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  東方典型録 作者:葛城
私は百合には興味がありませんが、キャキャウフフ、は見ていて楽しいです。
もこたん、inしたお
 平安時代は、今とは比べ物にならないくらい空気が澄んでいたらしい。それこそ、黄砂なんて考えられないぐらいな時代で、川の水も、赤痢等の病気にさえ気を付ければ、そのまま飲めるぐらいに綺麗なのである。現代の飲んだら強制的に体重を5パーセント程減少させる素敵な廃棄水は、せいぜい家から出る汚物が混ざったものか、あるいは泥水ぐらいなものだろう。
 話がそれた。要は、それほど空気が澄んでいるのなら、現代では気にならない些細な臭いでも、意外と遠くにまで臭ってしまうということなのである。
 ああ臭い、我慢してても、ああ臭い。
 初っ端から俳句もどきが出てきてしまったのは、先に謝らなくてはならないだろう。だが、そうしないとやっていられない出来事が、彼を襲っていた。
「あんたが輝夜の召使ね!」
 彼の前に現れた少女は、顔を見せるやいなや、失礼なことをのたまった。ここが往来なら人目を集めそうだが、幸いにも彼の居る場所は人通りが少ない。いや、不幸なことに、だろうか。
 少女の、長く伸びた艶やかな黒髪がさらりと揺れている。身に纏っている着物は素人の彼から見ても高価なものであることは明白で、それが良く似合っていた。ただ、この時代には珍しい、彫の深い顔立ちをしている。現代の価値観から見てみれば、それこそスカウトにひっきりなしに誘われそうな勝気な美少女……なのだが、この時代にはどうも合っていないように見えた。
 着物の裾から見える手や、外気に晒された首筋は、思わず見とれてしまうほどに白い。生まれつきなのか、それとも白粉を薄く塗っているのかは彼には分からない。
 彼が突然のことに呆気に取られていると、それがあっという間に紅潮していく。
 ああ、何か厄介な事が起ころうとしているな、と彼は思った。出来ることなら、何事も無くやり過ごしたい。
 そう思った彼は、とりあえず、聞き間違いであることを祈りながら、眼下の少女に尋ねた。
「すまない、俺が何だって?」
「あんたが輝夜の召使ね!」
「いえ、違います」
 なぜそうなる、と内心苦々しい思いで、否定した。
「嘘つかないで。分かっているのよ、私にはね」
「いえ、全く分かっていないように思われますが」
「じゃあ、どうして輝夜の屋敷で暮らしているのよ。それって、誰が見てもそういうことじゃないかしら?」
 少女の言葉に、彼の頬が引きつった。その様子を見て、少女の頬が釣り上がった。
 少女の言うとおり、彼は今、輝夜の家で暮らしている。だがそれは、決して輝夜の召使として暮らしているわけではない。正確に言えば、輝夜達が住む屋敷の召使なのである。
 彼とて、たまにはゆっくり屋根のある場所で休みたいと思う。それで食事と衣服まで出てくれば、もう少し居ようかな……と思っても不思議ではない。ただ、ちょっと一休み……みたいなもので、衣食住を提供してくれるかわりに、労力として輝夜、並びに翁夫婦に提供しているのである。
 なので、その仕事内容は様々で、輝夜一人を相手にしていない。輝夜達の食事の用意、屋敷の補修、掃除、備品の整理、衣服の洗濯、お使い、極め付けには、輝夜の入浴手伝い、翁夫婦の入浴手伝までしていたり、なかなかの苦労人である。
 輝夜はそれこそ生粋のお嬢様で、自分の身体を自分で洗ったりはしない。それらは全て他人の手でされるもの。けれども、前の蒸し風呂と違って、今は湯船に浸かる。渋る彼を説得して屋敷の敷地内に移設された特性風呂だが、その使い方には3人とも全く慣れていない。その為、慣れるまで輝夜と翁夫婦の入浴介助をしているのである。
 一度湯船に浸かる心地よさを知れば、もう蒸し風呂には戻れない。その言葉は彼の弁ではあるが、事実、輝夜はもちろん、翁夫婦も愛用することになってしまう。当初は輝夜に説得された翁夫婦も抵抗感を抱いてはいたが、それもすぐにお湯に溶けてしまった。
 風呂の水も彼の編み出した上半身をぶらせない走法によって、必要量は一瞬で用意出来る。沸かすのも、威力を最小限にまで抑えた衝撃波によって、水の分子を高速振動、及び衝突させることで発熱させる。なので、沸かす為の薪が必要ない上に、短時間で湧かせられる。
 最近ではお風呂のおねだりを輝夜以上に翁夫婦からされてしまう為、そのことに輝夜が焼き餅してしまう。常日頃、慎みを持てと輝夜に口を酸っぱくする彼ではあったが、そのたびに機嫌を悪くした輝夜に連れられて、その白魚のような白い肌を強制的にくまなく洗わされてしまうのが、彼の最近の悩みだったりする。
 炊事洗濯もそうだが、屋敷の補修とて、馬鹿にしてはいけない。この時代、屋根一つ補修するにしても、それこそ目が飛び出る程の御金が掛る。それは材料となる木材を切り取ってくる労力もそうだが、なにより妖怪に襲われる危険性が高い。切り取っている最中もそうだが、それを都に運ぶまでも大変で、途中で襲われることもしばしば起こっている。なにせ、小さな材木を運ぶ程度なら、それを持っている木こりも身軽いので、妖怪からも逃げられやすいが、建築等に使う材木は違う。長さもあるし、重量もある。それこそ4人がかりで運ぶこともあり、それを狙って現れる妖怪も出現することもある為、都に入る材料は常に不足しているのが現状なのである。
 小さな材木をつなぎ合わせて補修することもできるには出来るが、この時代、とにかく豪華絢爛、という考えで作るのがほとんど。建築等に使われる材木は常識的に、それに見合ったサイズでなければならないという、ある種の固定観念がある為、小さな材木をつなぎ合わせて使うのは、貧乏人である証なのである。その為、小さな材木を用意して大工に頼んだとしても、貧乏貴族と思われて、建築を断られてしまうのである。
 しかも、それらの苦難を経て都へ入った大きな材木も、屋根の補修などにはなかなか使われることはなく、多くは帝の装飾品の材料として使われる。使われなくて余分が出たとしても、それらは帝の側近の貴族達に使われる。後に残るのは小さく、短い材木ばかりで、多くは薪や小さな装飾品として使われる。
 その為、財力のある貴族達の間では、材木が欲しい時は、都に入ってくるものを買うのではない。個人的に人を雇って材木を取ってきてもらうのが普通だ。材木が大きければ大きいほど人も時間もお金も掛る為、一般的な貴族には注文出来ないのである。木こり達も命がけで木を切り取ってくるので、自然と料金も高くなる。
 その点、彼は違う。木こり達のように命がけというわけではなく、御得意の衝撃波で妖怪を蹴散らせる。その上、鍛えた肉体は切り出した材木どころか、大木一本担いで移動することが可能なのだ。
 おまけに、翁夫婦は高齢だ。いくら普段から身体を動かす生活をしているとはいえ、何が切っ掛けで怪我をするか分からないし、病気だって引くかもしれない。古びて埃どころか霞んで見えなくなりかけた、古い記憶を呼び起こし、家のいたるところにバリアフリーを意識したものも設置している。無いよりはマシというものだが、それでもあれば便利で、普段から翁夫婦の身体を気にしていた輝夜も、このときばかりは晩酌をしたのであった。
「……お前、毎日嬉しそうに風呂に入る爺さん達の顔を見たことがあるか? あんなの見たら、とてもではないが、放ってはおけん」
 ありがとう、ありがとうと頻りに頭を下げる夫妻。ある種の脅迫である。
 離れたところでほくそ笑んでいる輝夜の顔を、彼は忘れない。
「はあ、なによ、それ?」
 当たり前だが、風呂と言われても、少女の知識にあるのは蒸し風呂だ。蒸し風呂なら少女とて入るし、輝夜達でも入ることを想像する必要すらない。なので、彼女の疑わしげな声色は、むしろ当然のことであった。
「いや、こっちの話だ。それより、いいかげん君の名前を聞きたいのだが……」
「……そ、そう、そういえば、名乗っていなかったわね」
 ピクリと肩を震わせる少女を見て、彼は首を傾げた。なにゆえ、自分から視線を逸らしたのか、彼には皆目見当がつかなかった。
 少女はモジモジと着物の裾を揉み合わせた後、キッと鋭い視線を彼に向けた。
「私の名前は藤原妹紅『ふじわら・の・もこう』。本来なら、貴方とは話すことなんてあり得ない、高貴な身分なのよ。それをわざわざ格下の民草である貴方に声を掛けてあげているのだから、感謝しなさい」
 どうだ、分かったか、と胸を張る少女……妹紅を見て、正直、彼はどう対応していいか分からなかった。こういった手合いは何度か相対したが、そのどれもが彼よりも見た目は年上だ。今のような、見た目すら彼よりも年下の子供に言われたことは無い。しかも、今度は女の子だ。
 これが男なら皮肉の一つや二つは言えるのだが、さすがに女の子相手に言うのは彼にとってはおとなげない。それに、眼の前の少女は憎たらしいというより、どちらかというと可愛らしいと、彼には思えた為、なおさら対応に悩んだ。
 ただ、沈黙は金なりとは言うが、その沈黙は時に相手の不評を買う。今回も同様で、妹紅の頬を膨らませる結果を招いた。
「ちょっと、何か言いなさいよ!」
 妹紅の手が彼の襟元を掴む。と、抵抗する間もなくグイッと引っ張られた彼は、目と鼻の先にまで顔を近づけられた。
「貴族に向かって黙」
「臭っ」
思わず口から出た彼の内心。それは彼自身言わないように意識していたことで、妹紅と出会った当初から我慢していたことであった。気付かれないよう呼吸を止めたり、さり気無く一定の距離を保っていたが、いきなり掴まれてしまったせいだろう。驚いた彼は、飛び込んできた悪臭に、我慢していたことも一瞬忘れて、思わず本音を漏らしてしまったのである。
 まるで成長していない。
 言い終わってきっかり三拍後に、彼は勢いよく突き飛ばされる。たたらを踏んで妹紅を見つめる。その顔には、やってしまった、とはっきり書かれていた。
 そして、正面から、最悪の言葉を投げられた妹紅はというと……。
「……………」
「うっ………そんな目で見ないでくれ」
 じわじわと、涙で潤んだ瞳を彼に向けていた。潤んで見える黒目は、傍目から考えてもその役割を果たしてはいなさそうで、おそらく彼の姿を正確には認識出来ていないのではないだろうか。
 唯一輝夜と違うのは、妹紅は鳴き声を上げなかったことだ。だが、それが良いか悪いかと問われれば、別の意味で悪いことには変わりなく、結局泣いていることには変わりなかった。
 ぐす、ぐす、と鼻を啜り始めた妹紅の鼻先が、ツンと赤くなる。固く噛みしめた唇から、抑えきれない嗚咽がこぼれ始め、遂には潤んだダムから涙が決壊した。
「………………」
「いや、あの、その、そういうわけじゃないから、ね、ないからね」
「……じゃ、じゃ、どう、びう、ばげ?」
 途切れ途切れの返答。当然のことに、発音は完全に涙で壊れていた。
 いかん、あぶないあぶないあぶない。彼は滝のように噴き出した汗を拭いながら、妹紅に挑んだ。
「いや、あのね、実は、その、俺の国……あ、俺はこことは違う場所から来た人間で、都に住んでいるわけじゃないんだ。それで、そこでは臭いっていうのは綺麗ってこ」
「くさっ……~~っぅぅぅぅ~~~~!!!!」
「あああ、違うよ、臭いって言ったわけじゃないからね、そうじゃないからね、ね?」
「~~~、ひっく、ひっく、くさっ、臭いって、ひっく、ひっく」
 早くも限界が近い。既に噛みしめられた唇は、力のあまり白色になっており、ポトポトと地面に水滴を落としている。遂には目も開けられなくなったのか、目を瞑って俯いた。そのせいでさらに涙の量は増していき、さらなる罪悪感を彼に与えた。
 駄目だこりゃ。そう悟った彼は、輝夜に対する言い訳を考えながらも、妹紅に輝夜が愛用している風呂の話を始めた。


 特性風呂は、離れに建設された石室の中に設置されている。これは、湯船から蒸発する湿気等を考慮して、カビや雑菌が出にくい岩石を彼が削って建てたものである。広さは5畳分、高さはおおよそ3メートル。
 その建築にあたっての苦労は並大抵ではない。いくら彼とて、広さ5畳分、高さに至っては3メートル程にもなる岩石を運んでくるのは至難の業。しかも、使用する岩を見たいとかで輝夜も同行したいと言いだし、おんぶすること一時間。
 衝撃波を使って谷間にある巨大な岩石を、あれでもない、これでもないと輝夜いわく類まれな眼力によって選別される。ようやく決まったかと思えば、疲れたとのたまる輝夜が岩石の上に座る始末。
 滝のような汗を流して岩と輝夜を屋敷まで運び、輝夜に励まされ、駄々を捏ねられながら衝撃波を駆使すること幾ばくか。通算、ほぼ二日不眠不休働き続けて完成したのが、件の石室である。
 外観もこれまた輝夜曰く類を見ないセンスによって装飾され、内装に至っては輝夜の手が入っていないところを探すほうが難しいぐらいだ。ただ、手を入れたのは彼で、輝夜は指示を出すだけだったのだが。
 ともかく、その石室は輝夜のセンスがふんだんに盛り込まれており、つまり同じ時代を生きる妹紅にとっても、思わず圧巻してしまう程に豪華で手間が掛ったものであった。
 そして、その石室の中で何が行われているのかというと……
「馬鹿じゃないの、あんた。常日頃そう思っていたけど、今回のことではっきりしたわね。あんた、少しは女心というものを学んだ方がよろしいんじゃなくて? 初対面の女性に身体のことで文句言うとか、もう死ぬべきね。いや、死ななければならないんじゃないかしら。でも、それだったらあんたは何も知らない内に死んでしまうわけだし、そう考えたらあんたはまだ死ぬのは早いのかもね。でも、だからといって、許されたわけじゃないわよ。本当なら、あんたは私の足を舐めながら、100万回ぐらい額を地面にぶつけて、卑しい卑しいボロ屑同然の手に負えない馬鹿めをお許しください、とか言わなければならない立場なのよ。そこらへん理解しているの? それぐらい理解出来ているわよね? まさかそんなことすら理解出来ない頭じゃないわよね? まあ、そこらへんのウジ虫に食われている妖怪の死体から捻り出たうんこ以下の頭しか持っていないあんたでも、同じ過ちを繰り返さない程度の学習能力はあるわよね? ああ、でも、実際に学習出来るかは別よ? 私が言っているのは、繰り返さないってことを、頭では理解出来るでしょってことで、あなたのその割ったら西瓜の種が出てきそうな空っぽの頭でそこまで理解出来るなんて、私はこれっぽっちも思っていないからね。二度あることは三度あると言うけど、三度も起こしたら、もはや故意になっちゃうわよね。そう考えたら、あんたもう三度目に手が届いている状態なんだけど、あんたわかってる? どうせ分かっていないようだし、いちいちそれを説明するのも」
「ほんと、すみません。はい、私が悪かったんです……もう、本当に、すみません。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
 輝夜の息継ぎ無しの終わらない説教が彼に行われていた。ひたすら皮肉をぶつけられている彼を尻目に、輝夜に頭を洗われながら妹紅は思った。なんだ、この空間は、と。


 彼に連れられて来た、輝夜の屋敷。最初は抵抗感を持っていた彼女だったが、屋敷の主である輝夜が愛用していると聞けば、多少の興味は湧いてくる。そのうえ、事情を聞いた輝夜の、唸るようなテンプルショットを彼の米神に放つ姿を見て、元々持っていた印象はどこへやら、輝夜に手を引かれて、彼の言う特性風呂へ案内された。
 そして、悶え苦しんでいる彼を手加減なく足蹴にし、水を用意させ、衝撃波でお湯を沸かせさせる。もはや喜劇のような信じられない出来事の連続で、彼が当たり前のように使っている衝撃波に大して、驚く余裕すら、妹紅にはなかった。
 そうして湯気立つ湯船に歓声が混じった溜息を漏らした妹紅を尻目に、輝夜はごく当たり前のように衣服を脱ぎ捨てて彼の頭に投げつけると、そのまま妹紅にも脱げと言った。
 その言葉に思考が停止していた妹紅が復活。了承は出来ないと言ったが、このまま彼に臭いと言われて平気なのかと問われれば、妹紅は首を縦に振らざるをえない。
 せめて、彼だけはこの場から退出してほしいと輝夜に懇願するが、途中で御湯が温くなったり、またお湯を張りかえるときや、また自分の身体を自分で洗えるのかという輝夜の質問に、妹紅はしぶしぶ、本当にしぶしぶ頭を縦に振った。
 しかし、恥ずかしいものは恥ずかしい。例え、唯一の男である彼が輝夜の衣服によって全くこちらをうかがいしれない状況であっても、それは同じ。正座していても一緒。堂々と風呂の淵をまたぐ彼女を輝夜に、妹紅は何度も何度も彼を見つめながら、紅葉よりも紅潮した身体を両手で隠しながら、ゆっくりと湯船に両足を入れた。
「あ……」
 思わず漏れた言葉は、妹紅の率直な感想であった。蒸し風呂では到底味わえない、御湯の沁み込み、包み込んでくる温かさ。じんわりと足さきから熱が上がってくるなんとも言えないその感覚に、妹紅は緊張で鉄のように固くしていた四肢を、ほうっと緩めた。
「ほら、そんなんじゃ、身体が温たたまらないわよ。しっかり肩まで浸かりなさい」
 先に首まで湯船に浸かった輝夜が、妹紅に言う。
 妹紅は、始めての体験に胸を高鳴らせながらも、じれったい速度でゆっくりと湯船の中に腰を下ろした。そして、今度は目じりと頬まで緩んだ。
「ほぁ~…………」
「いいでしょ、これ」
 そう尋ねられた妹紅は、もはや彼女に対して悪意的な感情が持てるはずもなく、素直に感想を述べた。
「うん、凄いね、これ……」
「一度これに入ったら、もう病みつきよ。一日一回は入らないと、我慢出来なくなるわ」
「ええ……それは……困る……」
 緩みに緩んだ頬が、かろうじて返事を返す。ポカポカと温まっていく四肢、全身を優しく揉むお湯の温かさ、身体の中に溜まっていた疲れがお湯に溶けて行くような、言葉に出来ない感覚。
 もはや、妹紅はお風呂に完全にはまってしまっていた。
「さあ、身体を洗うわよ。妹紅、後ろを向きなさい」
「ええ……後ろ? いいよ、そんなの……頑張って自分で洗うよう……」
「そんな緩んだ頭じゃ、滑って怪我するだけよ。ほら」
 彼が浸かっていた特性風呂は存外大きく、その広さは輝夜と妹紅の二人が入って足を延ばしても、まだ少し余裕がある程。なかば強引に妹紅をひっくり返した輝夜は、風呂場に常備してある特性の手ぬぐいを使って、妹紅の背中を擦り始めた。
 蒸し風呂でされるのと、お湯の中でされるのは、違う。そのことに妹紅が気付いたときには、信じられないぐらいに柔らかい手ぬぐいで、身体中を洗われていた。
「ほら、立って立って、今度は下を洗うから」
「い、いや、そこは、自分で洗えるわよ」
「ここまできたら、全部同じことよ。それに、次は妹紅が私を洗うんだから、一緒のことよ」
「え、私が?」
「他に誰が洗うのよ。それに、そんなに恥ずかしがっていたら、あんたいつまで経っても身体を洗えないわよ……ほら、片足上げなさい」
 言われるがいなや、妹紅の片足が高く上がった。突然のことにバランスを崩した妹紅は、壁に捕まった。本来なら秘密の時にしか晒されることのない乙女が、ひんやりと外気に触れる。ただでさえ紅潮していた四肢がさらに赤く紅潮し、妹紅は甲高い悲鳴をあげて、片手で乙女を隠した。
「ちょ、ちょっと、いきなりなにするのよ!」
 妹紅の視線が彼へと向かう。だが、懸念していた彼は輝夜の罵倒に力尽きたのか、ぐったりとこちらに背を向けて横になっていた。なので、というのも変だが、妹紅はとりあえず彼を後回しにして、輝夜に怒鳴った。
「なにって、洗うのよ」
 露わになった膨らみが、何時起き上がるか分からない彼の視線に入らないように必死に肩を寄せて隠す。けれども、輝夜はそんな妹紅の努力を嘲笑うかのように、あっけらかんと返事をした。
輝夜は風呂の淵に備え付けられていた薬箱から粉末状に解された薬粉を一つまみ取り出し、薬箱の中に入れてあった椀に入れた。それを取り出して薬箱に蓋をし、少量のお湯を椀に注いで、指で軽くかき混ぜる。
 すると混ぜられたお湯が次第に粘り気を持ち始め、あっという間ににちゃにちゃと糸を引く程にまでなった。
 その光景を見ていた妹紅は、頬を引きつらせた。
「……な、なによ……その緑色のネトネト」
「いくつかの薬草を煎じて、混ぜ合わせたものを水に溶かしたものよ。これを使うと汚れも落ちるし、消毒替わりにもなるから、私も使っているのよ……ほいっと」
 たっぷり薬水を付けた指が、妹紅の乙女に張り付いた。ぷにゃ、ぷにっとした感触に、輝夜はほう、と声を上げた。
「うひゃ!?」
 だが、付けられたものは堪らない。粘着液の思いがけない温かさと、始めて乙女に自分以外の指が触れたことに、猿のような悲鳴を上げた。もはや押さえる必要が無いと判断した輝夜の手が離れると、妹紅の足がぽちゃんと湯船に降りた。離れようとしても、既に指は乙女に深く食い込んでいる。どう身じろぎしても、輝夜の指はピタリと妹紅の乙女に張り付き、ぷにぷにと柔肉を押した。
 輝夜の細い指が、ゆっくり、静かにぬるりと乙女周辺を這いまわる。驚きと羞恥に身を固くした妹紅は、犬のようにはっはっ、と乾いた喘ぎ声を漏らした。空気にほとんど触れたことのない無垢なクレバスが、輝夜の指を呑みこむ。にゅるにゅるっと敏感な粘膜を擦られる感覚に、妹紅は立っていられないとばかりに輝夜の肩に捕まった。
「……ほら、見なさい。けっこう汚れているわよ。ここは敏感な場所なんだし、汚れやすいから、気をつけなさい」
「はあ、あ、あ、え、えっ?」
 視線を下ろすと、輝夜の指が、コレを見なさいと人差し指を妹紅に向いた。
 そこには小さな白い固まりが幾つも纏わりついていた。
「なに……それ……」
「何って、汚れよ、汚れ……ほら、あんたも何時まで寝ているのよ。さっさと起きて、妹紅を洗うの手伝いなさいな」
「……え?」
 妹紅の呆けた声と共に、彼は静かに身体を起こした。その顔にはいつの間にか手ぬぐいが巻かれていて、彼の視界をきっちり塞いでいた。
「……なぜバレた」
「あんたの考えぐらい読めるのよ。どうせ寝たふり決め込んで、やり過ごそうとしたんでしょ。そうはいかないわ。私はもう、洗うの疲れたし、後はあんたが洗いなさい」
「……あの、俺は今、目隠ししているんだけど……」
「外せばいいでしょ」
「外したら見えるだろうが……」
「見ればいいでしょ!」
「なぜ怒る!?」
「なぜ嫌がる!?」
「嫌がりもするだろう!」
「好き嫌いするな!」
「どういう意味だ!?」
「そういう意味よ!」
「慎みを持てよ!」
「あんたの前以外では持つわよ!」
 ……えっと……私はどうしたら?
 突然目の前で起こった掛け合いに目を白黒した妹紅は、前を隠すことも忘れて二人を見つめた。
 なにせ、怒鳴っているのである。あの、輝夜が。あの、なよ竹の輝夜姫が、だ。名のある貴族達が挙って求婚し、帝ですらその存在に注目しているという、あの輝夜姫が。
 子供のように言い合いをしている二人を見て、妹紅は、はあっと溜息を吐いて、肩の力を抜いた。というより、力が抜けた。
 ……なんだか、どうでもよくなってきた。馬鹿みたいだと、妹紅は思った。
 元々妹紅は、実のところ輝夜に難題を取りやめるよう直談判する為に、彼に問い詰めただけのことであった。輝夜の屋敷は知っていたが、場所が場所で自分一人で行くにはあまりに心ともないし、だからといってそんなことで従者を連れて行っては、それこそ大目玉を食ってしまう。その為、輝夜の召使らしき彼を利用しようと肩をいからせて行けば、今の有様だ。いったい、何をどう間違えたら、憎い輝夜の手で身体を洗われ、その彼女が喧嘩をする場面に立ち会えるのだろうか。
 噂でしか知らない女に嫉妬し、その女に恋焦がれて相手をしてくれなくなった兄。
 難題に四苦八苦して、日々難しい顔をするようになった父。
 その二人の姿を見て、般若のように顔を歪ませることが増えた母。
 来る日も来る日も女友達と輝夜の陰口を言い合っている姉。
 もやもやと霞がかっていた頭が晴れ渡る。そうして考えてみると、自分はなんてつまらないことを考えていたのだろう。
 そっぽを向いた兄を見るたびに怒り、話を聞いてくれなくなった父を見るたびに怒り、般若の顔をした母を見るたびに怒り、悪口を言い続ける醜い姉の姿を見るたびに怒り……そうして流されて来てみれば、今だ。
 何が、なよ竹の輝夜姫。
 何が、帝も焦がれる姫。
 誰も、誰しもが、輝夜、輝夜、輝夜、輝夜、輝夜……輝夜姫。右を向いても輝夜、左を見ても輝夜、どこもかしこも、皆同じことを口にする。
 だが、実際はどうだ。誰もが知って、誰もが知らない輝夜姫が、妹紅と同じように笑い、怒り……妹紅以上の、お転婆だ。
 何も変わらない。何も変わらないじゃないか。私と、輝夜。どこも違わない。同じだ。私と輝夜は……同じなんだ。
 そう思い至った妹紅は、笑った。腹の底から、思いの全てを吐き出すように笑った。その声は、彼と輝夜の喧嘩を止め、石室を揺らさんばかりに反響した。
 涙すら流して笑い続け、胸に痛みすら感じたとき、ようやく妹紅は笑うのを止めた。
「はははは、はは、はあ……ああ、おかしい」
「……あの、妹紅?」
 目を白黒している輝夜を見て、妹紅は、にんまりと笑みを見せた。
 その妹紅の姿を見て、輝夜はくりんと、小さな顔を傾けたが、すぐに妹紅と同じように意地の悪い笑みを浮かべると、彼には聞こえないように、そっと唇を妹紅の耳に近付けた。
 いい顔するようになったわね。
 輝夜、あんたには負けるよ。
 最後に互いはくすっと笑う。輝夜は薬水が入った椀を彼の手に持たせる。ピクっと肩を震わせる彼の横で、妹紅はお湯でクレバスの汚れを洗い流すと、クイッと腰を差し出した。
「そうね……輝夜の言葉に甘えてみようかしら」
 湯気立つ石室に、彼の呆けた声が響いた。

お……ま……け

あぁああああ…ああ…あっあっー!あぁああああああ!!!ぅううぁわぁああああ!!!
あぁクンカクンカ!クンカクンカ!スーハースーハー!スーハースーハー!いい匂いだなぁ…くんくん
んはぁっ!あいつの髪をクンカクンカしたいよ!クンカクンカ!あぁあ!!
間違えた!モフモフしたいよ!モフモフ!モフモフ!髪髪モフモフ!カリカリモフモフ…あうあうあーうーーー!!
寝顔かわいかったぁぁ気持ちいいよぅ!!あぁぁああ…あああ…あっあぁああああ!!ふぁぁあああんんっ!!
うふふここが気持ちいいんだね!あぁあああああ!かわいい!やっぱり!かわいい!あっああぁああ!
あの鬼に抱かれている顔がまた…いやぁああああああ!!!にゃああああああああん!!ぎゃああああああああ!!
ぐあああああああああああ!!!あんなの現実じゃない!!!!あ…神具で見てるあいつも今ここには……
こ こ に は い な い?にゃあああああああああああああん!!うぁああああああああああ!!
そんなぁああああああ!!いやぁぁぁあああああああああ!!はぁああああああん!!鬼どもめぇぇぁああああ!!
この!ちきしょー!やめてやる!!神様なんかやめ…て…え!?見…てる?いま……見て……く れ て い る?
照れてそっぽむくあいつが見てくれてる!うとうとして涎を垂らす可愛いあいつが見てくれる!笑っているあいつが私を見てるぞ!!
身重の私を気遣って、遠くから私に話しかけてるよ!!!よかった…世の中まだまだ捨てたモンじゃないんだねっ!
いやっほぉおおおおおおお!!!私には君がいる!!やったよ神奈子!!ひとりでできるもん!!!
あ、ああああああああああああああん!!いやぁあああああああああああああああ!!!!
あっあんああっああんあい、いいよぅぅうう!!イイよぅぅ!!イクうぅぅぁああああああ!!!諏訪王国うぅぅぅぅ!!
ううっうぅうう!!私の想いよ届け!!遠く離れたあいつへ届け!


 神奈子は、そっと襖を閉じた。疲れた顔で、晴れ渡った空を見つめた。
「…………私では……無理だったよ……」
 背後から聞こえる嬌声に、神奈子は目頭を押さえた。


以上、諏訪子さまが見ていた、最終回です。
軍神神奈子の活躍にご期待ください。


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