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6月半ばの街作りについての講演の、概要をまとめました。

投稿者:miyadai
投稿日時:2012-06-30 - 17:31:51
カテゴリー:お仕事で書いた文章 - トラックバック(0)
イベント:街づくりの仲間たち
講師:宮台真司
主題:街作りは住民のニーズに応じてはならない
日時;6月17日(日)14:30〜16:00
場所;キャロットタワー5F セミナールーム


■人間を中心にして、人間のニーズに応える「安全・安心・便利・快適」で街を評価するような功利主義的な発想では街や環境を保全できない。街づくりが住民ニーズに応えてきた結果「満足度は高いが幸福度は低い国」になった。どこよりも「安全・安心・便利・快適」で、どこよりも不幸せな国、日本。
■ベアード・キャリコット(環境倫理学者)は、人ではなく「場所」を主体にせよという。人間は、場所に寄生(パラサイト)するもの。街の全体性-いわば「街」という生き物-にとって自然なことかどうかで適切さを判断することがとても大切だという。
■彼にによれば、「場所」は単なる空間ではなく、人の営みやコミュニケーションや内側から生きられた感覚地理を含むもの。そうした複合体としての「場所」の時間的展開を明らかにすることで、何が「場所」という生き物にとって自然なことなのかがわかる。
■人間のニーズを中心にした「安全・安心・便利・快適」のまちづくりは、必ず人間の尊厳を脅かすものになる。人と場所の関係、人と人の関係が、入れ替え可能なものになってしまうから……というのがキャリコットの議論である。

〜〜〜
■なぜ人々のニーズに応じると街は出鱈目になるのか。いくつか解答が試みられてきた。第一に、街がよい街になるために必要な積み重ねの時間尺度は、人生の尺度の何十倍。街のよさを支える視座と、生活上のニーズの視座とは、スパンがまったく違うこと。
■第二に、人は、規定されたものの中にいる限り、〈世界〉を〈世界〉として感じないという根本的な問題がある。規定不可能なもの、カオス的なもの、計算不可能なものに囲まれて、人は初めて〈世界〉の中に生きていると感じる存在である(キャリコットが影響を受けた京都学派の発想)。
■こうした発想は、超越神の宗教が根づいた社会では自明である。「人の視座」を越える「神の視座」を想定するからである。日本人の神は取引可能な「友達」で(例えば妖怪)人を越える視座を与えない。
■ただし、鎮守の森のように、かつては森を得体の知れないものと見做す発想があった。今は森と共に生きる生活はない。人を越える視座を与える宗教的生活があれば、人間は自らを愚かだと見做し、暴走しない。
■ニーズに応じた街づくりが出鱈目になる理由は言葉にするのが難しい。だからキャリコットも「場所を生き物として捉えないと、我々の尊厳は保てない」と比喩を用いる。「場所を生き物として捉える」とは、学知というより、経験知の言葉だ。
■だが、我々の尊厳を保つ街を言葉にしにくいのに比べ、「安心・安全・便利・快適な街」は言葉にしやすいので、言葉にならない暗黙知に謙虚になる習慣を失った我々は、学知ならざる経験知の言葉であれ言葉を手にしないと、出鱈目から抜けられない。
■理由を言語化できないがゆえに、尊厳が、つまり自分がここにいることの価値が、奪われてしまうこと。街という「場所」をどんな生き物として捉えるのかは、社会の歴史や成り立ちに依存するものだ。日本人ならでは、各地域ならではの、街という生きものの捉え方があるだろう。

〜〜〜
■民主主義には主題化が困難な事柄がある。「損して得とれ」的問題の多くがそうだ。例えば昨今の欧州では、グローバル化対応と民主主義的決定が両立しない。民主主義的決定は大きな政府を要求するが、国民が巨額債務に向き合う意図がないと見做され、国債が暴落して一挙にデフォルト化する。
■人々の民主主義的決定が全てを台無しにすることがある。ことほどさように社会は「未規定性を抱えたもの」としてある。それをわかって街を設計する否かで雲泥の差だ。わかった人の設計は未規定性を残す。かつての(!)浅草仲見世通りのように、カオスなのに統一性を感じさせるようにする。
■かくて社会学では「計算不可能性を設計する」(講師の著書名)ことの大切さが理解されるようになった。「計算不可能性を設計する」必要があるのはなぜか。我々の尊厳を保つためだ。口実は何であろうが(テロ?)全てを計算可能化する営みは、我々を不安に陥れ、最終的に尊厳を破壊する。
■「安全・安心・便利・快適」はむろん大切だ。だが何よりも大切な価値か否かは吟味されなければならない。ニーズの実現がもたらす副作用にどこまで敏感になれるか。どこまで副作用を小さくできるかがポイントだ。そこには是々非々の懸命な努力の積み重ねがあるだけだ。
■怪我をしても文句を言わない者だけが遊ぶ資格を持つ羽根木プレーパーク。「安心・安全・便利・快適な街」と「子どもにとって輝く街」は異なる。「輝き」や「ときめき」は行政用語になりにくいが、明らかに幸せと関係している。「便利&快適」から「尊厳&幸福」へのシフトが必要だ。
■ニーズに応じたら街づくりが出鱈目になる。民主主義的決定が全てを台無しにしうる。だからこそ「自分の視座を越えるために」ワークショップ(WS)が有効だ。あらかじめの利害やイデオロギーに縛られた数合わせの多数決のための討議から、気づきの体験を通じて成長するための討議へ。
■WSは、方法の吟味が大切だ。例えばデンマーク発のコンセンサス会議。論点毎に対照的立場の専門家らがバトルし、最後に専門家を廃して当事者住民が決める。医療のインフォームドコンセント&セカンドオピニオンと同じだ。
■都民投票条例の制定を求める直接請求の請求代表人である僕は「住民投票の極意はWSにある」と述べてきたが、WSの適正規模を聞かれて20人と答えると、投票日までに間に合わないと批判される。だがニコ生やUストリームなど動画ライブ配信テクノロジーを使えば、いろいろなことが可能だ。

〜〜〜
■今回の原発事故は「技術の社会的制御」の問題を提起した。工学者が技術的十分さを主張するだけでは話にならない。高度技術(原子力!)にはそれに応じた社会的制御が必要だ。だが工学者は社会的制御のテクネーについて素人に過ぎず、「安全だから採用せよ」という資格はない。
■技術者がなすべきことは、技術的高度さに応じた社会的制御のテクネーの模索に資するべく条件プログラムの伝達。つまりif-then文(もし◯◯なら△△となる)集積を伝えるのが責務。だが、社会的制御は条件プログラムに還元できず、人々が何を望むかという目的プログラム(価値)が最大問題となる。
■その意味で、科学者や技術者と呼ばれる専門家が、if-then文の提出を越えて、だから社会は採用すべきだなどと「専門家の威を借りて」提案するのは、越権行為に過ぎない。日本が「原発を止められない社会」だというのは、技術の社会的制御に問題を抱えるということだ。
■その意味で、「安心・安全・便利・快適」なるものは本来、幸福(輝きやときめき)の実現という目的プログラムの追求に際して、副作用を計測し緩和するための条件プログラムにすぎない。条件プログラムにすぎないものが、目的プログラムのツラをする所に、日本的な街づくりの出鱈目がある。
■条件プログラムは、目的プログラムの遂行に伴う適正手段の選択を支援してくれる。目的と手段の関係は線形に延長し、目的を実現するための手段・を実現するための手段・を実現するための…という具合にブレイクダウンされる。(目的プログラム、条件プログラムは、第2回基本構想審議会でのご発言中のことば)
■幸福(輝きやときめき)の実現という目的に資する手段の選択に際して、どんな手段が有効なのかの吟味に使える条件プログラムのリサーチは難度が高い。だからこそキャリコットは「場所を生き物として扱うならば…となる」という比喩的if-then文を使った。難度が高くても次善の策で行くべきである。


質疑応答(Aは宮台)
Q:宗教の話。戦後の日本人がとってきたのは、戦後の復興。神と思ってきた経済がだめになったときに、視座として何があるか。
A:記憶が大事。冷戦終焉ないしバブル崩壊と同時に始まったノスタルジーブーム。記憶がない人たちが『懐かしい』と述懐するのが特徴。理由は十分解明されていないが、懐かしさの正体はたぶん「濃密さ」。人間関係が濃密だから紛争も殺人も多かった。豊かなのに濃密さを欠いた社会よりも、豊かでなくても濃密な社会へ。それがブームの志向ではないか。そこにヒントがある。

Q:基本構想は、区政の憲法だといわれた。現行の構想をどうお考えになるか。シャドー審議会も考えているが。
A:異論を唱えにくい内容よりも、参加や自治を惹起しうる形式に注目した方がよい。WSの形式を吟味し尽くすことに、実は大きな鍵がある。

Q:現在の基本構想は?
A:参加と自治を推奨する理念(目的プログラム)はよい。だが理念だけではどうしようもない。実践過程(条件プログラム)を通じて方向性を指し示せるかどうかだ。デンマークのコンセンサス会議を紹介したのは、有効な条件プログラムだからだ。

Q:安全・安心・便利・快適、孫たちにとっていいように、と長期的には考えている。
A:目的(幸福)にせよ、手段(安全・安心…)にせよ、機能的に思考することが必要だ。例えば空洞化しつつある家族。「古い家族を取り戻せ」と言うと排除的になる。必要なリソースを持つ者が限られるからだ。そうでなく「家族的機能を果たす者は全て家族だ」と機能的に思考する。社会学では家族の最低限の機能として(1)人口学的・感情的な労働力再生産、(2)子供のプライマリーな社会化に注目する。この2機能を満たす集合体を全て「家族」と見做して行政的に支援すべきである。

Q:税が高くて相続できなくて、土地を手放すと、マッチ箱ハウスが林立するのが問題。
A:措置は簡単。建ぺい率を下げれば良い。小さな土地に家を建てられなくなり、土地を過剰に小分けして売却できなくなる。だが、そうすると土地が売りにくくなり、不動産市場の流動性が下がる。そうなると、相続税が払えない人が苦境に陥る。結論。建ぺい率低下と相続税軽減措置を同時に。

Q:京王線が立体化されると世田谷区のボディが決まってしまう。そういう議論をやるようなWSをやっていかないと。
A:賛成だ。路地が入り組んで車が入れないから人が滞留する。人の滞留を前提にした下北沢の街。列島改造論で失ったものを想起する。
 日本の旧市街は鉄道城下町。60年代からモータリゼーション。列島改造論でバイパス建設ラッシュ。新市街が出来るかわりに旧市街は閑古鳥。新市街も「国道16号線的風景」でどこも似た風景。スーパー、パチンコ屋、家電量販店、消費者金融……。
 似た話が日米構造協議での米国産木材輸入解禁と2×4化。90年代に和風軸組建築集落がなくなる。井戸端、縁側……といった動線が変化し、コミュニケーションが阻害され、地域共同体空洞化が加速。
 何をしたらどうなるか(車道整備で人の滞留を阻害したらどうなるか、バイパスで新市街化したらどうなるか)をWSを通じて徹底的にシミュレーションし、WSを通じて「幸せ」の目的プログラムに照らして評価すべきだ。
 開発計画が一部始まっているので、三軒茶屋再開発のように、エリア分けの手打ちが必要になる可能性がある。三軒茶屋ではかえって古い屋台的な飲食街が残った。