、肉が溶け海へと流れ、残った骨は崩れて砂になった。
「声かけただけで殺されるなんて思いもしなかったぜ?」
「なっ!?」
アイギスから少しばかり離れた空間から再び声をかけられた。
そこには殺したはずの狐面の魔導師が空中に足場を作り、その上で胡坐をかいてアイギスを見下ろしていた。
確かに殺したはずなのに……。
「機体数無限のチートキャラだから、オレ。 ところで、少しばかりお話した――」
再び魔力を放って粉々にした。
しかし――
「――ふぅ、命が無限でも痛みはあるんだぜ? 死ぬってことは文字通り『死ぬほどの痛み』を味わうことになるんだ、だからあまり殺さないでほし――」
また消し飛ばした。
「死なないんだったら、ここから出すまで殺し続ける」
アイギスは崩れてゆく屍に言い放った。
「そうかよ――」
再び何処からともなく狐面の魔導師が――いや、狐面の魔導師たちが現れた。
「――だったら大人しくなるまで痛めつけてやるよ」「我慢比べなら負けないぜ?」「子供が『殺す』なんて口にするな」「四肢を切り落とせば大人しくなるか?」「――――!」「――――?」
空から、海から、砂から、ありとあらゆる場所から魔導師が湧いてくる。
「「「「無限VS一人だ」」」」
そして全員がアイギスに向けて手をかざす。
「「「「ストライクブレイ――」」」」
「ァァァアアアッ!」
アイギスは魔導師が魔法を放つ前にその大半を消し飛ばした。
「「「「ストライクブレイザー」」」」
しかし、残った魔導師が鉛筆ほどの太さの砲撃を放ってくる。
砲撃のほぼ全てはアイギスの魔力放出で消滅したが、消滅しなかった一本の光線がアイギスの肩を貫いた。
「アァッ!」
肩を押さえてうずくまるアイギス、その間にも魔導師がわらわらと湧き出てくる。
「どうした?この程度で悲鳴を上げて」「死ぬのはもっと痛いぞ」「戦いは始まったばかりだ」「もう終わりか?」
再び砲撃の構えをとりながらアイギスに問いかける魔導師たち。
「…………うるさい」
「そうか」
そういうと魔導師たちは砲撃を放った。
…………。……
「ァァァアアアッ!」
もう何度目かもわからない。
「ァァァアアアッ!」
どれほどの時が過ぎたのかさえ分からない。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
現れる魔導師を魔力放出で駆逐する単純作業。
「ァァァアアアッ!」
何百回に一度の割合でアイギスを貫く砲撃により、両足はすでにない。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
ドサリと倒れこむ。 身体はまだ動く、この世界は魔力に上限が無いようで気付けばハネも回復している。
しかし動けない。 アイギスには戦う気力が残されていなかった。
狐面の魔導師が近づいてくる。
「…………なんで――」
「――こんなことをするの? お前が暴走したからだろ。 あのまま放っておいたら魔力切れで消えてたぜ、お前」
魔導師はそういう。
「……消えたかった」
気付けば、アイギスはそんなことを口走っていた。
「わたしのせいでマスターは、わたしのせいで、わたしがいなかったらマスターは――」
――あんなことにならなかったのに。
涙が溢れてくる。
「なるほど、お前の主人はお前を庇って死んだのか……なんというか」
魔導師は頭を掻きながらそううそぶいた。
「あー、テンプレな慰めになるけど、お前の主人は後悔してなかったと思うぞ? お前を守れたんだから」
それでもマスターは死んじゃった。 もう、二度と会うことは出来ない。
それだったら死んだ方がいい。
「お前の主人は喜ばないぜ? せっかく助けたのに無駄になる」
マスターと一緒にいたかった。
イヤイヤと頭を振るアイギス。
「だったら問題ない、お前は主人とずっと一緒だ」
「え?」
顔を上げるアイギス、そこには狐の面を外した魔導師がアイギスを覗きこんでいた。
「くさいセリフだけど、お前の主人はお前の心の中にいる」
「心の、中に?」
「そうだ、情報体のオレが言うんだから間違いない。 確かに会えないけれども死程度がお前と主人との強い絆を断ち切れはしない」
魔導師は続ける。
「目を閉じて思い出してみろ、お前の主人がお前に与えてくれたものを」
「…………」
言われた通りに目を閉じ想いにふける。
初めてマスターに会ったのは戦場だった。
強力な兵器として生まれたアイギス――いや、当初の機体コード『メデューサ』はいつものように戦場を死地へと変えていた。 そういう兵器だったのだ。 圧倒的な力のもと全てを砂へと変える兵器。 視界に入ればそれを石化し砂へと葬り去る。 近づく者がいれば瞬時に命が尽きるまでその魔力を吸い上げる。
マスターはそんな|メデューサ(怪物)の前に現れた。
石化は効かず、いくら魔力を吸い上げようともその魔力が尽きることは無かった。
勝敗は三日で決まった。 メデューサを設計した者たちはそこまでの長期稼働を計算に入れていなかったのだ。 案の定、三日目にアイギスは機能を停止した、つまり死んだのだ。
未練はなかった。 メデューサには自分を作った国の運命なんてどうでもよかったし、自分を作った人間に思い入れもなかった。 だから死んだ時も待機状態に移る時となんら違いはなかった。
唯一、未練があったとしたら、自分を止めてくれた誰かにお礼を言えなかったこと。 なんのお礼を言いたかったかは最後まで分からなかった。
しかし運命の女神は気まぐれで、わたしはマスターの使い魔になっていた。 マスターが機能を停止したメデューサの身体で使い魔を造ったのだ。 姿はメデューサだった時と違い蛇と人を掛け合わせたような醜悪な姿から少女の姿に変わり、全てを石化する魔眼も、あらゆる者から命を吸い上げる能力も構築術式から抹消されていた。
そしてもう一つ、わたしは『アイギス』という名をもらった。
なんでもどこかの世界の神話になぞらえた名前らしいが、アイギスにはマスターが名前を付けてくれたというだけで胸がいっぱいになった。
マスターは旅人だった。 様々な国を巡り困っている人々を助けていた。
マスターはいつも誰かのために戦っていた、アイギスもメデューサだった頃は誰かのために戦っていたが、マスターの戦いとは何かが決定的に違っていた。
アイギスはよく夜中に目が覚めた。 メデューサだった頃に殺めた人々に追いかけられる夢を見るのだ。 そんな時マスターはアイギスが寝付くまでどこか遠くの国のお話をしてくれた。
マスターは優しかった。 そして、そんなマスターに育てられたアイギスもいつしか優しい心を持つようになった。
あの時、マスターは最後にどんな表情をしていただろうか? 忘れていた、マスターはとても優しい笑顔でアイギスにお別れを告げたのだ。
それなのにアイギスはただ別れたくないと我儘を言って困らせて、お別れも、ありがとうも言えなかった。
閉じた瞳から涙が溢れる。
「……マスター」
二度と会えない人を呼んだ。
「どうしたんだい?」
アイギスの呟きに答える声があった。
アイギスは恐る恐る目蓋を開く。
そこには――
「やあ、そんなに泣き腫らしてかわいい顔が台無しだ」
「マス、ター……?」
そこにいたのは二度と会うことのできないはずの人物だった。
「マスター!」
「おっと、ふふ、アイギスは泣いてても元気がいいね」
「えへへ」
アイギスが飛びつくとそれを抱きとめてマスターが頬笑みかけてきた。 アイギスの足はいつの間にか元通りだった。
「マスター、今日いろんなところに行ったんだよ!」
「へぇ~?」
「ゲームセンターっていって、箱の中に小さな人が入っててね――」
時間にしたらほんのわずか、しかしアイギスは今日の出来事を精一杯伝える。
涙を流しながらも極上の笑みと共に、これから二度と訪れることのないであろう時間を悲しい思い出にしないために。
わかっている、ここが幻の世界であるということを、ここにあるもの全てが夢であるということを。 そして、目の前にいるのが本物のマスターではなくアイギスの心の中の残滓からできた泡沫のような存在であるということも。
「――それでね……あの、ね。 うっ、えぅ……マスター」
「なに?」
本物ではないにしても目の前で頬笑みかけてくるマスターは間違いなくマスターだった。
「まずだー、お別れなの?」
「……そうだね、ボクも悲しいけどどうにもならないんだ」
「まずだーも悲じいんだ。 最後まで笑っでだから、わだじど会えなぐなっても平気なんだと思っぢゃっだ」
「そんなことないよ。 ほら、鼻水」
マスターはどこからか取り出したチリ紙でアイギスの鼻をぬぐった。
「んぐ、マスター。 わたし、マスターに言いたいことがあるんだ」
「なんだい?」
アイギスは何処までも優しく笑いかけてくるマスターに、そんなマスターの使い魔にふさわしい笑顔で伝える。
「マスター、わたしを造ってくれてありがとう、名前をくれてありがとう、一緒にいてくれてありがとう。 マスターのおかげでわたしはこんなに笑えるようになったよ」
最後だと思うと再び目頭が熱くなってきてしまった。 神様、お願いだから最後まで笑顔でいさせて……。
「マスター、さようなら。 わたし、マスターが言った通り幸せになるからね」
「うん、さようならアイギス。 元気でね」
世界が崩れていく。 紫色の輝きで埋め尽くされる。
最後にアイギスが見たものは、どこまでも優しい笑顔のどこまでもやわらかい眼差しの目尻に浮かんだ一粒の雫だった。
――――クロノ
ロゥが呪文を唱え終わった直後、使い魔は気を失い落下した。 幸いロゥが受け止めたために海に落ちることはなかった。
「ロゥ、今の魔法は?」
非常に理解しがたい魔法だった。
「オレの精神世界に引きずり込んでの直接交渉、認識のやり取りだから時間はいらないんだよ。 ところで、えーとユーノくん、マントを貸してくれないかな? アイギスの服が魔力放出で吹き飛んじゃってて」
ロゥは使い魔にマントを巻きつけながら説明する。
「三つの精神干渉で対象にしっかりとアクセスしなきゃいけないけど、それさえ出来てしまえば防御不能の必殺魔法だよ」
さて、と仕切り直し僕たちに向き直るロゥ。
「今日はみんなのおかげでアイギスを助けることが出来たよ、本当にありがとうね」
その表情は前髪で分かりにくかったが、とても穏やかだった。
――――アイギス
目が覚めるとそこは知らない天井だった。
横を見るとマスターに似ていないけど似ている魔道師が、空中に浮かんだ画面をぽつぽつと操作していた。
「…………?」
アイギスは話しかけようとしたが、声出せなかった。
「108枚あったハネが14枚、つまり本来あった魔力のおよそ87%を失って、今までどおりの構築術式だとすぐに消滅するのが明白だったから、勝手ながら色々と機能を制限させてもらった。 声が出ないのはその影響の一つ、その他に身体能力が外見通りになったり思考回路が短絡化したりしてる」
「…………」
声が出ないのは残念だけれど、幸せになるまで死ねないから少しでも長く生きれるようにしてくれたのは嬉しい。
ありがとうを伝えたかったが、やはり声はでなかった。
「お礼はいいよ、オレが勝手にやったことだし、それに長く生きることで今消えておけば良かったと思うこともあるかもだし」
「…………?」
「伝わってる。 お前の構築術式を弄るためにオレの精神の一部をお前に同化させたから、お前の言いたいことは大雑把だが認識できる」
「…………」
それは良かった少なくともこの人には想いを伝えることが出来る。
安心すると疲れが押し寄せてきた。
「おっと、寝る前に少し聞け」
「?」
アイギスは眠りかけた意識をかろうじて呼び覚ます。
「お前の主人、馬鹿にして悪かった」
「…………」
「いや、『仕方ない』じゃダメなんだ。 たとえ誰かのためであっても悪いことをしたのなら罰を受けなくちゃ、それが罪を背負うということなんだ。 けど、赦されるのなら赦されたい」
「…………」
「クク、サンキュー。 あーあ、オレって調子イイよな~。 そうだ――」
「?」
「――最後、ちゃんと笑えてたぜ」
「――――!」
思いだしたように言われた言葉は眠りかけてたアイギスの精神を覚醒させるには十分だった。
よかった、今度のお別れはちゃんとできた。
本当に良かった。
アイギスはとてもとても嬉しくなった。
おかげで目が冴えて眠れない。 なので――
「…………」
「ん? ん~お話か、作るのは苦手なんだよな……これでいいか?」
そう言うと魔導師は目の前に浮く画面を指差した。 どうやら何かの物語を読んでいたみたいだ。
アイギスがうなずくと魔導師はニヤリと笑い、朗読を始めた。
「アインツベルン城の階段の最上段に立ちギルガメッシュは下にいるアーチャー達に言い放つ『ハ! 贋作者風情が調子に乗り追って――」
その奇妙な物語はアイギスが眠りに着くまで読み上げられた。
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