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  東方典型録 作者:葛城
久しぶりの更新。基本的に、一話5000文字前後を目安にしています。
面影
 日が暮れてどれほどの時間が経っただろうか。彼は掠れた呼吸音を発しながら、思った。辺りの様子も変わり、咲き誇った花々こそ無事ではあるものの、それ以外のものはあらかた破壊されていた。彼が美しいと思った湖は土砂で濁り、泳いでいた小魚は絶滅しただろう。
 身体が重い。全身に流れる体力を根こそぎ絞り出して、とどめにプレスしたかのような気分だ。筋肉繊維の一本一本、残さず全力を発揮した影響で、上手く力が入らない。
 下着一枚実に付けていない素肌が、夜風に当たって寒い。本当なら今すぐ服を身につけたいところだが、幽香に破られてしまって、無い。おまけに汗も多分に掻いたせいで、全身水浸しになったかのような状態だ。油断すれば崩れ落ちそうになる下肢を意思の力で抑えつつ、彼は目の前の美女、幽香を見やる。
 彼女も、その瑞々しい肌を惜しげも無く彼に見せつけていた。実りに実ったたわわな膨らみ、キュッと絞られた細腰は、はたして内臓が収まっているのかどうか疑ってしまうほどに、細い。それでいて、女の魅力をこれでもかと詰め込んだ柔尻は、逆ハート型にぷるんと張りの良さを視覚からも訴えている。時折誘うように左右に揺れるおかげで、ふるんふるんと突き出される尻たぶが、男の彼には、あまりに目に毒。彼が幽香の視線から逃れるように要所要所を隠しているのに対し、幽香はむしろ見ろと言わんばかりに魅力をぷるんと震わせていた。
 これがもし、細切れに破かれた彼の衣服が辺り一帯に散乱し、幽香の衣服が皺くちゃに脱ぎ捨てられていなかったら、事態はもっと単純に運んでいただろう。
 しかし、現実はなかなかに無情。単純には運ばない状況からさらに拍車を掛けるように、飢えた獣のような身震いしてしまいそうな目つきで、幽香が彼を見つめている。ふんふん、と鼻息荒く、紅潮した肌からうっすらと浮き上がる汗の滑りは、遠くから見れば精通を迎えていない少年に性の訪れを予感させてしまう程に淫妖だ。
 ただ、幽香の放つ異様な雰囲気さえなければ、の話だが。
「さすがに、疲れたわね」
 問いかけるというより、独り言に近い話し方。幽香の唇から零れた一言に、彼は頷いて同意した。
「……そうだな」
 最後の貞操を守り切り、彼がようやく幽香の腕から逃れることが出来たときには、空の彼方が赤くなっていた。そして対峙し合ってから早幾ばくか。片方は爛々と鈍く輝く瞳を。片方は時折感じるおぞましい気配と殺気、そしてなぜか性的に興奮している女に困惑の瞳を向けながら、生まれたままの姿で睨み合いを続けていた。
 甘酸っぱくも、生臭い。女の発情臭ともいうのか、むせ返るような蜜花の甘い匂いが幽香から漂ってくる。汗で解れた一筋の髪が、横一文字に描かれた傷痕に、へばりついていた。さすがは妖怪というべきか、傷口は完全に塞がり、傷痕も目を凝らさなければ分からない程度にまで回復していた。
「それで?」
 今度は彼が切り返す。
「それで、って?」
 幽香のとぼけた返答に、自然と彼の声も険しく低い声になる。普通の一般人ならば、おもわず声を失ってしまうくらいの迫力だったが、幽香は喪失するどころか、むしろうっとりと目じりを下げる。
 ああ、低い声も魅力的だわ。なんでか分からないけど、お腹に響く。これって、私の中の女が、彼に反応しているからなのかしら。それだったら、ちょっと、恥ずかしい。
 トロリと太股に垂れる愛液に、幽香はぶるりと肩を震わせる。さすがに発情の証を彼に見られるのは恥ずかしいのか、彼女はそっと身体の向きをずらして、彼の視線に入らないように横身になった。しかし、そのおかげで今度はぷるんと実った双山が跳ね、桜色の頂がより彼の目に映るようになり、より自身の裸体の素晴らしさを見せていることに、幽香は気付いていなかった。
「いつまでこうして睨み合いしていればいいってことだ。お互い、いつまでもこうしているわけにはいかないだろう?」
「貴方が大人しくしていてくれれば、すぐに終わるわよ」
「……いや、そういうことじゃなくて」
「大丈夫。星の数を数えている間に終わるから。その頃には貴方も私もとっても気持ちよくなっているはずよ」
 ジッと、幽香は彼を見つめる。鍛えられた胸筋、六つに割られた腹、幽香の首よりも分厚い太股、盛り上がった両腕……そして、反り上がった雄。先ほど行った深い接吻によって、彼の体内には興奮性の花毒を流し込んでいる。戯れに作ったもので、心臓が停止する直前まで勃起を持続させるもので、その効力は見ての通り。いくら幽香が魅惑的な艶姿を見せているとはいえ、この極限状態で勃起し続けている程だ。その威力は、彼とキスをした際、体内に取りこんでしまった淫毒によって、幽香の身体はかつてなく燃えあがっていた。
「…………………」
 鼓動が煩い。身体中を巡っている血液が沸騰しそうで、身体が内側から爆発してしまうような感覚を覚える。涎が止まらない。敏感になった肌が、ほんのわずかな空気の流れに、ピクンと鳥肌を立てる。噴き出した汗が盛り上がった双山の谷間を流れ落ちていく。疼く乳首が刺激を催促し、見れば見るほどに不思議に思える雄の姿に視線が止まるたび、トロリと胎内が蕩けた。
 逞しい、と幽香は思った。知識として知ってはいたものの、現物をここまでじっくりと眺めたことは無い。今まで何度かここを訪れた人間を襲ったりはしたものの、いちいち男性器を拝見することはないし、そもそも興味も無い。殺した相手が倒れた拍子に見たことはあったが、今の彼のように力強く反り返っていたことなどない。それこそ幽香の指よりも小さくなっているのがほとんどで、稀に大きいのもあったが、それだけ。死に掛けの小魚のように垂れ下がったそこには、雄の強さを思わせるものは何もない。
 だが、今回は違う。幽香の指よりも圧倒的に太く、茎には幾重にも血管が脈立っている。長さもあり、指を精いっぱい伸ばしても、亀頭まで届かない。その亀頭もパンパンに張っており、匂い立つような力が充填されていることがうかがい知れた。
 フッと、油断なく構えていた彼が、緊張を解いた。突然の行動に、内心驚きながらも、幽香は彼を見据えた。彼の眼差しに崩れそうになる頬に力を入れることは、忘れない。
「あら、どうしたの? 疲れた?」
「別に疲れたわけじゃない」
「疲れたなら、私の家で優しく介抱してあげるわよ。とりあえず、小股に溜まった毒素を絞り出してあげるから、こっちにいらっしゃい」
「疲れたわけじゃないと言っているだろう。後、目が怖いぞ」
「目が怖いだなんて、女に言う言葉じゃないわね」
「鼻息も荒いぞ」
「あんだけ暴れたら、鼻息も荒くなるでしょ」
「そういう次元の話ではなくて……だから、目が怖い。ただでさえ眼の色が赤いのに、充血したせいでなんか血が滲んでいるように見える」
「充血しているのはそこだけではなくてよ」
 駄目だこりゃ。隙あらば下ネタで返答する幽香に、彼はふう、と溜息を漏らした。
 既に日が落ちていくらかの時間が経過している。このあたりは幽香の縄張りな為か、魑魅魍魎が近寄ってくる気配は感じない。それどころか幽香の放つ異様な気配から逃れるように、隠れ潜んでいた妖怪達が離れていくのが彼には分かった。その気配と対峙している彼は、とりあえず強襲される危険が無くなったことに、安著した。
 しかし、基本的に夜は妖怪達の時間だ。例外はあるものの、昼と比べて活動的になるものが多く、中には飛躍的に力が増しているものもいる。強力な結界が張られている都内でも夜の間は外出を控えるぐらいだ。その結界の無い外では、いくら彼といえど昼間のような余裕は無くなる。しかも、都周辺の妖怪は、諏訪王国周辺にいる妖怪よりもはるかに種類が多様で、実力がある猛者が多い。出来ることなら夜が明けてから都に戻りたいところだが、こんな場所で夜を明かしたら、明日の朝、幽香の隣で目覚めることは間違いない。
 一瞬、もうそれでもいいかな、と煩悩が湧き出ることもあったが、そのたびに背筋に走る悪寒に思いとどまったりしている。
「……とにかく、俺はもう帰る。元々、誰もが知っていて知らない怪物というやつが目当てで、お前じゃない。目的の怪物も居ないことが分かったから、長居する必要はなくなったんだよ……」
 ステータス画面からアイテム使用を選択し、予備の衣服を取り出す。突然現れた服に目を見開く幽香を尻目に、彼はさっさと着替えた。もちろん、いつでも反撃出来るように視線は逸らさなかったが。
 そして、最後にギュッと腰紐を縛って身支度を整えると、彼は踵を翻した。
「それじゃあな。次に会いたいとも思わないが、さよならだ」
 瞬間、一瞬で背後に迫った幽香の身体が、フワッと動きを止めた。そしてゆっくりその身体が動いたと思ったら、轟音と共に夜の闇へ吹き飛ばされていった。
「……倒すのは無理だが、距離を取るぐらいは出来るんだよ」
 その言葉と共に、彼は走り出した。衝撃波を使って加速しつつ、足跡を消す。下手に残せば後をつけられるし、何より瞬発力は相手の方が速い。今のようにある程度距離を稼いでいないと、あっという間に距離を詰められてしまう。加速が終われば幽香の素早さを上回る分、まだ救いはあったが。
 はるか後方から木霊する女性の叫び声に、彼はいっそう気配を隠して闇の中を走り続けた。




「臭い」
「ええ、本当、あなた、臭いわよ」
 命からがら屋敷に到着した彼に放たれた言葉は、辛辣なものであった。言うまでもなく、輝夜と妹紅の二人だ。遠くの空には朝日が見え隠れし、辺りは大分明るくなってきている。そっと屋敷の中に入り、翁夫妻を起こさないように自室へ戻った彼を待ち構えていた二人。普段なら起きている姿など決して見れない時間。目の下に出来た隈とどこかやつれた様子を見て、夜通し待っていてくれたことを知った。
 そうして感謝の言葉を言おうと思った矢先にコレだ。
「……いや、それが夜通し働き続けた相手に対する言葉か。汗臭いのは自覚しているが、お前ら鬼か?」
 そんな言葉が出てしまうのは仕方ない話だ。しかし、その彼の言葉に二人は一瞬だけ申し訳なさそうな表情を浮かべただけで、また眉根を釣り上げた。
「別に、貴方が臭いと言っているわけじゃないわ」
「そうよ、確かに汗臭いけど、私は別に嫌いじゃないし」
 輝夜の言葉に、妹紅が賛同する。私は妹紅よりも嫌いじゃない、と張り合いつつも、輝夜は彼を指差した。
「女臭い」
「……はあ?」
 首を傾げる彼を尻目に、妹紅も私もそう思ったと言った。
「なんか、あんた女臭いわよ。体中からこう、モワッと、女の臭いがするわ」
「そうそう。厭らしい臭いね。まだ発情した獣の方が良い臭いだと思うぐらいだわ。腐った乳の臭いがするわ」
 あまりの物言いに、彼の頬が引きつった。
「ま、まあ、どんな臭いかはさておき、相手は女の妖怪だったから、その臭いが移ったんだろう。そ、そんなに気になるものでもないんじゃないかな?」
「いいえ、臭いわ」
「鼻が曲がるとはこのことね」
 ほぼ同時に返された言葉に、彼は今度こそ目に見えて頬を引きつらせた。そんな彼を尻目に、輝夜と妹紅はどこか色が抜け落ちた瞳で、彼を見つめた。
「あら、私は腐った花ビラの臭いかと思ったけど、そうね、輝夜の例えも合っているわね」
「妹紅の例えも的を得ていると思うわ。腐った花ビラ、というより、熟れすぎて腐乱臭を醸し出した梅の花が近いのかしら?」
「ああ、それは近いかも。精いっぱい見た目を繕っても臭ってくる腐敗臭……そんな感じの香りね。きっとその臭いの主はたいそう年月を重ねた婆なのかもね」
「うふふ、婆とは、言い得て妙ね。きっと、年を考えないで発情したのでしょうね。さぞ醜い姿だったでしょうに……ねえ、あんたもそう思うでしょう?」
「貴方もそう思うわよね?」
「臭いわよね?」
「酷い臭いだよね?」
 ね、と念を押す二人の姿を見て、彼は背筋を震わせた。怖い、と心底思った。こんなに怖いと思ったのは、昔女性の話相手との会話を見た永琳が、浮気と勘違いして女性を殺し、彼と心中しようとしたとき以来だ。どこか焦点の合わなくなった濁った瞳とか、放たれるドロドロと凝り固まった寒気とか、どこか抑揚の無くなった言葉とか、永琳を想像させる。
 下手に口答えすれば、どうなるか分からない。そう思った彼は、素直に首を縦に振った。生きる為には、時に理由が無くとも誰かを見下す言葉に同意しなければならないことを、彼はこのとき知った。
 いつまでここに居ても始まらない。彼はそんなに臭うなら身体を洗うと二人に告げると、そそくさと箪笥へ向かった。とにかく場の空気を変える意味でも、逃げる意味でも、何かしておきたい。そんな思いで彼は着替えを抱えると、それじゃあ、と二人に手を振って風呂場へ向かおうと
「待ちなさい、私も行くわ」
 して、輝夜の手で止められた。小さな手で武骨な手を握られれば、無下に振り払うわけにもいかない。面倒なことになりそうだと思いつつも、彼は頭一つ分以上小さい少女を見下ろした。眉上に切りそろえられた輝夜の前髪が、さらりと揺れる。枝毛一つ見えない黒髪から、ふわりと香の涼しげな香りが鼻孔をくすぐった。
「……なんでだ? 輝夜も風呂に入りたいのか?」
「あんたが面倒臭がって手を抜いたら、私はこの後もその屍みたいな悪臭を耐えなければならないでしょう? そうならないように、私たちが隅々まで洗ってあげるわ」
「輝夜、準備出来たわよ」
 掛けられた言葉に顔を上げれば、そこには輝夜と自身の衣服を抱えた妹紅が、早くしろと目で訴えていた。阿吽の呼吸とはこのこと。何時の間に意思の疎通を図ったのかは分からないが、恐ろしい手際の良さで準備を終えている。
 終いには妹紅も加わって彼の手を握って引っ張った。いつの間にか、彼が悪者のような構図になっているあたり、もはや彼が出せる答えは一つしかないだろう。
「……はあ、分かった。一緒に入るよ。だが、変な事はするなよ」
「あら、お風呂に入ることのどこがおかしいのかしら?」
「変な事ってなに?」
「……いや、気にするな」

まだ、東方熱は冷めていない。ただ、時間がない。


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