第1章 慶次(5)
黄巾賊の三人組は、慶次郎に頭を下げた。
「旦那、どうもお世話になりやした」
「わしは何もしておらん。こちらこそ、いろいろと教えてくれて助かった。礼を言う」
慶次郎が頭を下げる。三人組も、慌ててもう一度頭を下げた。
星は慶次郎の後ろに一歩下がって立っている。そして、半刻(一時間)前の慶次郎と三人組のやりとりを思い出していた。
◆◆◆
結局、慶次郎は四人から真名を受け取らなかった。いや、星からは強制的に受け取らされている――既に聞いてしまったし、その名で呼んでしまった。しかし、それ以上はどうしても真名を受け取ろうとしなかった。
そして星も含めて、彼らが慶次郎の下につくことを認めようとはしなかった。そんな慶次郎に、ノッポは恨み言を言った。
「結局、旦那みたいな偉いお方には、わしらみたいな野盗崩れは用なしってことですかい」
「あ、兄貴!」
デブが慌ててノッポを抑えようとする。その腕を振り払って、ノッポは続けた。慶次郎の顔が見れない。地面を見つめながら、口から呪詛がこぼれていく。言ってはいけない、そう思いながら止まらない。
「どうせ、わしらは虫。しかも、害虫ですからね」
「おい」
慶次郎の声がした。顔を上げた。目の前に火花が飛んだ。何だかわからなかった。しばらくして、慶次郎にビンタを食らったことに気づいた。
「な!……」
つっかかろうとするノッポに、慶次郎は静かに言った。
「なあ、ノッポ」
「……」
「お前、虫をきちんと見たことがあるかね」
「……」
「虫は全力で生きてるぞ。どんなときも、生き抜くために必死だ。そうして命をつなぎ、子どもにその命を伝えていく」
「……」
「わしはな。生きることが一番素晴らしいことだと思っている。生きていれば何でもできる」
「……」
「後悔することも、それを乗り越えることも」
「……だ、旦那」
「お前は確かに虫かもしれんな。だが、わしもまた虫じゃ。虫同士じゃ。どちらが偉いかどうかなんて、関係あるものかよ」
そう言うと、慶次郎は頭を下げた。
「お前のような部下がいれば、わしも心強い。しかし、今のわしにはその力はない。お前を養えん。お前が、わしに抱いている何かを、今のわしには実現できん。……すまん。だから」
頭を上げると、慶次郎は照れくさそうに横を向いた。そして、アゴをかきながら言う。
「わしにその力がついたら、訪ねてこい。そのときは、第一の部下にしてやろう」
「だ、旦那!」
「……慶次郎殿。私の立場は?」
「おぬしは、わしの女ということでどうじゃ」
星は口を開けたまま固まった。その顔を見て、慶次郎はノッポの耳に口を寄せる。
「……冗談、また通じなかったかのう」
「旦那。逃げた方が良いかと思います」
慶次郎が振り返ると、そこには笑顔を浮かべて槍を振りかざす星がいた。
◆◆◆
三人組が振り返り、振り返り離れていく。慶次郎はその度に、律儀に手を振り返す。その頭には、大きなたんこぶがある。
その隣で、星は慶次郎に問うた。
「さきほどの件、本気ですか?」
「ん?おぬしをわしの女にするということか?」
「……もう一つ、たんこぶを増やしたいのですか?」
「断る」
「まったく……」
ぶすっとした顔で、星は言う。
「彼らを部下にするということですよ」
「さあて、な」
「そもそも、あなたはこれからどうするおつもりで」
「さあて、な」
三人組が、また振り返る。
慶次郎は笑顔で、大きく手を振る。
星はため息をついた。
そんな星に、慶次郎は言う。
「天が」
「天が?」
「決めるだろうさ、そんなこと」
「天が……」
星は、空を見上げた。
◆◆◆
慶次郎たちの姿が、地平線の向こうに消え去った頃。三人組は、小沛から見て東にある故郷の村に向けて急いでいた。すでに日は落ちかけ、夕日が彼ら三人の大きく長い影を作っている。
もう、黄巾賊に戻るつもりはない。それより、荒れ果てた故郷の村を、自分たちの手で元に戻そうという意気込みに燃えていた。
自分たちは虫かもしれない。それでも、村の子どもたちのために、できることがあるはずだ。慶次郎の言葉を思い出す。自分たちが死んだ後でもいい、彼らが笑えるように、喜んで虫として死んでいこう。
そして、機会があったなら、もし旦那が国を建てたなら、そのときは……。
「ん?」
ノッポは空を見上げた。空が白く輝いている。まるで、旦那が現れたときのような……。と、空から白い光が流星のように『落ちてきた』。そして光が消えると、若い男が呆然と座っていた。その服は、夕日を浴びてきらきらと白く輝いている。
あの男も、天の御遣いだろうか。
きょろきょろと辺りを見渡している。
無理もない。不安なんだろう。
しかし、大丈夫。旦那がいる。
きっと、旦那と同じ場所から来たんだろう。じゃあ、仕方ないな。旦那のところに、連れて行ってやろう。仕方ない、仕方ない。
もう一度、旦那に会える――そう思うと、ノッポはうれしくなった。デブとチビの顔を見た。すぐにわかった。こいつらも同じ事を考えている。
もう、のんびりしていられなかった。三人は若い男に向かって全力でかけだした。槍を持った手を、ぐるぐると振る。
「おーい!」
若い男が、こちらに気づいた。夕日に照らされたその顔は、引きつっている。座ったまま、必死で後ずさった。
む、コイツ、もしかしてオレたちを……。
そこで、ノッポの意識はとぎれた。
◆◆◆
どうしたのだ……。
いったい、何が……。
ノッポは鉛のように重いまぶたを開ける。目線は地面の上だ。目の前に、デブとチビが倒れている。
わかる。
助かるまい。
そのくらいは、わかる。
わかるくらいには、殺してきた。
視線を移す。若い男の前に、黒髪の若い女性が片膝をついている。その隣には、血に濡れた青龍刀のようなものが――あれで切られたのか。その女性の後ろには、桃色の髪のやはり若い女性、そして子どものような体躯の、槍のようなモノをもったやはり若い女性が立っていた。
野盗か何かと、間違われたか。
よりによって、人を助けようとして……。
慣れないことは、するもんじゃねえ……な。
……これも天罰……なの……か……。
ノッポは、デブとチビに目を移した。彼らの顔は、既に土気色になっていた。見れば、肩から腹にかけて一直線に大きく鋭利な傷口がある――何とも見事に斬られたものだ。恐らく、自分にも同じような傷口があるのだろう。しかし、もはや何も感じなかった。
とりあえず……こいつらと一緒に死ねる……。
虫にしては、ましな死に方……。
……ねむ、い。
寝て、しまおう……。
ノッポのまぶたが閉じかけたとき――チビがつぶやいた。
「そ、そらの」
デブが反応した。
「そ、そらの」
ノッポが続けた。
「かなた、へ」
◆◆◆
三人組が別れを告げる前。星が「ちょっとお待ち下され」と赤い顔で林の中に消えていった。だいぶ飲んだし、そういうことだろう。ふと、ノッポは聞いてみた。
「旦那は、これからどうするつもりなんで」
「うーん」
慶次郎は、頭の後ろに手を組んだ。
「わからん!」
「わからん?」
「いや、わかっているような、わかっていないような……わしも悩んでいる」
ノッポは少しうれしくなった。旦那ですら、悩む。
「だけどな」
「はい」
「いつの日か、必ずやってみたいことは、ある!」
「はい」
「見ろ!」
慶次郎は両腕を大きく広げると、周りをぐるっと見渡した。ノッポにとっては見慣れた風景である。そして、吠えた。
「空が果てしなく続いている!地が果てしなく続いている!どこまでも行ける!」
「どこまでも……」
「ここならば!わしは全力で……どこまでも行けるだろう。この命が尽きるまで、前に進めるだろう」
「命尽きるまで……」
「そう、わしは空の彼方まで行ってみたいのじゃ!」
慶次郎は目をキラキラとさせている。ノッポは思う。この人ならば、行ける。きっと、空の彼方まで行ける。
「そ、そのときは」
「ん?」
「わしも、わしもついていっていいですかね?」
ノッポが夢見るような顔でたずねる。慶次郎はにっこり笑った。
「応ともよ!」
「わ、わしも!」
デブが続く。
「オ、オレも!」
チビも続く。
「応!」
慶次郎は答えた。そして四人は、笑った。地平線を眺めながら、指さしながら、笑った。
◆◆◆
北郷一刀は、何が何だかわからない状況にあった。
寮のベッドにダイブしたつもりが、気がつけば見知らぬ場所にいた。そして野盗のような三人組が現れたかと思うと、いきなり槍を振り回しながら迫ってきたのだ。彼らは夕日を背にしていたから、その表情はわからなかったが……。
必死に逃げようとしたその刹那、背後の森から飛び出してきた長髪の美少女が、あっという間に彼らを切り伏せたのである。間一髪だった。
野盗たちはぴくぴくと動いている。何かうわごとを言っているようだ。その言葉を遮るように、長髪の美少女――関羽と名乗った――が話を続ける。
「ですから、あなたは天の御遣いなのです」
「いや、そんなこと言ったって」
「あなたは予言者の管輅の言うとおりに、この地に現れました。そして、管輅の予言は外れたことがございません」
「いや、でも、そんな……」
混乱する一刀に対して、関羽はため息をついた。
「とりあえず、ここから移動しませんか。もう、日が暮れます。それに、この辺りには黄巾賊の連中がうろついています」
「黄巾賊?」
「はい。弱きを襲い、漢を脅かす不逞の輩。……いわば、世の害虫です。先程、あなた様を襲おうとした連中です」
「害虫……」
一刀は、倒れている野盗たちを改めて見た。落ち着いて見れば、黄色いはちまきをしているだけのただの農民にも見える。だが、その手には粗末であるとは言え、槍が握られているのも事実だった。
桃色の髪の少女が言う。
「それじゃ、小沛に戻ろっか!」
「お待ち下さい」
「ん?何?愛紗ちゃん」
「小沛は、予言がなされた場所です。当然、多くの人たちが天の御遣いに関心を抱いています。そうした場所に、いきなりお連れするのはどうかと思います。きっと、混乱を招くでしょう」
一刀に対して膝をついた姿勢のまま、愛紗は長姉にそう告げた。しかし、伝えていない部分もある。
管輅の予言は、いまや国中を駆け巡っている。それでけ、この世の中に対する憂いは強いのだ。その予言に現れた『天の御遣い』に対する中華の人々の関心――希望は計り知れない。
小沛につれていけば、天の御遣いを欲する人々に、きっと彼は取られてしまうだろう――あの、私利私欲にまみれた連中に。彼らは天の御遣いを担ぎ、それを御旗としてこれまで以上に権力争いに没頭するに違いない。官もまた、腐っているのだ。
天の御遣いをそうした連中に渡してしまうのは、まさに宝の持ち腐れ。いや、害にしかならない。天の御遣いは、真にこの国を憂い、正そうと思っている人々――そう、私たちにこそふさわしい。今は、あまりにも力がない私たち。そんな私たちが義勇兵を集めるには、そして世に認めてもらうためには……。
汚れ役は――私が引き受ける。中華の平和のために、人々の笑顔を取り戻すために、そして桃香の理想を叶えるために、私は天の御遣いを利用する。後ろ指を指される覚悟はできている。そして……
『あの人』の希望を汚した黄巾賊を
見棄てた官吏どもを
――私は決して許さない。
愛紗は、血に濡れた青龍偃月刀を手に立ち上がった。
◆◆◆
「……下邳に、向かいましょう。あそこなら、知人がいます。住む場所にも当てがあります」
「じゃ、そうしよっか!」
「わかったのだー!」
三人が歩き出した。慌てて、一刀もついていく。ふと、倒れている野盗たち――黄巾賊たちを振り返った。もう、彼らは動かない。だが、かすかに微笑んでいるように見えた。
死んでしまったんだ……。
それまでは、自分が殺されなかったことに対する安堵だけを感じていた。しかし、その――安らかな死に顔を見て、初めて心が痛んだ。自分は確かに「助かった」。けれども、同時にそれは彼らを殺すことだった。
自分がここに来なければ……彼らは死ななくてすんだんじゃないだろうか……。
それとも、関羽たちが来なければ、やはり自分が死んでいたのか……。
「天の御遣いさまー!?」
劉備の心配そうな声が聞こえる。気がつけば、立ち止まっていたようだ。三人が振り返ってこちらを見ている。
出会ったばかりの自分を待ってくれている。海のものとも山のものともつかぬ自分を案じてくれている。誰も頼れないこの世界で、今はただ、そのことが単純にうれしかった。
「今、行くよ!」
一刀は地に伏した三人に向けて手を合わせると、劉備たちに向かって走り出した。
◆◆◆
夜の帳が降りた。
草原に、季節外れの鈴虫の鳴き声が響き始めた。
若虫なのだろうか。その鳴き声は、ぎこちない。
けれども、いかにも楽しげで――まるで、夢でも見ているかのようだった。
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