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ゆうかりんフルスロットルな回。
其の七「旧地獄街道」
 弾幕って速度遅いし、必ず通れる隙間があるから、実戦で鍛えた動体視力と身体能力があればかわすのも余裕じゃね?

 ――そんな風に考えていた時期が、自分にもありました。

 結論。弾幕は遊びじゃねえんだよ!
 そんな本気の叫びが聞こえてきそうな、圧倒的物量の弾が私の眼前に迫って来ていた。
 確かに弾幕の速度は遅い。
 スローモーションとまではいかないが、目で追えないような攻撃に晒された経験がある私にとっては十分すぎるほど対応が可能な速さだ。
 しかし、問題は回避する時間的余裕ではなく場所的余裕を潰すことを目的とした物量だった。
 速く精密な『点』の攻撃ではなく、遅く大味な『面』の射撃。
 どれだけ高速で動いても、その動く先にさえ待ち構える無数の氷の弾丸が結果的に回避の余地を尽く潰している
 初めて経験したけど、弾幕ってここまで圧倒的なものなのか……。
 原作のシューティング画面を見ていると『二次元だからここまで難しそうだけど、上下に逃げられる三次元なら結構楽勝さ、こんなの』と舐めていたが、そんな甘いものじゃなかった。
 某艦長も大満足の弾幕だ。
 っていうか、これってチルノの弾幕として有名なイージー仕様の奴じゃないよね。
 どう見ても正面安置とか無いし、弾幕の密度からしても難易度数段上がってるっぽい。
 どうやら、霊夢に敗北した経験は彼女を強くしたようだ。
 うむ。チルノは口だけではなく、しっかりと向上心を持っているな。偉いぞ。
 ……問題は、そんな高難易度弾幕に晒されているのが、私という初心者シューターだという点なのだが。
 加えて、もう目前にまで迫った弾幕に対して別の問題が一つ。

「幽香、移動できないぞ」

 今の私は確かに空中に浮いている状態だが、そこから動くことが出来なかった。
 それにこれって本当に飛んでるって言えるの? なんか私自身が飛行しているって感覚ないんですけど。

『飛行能力は付与されているはずよ。さっさと飛んで移動しなさい』
「どうやるんだ?」
『貴女は歩き方を人に教わったわけじゃないでしょう。自力で感覚を掴みなさい』
「無理だ。分からない」
『だったら死になさい』

 スパルタ教育ってレベルじゃねーぞ!
 獅子は我が子を谷へ云々と言うが、幽香の場合は相手を思いやる気持ちなど欠片もなく普通に谷へ蹴落とすだけだった。
 体で覚えればいいじゃない。出来なければ死ねばいいじゃない、という極端すぎる教導方針だが、むしろ教導するつもりすらないよね?
 結局、私は満足に身動きすら出来ない状態で弾幕に晒されることになった。
 いや、本当にどうしろってーの!?

「幽香、ボムだ」
『却下よ。最初の弾幕くらいかわしてみせなさい』
「ならせめて、飛行の仕方を教えろ!」
『だから、感覚だと言っているでしょう。貴女はいちいち足に動けと念じながら歩いているの? イメージで飛びなさい。
 というか、貴女。今浮いている状態もこちらで操作しているからよ。貴女自身の意思では浮遊すら出来ていないわ。早くなんとかしなさい』
「それはこっちの台詞だ、クソッ!」
『あははっ、貴女の悪態を聞くのって新鮮ね。いいわ、ゾクゾクしちゃう。ほら、もう目の前よ?』

 私の必死の懇願も幽香を悦ばせる効果しかなかった。
 なんというサディスト。ドS(親切)設定なんてなかったんや!
 しかし、嘆いても目の前の弾幕が消えるわけではない。
 浮いた状態で足場も安定せず、その場を動けない私は咄嗟に首を捻って顔面に直撃コースだった氷の弾丸を回避した。
 うおおおおっ! 明らかに方法が間違っているけど気合避けぇぇええーーー!
 関節の稼動限界まで体を動かして次々と飛来する弾幕をすり抜けていく強制グレイズ。
 とにかく、移動が出来ないので体を傾けたり角度を変えたりして無理矢理に弾の当たる箇所を外していく。
 なんとかその無茶な回避を成功させた。
 この辺りは『面』の攻撃の特性に救われた結果だ。
 あらかじめ決められた軌道を維持して、それの数を揃えることで制圧することを目的としている為、標的である私を正確に狙い撃つ弾がなかった。
 体の中心などを一点に狙われていたら、移動出来ない私は当たるしかなかっただろう。

『お見事。でも、第二波が来るみたいよ』

 一息つく間はあったが、本当にそれだけしか余裕はなく、幽香の警告通りチルノから新たな弾幕が放たれていた。
 次も同じようにその場に留まったまま回避できる保証などない。
 このまま弾幕の密度が上がればいずれ命中せざる得なくなるだろう。
 いや、既に自機狙いの誘導弾くさい不規則な軌道の弾が何発か放たれてる。
 なんとか移動だけでも出来るようにならないと。
 ……でも、さっきから頑張ってるのに進むことも退くことも出来ないんですけど!
 っていうか、イメージで飛べってどういうことやねん!? 空の飛べない人間にどういうイメージ抱けっつーの!
 漫画の知識にあるキャラの飛行する姿などを思い浮かべてみるが、それも効果はなかった。
 悪戦苦闘している間に、再び弾幕が迫って来る。
 フフフッ、見えることが逆に恐怖だろうってやかましいわ。
 ええいっ、もういいわい! 飛行にこだわるの止め!
 私は幽香の言うイメージとやらを放棄すると、別の方法に切り替えることにした。
 とりあえず現状は浮遊状態にあり、その不安定な状態のせいで思うように動けないのだ。
 これが地面に立っている状態なら、まだ走るなり跳ぶなりして移動が出来る。むしろ、そっちの方がマシだっただろう。
 ならば、今の状態でどうしたらいいかというと――。

『また力技ね』

 瞬発力に物を言わせ、空中を蹴って加速した私を冷やかすように幽香が言った。
 仕方ないじゃない、これ以外空中での移動手段ないんだから。
 しかし、なんとか移動自体は出来たが、これは結構力加減が難しいな。
 弾幕の特性はさっき確認したとおりなので、ただ単に早く動けば回避出来るというものではない。
 移動する場所を選び、その上で距離や速さも計算しなければ、勢い余って自分から弾雨の中に突っ込むことにもなりかねない。
 弾幕の隙間を縫うように、小刻みに加速と急停止を繰り返す。
 ぐぉおおっ、なんだこりゃ!? 無茶苦茶面倒臭いぞ!
 危ういところで弾に当たりそうな場合には例の気合避けで対処しているが、弾幕のレベルが上がったら更に精密な動きを要求されるだろう。
 そうなったら、この動きでは対応しきれないかもしれない。
 結局、追い詰められていることに代わりはないようだ。
 これはもう短期決戦で行くしかないね。

「一気に決める。幽香、弾幕を放つ準備をしてくれ」
『そっちも能力自体はもう与えているわよ。撃てないの?』
「自分の感覚でやったら、私自身の技しか使えそうにない。それではチルノを殺してしまう」
『それでいいじゃない。妖精の命なんて空気よりも軽いものよ』
「幽香、怒るぞ?」
『あら、それは面白そうね。
 まあいいわ。一応、サポートを約束したものね。接近して、標的に片手を向けなさい。それを合図にこっちで弾幕を発射するわ』

 ホンマ、ゆうかりんのドSさ加減は肝を冷やすでぇ……。
 何故に支援してくれる相手なのにここまで苦労しなければいけないのか分からないが、とりあえず幽香の協力を取り付けた私は弾幕を避けながら機を待った。

「く……っ! ヘンテコな避け方する奴ね!」

 ごもっともな悪態を吐くチルノは、スペルカードの使用を終え、次の弾幕の準備に掛かる。
 時間としてはわずかなものだが、私にとってその間隙は十分すぎた。
 一瞬でチルノの眼前にまで移動する。
 まあ、こういうのは得意な接近戦の分野だしね。
 目を見開いて驚くチルノに対して、右手を突きつけた。
 頼む、幽香!

『死ね』

 ――って、おいィィィッ!! 何呟いてんのお前ぇ!?
 全力で嫌な予感が走ったが、もはや後の祭り。
 私の手のひらからは、次の瞬間極太の光線が発射されていた。
 どう見てもマスタースパーク並です。本当にありがとうございまいた。

「この馬鹿!」
『誰が馬鹿よ、この馬鹿。ちゃんと弾幕用に威力は調整してあるわ』

 凄まじい光の奔流が収まった後には、チルノがちゃんと原型を留めていた。
 幽香の言うとおり、あのレベルの光線にしては相当殺傷力を抑えてあるようだ。
 しかし、弾幕として使う攻撃である以上威力は少なからずあり、マスパ並の砲撃からして相対的にそっちの方も強力だったらしい。
 光線に飲み込まれたチルノは気絶したらしく、煙を上げながら墜ちていった。
 慌てて空中を蹴り、落下するチルノに追いついて体を掴む。
 ……って、やば! このままだと頭から湖に突っ込む。
 地面よりは安全だが、一張羅がずぶ濡れになるし、手荷物は忘れずに片手に持ってるんだよ。

「幽香!」
『前々から思っていたけど、貴女って気安く名前呼ぶわね。むかつくわ』

 どぉぉうでもいいわぁぁぁーーーっ!!
 のんきな幽香の対応に、完全に翻弄されている私。
 今更体勢を持ち直して制動を掛けても着水することは間違いない。

『世話の焼ける奴ね』

 服は乾かせばいいけど、書状は文字が滲んでやばいな。私の代筆でいいかな? と、現実逃避し始めた私に幽香のため息交じりの呟きが聞こえた。
 途端に、落下速度が激減する。
 頭から落下していた私は、水面から鼻先数センチ離れた地点でなんとか停止した。
 た、助かったぁ……。

『勝ちはしたけれど、なんとも情けない姿ね。普段の不愉快なくらい落ち着いた物腰はどうしたの? あの程度の相手に焦りすぎよ』

 いや、焦りの原因のほとんどはお前さんなんですけど。
 反撃が怖いのでツッコミを内心に留め、私は随分と久しぶりに疲れたようなため息を吐いた。
 とりあえず、幽香の言うとおり弾幕は私の勝ちって認めていいのかな?
 まあ、当事者のチルノが気絶しているので、ここを通るのに必要だった弾幕ごっこもこれ以上する必要がなくなったのは確かなわけだが。
 姿勢を立て直して、波紋で水面に立つと、私はチルノを抱えたまま湖を渡った。
 ところで、幽香さんや。
 もう今更だけど、私が攻撃として想定していたのはノーマルショットのような軽いものであって、いきなりボムぶっぱするとかちょっとやりすぎじゃない?
 あの時は、本当にチルノが消し飛んでしまったのかと肝が冷えたからね。

『あの程度のものがボムなわけないでしょう。通常弾よ』

 えっ、マジっすか!?
 言葉を選んでさりげなく尋ねた私への返答は『今のはメラゾーマではない。メラだ』という大魔王的発言を素で返すようなものだった。
 ゆうかりん、マジ大妖怪。
 つまりなに? あんな極太ビームがポンポン撃ててしまうわけですか。

『効果範囲を重視して設定したものよ。射線上の弾幕を消すことが出来るけれど、その分少々の溜めが要るわ』

 なるほど、あのノーマルショットにも弱点が無いわけではないな。
 多分、連射に間隔が少し空く点と、どんな弾幕ごっこでもクソゲーになるという点だ。
 ……いや、待てや。
 相手の弾幕を消せるんなら、わざわざ接近する必要もなかったんじゃない? その場で狙い撃てばいいでしょ!

『私が貴女を甘やかす必要もないでしょう?』

 幽香は心底不思議そうな声で問い返してきた。
 言葉の後に『馬鹿なの? 死ぬの?』って付きそうなくらいの嘲笑が透けて見えた。
 今まで敵意を挟んで対峙することばっかりだったから気付かなかったが、幽香って味方になるとこんなに疲れる相手だったんだね! やったー!
 でも、私そういう性癖ないから『我々の業界ではご褒美です』とか開き直れないじゃないですか! やだー!
 ……いや、もうホント疲れたわ。

「う……ん? あれ、あたい……?」

 そんなやりとりの間に腕の中でチルノが目を覚ましたようだ。
 丁度いいタイミングで湖も渡りきり、私はぼーっとしたままのチルノを地面に立たせてやった。

「……あっ! あんた!? え、なんで!?」

 ほどなくして我に返り、私と向かい合う状況に混乱するチルノ。
 うーむ。さて、どう説明したものか。
 弾幕ごっこは私の勝ち的な流れなんだが、この辺オブラートに包まないとショックを受けると思うんだよね。
 引き分けとか負けでいいとか言うと、幽香がまたなんか口挟みそうだし――。

『おめでとう、負け犬さん。お前は目の前の人間に負けたのよ』

 悩む私をいっそ清々しいほどスルーしてあっさり言っちゃうドS。

「あたい……負けたの?」
『あらあら、現実が受け入れられないかしら? 身の程も弁えずに随分と贅沢な感傷に浸っているのねぇ。元から負け犬のお前がショックを受けることなんてあったかしら』

 幽香の言葉責めというか完全に言葉の暴力に対して、チルノは顔を青褪めさせながら涙ぐんだ。
 私の考えるオブラートとか欠片も考慮していない。
 うん、ホントね。お前、いい加減ちょっと黙れ。
 さすがにマジで怒ってしまう。

「幽香、少し黙れ」
『心地良い怒気だわ、先代。……それで、貴女ならどうするかしら?
 勝負の結果は覆らない。その妖精は敗者よ。勝者である貴女が、一体どんな言葉を与えられるというの?』

 まあ、それを言われたらこっちも黙るしかないんですけどね。
 幽香の言い方もキツかったが、チルノにとっては目の前の現実こそが何よりも自身を打ちのめすのだろう。
 歯を食い縛り、鼻水を啜りながらチルノは私を見上げた。
 その顔つきは、睨みつけるというより縋りつくような弱さが見え隠れしている。

「……がんばったんだもん。あたい、強くなる為に……たくさんがんばったんだ! あの巫女に負けた時よりも、強くなったんだ!」
「ああ。強かった」
「なのに、なんでお前に負けちゃうんだよっ!?」

 チルノの慟哭が周囲に響いた。
 その声高くも弱々しい嘆きに対して、意外にも幽香は何も言い返さない。
 私自身も、チルノの今感じている痛みや挫折感を拭い去る言葉など何も思いつかなかった。
 幽香の言うとおりなら、勝者が敗者に掛ける言葉など存在しないのだろう。
 しかし、だからといって今のチルノを放っておくことなど出来ない。
 それは彼女が東方のキャラだからどうこうではなく、今の苦しみ悩む姿に酷く身近なものを感じたからだ。
 ……仕方ない。ここは一つ、偉大なる先人が残したとっておきの激励の言葉を送るとしますか。

「努力する者が、必ず報われるとは限らない」

 私の言葉に、俯いていたチルノは顔を上げた。

「しかし、成功した者は皆すべからく努力している!」

 私は実感を持って、そう断言した。
 これは某会長の超名言である。自分で口にしといてなんだけど、すごい身に染みてます。
 実際、私は修行時代に何度も挫折しかかった時、この言葉に何度も立ち上がらせてもらっている。
 今でこそ修行の成果を身につけて、最強の巫女だの何だの言われているが、修行の当初は当然のように能力的には一般人の範疇でしかなかった。
 ここが幻想の許された世界だと理解はしているが、私自身がそういった領域に到達出来るかは完全に自分次第であり、当初は日々の努力に空しさを感じことも多かったのだ。
 正拳突きとか百回するだけで疲れるのに、一万回やり遂げた上に最終的には一時間で終わらせるなんて常識的に考えて無理に決まってる。
 一向に成果を出さない修行の中で、苦痛や疲労よりも私を追い込んだのは、そういった諦めだった。
 そんな時に、私をいつでも奮い立たせてくれたこの言葉は、私が持つ前世の記憶の中で一番の宝だったと言えるだろう。
 だから、チルノ!
 お前も諦めんなよ! もっと、熱くなれよぉぉぉ!
 そんな感じに、なんか他の人も混じった状態で真っ直ぐに見据えると、涙を堪えるのも忘れて呆然としていたチルノがおもむろに口を開いた。

「……努力すれば、あたいももっと強くなれる?」
「ああ、なれるさ」
「いつか、あんたにも勝って、最強になれる?」
「なれるかどうかはお前次第だ」
『無理に決まっているでしょう』

 幽香さん、水差さないでくれますか?
 大人しいと思ったら全然相変わらずな幽香の反応に、内心冷や汗が流れる。
 しかし、自重自体はしてくれているようで、彼女の囁きはチルノには聞こえないくらい小さなものだった。
 ふっ、どうやら幽香もあの名言には何か感じ入るようなものがあったようだな。
 ……んなわけないか。

「じゃあ……じゃあさ!」

 チルノは躊躇いがちに私の服を掴んだ。
 涙の跡は残り、鼻水も垂れてしまっているが、それでも先程までの弱々しい表情から一変して、やる気と期待に満ちた笑顔を浮かべている。
 うんうん、やはりチルノはこういう元気で勢いのある姿の方が似合っているな。
 私は微笑みながら、何か言いたそうなチルノに先を促した。

「あんたが、あたいのお師匠になってよ!」

 ……それは予想外だったわ。





『えっ、お師匠ってあの巫女のおかあさんだったの? じゃあ、強いあいつを育てた人ってことだよね! やっぱりあたいの目に狂いはなかったわ!』
『だからな、チルノ。私の強さは弾幕ごっこにはあまり役に立たなくて……』
『まずはあの巫女よりも強くなりたいわ! お師匠、おねがいします!』
『……困ったな』

 先代巫女と妖精のやりとりを聞きながら、幽香は退屈そうに小さなため息を吐いた。
 なんとも面白みのない会話だ。
 あの先代が多少なりともうろたえる様子は少しばかり愉快だが。
 いや、面白くないと感じるのは何も二人の会話に対してだけではない。
 幽香は、先代の語った言葉に自らが何かを感じ入っていたことを認めざる得なかった。
 加えてなんとも気に入らないことに、わずかにでもあの妖精に共感を持ってしまったことも。

 ――努力する者が、必ず報われるとは限らない。しかし、成功した者は皆すべからく努力している!

 この言葉。昔の自分だったのなら、鼻で笑っただろう。
 努力などといったものは、多くを持たざる者として生まれた、それこそ人間のような弱者が吐く戯言だ。真の強者とは、既に力を得ている。それが自分だ、と。
 その自負こそが風見幽香の強さの証だった。
 しかし、その証はある日あっさりと砕け散った。
 幽香の価値観は根底から覆され、別の存在だと思っていた弱者の立場を身に染みて理解したのだ。
 屈辱だった。
 数年はまともに眠れない日々が続いた。
 無力感に、自分自身や周囲の物を破壊することを繰り返した。
 そして、弱い自分を許せず、先代と何よりも己への殺意を原動力にして足掻いた。
 とにかく自分の能力を高める為に、体にあえて無茶苦茶な負担を掛けたまま他の妖怪と戦ったり、力を酷使して限界を底上げしようとした。
 その行為が『努力』と呼ばれるものだと自覚した時は、無性に恥ずかしくなって一日中ベッドで唸っていたものだ。
 今でも当時を思い出すと苦々しい感情が顔に出る。
 そして、なんとも忌々しいことに、そんな自分の『努力』が、たった今倒すべき先代巫女にこれ以上ないほど力強く認められてしまったのだった。
 あの言葉を聞いた時、幽香の胸中に渦巻く感情は実に複雑極まりなかった。
 喜び? ――まさか。そんなものを感じたら自分を殺したくなる。
 怒り? ――人間に認められたのが気に入らないなどと、そんなことで怒りを感じるほど小物ではない。
 ではなんだ、虚しさか? ――それこそありえない。言葉で表現されるのは気に入らないが、自分の積み重ねものは確かに力となった。
 結局、ワケの分からない感情が幽香の中に残ることになった。
 あの妖精に対する冷やかしも、思うように口が回らず、苛立たしげに黙り込むしかない。
 会話の内容や先代の対応、そして流れを伺う限り彼女の用事にあの妖精が同行することになりそうだった。
 これがトラブルの元にでもなれば、こちらとしては面白いのだが――さて?
 しばらくは『向こう』でも面白いことはなさそうだと思い、幽香はテーブルに置かれたティーセットに紅茶を用意した。
 幽香は今、自身の住処である太陽の畑の自宅に居た。
 入り口の扉を開ければそれっきりの、一部屋のみの小さな家だが造りや内装は充実している。
 様々な花に彩られた室内は、四季の魅力がその小さな空間に満ちていた。
 家具は少ないが、人間のような生活環境を必要としない幽香にとっては眠る為のベッドと一息つく為の椅子、テーブル、その他小物が数点あれば十分だ。
 食事でさえ、戯れ以外に摂る必要はないのだ。

「……そうか、食事ね」

 他愛もない思考の中で、不意に思いついた。
 幽香は妖怪として、当然のように人間を食べた経験がある。
 妖怪としての食欲を満たす効率のいい食材だとは思うが、それにかかる手間や強力な妖怪としての自負が食人に対する欲求を抑えていた。
 知性のない矮小な妖怪達が、本能のままに必死で獲物を追い回し、浅ましく貪り食う様を無様な姿だと軽蔑さえしていた。
 ――しかし、もしその対象があの先代巫女だったとしたらどうだろう?

「あはっ」

 想像した途端、言い知れぬ痺れるような快感を味わった。
 先代巫女に対して抱いていた、多くの感情が絡み合った複雑な思いの中に一つ、重要なパーツが当て嵌まったような気がした。
 なるほど、これも一つの答えか。と、納得する。
 勝負自体が成立しない現状で、勝った後のことを考えるなど愚かだと想像することさえ放棄していた。
 せいぜい、敗北した先代巫女を踏み躙る様を戯れに思い浮かべる程度だ。
 そこに具体的で明確な方法が浮かんできた。
 勝者と敗者。幽香はそう捉えていたが、現実的な結果としてそれらは結局生き残る者と死ぬ者に別れる可能性が大きい。
 ましてや先代巫女は人間だ。どれだけ強かろうが、深く傷つけば死ぬ。
 そうして彼女を殺した時、自分の中に残るのは爽快感だけだろうか?
 違うはずだ。
 最強を自負していた自分の精神を根底から破壊した相手に対して、ただ死をもって全てを終わらせたなどと思えるはずがない。
 気に喰わない話だが、かつての自分を破壊したのが彼女ならば、今の自分を形作ったのもまた彼女なのだ。
 きっと、言い知れぬ喪失感を伴うに違いない。
 だからこそ――あの巫女を殺した後で、喰う。

「いいわね。素敵よ」

 幽香は心の底から愉快そうに笑った。
 夢想して悦に浸るなど自分でも度し難い無様さだと戒めるが、一つの答えを得た喜びはなかなか抑えきれない。
 そうか。
 そういう考えもありか。

 ――彼女を殺した後で血の一滴すら残さず取り込み、永遠に自分のものとする。

 風見幽香の中で、未だ整理しきれない先代巫女との複雑な因縁。
 望んで止まないその決着を終えた先に続く道の一つが、見つかったような気がした。





「ねえ、お師匠。さっきのお弁当すっごくおいしかった! あの卵焼きっていうの、また食べたい!」
「また今度な」

 腕に纏わりつくチルノに苦笑しながら歩を進める。
 結局、私は流されるままにチルノを伴って妖怪の山の麓までやって来てしまっていた。
 途中で休憩を挟み、一緒にお弁当も食べた。
 食事が終わって腹が膨れたら、チルノも飽きて湖へ戻るかと思ったが、なんか逆にテンションが上がっただけのような気がする。
 いや、すごくいい笑顔で美味い美味いと食べてくれたのは、こっちとしても本当に嬉しかったんだけどね。
 霊夢は子供の頃から聞き分けが良く、大人しい子だったので、こういう元気いっぱいな反応は新鮮だ。
 思わず『お前、私の娘になれ』と地獄兄弟ならぬ地獄親子を作ってしまいそうだった。
 知らぬ間に私自身も浮かれ、気が付けばこんな所まで来てしまったが、地底世界に通じる大穴を見つけた時点で我に返った。

「ここか……」
「うわっ、でっかい穴。こんな所あったっけ?」
『なるほど、結界が視えるわね。力の弱い者は、認識すら阻害されるわ』

 事前に紫から聞いていた通り、穴自体に侵入者を拒む結界があることを私自身の感覚でも見つけた。
 近づく者を灰にする、なんて物騒な代物ではないが、これは相当な妖怪でも通ることは出来ないだろう。
 ちなみに、才能のない私ではこんな結界、解除はもちろん張ることも出来ない。
 霊夢ならイケるってレベルだわ。

『しかし、これは人間でも通れないでしょう。そういう区別を付けた性質を持つ結界ではないようよ?』
「ああ、許可証のようなものが要る」
『その妖精はどうするのかしら?』

 幽香が試すように聞いてきた。
 私自身は、紫から届ける書状と一緒に特別製の符を貰っており、これがあれば結界を素通り出来ると聞いている。
 しかし、この符が持っている人間にしか効果がないのか、それともある程度融通が効くのかまでは実際に通ってみないと分からない。
 さらに加えて、私と一緒ならチルノも通れるとして、地底世界へ行っていいものかが問題だった。
 いや、問題は単純に私の考え次第なのだ。
 地底への規制対象になっているのは妖怪だけであって、妖精の扱いに関しては人間同様定められていない。
 それに、原作では地底にもゾンビフェアリーという、ゾンビの振りした妖精がいたしね。
 幽香もその辺の規制の曖昧さを理解し、その上で私がどう判断するのか試しているのだった。多分、笑いながら。

「……チルノ。これから行くのは地底世界という、とても危険な場所だ。弾幕ごっこもまだ普及していない。妖怪が普通に襲い掛かってくるかもしれない所なんだ」
「わかった、気をつける!」
「いや、それでも付いて来るのかどうかを聞きたいんだが……」
「よくわかんないけど、お師匠が行くならあたいも一緒に行く!」

 なんかもう眩しいくらいの笑顔で言われました。
 ああ、予想はしてたけど軽く決意してくれるなぁ。
 だからといって、チルノの決意自体が軽いとは思わないんだけどね。
 この娘は強くなることにはこの上なく真剣だし、一途だ。
 頭が悪いというより純粋な性質だから、理屈を捏ねるだけでは納得してくれないだろう。
 正直な話、この場で昏倒させでもしない限り止められないと思うし、そこまでするくらいなら別にいいんじゃね? と思う私もいる。
 考えてみれば、地底は危険と言ったがどういう具合に危険なのか私自身も分からないんだしね。
 こういうのを保険にはしたくないんだが、最悪の場合でも妖精のチルノは地上で復活することが出来る。
 ここは、強く言うこともないか。

「……よし。なら、チルノ。私の手を握れ。
 私と一緒に進めば、この穴の結界を通れるかもしれない。だが、もし通れなかったらそのまま湖へ帰るんだ。いいな?」
「わかったー!」

 チルノは何故か嬉しそうに私の手を握った。
 なんかスキップしそうな足取りで私の手を引いていく。

「えへへっ、お師匠の手ってゴツゴツだね」
「ああ、悪いな」
「ううん。あたい、お師匠の手って好き!」

 やべ、なにこの良い子。
 純粋な笑顔に癒されていて、ふと気付けば穴なんかとっくに通り越して薄暗い地下空洞まで足を踏み入れていた。
 緊張感もクソもないが、あっさりと通れてしまったなぁ。
 まあ、いいか。
 私はやたらと機嫌のいいチルノを伴って、地底世界への道のりを進んでいった。
 繋いだ手がチルノの体温でどんどん冷えていくが、波紋の呼吸で細胞を活性化させ、皮膚と血流の活動を保つッ! 燃え尽きるほど、ヒートォ!
 そんな感じで気合いを入れながら、チルノと繋いだ手を維持し続けた。
 ふっ、限界を越えるべき時は今のことさ。
 広大で薄暗い洞窟を、二人で肩を並べて進んでいく。
 光源は壁に付着した謎の光る苔や彷徨う怨霊、あとチルノが羽を光らせてランタンのような役割を果たしてくれた。すげえ、それって光るの?
 チルノ自身が周囲の様子に驚いたり、私に話し掛けたりと、性格的な意味でも明るいので、この陰気な場所で随分と足取りが軽い。
 予想よりもはるかに気楽な歩みとなったが、ある程度進んだ所で私は妖怪の気配を察知した。
 うむ、相変わらずこの『気配』って具体的に何なのか分からんが、このルートで出てくる妖怪って心当たりあるね。

「お師匠、どうしたの?」
「土蜘蛛だ」
「……こいつは驚いたねぇ」

 暗闇で見えない洞窟の天井から、スルスルと細い糸を伸ばして逆さまの状態で降りて来たのは妖怪の土蜘蛛。黒谷ヤマメだった。
 ポニーテールの金髪が可愛らしい少女の容姿をしているが、所有する能力が『病気(主に感染症)を操る程度の能力』と、かなりシャレになってない凶悪さである。
 正直、何でもありで戦ったら私も勝ち目ないんじゃないかと思う妖怪だ。
 接近を察知した私をなんか警戒してるっぽいし、ここは黙って通り過ぎてた方がよかったかなと今更後悔。

「あたしが近づくのを察知した上に、正体まで見抜くとは大した人間だ。
 迷い込んだとは思えない。一体、どうしたの? 地底に殴り込みにでもかけに来たかい?」

 好戦的な性格らしいヤマメ。
 うーむ、自己紹介でもと思ったが、用事もあるし、今回は下手に関わらずに行こうかな。

「幻想郷を管理する八雲紫からの使いで来た。地霊殿へ行きたい」
「八雲紫ね。地上では偉い妖怪なのかもしれないけど、ここは地底だ。その名前は通じないよ、気をつけな。
 それと、地霊殿はこのまま進んで橋を渡った先の旧都を通り抜けた、そのまた先に建っているさ。旧都に着けば、そこの住人は皆場所を知ってるから適当に聞きなよ」
「ありがとう。助かるよ」
「……その低い物腰はなんとかした方がいいかもね。
 あんたが只者じゃないことは分かるけど、そんな敵意の欠片もない状態で旧都に入ったら、真っ先に獲物にされちゃうからさ」

 なるべく相手を不快にしないように気遣った私の言動に、何故かヤマメはつまらなさそうな顔をして、そのままさっさと天井へと消えてしまった。
 この対応が駄目って、じゃあ一体どうしろっての?
 出会った住人にガン飛ばして喧嘩腰に物を尋ねろってのか?
 なにそれこわい。旧都って映画に出てくるスラム街みたいな感じなの?
 疑問を残しつつも、とりあえず穏便に事を済ませた私は再び先へ進むことにした。

「……ねえ、お師匠」

 ん? チルノってばどうしたの?
 なんか納得のいかなさそうな表情してるんだが……。
 そういえば、さっきから幽香も黙り込んでるな。

「どうした?」
「……なんでもない」

 心なし手を握る力が強くなったことに首を傾げながらも、私は進んだ。
 やがて、ヤマメの言ったとおりに橋が見えてくる。
 そして予想通りここにも妖怪の気配。
 原作通りなら、ここには地上と地底を繋ぐ穴の番人である水橋パルスィがいるはずだ。
 二次創作では『妬ましい』とか『嫉妬』などのキーワードが主に扱われていたが、実際のところ行き来する者を見守る守護神的な立場らしいので、心配はいらないだろう。多分。

「人間が、こんな場所にまで何の用かしら?」

 橋を渡ろうというところで、声を掛けられた。
 いつの間にか橋の真ん中に現れたパルスィがこちらを睨みつけている。

「悪いことは言わないわ、地上へ戻りなさい」
「すまないが、そうはいかない。こちらも使者として来たんだ」
すまないが・・・・・? やっぱり、帰った方がいいわ。貴女ではここから先へ進むのは危険よ」

 パルスィは私を値踏みするように一瞥すると、やはりヤマメの時のように何かつまらなさそうに吐き捨てた。
 何故に……?
 私の対応ってそんなに駄目なのかな。余計なトラブルを起こしたくないだけなんだけど。
 私が何かやらかしたら、紫に迷惑が掛かるわけだしね。

「やい、お前!」

 そんな風に悩んでたら何故かチルノがパルスィに怒鳴りかかっていた。

「さっきの奴もそうだけど、お師匠をそんな眼で見るな! 許さないよ!」

 一方の私は呆気に取られていた。
 分からん……なんでチルノは怒っているんだ?
 別に私が侮辱されたわけでも、失礼な対応されたわけでもないぞ。
 私の疑問に答えたのは、それまで沈黙を通していた幽香だった。

『あの妖怪どもは、腰の低い貴女を見下していたのよ』

 無茶苦茶不機嫌そうな声色でそれだけ言うと、再び黙り込む。
 見下してたって、妖怪の人間に対する認識って普通はそんなもんでしょ。初対面の幽香もそうだったじゃない。
 結局、疑問は晴れずに、私はよく分からないままにパルスィへ掴みかかりそうなチルノを抑えた。

「お師匠もなんか言ってよ!」
「よせ、問題を起こすつもりはない」

 私達のやりとりを黙って見ていたパルスィは、呆れたようにため息を吐いた。

「妖精にそこまで慕われているなんて、妬ましい奴ね。こんな所に連れて来るんじゃないわよ」
「……返す言葉もない」
「その腰の低さも頂けないわ。実力はあるようだから、それに相応しい態度を取りなさい。
 いい? この先にある旧都は地上を追われた妖怪達の楽園よ。
 彼らは自分達の立場を不遇のものだと悲観などしていない。ただ単に、地上が合わなくなったから地底に潜ったの。
 彼らには彼らの価値観がある。基本的に喧嘩には喧嘩で解決するような暴力バカの巣窟で、仕切っているのもそんな奴よ」

 ……どうやら、地底というのは某世紀末のような世界らしい。
 暴力はいいぞぉ! ってやつですか? 途端に不安になってきたんですけど。

「ほら、そこで腰が引けるのがいけないのよ。絡まれたくなかったら、もっと傲慢そうに振舞いなさい。妖怪のように」
「人間なんだが……」
「ただの人間なら、毟られて食われて道端のゴミになるのがオチよ。後は、好きにしなさい」

 言うだけ言うと、パルスィは緑色の光と共に消え去った。
 通れってことかな? 痛い目に遭いたけりゃ勝手にしろって投げやりにも見えたが。
 とにかく、私としてはここで引き返す選択肢などないので、去ったパルスィに尚も不機嫌をあらわにするチルノを連れて橋を渡った。
 日の光が届かない地底なのに、行き先には幾つもの光が見て取れる。
 あそこが、問題の旧都か――。





 生物の気配すらなかった洞窟を抜けた先にある旧都は、一変して活気に溢れていた。
 古い時代の物とはいえ、どれも住む者のいる木造の家が建ち並び、それらを繋ぐようにぶら下がる無数の行灯が街を隈なく照らし出している。
 その街道の下を、多くの妖怪達が行き交っていた。
 地上の人里では見たこともない店の数々。屋台も多い。まるでお祭りのようだった。
 聞こえるのは笑い声ばかりではない。罵声や物の壊れる音、喧嘩がそこら中で起こっているらしい。
 ただ、騒がしく、熱かった。
 ここには無法と隣り合わせのような、ドタバタとした活気が満ち溢れていた。
 しかし、そんなにぎやかな旧都に足を踏み入れても、チルノはちっとも機嫌が良くならなかった。
 本来ならば、好奇心の赴くままに辺りを散策していただろう。
 思うままに、未踏の地に感動を抱いていただろう。
 チルノも、最初に旧都の入り口を見た時は確かにそういったものを感じていた。
 それらを帳消しにしてしまったのが、周囲の妖怪達の視線だった。
 街道を進む中、すれ違う者達は皆例外なく隣を歩く人間を見る。
 そして嗤うのだ。
 驚き、珍しさ、好奇――それらの色を移した後、彼らの瞳は必ず嘲りに塗り変わる。
 チルノにはそれが酷く不愉快に感じられた。
 あの白い花から聞こえる意地悪な妖怪の声の方がまだマシだった。
 自分を馬鹿にして、いろいろと難しいことを喋って混乱させようとする嫌な奴だが、一つだけ良いところがある。
 それは自分と同じ相手を強いと認めていることだ。
 本当は、大声で叫んでやりたかった。
 道の真ん中で、全員に聞こえるように『この人間は、本当はとても強いんだ。あたいに勝ったスゴイ奴なんだ!』と。
 堪えるように俯き、黙り込んで歩いていると、不意に睨みつけていた足元が暗くなった。

「――おいおいぃ、こいつは一体どんな冗談だぁ? 人間が妖精連れて、この地獄の往来を歩いてやがるぜぇ」

 見上げると、まずは鼻の曲がるような刺激臭がしてチルノはうげっと顔を歪ませた。
 二人の行き先を立ちふさがるように、巨体の妖怪が三体も佇んでいたが、その威圧感よりも口から漏れ出す酒気がチルノには気に入らなかった。
 そして、こいつらもこれまでの妖怪と同じような眼をしていた。

「……どいてくれないか? この先の地霊殿に用があるんだ」

 臆した様子もなく、しかし高圧的でもない静かな物腰で対応する先代巫女に対して、彼らが応えたのは嘲笑だった。

「どんな馬鹿かと思ったら、あの忌々しい『さとり』の住む館に自分から向かうほどかよ! 死にに来たんなら話ははええや、ここで俺らに食われてっちまいな!」
「人間の女の肉なんざ、随分食ってねえ! しかも新鮮だ!」
「おう、なんか言ってみな? おもしれえ命乞いの仕方だったら、腕一本くらいで済ませてやれるかもしれねえぜ」

 その見た目に相応しいおぞましい物言いに対して、チルノは純粋に怒りを表し、先代は涼しげな表情のまま言った。

「怪我をさせたくない」

 一瞬の間を置き、今度は周囲の傍観者も巻き込んで爆笑が起こった。
 完全に侮られていた。
 そんな反応に、先代は思案するように周囲を見回していたが、傍らで肩を震わせるチルノの様子に気付いた時には遅かった。

「わ・ら・う・なぁーーーっ!!」

 愛らしい少女の外見からは想像も出来ないような裂帛の怒号と共に、一瞬にして巨大な氷塊を生み出し、眼前の妖怪一体に叩きつける。
 岩石のようなそれを抱いて吹っ飛び、近くの店に突っ込んで盛大な音を立てた。
 周囲が静まり返り、次に囃し立てるような歓声と罵声が沸き上がる。
 揉め事の前兆だった。

「こ、このガキィ! 何しやがる!?」
「うるさいっ! よくもお師匠をバカにしたな!? バカって言う奴がバカなんだから、バカにする奴もバカなのよ! このバーカ!!」

 仲間の妖怪が凄むのに対して怯えもせず、考え付く限りの罵りの言葉を叩きつける。
 チルノの怒りは限界を超えていた。
 呆気に取られる先代を尻目に、一人周囲のギャラリーさえも敵に回す覚悟で啖呵を切る。

「どいつもこいつも聞きなさいよ! お師匠はなぁ、あたいに勝ったすごい人間なんだ! お師匠をバカにした眼で見られると、あたいの方が腹が立っちゃうんだよ!」

 両腕から氷の剣を生み出し、完全な戦闘態勢で身構えた。
 弾幕ごっこではない。真剣な戦いに臨む覚悟をチルノは決めていた。
 目の前の奴らを絶対に許せなかったのだ。

「チンケな妖精が、粋がってるんじゃねえ!」

 仲間の妖怪の一人がチルノに襲い掛かった。
 頭に二本の小さな角がある。格下ではあるが、その種族は『鬼』だった。
 妖精であるチルノには荷が重い相手だ。
 しかし、チルノは怯まない。
 例え相手がどんな種族でどんな実力を備えているのか知っていたとしても、退きはしなかっただろう。
 それほどの戦意に満ちていた。
 事態の急転に、我に返った先代が慌てて動こうとして、それより早く髪に挿した花から花びらが散った。
 明らかにおかしな比率で、大量の花びらが舞い出し、風もないのにチルノの傍へと流れて収束する。

『――妖精。確かチルノって言ったわね』

 集まった花びらが形を成し、それは腕となってチルノを吹き飛ばそうとした敵の拳を受け止めていた。

『本当に身の程知らずだわ。よくも不相応に吼えたものね』

 花びらが形作ったものは人型だった。
 緑色の髪を優雅に揺らし、倍以上の体格差がある鬼の拳を微動だにせずに止めている。

『……褒めてあげるわよ、この馬鹿』

 風見幽香は牙を剥くように笑った。

「な、なんだてめ……っ」
『チンケな妖怪が粋がるんじゃないわよ』

 ピクリとも動かせない自身の腕に戦慄しつつも強がる鬼に対し、嘲笑を返すと同時に、空いた片手を突きつけた。
 次の瞬間、凄まじい閃光が炸裂して巨体を吹き飛ばした。
 チルノがやったことの焼き回しのようだが、影響は比べるまでもない。
 上半身を黒焦げにした鬼は、周囲のギャラリーを巻き込んで家屋に突っ込み、その上で建物自体を崩落させてしまった。
 これにはさすがに静まり返った。
 幽香が並の妖怪ではないことが理解出来たのだ。

「なによ、余計なことすんな!」
『ふんっ、本当に口だけはでかい奴ね』

 突っかかるチルノに対して、幽香は相変わらず冷笑混じりに対応する。
 そして、先代に視線を移すと、おもむろに片手を突き付けた。
 鬼を吹き飛ばした破壊の光が宿る。

『貴女は本当に、何度言わせるのかしら? 自覚を持てと言ったでしょう。この場で殺してやりたいわ』
「幽香……」
『でも、その前に貴女には責任を取ってもらわないとね。
 チルノの言うとおりなのよ。貴女が舐められると、その貴女に負けた私達にとって耐え難い屈辱になるの。本当に腹立たしい限りだけれど――お前は、私に勝った人間なのよ』

 幽香は、その時初めて自らの口に出して敗北を認めた。
 殺意でも憎悪でもない。幽香と、そしてチルノの強い視線を受けて、先代は息を呑んだ。
 そして、何かを悟ったように顔付きが変わる。

『そう、それでいい』

 先代から放たれ始めた、肌がひりつくような気迫を感じ取り、幽香は満足そうに微笑んだ。
 場違いなほど優しい笑顔だった。
 差し出していた手の先から、幽香の体を形作っていた花びらの集合体が分解され、消滅していく。

『弾幕のボム用として設定した分身だから、あまり長い時間継続は出来ないわね。後は任せるわ』
「……引っ掻き回すだけして丸投げか。本当に、お前は味方にすると疲れるな」
『今回ばかりは自業自得よ』

 珍しく呆れたような対応をする先代を愉快そうに笑いながら、幽香は再び花を介した向こう側へと戻っていった。
 強力な妖怪が消え去り、妖精と人間だけが残されたのを見た妖怪達は再び騒ぎ始めたが、それは何か押し殺したものだった。
 明らかに様子が違うのだ。
 先代巫女の放つ威圧感は、一変して周囲を圧倒していた。

「このヤロ……ッ!」
「チルノと幽香」

 絡んできた妖怪の内、最後に残った一体へ向けて真っ直ぐに睨み返す。
 パキパキと指の骨を鳴らし、溢れんばかりの戦意を見せ付けた。

「二人の文句は私に言え」

 怒鳴りもせず、厳かに告げられた言葉に相手は完全に飲み込まれてしまった。
 これが本当に、先程まで吹けば飛びそうに見えた弱腰の人間なのか?
 今はまるでこの巫女の周囲だけが重くなったかのような重圧感を感じる。しかもそれは無尽蔵に広がり、より重くなっているような錯覚さえあった。
 挑発染みた言葉にも、誰も反応出来ない。力を持った言葉だった。
 騒ぎの中心となった人間をこのまま逃がすわけにはいかない。
 しかし、戦いもせずに敵わないとこの場の誰もが実感してしまった。
 先代自身から手当たり次第に殴りかかるはずもなく、奇妙な拮抗状態のまま沈黙が続く。
 そこへ、不意に下駄の音が響いた。
 取り囲んでいた人垣ならぬ妖垣が割れる。
 途端に、先代巫女の放つのものと勝るとも劣らぬ威圧感が場に満ちた。

「――いい啖呵切ってくれるじゃないか。こいつは、面白い人間が舞い込んできたもんだ」

 現れたのはまたも『鬼』だった。しかも女だ。
 しかし、先程のような格下の雑魚ではない。
 額に赤い立派な一本角。美しさの中に鍛え抜かれた力強さを宿した身体と、鋭い眼光を伴った顔付き。
 長身の先代をしてわずかに見上げなければならないほどの、もはや巨体とも表現出来る大柄な体格だ。
 威風堂々を形にしたかのようなその姿は、まさに本物の鬼としての底知れぬ迫力を伴っていた。
 重苦しく沈黙していた周囲が途端に色めき立つ。
 この旧都においても有名な存在らしい。
 圧倒的な重圧に、勝気なチルノも硬直して動けず、ただ先代だけが対峙してなお動揺を見せていなかった。少なくとも表向きは。

『……これはどうやら大物のお出ましのようね』

 この場にいない幽香さえも、その声色から緊張を隠せない。

「鬼だ」
『オニですって? そういう種族なの?』
「ほほう、ますます面白いね。地上の人間でありながら、忘れ去られたはずの鬼を覚えているのか」

 断言する先代に対して、鬼自身は愉快そうに笑った。

「改めて名乗ろう。私は山の四天王の一人、力の勇儀。星熊勇儀だ。お前さんの言うとおり鬼さ。
 まあ、山とはいっても昔の話。今ではこの旧都の元締めみたいなモンをやっている。暴力で起こった問題は、暴力で解決するのがここの流儀さ」

 おもむろに巨大な盃を取り出すと、重量感のあるそれを片手の指先で回す。
 そして、もう片方の手に下げていた酒瓶から中身をなみなみと注ぎ始めた。
 自身の言う問題とやらの中心で、なんとも大胆にして余裕の仕草だったが、誰にも邪魔の出来ないような貫禄に満ちた光景だった。

「さて、では珍しい人間よい。
 お前さん達はここで騒ぎを起こした。ここは旧地獄街道、喧嘩は華だ。締め上げるほど悪いことじゃあない。だが、騒ぎの収まりはつけないといけないねぇ」

 鬼の言葉は、不思議と聞く者の心を支配するような力に満ちていた。
 これがかつて妖怪の山を牛耳っていた独特のカリスマなのか。
 完全に勇儀の独壇場である。
 誰もが黙り込み、この恐るべき旧都の実力者の判断を固唾を呑んで見守っていた。

「お前さんが何者なのか、何が目的なのかは知ったことじゃない。
 どんな理由があろうが、暴れる奴には暴れて迎えるのが礼儀でね。勝負しようじゃないか、人間!」

 満ちた盃を掲げ、そう宣言すると同時に周囲から割れんばかりの喝采が巻き起こった。
 喧嘩はここの華――まさにその言葉通りだった。
 先程までとはまた違った熱気に、チルノは身構えたまま、それでも不安そうに先代を見上げる。
 不動のままそこに佇む姿に、少しだけ安心出来た。

「勝負の方法は人間の側に任せる。それが鬼の流儀だ。何でもいいよ? さあ、かかってきな」
『……その盃は何のつもりかしら?』

 沈黙を貫く先代に代わって、花越しに幽香が尋ねた。
 自信に満ちた笑みが答えとなって返ってくる。

「なぁに、こいつは私自身への勝負さ。どんな勝負方法であれ、この盃の酒を一滴でも落とせば、その時点で私の負けだ」
『なるほどね』

 幽香は納得した様子だった。
 納得した上で声色に不機嫌を通り越して嘲りを滲ませ、嗤った。

『さっきの雑魚どもと同じだわ。どいつもこいつも、地底の妖怪ってのは私を不愉快にさせてくれるわね』
「……何?」
『こいつを舐めすぎよ、この大馬鹿ども』

 幽香は、勇儀だけではなく周囲の、あるいはこの地底に来て以来出会った妖怪達全てに対して言い放った。
 その言葉の意味を理解する者が現れるより早く、先代が動いた。
 誰も感知出来ない。
 爆音と共に、勇儀の顔面が吹き飛んだ。
 掲げていた盃は粉々に砕け散り、破片と酒を撒き散らして、勇儀自身はきりもみしながら後方へ飛んでいく。
 多くの妖怪を巻き込み、絡み合って街道を転がった。
 地面を抉り、妖怪達の悲鳴が盛大に舞い上がった土煙の中へ消える。
 見えた者は一人もおらず、何が起こったのか理解出来たのは攻撃した本人と幽香だけだった。
 先代の不可避の一撃が、かつての幽香のようにその驕りごと鬼を殴り飛ばしたのだ。
 静まり返り、次に周囲は恐れ戦いた。
 あの鬼の勇儀が、人間によって地に伏した。
 砕けた盃が転がり、酒が地面を濡らしている。
 敗北――そう、あの勇儀が言った通りなら、これは決着だった。
 鬼との勝負は、たった一撃で決まってしまったのだ。

「……はっ、ははは。あっはははははははははははは!!!」

 土煙の中から、勇儀の笑い声が響いた。
 怒りや悔しさを滲ませたものではない。
 本当に、快活とも言える清々しさを含んだ笑い声だった。

『気分がいいかしら? ちなみに私は最悪だったわ』
「なるほど、お前さんもコイツを食らった側だったのか。そりゃあ、私の対応が気に入らないわけだ」

 ゆっくりと、立ち上がった勇儀が再び元の位置へ歩み戻る。
 無防備なところへ直撃を受けた頬には打撃の跡が残り、皮はズル剥け、弾けて抉れた赤い肉が見える。口と鼻からはダラダラと大量の血を流していた。
 ダメージは確実に刻まれている。
 しかし、足取りは確かで、ふらついた様子もなかった。

「いや、気持ちのいい一発をありがとうよ。目が覚めた。寝ぼけていたのは私の方だったらしい」
『……オニというのは確かに強力な部類の妖怪のようね』
「効いた効いた、間違いない! 本当は頭もグラグラするんだが、不甲斐ない自分に腹が立ってそれどころじゃあないんだ」

 同じ一撃を受けて昏倒した身である幽香は苦々しげに呟くが、勇儀もまた内心は表面上ほど単純ではなかった。
 苦笑しながら、地面に散らばった盃の破片を踏み砕く。
 それは自分の慢心を戒める意味を持っていた。
 口元の血を拭い、鬼に痛恨の一撃を与えながらも油断など微塵も見せない先代を真っ直ぐに見据える。

「人間よ、恥を忍んで頼む。勝負を仕切り直させてくれ。
 この力の勇儀、全身全霊を以ってお前と戦いたい! 久しく忘れていた鬼退治、挑戦してみちゃあくれないか!?」

 前代未聞の申し出に、周りのざわめきは最高潮に達した。
 伝説の鬼に挑む人間――。
 その光景がはるか昔に置き去られて以来、一体どれほどの月日が経っただろうか。
 今、それが唐突に蘇ろうとしている。
 それも昔とは違う。何人もの人間が策略と武器を用いて行ってきた所業を、たった一人の巫女が素手で挑もうとしているのだ。

「その言葉、宣戦布告と判断する!」

 恐るべき鬼の誘いに対して、その人間は一切怯むことなく応えた。

「当方に迎撃の用意あり!」

 叩けば死ぬ。刺せば死ぬ。時が経てば死んでしまう。
 そんな脆弱であるはずの人間が、裂帛の気迫を込めて拳を握り、鬼相手に身構える。
 その様は、これまで先代を見てきた地底の妖怪達の曇っていた瞳を見開かせるのに十分な姿だった。
 完璧な戦闘態勢を整えた先代に対して、勇儀は堪えきれぬ喜びを露わにした。
 恐れ怯まれることには慣れていたが、こうまで勇ましく向かい合う輩は実に久しぶりだった。
 かつて、人間と戦い合うことで築いていた特有の絆。
 過去のそれよりも更に特別な、新しい何かを感じ取り、抑えきれぬ興奮が全身に力を漲らせる。

「ありがたいっ! 人間よ、勝ち負けに関係なく、勝負の後には名前を教えてくれ! その名をこの身に刻み、私は朽ち果てる最期の瞬間までお前を忘れないだろう!!」

 勇儀は失ったと思っていた何かを取り戻し、心が満たされるような歓喜に轟と吼えた。





 えー、なんかいろいろあったんですけど、結論だけ言うと東方の世界で最強扱いされている鬼とガチンコすることになりました。

 あれれー、おっかしーぞー?
 どうしてこうなった? どうしてこうなった!?
 重要なことなので二回叫んだ。っていうか嘆いた。
 幽香とチルノの意思をようやく察して、一念発起。
 もう舐められまいと、周りの妖怪に『北斗の文句は俺に言え!』って感じに啖呵切ったら鬼が出てきたでござるの巻。
 内心鼻水垂らして呆然としていたら、鬼の勇儀さんがおもむろに酒を注ぎ始めたので、これが噂のハンデかーとちょっと安心していたら、ふと気付いた。
 ……あ、隙だらけ。

 ――サ☆スーン☆クオリティーッ!!

 強敵相手には先手必勝の鉄則を忘れずに、全力全開の百式観音をぶち込んだ。
 これを食らって付け狙われる羽目になった幽香が見ているのも無視しての暴挙である。
 でも、実際に遠慮してる余裕なんてない相手だし。
 いろいろな妖怪を相手取って戦ってきたが、鬼っていうのは本当に半端じゃないというのが対峙するだけで理解出来た。
 普段の私なら、へりくだりはしないが、まず戦闘を避けることを念頭に対応するような相手だろう。
 しかし、今の私にはそれは出来なかった。
 チルノの想いと、幽香の言葉を無視することなんて私には到底出来ることではなかったのだ。
 なるほど、責任か……。
 自覚がないというか、正直今でもそういう実感とかはないんだが、私の言動が周りに影響を与えるという色んな人からの忠告を少しは理解出来たと思う。
 誰かに勝つっていうことは、とても重いことなんだな。
 私個人の勝敗にはもうこだわらないと以前言ったが、それは撤回しなければならないだろう。
 私へのリベンジに執着する幽香や、憧れと師事する心を持つチルノなど、多くの想いを寄せてくれる人達まで軽んじることになるんだ。
 それは確かに許されないことなのだ。
 少なくとも、私自身が許さない。
 そんな感じに、今の私はちょいとばかりマジの戦闘モードに切り替わった状態なのだ。
 すまん、紫。事が済んだら代わりに頭下げとくから勘弁してくれぃ。
 仏に会っては仏を斬り、鬼に会っては鬼を斬る!
 ……そんな覚悟だったんだが、マジで鬼を斬ることになるとは思わなんだ。
 それでまあ、先制攻撃は見事なくらい成功したんだが、ある程度予想してた通りに勇儀はそのままダウンなどしなかった。
 いや、むしろこれって状況悪化してね?
 盃落としたんだから、不意打ちに文句は言われても、そのままなし崩しに負けで終了かと思ったが、恥を忍んでまで再戦を要求されるとは思わなかった。
 なんつーか、私の一撃のせいで勇儀にこだわりみたいなものを持たせてしまったっぽい。
 いや、あの……勘違いされてたら申し訳ないんですが、あれは私の超全力です。
 鬼とガチンコとか無理だから、先制攻撃を全力でかましたのであって、挨拶代わりの一発とか余裕かましたワケじゃないんで。
 これは幽香にも言えることなんだけどね。
 しかし、幽香自身もそうであったように、そんな解説は何の意味もないんだろうな。
 ハンデも隙も油断も無くして、ただ漲るような力と戦意だけが残った最強の鬼と対峙する羽目になった私。
 泣きたいし、逃げたい。
 でも、そういうわけにもいかんのよねぇ……チルノも幽香も見てるんだから。
 仕方ないので、萎えそうな戦意を自ら奮い起こす。

「その言葉、宣戦布告と判断する! 当方に迎撃の用意あり!」

 くじけそうな時はこいつに限るぜ。
 記憶にある、ありったけの勇気の篭もった言葉をかき集めて、おそらく私の生涯で最大最強となる敵に立ち向かう力とする。
 震えるぞハートッ! 殺気ではなく勇気じゃ! えーと後は、オラわくわくしてきたぞ! ……いや、これは違うな。
 とにかく――。


 覚 悟 完 了。





 旧都の奥。中心にある灼熱地獄跡の真上に建てられた地霊殿の一室にて、古明地さとりはその『声』を聞いた。

「これは、旧都の端から……?」

 ここからは離れた場所だった。
 第三の目を集中させても、心の声を聞き取れるような距離ではない。
 しかし、その言葉ははっきりと聞こえた。
 大きな心の声だった。それは比例するだけの想いの強さを示している。
 それほどの強い意志でありながら、喜怒哀楽のどの激しい感情も含まれてはいない。
 ただ、身震いするような強固な意志に束ねられていた。

 ――覚悟完了。

 決死でありながら命を捨てるような投げやりなものではなく、揺るがぬ信念が宿った言霊だ。
 こんなに強い心の声を出す者が、果たしてこの地底に存在しただろうか?
 あの鬼でさえ、人間を見限って地上を去った諦念を心の何処かに残しているというのに。

「……来訪者、かしらね」

 何か非常に面倒なことが起こっているような気がする。
 さとりはため息を一つ吐き、足元で寝転がっていた黒猫と天井に留まった鴉に告げた。

「お燐、お空。少し出かけてくるわ」

 出不精で重くなった腰を上げ、地霊殿の主は部屋から歩み出た。
 行き先は一路、旧都で一番の騒動の下へ――。
個人的なイメージですが、旧都って忌み嫌われた妖怪の楽園だけあって、娼館とか阿片窟とか、そういう退廃的な店が並んでる感じがします。
霊夢や魔理沙の精神衛生面が心配されますね。
まあ、本作では年齢制限付けない為に大分明るい描写でいってますが。
次回はそんなギャングストリートで血みどろのファイトを繰り広げるような『東方でやる必要ないですよね』な戦闘がメインとなりますので、ご注意ください。


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