日本書紀や万葉集に登場…「磐余池」は実在 奈良県橿原市教委は29日、日本書紀や万葉集に登場する人工池「 また、粘土層から6世紀末〜7世紀初めの土器片が出土した。これにより、6世紀末に池が実在したことが裏付けられた形だ。聖徳太子の父・用明天皇が585年、磐余池のほとりに宮殿を設けたとする日本書紀の記述と合致する。 市教委は2011年末、池の北東隅とみられる場所で堤の跡と6世紀後半の大型建物跡を確認した。今回は、地形から池の底とみられる箇所など約960平方メートルを発掘。池の底特有の粘土層(厚さ10センチ〜1・2メートル)が長さ約80メートルにわたって確認され、最下層から6世紀末〜7世紀初めの土器片数十点が出土した。最上層に13世紀の土器片が数百点あり、池は600年あまり存在し、その後、水田に転用されたらしい。 (2012年6月29日23時08分 読売新聞)
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