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第4章 邂逅(3)
 小沛の街から西へ半町(約五十五m)ほど離れた地点。そこに、街の入口へと向かう四人と二頭がいた。

 先頭にいるのは、巨大な黒馬に乗った、これまた大柄な男である。藍一色の上下を着込み、表が黒、裏が猩々緋のマントを羽織っている。腰には、無骨な長刀が無造作に差されている。柄は上下と同じ藍色、鞘はくすんだ朱である。その顔は、春風に吹かれているかのごとく穏やかである。

 その男が乗る馬の前鞍には、不釣り合いな麻の服を着た妙齢の女性が横座りになっている。銀髪だけでも珍しいのに、大きな青い瞳、透き通るような白い肌――その姿は世の者とは思えない。その女性の体を、慶次郎の太い腕が支えていた。その顔は、男の顔を柔らかく見上げている。時折、何か話しかけているようだ。

 その二人を乗せている黒馬が、また見事であった。単に大きいだけでない。周囲を威圧する雰囲気――まさに、馬の王といった風格があった。黒いというよりは漆黒といって良いその馬体は、太陽の光を浴びて艶やかに輝いている。よく見ると、馬銜や手綱がついていない。

 その後ろには、黒馬には馬格ではかなわないものの、やはり見事な栗毛の馬が続いている。こちらの馬には馬銜や手綱がついている。その馬の口を取って歩くのは、二十代後半とおぼしき小柄な女性である。その背丈の二倍以上はあろうかという長大な朱槍を右肩にかけている。

 最後尾には、身の丈七尺(二一〇cm)近い大男――そう、牛のような浅黒い男が続いている。その男は、背中に大きな箱――鎧櫃を二つ背負っていた。もっとも、それらは長大な彼の背中にあるために脆弱な小箱のようにも見える。そのためか、なんともアンバランスな印象を受けた。

 そんな奴らが、現れた。何もしていない。ただ、現れただけである。しかし、それだけで空気が変わってしまった。そこに存在する何もかが、『普通』であることを否定していた。無論、本人たちは微塵もそんなことを気にしていない。

 そんな奴らが、ゆっくりと近づいてくる。悠然と近づいている。門前の状況に、まるで気づいていないかのように。門前に集まった小沛の街の住人たち。そして、一刀たち一行。彼らは揃って息を止めていた。規格外の四人と二匹を迎えて、どんな対応をして良いかわからないのだ。

 そんな中、星だけが慶次郎を見つめていた。

◆◆◆

 星は久しぶりに主と心に決めた男――惚れた男の姿を見て、口元がゆるむのを押さえることができなかった。

 これまでに星が見た慶次郎の姿、それは最初に会ったときの白装束の姿であり、小沛の街に来てから揃えたいわゆる庶民の服を着た姿であった。慶次郎は服に負けない男である。いずれの服も、独自の感覚で見事に着こなしていたと思う。

 だが、今の服装を見てその考えを改めた。恐らく、それらは慶次郎の感覚で揃えたものであろう。その色合い、着こなしは文字で示せば奇抜なものである。しかし、実際に目にするとどうだ。大柄な慶次郎の体に、その服装は実に似合っていた。いっそ、涼やかな印象すら与える。

 男の価値は、姿形では決まらぬもの。そのような信念を持つ星である。しかし、今の姿を見て惚れ直した自分を否定することができなかった。

 それに、慶次郎がまたがっている黒馬の見事さといったらどうだ。あれほどの巨馬でありながら、その身のこなしは見事の一言に過ぎる。そして、あたかも物語に登場する神馬のごとき気品がある。

 馬銜や手綱がついていないにもかかわらず、黒馬は乗り手の気持ちがわかるかのように、自然とその足を進めている。まさに人馬一体――彼らはまるで長年連れ添った夫婦のような雰囲気を醸し出していた。

 あの馬は、いつの間に手に入れたのだろう。……まあ、良い。後で聞けばよい。そう、聞きたいことはたくさんある。前鞍に座る妙齢の女性についてとか――。

<ん?>

 星の顔が固まった。あまりにも自然なので、これまでまったく気にしていなかったが――あの女は誰だ。なぜ、そこにいる。なぜ、微笑んでいる。誰の許しを得て、慶次殿に触れている!

 星は、慶次郎に向かって走り出そうとした。しかし、目の前にはまだ固まったままの下邳の一行がいる。天の御遣いを前にして、彼より先に慶次郎と接するような勝手な行動をとるわけにはいかなかった。

<慶次殿……後で話はたっぷり聞かせてもらいますぞ>

 何もできぬまま、両手を握りしめて星はぶるぶると震えた。

◆◆◆

 馬上で一刀は固まっていた。

 ずし、ずし、ずし。

 もはや、巨大な黒馬が踏みしめる地面の音が聞こえる距離になっている。あの馬は、十中八九、松風であろう。そして、その馬にまたがる偉丈夫。

 本物だ――あれ、絶対に本物だよ!『一夢庵風流記』の前田慶次だよ!

 一刀は叫びたいような、泣きたいような、そして笑いたいような気持ちに襲われた。何をしたら良いか、わからない。

 ようやく慶次郎が、こちらに気づいたような顔をした。その顔を見て、一刀は我に返った。そうだ。このまま固まっているわけにはいかない――その程度の男だと、思われたくない。

<動け!>

 一刀は、緊張で固まる体に活を入れ、必死で手綱を引いた。

 ぽっく、ぽっく、ぽっく。

 一刀を乗せた白馬が、松風に近づいていく。やがて、一刀は慶次郎と一丈(約三m)ほどの距離を空けて相対した。松風に乗る慶次郎からは、自然、一刀を見下ろすようなかたちになる。お互いの視線が交差した。

 慶次郎は、白馬に乗る若者の姿形に目を向けた。これまで見たことがない白く輝く生地の、これまた見たことがない意匠の服を着ている。その背後には、その護衛とおぼしき五〇騎ほどの兵士たち。その内の数人は、名のある武将であるように思われた。

 そして、その若者の後ろには星、戯志才、そして程昱の姿が見える。なぜか、星は怒っているようだ。さては、勝手に屋敷を空けていたことに立腹したか。それはそれとして、もしやこの若者――。

 慶次郎は目の前の若者の瞳を見た。理由はわからぬが、いたく緊張しているようだ。だが、強い意志を感じさせる瞳をしている。声をかけた。

「……天の御遣い殿でいらっしゃられるか?」
「は、はい!は、はじめまして!俺……いや僕は、下邳で、て、天の御遣いをして、しています、ほ、北郷一刀と言います!」

 大声で名乗ったつもりだった。しかし、空気を震わせたのはか細い声。一刀は、口内が一気に渇くのを感じた。

 やっぱり『本物』だ。目の前の松風の威圧感といったら、どうだ。その鼻息だけで、体が吹き飛びそうに感じる。そして、松風にまたがる慶次郎の男ぶり。すべてを見通しているような、涼やかな目つき――その前に座る美少女のことは知らないが。

 急に恥ずかしくなった。自分を迎えるために門前に集まってくれた街の住人たち。その彼らの前で、『虚飾』の男と『本物』の男が相対している。そのことを、一刀自身が認めていることが辛かった。この場から、逃げ出したくなった。駆け出したくなった。

 でも、それだけはするわけにはいかない。自分は、自らの意志で天の御遣いとして『御輿』になることを決めたのだ――例え虚飾であろうとも、自分は天の御遣い。愛紗たちの信頼を、期待を裏切るわけにはいかない。一刀は奥歯を噛みしめた。

 そんな一刀を見ていた慶次郎は、静かに松風から降りた。そして冬華をそっと地面に下ろすと、一刀に向かって片膝を着く。背後では周倉、そして裴元紹も同じように片膝を着いた。冬華も、慶次郎の隣で両膝を着く。

 呆然とする一刀の前で、慶次郎は悠然と頭を下げた。

「お初にお目に掛かる。それがし、小沛の住人、前田慶次郎と申す者。天の御遣い殿のご来訪、心より歓迎申し上げる」

 朗々とした大声でそう言うと、ゆっくりと顔を上げて片目をつぶる。  

 一刀にだけ見える、そのサイン。

 緊張するなよ、とその口は笑っていた。

「!」

 やおら慶次郎は立ち上がると、門前の街の住人たちに向かって大きく手を叩いた。

 ぱん!

 人々が夢から覚めたような顔になる。そんな彼らに向かって、慶次郎は大声で叫んだ。

「さあさ、皆の衆!この中華に名を馳せる、天の御遣い殿のご来訪じゃ!大いに騒ごうぞ!」

 わっ。

 門前は再び歓声に包まれた。

◆◆◆

「……いない?」

 左慈は独りごちた。彼は今、臥牛山の頂上、鏡池の前にいる。管輅こと、冬華を迎えに来たのだ。いつもなら、この池の底で冬華は外史が終わるまで眠りについている筈であった。そんな彼女が、いない。

 そもそも、今回の外史はイレギュラーなかたちで進んでいる。これまで、彼が管理者として担当してきたこの外史は、安定した状態を続けてきた。冬華は天の御遣いの降臨を予言し、自分は敵として北郷に倒される。その構造は確固たるもので、永遠に続くと思われた。

 だが今回の外史に限り、天はこれまでとは異なる『仕事』を自分に命じた。その内容を貂蝉から伝え聞いたとき、目が丸くなったものだ。今回の左慈の仕事、それは『自由に過ごせ』。ただ、それだけであった。

 天が自分にそのような仕事を与えた理由はわからない。しかし、彼は狂喜した。冬華ほどではないにせよ、左慈もまた、永遠に繰り返される管理者としての生に絶望していたのだ。この千載一遇の機会を生かすべく、彼は繰り返される外史において密かに育てていた夢――北郷の『友』になりたい。そして、その力になりたい――を実現することにした。

 その行動の結果が、今の一刀の立場である。『いろいろ』と苦労したかいがあったというものだ――今頃、劉璋は自らが股肱の臣を放逐するに至った理由が思い出せず、首をひねっているだろう。陶謙には少々悪いことをしたが、まあ、死ぬのがほんの数年早まっただけのこと。

 同時に、左慈にもよくわからない現象が生じた。一刀の降臨とほぼ時を同じくして、もう一人の『天の御遣い』らしき男が現れた。その男は、一刀に少なからぬ因縁がある人物らしい。前田慶次郎――憧憬のまなざしでその男の名前を呼ぶ一刀の姿に、左慈はいつしか嫉妬した。

 なぜ、あの男は現れたのか。自分と同じように冬華に下されたかもしれない『仕事』の内容に関係があるのか……。

 そこまで考えて、左慈は首を振った。自分のような低位の管理者が考えてもわかる筈もない。悔しいが、すべては天の手のひらの上なのだ。『奴ら』には奴らの考えがある――そしてあの男が北郷の邪魔をするというのなら、排除するまで。

「仕方ない。……ともかく、北郷に合流するか」

 左慈はそう呟くと、鏡池に背中を向けた。次の瞬間、そこには誰もいなかった。

 鏡池の上を、一巡の風が吹いた。


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