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第2章 御遣(4)
 北郷一刀は、徐州の首都である下邳にいた。

 現在、徐州牧は桃香である。中山靖王の血を引く桃香が、対外的にはもっとも州牧に相応しい――そう主張する軍師、諸葛亮こと朱里の発案によるものであった。朝廷への報告も既に済んでいる。けれども、その桃香が『ご主人様』と呼ぶ一刀が事実上の徐州の主であることは、下邳の街に住む者であれば誰でも知っていた。

 一刀は、未だその立場に慣れないでいる。現代日本の一高校生が、たった一ヶ月でこの立場に慣れたらその方がおかしい。そもそも、想像することすら難しい三国志の、しかも主要人物が美少女の別世界だ。

 しかし、その立場に慣れようと一刀は必死だった。それは、自分を『天の御遣い』と信じる少女たちの期待に応えたいと思うが故である。少女たちの期待――それは『中華の統一』および『平和な世の中』の実現である。

 そのように期待されたとき、一刀は本気で逃げだそうと思った。ただの高校生が、三国志の英雄たちの中で何ができるというのだろう。しかし、彼女らの真摯な気持ちに触れるたびに、自らの浅はかさを恥じるようになった。

 自分と同い年に見えるような少女たちが、命をかけて世を正そうとしている。そんな彼女らに頼られた――その期待に応えることができずに、日本男児といえるものか。

 そんな一刀の態度は、当然のことであるが少女たちの更なる思慕を生んだ。その思慕がやがて恋慕に変わるのは、ある意味自然の成り行きであった。

 天の御遣いでありながら、それを鼻に掛けない謙虚な態度。天の国の知識を惜しみなく提供するその知性。流石はご主人様、自分たちの選択は間違いではなかった――彼女らは自らの目の正しさを誇った。

 至福の日々であった。ただ女性に、とりわけ妙齢の女性にもて過ぎるのは困ったものだと思っている。

◆◆◆

「さて、そろそろかな」
「はい。すでに扉の前でお待ちになっているはずです」

 紫苑の返事を聞いて、一刀は改めて竹簡に目を落とした。そこには、これから会う三人の名前が記されていた。胸が躍る。

 ようやく、会えるんだ。

 目下、一刀は紫苑、桔梗と一緒に人材の選抜を担当している。現在、下邳には将軍として愛紗、鈴々、紫苑、紫苑、そして焔耶がいる。しかし、内政を任せる人材がまだ少ない。将軍となる人材もまた、日々増加する兵士たちのことを考えれば、余裕がある今のうちに選抜しておく必要があるように思われた。

 才能ある人材を見極める『天眼』、そしてその人材に惚れ込まれる『魅力』――前者は、単なる知識でしかないのだが――の持ち主とされる天の御遣いにとって、人材の選抜はまさに『天職』であった。

 手元にある竹簡の最初に記されているのは程昱、字は仲徳という人物である。魏の曹操に仕えたと記憶している。確か、漫画では顔の細長いおじさんだったような。そして二人目は戯志才――この名前には見覚えがない。そして、三人目は趙雲、字は子龍。

 ちなみに一刀の三国志知識の元ネタは、コンビニエンスストアで時々立ち読みしていた『週刊モーニング』の連載漫画、『蒼天航路』だったりする。それだけに、自分を助けてくれた三人組があの劉備、関羽、そして張飛であると知ったとき、その落差の大きさに驚愕した。なんて世界だ。

 そして『蒼天航路』において一刀が最も好きなシーン――それは長坂坡で趙雲が活躍する場面である。以来、趙雲は彼が一番好きな三国志の武将であった。その趙雲が、今あの扉の向こうにいる。

 この世界の理として、恐らくは趙雲も美少女、もしくは美女であろう。もし彼女が下邳に来てくれたら、この段階で五虎将のうち実に四人が揃うことになる。

 仕官してくれないかな――いや、これまでの流れならば、あるいは。

 彼自身、自らのもとに集う女性たちが『蜀』に関わる人材であることに、既に気づいていた。

 一刀は深呼吸して息を整えると、部屋の入口に控える文官に手を振った。

◆◆◆

「お兄さんのつくったお菓子は、本当に美味しいですね〜」
「ありがとう、風。おかわりはたくさんあるから、どんどん食べてくれ」
「ありがとうございます〜」

 彼女は今、すでに三皿目になるホットケーキもどきを食べている。その上には、蜂蜜がたっぷり掛けられている。カロリーという概念を知らない、この世界の住人に感謝だ。

 面接するはずであった場は、いつの間にか軽食パーティと化していた。乱入してきた鈴々が、一刀におやつをねだったためである。程昱と戯志才は、それを快く許した。程昱にいたっては、既に真名すら一刀に預けている。ちなみに、鈴々はあっという間に五皿程食べ終わると外に飛び出していった。

「北郷様。あなたの知識には驚かされるばかりです。とくに、先程おっしゃった警備体制は画期的ですね」
「ありがとう。でも、これはオレの世界では当たり前のことで、別にオレが考え出したわけじゃないんだ」
「そのような謙虚な姿勢も、流石は天の御遣いと言うべきでしょう」
「そ、そうかな……ありがとう」

 微笑み合う一刀と戯志才――そうした姿を見て、紫苑と桔梗もまた、微笑み合った。

 さすがは、ご主人様。人の心を蕩かす、天与の魅力を持っていらっしゃる。しかし……。

 紫苑は、自分の正面に座っている女性に目を向けた。名を趙雲、字を子龍と名乗ったその女性は、ほとんど口を開いていない。それだけではない。最初こそ一刀のことをじっと見ていたものの、途中で目を離すと、それから一度も一刀を見ようとしなかった。天の御遣いを目の前にした者の態度としては、いささか異常に見えた。

「あの、趙雲殿。お口に合いませんでしたか」

 紫苑が笑顔で尋ねる。このようなとき、潤滑油となるのが自分の役割だと認識している。天の御遣いを目の前にして、緊張して話せなくなる女性も多いのだ。

「いえ。大変、結構なお味かと存じます。しかしながら、体調が優れぬもので」

 趙雲こと、星は静かに答える。緊張している様子は、ない。むしろ、堂々としている。それならば、なぜ――紫苑には不思議に思った。

「あのさ、趙雲さん」

 初めて、一刀が星に話しかけた。ぴく、と星の肩が揺れる。一刀は、これまで何度も声を掛けようとその機会を狙っていた。しかし、星となかなか視線が合わない。そこで、あえて話しかけたのである。

「……何でしょうか」
「この下邳のこと、どう思う」
「はい。……とても素晴らしい街だと思います。民の顔には笑顔があふれ、将は理想に燃えている。私はこれまで大陸中の街を旅して参りましたが、これほど活気のある街はなかなかないかと」

 下邳のことをほめてくれた――一刀はうれしくなった。しかし、同時に不安にもなった。なぜ、彼女は笑ってくれない。

「あのさ……」
「失礼」

 星がいきなり立ち上がった。皆の視線が星を向く。

「体調を崩しております。まことに申しわけございませんが、お先に失礼してよろしいか」
「趙雲!」

 つい、一刀は大声を出してしまう。星は、そんな一刀のことをじろりとにらんだ。

「怒鳴ってごめん――でも、聞いて欲しいんだ。」
「……」
「今、徐州はこの首都、下邳を中心に繁栄を迎えつつある。ここにいる紫苑、桔梗、そしてここにはいないけど桃香、愛紗、鈴々、朱里、雛里――たくさんの仲間たちの頑張りでこうなったんだ」
「存じ上げております」
「……趙雲さん、君も仲間になってくれないか。君の力が、必要だ。きっと、君にとっても居心地のいい場所になると思う」

 そういうと、一刀は頭を下げた。紫苑と桔梗は言葉を失った。このような無礼な輩に対して、このような態度をお取りになるとは……。それに対して、星は下を向くばかりだ。

「おぬし。お館様はこのように申しておる」
「……」
「信義には信義で返す。それがもののふの心意気と思うが」
「……」
「桔梗」
「何だ、紫苑」
「趙雲殿」
「……」
「急にごめんね。ご主人様も一生懸命でつい、大きな声を出しちゃったの。許してくれるかしら」
「……失礼する」

 星は下を向いたまま振り返ると、そのまま早足で部屋を出て行った。

「ふー。嫌われちゃったかなあ……」

 一刀はしょげた。一番、話したい相手だった。そして彼女が来てくれれば、中華の統一、そして平和な世の中の達成により近づけるだろう。なのに……。

「あの娘、泣いていましたわ」
「泣いていた?」
「ほら、そこの床」

 紫苑は指をさす。一刀は、先程まで星が立っていた場所を見た。床には、小さな染みができている。

「あの〜、すみません」
「風?」
「星ちゃんは、お兄さんを嫌いなわけじゃないんです。下邳のことも、ほめていたじゃないですか」
「……でも、一度も笑ってくれなかった」
「星ちゃんは、悔しかったんだと思います」
「悔しかった?」

 一刀は首をかしげた。訳が分からない。

「ここ、徐州の首都である下邳で、お兄さんは天の御遣いとしての責務を果たし、皆に愛され、そして何より認められています」
「……そ、そうかな?」
「ですが、もしお兄さんが認めてもらえなかったら?――天の御遣いであることは確か。敬すべき人物であることも確か。にもかかわらず、そのことを誰も認めてくれなかったら。そして、認めさせる方法もなかったら。……主従を誓った臣下としていかがですか、黄忠殿。厳顔殿」
「「……」」
「悔しくは、ありませんか。泣きたくは、なりませんか」

 紫苑と桔梗は顔を見合わせた。この娘は、何を言おうとしている。

 風は稟に一瞬目を走らせると、一刀の顔を見た――さあ、今日の『目的』を果たそう。

「小沛にも、いらっしゃるんですよ」
「誰が?」
「……『天の御遣い』が」
「「「え……」」」

 一刀、紫苑、そして桔梗の声が重なった。


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