社会的影響力のある企業だけに残念でならない。大きな声にあわてて、大切なものを見失ってしまったのか。
元従軍慰安婦をテーマにした写真展を、ニコンが一方的に中止すると決めた問題で、東京地裁は「ニコンは契約に基づき、会場を貸さなければならない」という仮処分決定を出した。同社は異議を申し立てたが、写真展は予定どおり始まった。
裁判でニコン側は「写真文化の向上を目的とする会場を、政治性のある催しに貸せない」と主張した。これに対し地裁は、扱うテーマによっては一定の政治性を帯びるのが写真文化だと述べ、今回の企画はニコンが唱える「目的」に反するものとはいえないと結論づけた。
表現活動を理解し、その自由を守る姿勢をはっきり示した判断といえる。
今回の写真展をめぐっては、ネット上に「売国行為」といった批判が飛びかい、ニコンにも抗議が寄せられたという。こうした動きが中止の判断につながったのは想像に難くない。
もめごとを避けたい気持ちはわかる。だが、いきなり公表の場を奪うのは乱暴にすぎる。
ニコンのレンズは戦争や公害など世界の矛盾を切り取り、多くの喜びと悲しみを記録してきた。写真家への支援などの社会貢献でも高い評価を得ている。そんなイメージを、ほかでもない表現の自由をめぐる問題で傷つけてしまうとは。
混乱が心配されるのなら、警察に協力を求めて万全を期す。それでも、客観的な事実に照らして、重大な事態が具体的に予測されるときに初めて中止などを検討する――。今回と似たようなケースをめぐって裁判所が重ねてきた判断を踏まえ、適切な対応をとるべきだった。
写真の発表をふくむ表現・言論の自由が保障されているからこそ、人々は考えを互いに交換し、賛同者を増やしたり、逆に自分の誤りに気づくきっかけを得たりする。その土壌のうえに民主主義は成立する。
ところが最近は、ネット空間の言論をはじめとして、異なる考えを認めず、過激な批判を浴びせ、萎縮させる動きがさかんだ。抗せず、なびいた方が無難という風潮も見え隠れする。そうして息苦しくなった世の中はどこへゆくのか。歴史の教訓に思いをいたすべきだ。
ひと色に塗りこめられた社会は、もろく弱い。この国をそうさせないために、一人ひとりがそれぞれの現場で何をなすべきか。常に考え、知恵を働かさねばならない。