古代編最終話:今を生きるということ
最初、彼にはそれがなんなのか分からなかった。無音のそれは、時折姿を変えながらも、大部分は変わらずにその姿を彼に見せ続けていた。
音は、無い。何も聞こえない。
感覚は、無い。暑いのか寒いのか、はたまた痛いのか気持ちいいのか、それとも寂しいのか楽しいのか、彼には分からない。
……時間。ただ、時間だけが過ぎていく。
……どれぐらいの時間が流れたのだろう。ふと、気付いた時には、彼の耳はその機能を取り戻し、彼に世界の音を伝達させる。だが、いつもと同じようにはしなかった。
風の、音がする。嵐の……風が、荒れ狂う音が。ああ、煩い。これは、この音は、なんだ?
まるで竜巻。爆風が耳元でダンスを踊っているかのように、激しく、騒がしく、鬱陶しい、音の雨が脳を揺さぶった。
……また、幾ばくかの時間が流れた。そして、ふと、我に返ったとき、彼は目の前に広がっている景色が、雲で覆われた空であることを、思い出した。
晴天の、あの水色の絵の具で静かに、優しく、丁寧に塗り重ねたような空は、もう彼の眼には映っていなかった。あるのは、黒く、悲しく、それでいて儚い、見ているだけで気が滅入ってくる、灰色の空だけだった。
……雲が……出てきている。
雨が……降るかもしれない。起き、上がらなくては……!
だが、そうして身体を起こそうにも、彼の身体はピクリとも動かなかった。それどころか、痛みも、何も感じな……!
瞬間、ズキンと身体が悲鳴をあげた。思わず息を呑んだ彼を襲ったのは、痛みの波状攻撃だった。右手、腹、左足、腹、胸、頭、右足、腹、左手、頭……内臓が、骨が、筋肉が、体中から、主へダメージを受けていると訴えてきた。
(………………はあ)
大きく吸って、息を吐く。たったそれだけのことで、彼は数十秒全力で走ったぐらい、消耗した。
だが、効果はあった。混迷していた意識が、一息吸うことに鮮明になっていき、しばらく深呼吸を繰り返していた彼は、どうにか現状を把握する程度には回復出来た。
だが、声は出せない。焼けるような喉の痛みが、彼から声を奪っていた。
(……どうやら、生き残ったみたいだ。前に覚えた衝撃波が、俺を助けた……そうだ、ステータス画面で……確認を)
ぽーんと、馴染みの効果音が頭に響く。そんな何でもないことが、酷く辛かった。
【レベル :88 】
【体力 :11/450 】
【気力 :3/170 】
【力 :99 -95 】
【素早さ :133 -130 】
【耐久力 :110 -108 】
【装備・頭 :なし 】
【 ・腕 :なし 】
【 ・身体 :なし 】
【 ・足 :TFバロ + TFシューズ】
【技能 :獣の本能・踏みとどまる 】
【 :衝撃の称号 】
【スキル :洞察力 レベル25 】
【 :美感力 レベル13 】
【 :逃げ足 レベル120 】
【 :自己再生 レベル4 】
【 :毒解能力 レベル30 】
【 :フラグ 時々発動 】
【アイテム :アイテム使用 】
(ははは……ほとんど死に掛けだな)
思っていたよりも、酷い。いや、むしろ、軽かった、の方が正しいのだろう。
なにせ、隕石衝突地点に居たというのに、生き延びたのである。生きている方がおかしく、生きているだけで幸運だ。
彼はふう、と溜息を吐くと、ステータス画面を消した。
(ここは?)
仰向けになったため、辺りをうかがうことが出来ない。雷鳴のように走る痛みに耐えつつ首を左右に振っても、黒く焦げた瓦礫が邪魔をして、何も分からなかった。
ゆっくり、ゆっくり、身体へ意識を向ける。ともすれば痛みでかき消えてしまいそうな集中力だが、それでも少しずつ混乱していた神経網が、彼の手中へ戻っていく。
まず、右手を。
そう思い、彼はうつ伏せになろうと右手に力を込めて……激痛が走った。
文字通り、瞼の裏で閃光が走った。痛みで滲んでくる涙を瞬きで誤魔化しつつ、今度は逆側から寝がえりをうった。
今度も痛みは走ったが、右腕程ではなく、我慢できる程度だ。だが、痛みの感覚は強いものの、それ以外の感覚は鈍く、重い……まるで、血液の代わりに鉛を流し込まれたみたいだ。
のろのろと、見ていて欠伸が出そうなぐらいにゆっくりとうつ伏せになり、そこからまたゆっくりと身体を起こして、その場に立ちあがった。
途端、頬を撫でる熱風。フワッと目の前が暗くなり、意識が遠のきかける。その場でたたらを踏んで持ちこたえてから、彼はようやく顔をあげた。
そして、息を呑んだ。
(なん……だ……これ、は)
言葉に表せられなかった。
彼の眼前に広がっていたのは、大きな、クレーターだった。
だが、その大きさと深さが異常だった。クレーターの端が恐ろしく遠く、目測でも5キロメートル以上、深さなど、数百メートル以上ありそうな、巨大な深遠が目の前に形成されていた。
どこにも、文明の跡はない。あるのは、巨大な力によって粉微塵にされた土と石ころだけが、そこにはあった。
(……隕石衝突の影響が、これほどとは……よく、死なずに済んだものだ)
けれども、無事ではない。痛みが強い右腕に目をやると、目に見えて青黒く内出血を起こし、一回り大きく膨れ上がっていた。どうみても、骨折していた。
身体も、いままでの経験から、骨折、あるいは内蔵裂傷にまでの怪我は無いと判断できる。だが、受けたダメージは無視出来ない。今の自分では、こうして立っているだけでも死ねる程だった。
とにかく、治療が必要だった。
彼は一つ、呼吸を整え、自己再生能力をフル運転させた。これは体力を消耗するかわりに傷を治すスキルで、レベルが高ければ高いほど、少ない体力で傷を治すことが出来る。今の消耗した彼にとって、腕の怪我を治すには非常に辛いものがあったが、この痛みではまともに動くこともできず、下手に動物に襲われたとき、弱点である怪我場所を狙われる場合があるので、ここは我慢するしかない。
擦り傷、切り傷、火傷、打撲、内出血、ありとあらゆるダメージが身体中に広がっていた。まず、このままでは死ぬ。骨折一つ直したところで、それは変わらない。ただ、待ち受ける未来がほんの少しだけ遠のくだけだ。
けれども、彼にはそれがしなくてはならない、何か尊いものに思えた。誰に強制されたわけでもなく、教えられたわけでもない。仮に生き延びたとしても、これから訪れる苦難の未来を思えば、今ここで迎えるエンディングの方がはるかに容易く、また優しい。
でも、選ぶわけにはいかなかった。不思議と、まだ、選ぶときではないと思った。
……死ぬわけにはいかない。そう、俺は、きっと、まだ死ぬわけには、死んではいけないんだ。
腕の骨折が治癒していくにつれ、彼は、ふと、思い出していた。
この世界に来てから、常々考えていたことがあるということ。
自分は、何のためにここへ来たのかということ。
元の世界に居た時も、時折似たようなことを考えたことはあった。だが、それはあくまで暇つぶし。すぐに別のことが始まれば、そんなことを考えることすら忘れていた。
だが、こちらに来てからは違った。右も左も分からなかった世界。与えられた力、与えられた不老、全て、何か意味がある。彼には、そう思えた。
そう、彼がこうして立っていられるのも、幾重にも重なった奇跡のおかげだった。
まず、都市の防衛機能が働いたこと。軌道を変えた隕石を寸前で迎撃し、わずかではあるが隕石の破壊力を軽減したことが、一つ。
月からの迎撃があったこと。これも、地球へ向かうはずだった小体の隕石を破壊し、地表へ落ちる隕石の数を減らしたのが一つ。
彼の体調が万全であったこと。ほんのわずかでも本調子でなかったら、起き上がるだけの体力すら残らず、あのまま死んでいただろう。
隕石の落ちた位置。大小様々な隕石が落ちた場所は、都市の中でも最新技術をかけて作られた巨大ビルが並んでいた。それらが盾となり、彼への爆風と土砂をほんのわずかだけ和らげた。
そして、彼が住んでいた住居。そこは、永琳が己の知識と資金を投じて建設された、特殊な造りになっていた。
私がいない間に地震に見舞われたらどうしよう。
火事に襲われたら?
テロに襲われたら?
雷が直撃したら?
竜巻が襲ったら?
幾つものどうしよう、幾つものもしもを防ぐために、永琳が彼に黙ってオプションを付け足したその家が、彼をほんのわずかではあるが、守った。
肌を忘れても。
髪の匂いを忘れても。
声を忘れても。
出し巻き卵の味を忘れても。
永琳の面影を想い続けた彼と同様に、彼女もまた、彼を想い続けていたのである。
肌を忘れても。
髪の匂いを忘れても。
声を忘れても。
不器用な賛辞を忘れても。
彼の面影を想い続けて、ただただ彼が平穏無事に居られるように、せめて外的災害に襲われても平気なようにしていたのである。
そして今、傷だらけのぼろ雑巾になり果てても、彼は生き延びた。彼女が、永琳が、最後の最後で受け止めたのである。
(行こう……まだ、俺は生きている。まだ、もがけるんだ)
これから訪れる極寒の時代を思って、彼は一つ、大きなくしゃみをした。
えーりんは一時的に退場。だが、またどこかで出てくるだろうと思います。
とりあえず、次は一気に年月が経ち、日本神話編に話が進みます。だいたい、紀元前数百年ぐらいまえあたりかな。
次はあれです。もうちょっと明るくなると思います。
あと、えーりんは実はとっても優しいに一票。きっと彼女はひどく不器用で、それだからどこか方向性を間違ってもそれに気付かず、気づいても頑張るのだと私は思います。
ああ、速くおっぱいを書きたい。
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