第5章 決意(3)
「ん?どうしたんだ?」
隊列の先頭にいる筈の桔梗が自分のところまで下がって来たのを見て、一刀は問いかけた。
小沛の街の視察を無事終えた一刀たちは、下邳への帰路の道程にあった。そして街を出て半刻(一時間)程過ぎた頃、愛紗と並んで馬を進めていた一刀のところに、桔梗が近づいてきたのである。
気がつけば、後尾にいる筈の紫苑もまた、一刀の近くまで来ている。その紫苑と目で会話を交わすと、桔梗は一刀に話しかけた。
「のう、お館様」
「?」
「ものは相談なのじゃが……」
そこまで話して、躊躇した。こんなことをお願いしたら、ご自分が頼られていないと弱気にはなられはしないか。いやいや、その程度で気を散じていては中華統一など夢また夢――やはり、申し上げなくてはならぬ。
「あー、おほん。実は……」
「ご主人様、よろしいでしょうか」
愛紗が、一刀と桔梗の会話に割り込んできた。その瞳には、何か重大なことを伝えたいという意思が見える。
「桔梗、すまぬ。先に良いか」
「……うむ。構わぬぞ」
そう返事をしつつも、桔梗は不安にかられた。小沛の『天の御遣い』こと、前田慶次郎に対する愛紗の警戒の念については、重々承知していた。だからこそ、愛紗が彼について何か言う前に、一刀に提案するつもりだったのだが……。
「なんだい、愛紗?」
「はい。前田慶次郎殿のことです」
桔梗は、紫苑と目を見合わせて顔を曇らせた。先を越されたか――それも、悪い意味で。
先日、慶次郎と時間を共にした桔梗が紫苑と話して結論に至ったのは、彼をこのままにはしておけないということであった。あれほどの武人――ないし『いい男』を、あのまま野放しにしておくのは天下の損失である。決して、一緒に酒が飲める男を側に置きたいわけではない。そうよの、紫苑。
そんな桔梗の気持ちを知って知らずか、愛紗は一刀に提案をする。
「……前田殿を私たちの仲間として、お誘いするわけにはいかないでしょうか」
◆◆◆
「「「え?」」」
一刀、桔梗、そして紫苑の声がはもった。皆、口を開けたままである。
「……なんだ、桔梗。私はそんなにおかしなことを言ったか?」
愛紗が桔梗をじろりと見た。慌てて、桔梗は言葉を返す。
「そ、そんなことはないのじゃが……。愛紗、おぬしは前田殿に対してかなり辛辣な見方をしてはいなかったかの?」
「その通り。しかし、昨晩お話しする機会を得て、見方が変わりました。あの方は、ご主人様に必要な方です」
「愛紗……」
一刀はうれしくなった。自分の憧れの人を、仲間が信じてくれた。だが、ふとあることに気づいた。
「愛紗」
「はい」
「いつの間にあれから慶次さんと……いや、前田殿と会ったの?」
「!」
愛紗の顔が一瞬にして青ざめた。一刀は苦笑いをして言葉を続ける。
「前田殿と、愛紗が話をしてくれたこと、うれしく思うよ。だけど、少しだけ気になって」
「は、はい……。実は昨晩、街中で趙雲殿と『偶然』に会いまして。それで……その、三人で一緒に酒を飲むことに」
一刀は、慶次郎、趙雲、愛紗が三人で酒を飲んでいる姿を思い浮かべた。絵になる。しかも、昨晩は月が綺麗な夜だった――いいなあ。自分もその場にいたかったなあ。そんなことを思う一刀の側で、桔梗が愛紗に声を掛けた。その声には、若干の怒気が含まれている。
「愛紗!何でわしらを呼ばぬのじゃ!」
「そうよ、愛紗ちゃん。それはちょっとどうかと思うわ」
紫苑まで、桔梗の言葉に乗っている。その顔は笑っている――のだが。
「し、仕方ないだろう!急だったのだ!そ、そんなことより!」
愛紗はあたふたと二人の言葉を遮ると、一刀に問うた。
「ご主人様!前田殿をお誘いする件……いかがでしょうか」
「――ありがとう、愛紗。あの人のことを、認めてくれて」
一刀は笑顔で愛紗に答える。話題を蒸し返されなかったことに、愛紗はほっと胸をなで下ろした。そんな愛紗をよそに、桔梗がうきうきした顔で、一刀に話しかける。
「それでは、お館様。早速、小沛に戻って前田殿に……」
「いや。前田殿は誘わない」
◆◆◆
「「「え……!?」」」
桔梗、紫苑、愛紗の声が重なった。意外であった。彼なら、真っ先に賛成すると思っていた。いや、彼の方からいつかそのことを言い出すだろうと、彼女らは『確信』していた。だからこそ、小沛の街を出てから半刻の間、『待っていた』のである。
「決して、男の嫉妬なんかじゃない……ということだけは、わかってほしい」
一刀は三人の顔をゆっくりと見渡しながら言葉を続ける。その顔に、恥辱や狼狽の表情はまったくなかった。そこには、決意をした男の顔があった。このような表情は、初めて見た気がする――そんなことを思いながら、愛紗は尋ねた。
「それはもちろんです。ご主人様はそのようなお方ではありません――ですが、理由を教えていただけませんか」
「うん」
一刀は頷くと、大きく息を吸った。
「前田殿は……言いにくいな、もう慶次さんでいいか。うん、慶次さん」
そう言うと、照れくさそうに一刀は鼻の頭をかいた。そして、話し始めた。
「慶次さんは否定したけど、彼が天から来たことは紛れもない事実だ。そのことを、なぜオレが知っているのか。その理由は、まだ言えない。ただ言えるのは、あの人はオレの憧れだということだ。愛紗たちも、わかっただろう?あの人は、なんて言うか――すごい、人なんだよ」
「……はい」
「すごく、頼りになる人なんだ。……側にいたら、頼ってしまうと思う。きっと、そうなる」
「……」
「オレは天の御遣いだ。この大陸を平和にするために、天から遣わされた。そんな男が、人に頼るわけにはいかない。そして――オレには、もう頼りになる仲間たちがいるんだ」
「「「!」」」
◆◆◆
この数日の間に、この人はこんなにも成長したのか――愛紗は胸が詰まる思いだった。
これまで、愛紗にとって一刀の存在価値は、その白く輝く天の服と天の知識にあった。それだけが『天の御遣い』としての彼の意味だった。天の御遣いを演じてくれていることに、心から感謝はしている。だが、それだけであった。
確かに、異世界から来たのかもしれない。天界から来たのかもしれない。だからといって、天の御遣いとしてこの乱世を正す存在たりえるのは、容易なことではない。本物の『英雄』であったとしても、それは至難の業であった。そしてこの若者は、英雄ではありえない。
最初に会って、すぐにわかった。多少のたしなみはあるようだが、武人としてはいかにも『未熟』。その精神も、きわめて『若輩』。彼から天の服をはぎ、口を閉じさせてしまえばこの世界のどこにでもいる若者と変わらない。そして、この世界を知識として知っていても現実を知らない。これはまさに天の『凡人』であろう。
そして、だからこそ『御輿』としての価値があると考えた。庇護する自分たちの力がなければ生きていけない、天から来たひ弱な若者。自分たちが庇護を与える限り、彼は自分自身を守るために、その力を尽くしてくれるだろう。いわば、物々交換である。
そんな打算的な自分の考えを、一刀もうすうす気づいていたと思う。恨まれてもやむを得ない。そう覚悟していた。それだけのことを、彼には強要していた。何しろ、いきなり乱世を正す英雄を演じろというのだから。だが、それで中華の平和が実現できるなら安いものだと思った。いざとなれば、最後は責任を取って自裁する覚悟だった。
けれども、自分のそんな彼への評価は浅はかだった。この人は自らが御輿であることを自覚しながらも、その期待から逃げることなく、その立場に甘えることなく、その運命を呪うことなく、すべてを引き受けてなお天の御遣いたろうとしている。
今さら、わかった。この人は、決して凡人などではない。『本物』の天の御遣いだ。今は鯉魚に過ぎなくとも、いつか必ず龍となる――英雄になるだろう。
◆◆◆
気がつけば、愛紗は馬から下りて膝をついていた。気がつけば、桔梗、紫苑も同じように膝をついている。愛紗は三人を代表して、その思いを宣誓した。
「ご主人様……我ら、ご期待に添うために、改めて忠誠を誓う次第」
「ありがとう。これからも、よろしく頼む」
「「「はっ!」」」
一刀はにっこりと微笑むと、彼女らに馬に乗るように促した。そして、改めて自分がたどりついた『仮説』と慶次郎のことを思った。
一刀がたどりついた仮説――それは、自分が物語の登場人物、それも『主人公』ではないかということであった。自分でも、突拍子もないことを考えていると思う。しかし、そうとしか考えられなかった。なぜなら、すべてがうまくいきすぎるからである。
別世界に来たのはともかく、たった一ヶ月で劉備、関羽、張飛、諸葛亮、鳳統、黄忠、厳顔、魏延、そして孫乾が配下になった。そして、実質上、徐州の主になった――ありえない、そんなこと。戦国時代をネタにした自分の妄想だって、もう少し現実味があった。そんなに都合よく、自分がヒーローになれる世界に来れるわけがない。
そして、自分がこんなにもてるわけがないのも、残念ながらこれまでの人生でわかっていた(実際には、彼に片思いしている女性はそれなりにいたのだが)。だからこそ、自分に仕官した美少女たち――三国志の武将たちが、揃いも揃って自分に思いを寄せるのはおかしいと感じた(愛紗だけは、そうではないようであったが)。これでは、まるで恋愛ゲームの主人公ではないか。
自分が物語の登場人物ではないかという仮説は、虚構の存在である『一夢庵風流記』の前田慶次郎の登場によって確信となった。その登場は一刀にとって存外の喜びであったが、同時に思い切り彼をへこませた。
『一夢庵風流記』の慶次郎が存在する世界で、自分は恋愛ゲームの主人公として過ごすのか。――『一夢庵風流記』の世界に憧れた彼にとって、今の自分がどんなに恵まれているとしても、忸怩たる思いが生じるのを止めることはできなかったのである。
けれども、実際に『本物』の慶次郎を見て、そんな気持ちは吹き飛んだ。何をオレは悩んでいたのだろう。自分が恋愛ゲームの主人公でも何でもいい――自分は『ああなりたいのではなかったか』。
『憧れ』を目の前にして、うじうじと悩んでいる自分が恥ずかしく思えた。誰かに与えられたかもしれない役割に悩む前に、自分は自分として生き抜けばいい。だから、心密かに誓った。誰かに強制されてではなく、自分の意思でこの中華に平和をもたらすと――『命をかけて』。
慶次郎は人に頼るような男を決して認めはしまい。彼が認めるのは、己の力で生きる男。そして、己の美学のために命をかける男。自分は、そんな男になるのだ。
『ん?北郷殿は飲まぬのか?』
あのときの慶次郎の笑顔を思い出す。
心が震えた。
昨日、見た風景。
あずまやで酒を酌み交わす『漢』たち。
今度会うときは、慶次郎の誘いに胸を張って頷きたい。『いただきます』と。
そしていつの日か――あの人に『友』と呼ばれるように。
一刀はその決意を新たにすると、両手の手綱を強く握りしめた。
そんな一刀を、孫乾だけが冷たい表情で見つめていた。
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