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過去のフラグを回収したり、新しくばら撒いたりする回。
其の四「不夜城」
「弾幕とは、幻想郷特有のものであると私は考えているわ」

 パチュリーの言葉に、魔理沙は首を傾げた。

「弾幕って外の世界には無いのか?」
「存在しないわね。
 考えてもみなさい。あれほどの物量の魔力弾を形成し、それらの動きを精密に統制して束ねることが個人の力量や容量で可能かどうか?」
「でも、私は普通に出来てるぜ」
「未熟だけどね」
「余計なお世話だぜ」

 拗ねたように口を尖らせながら、そのまま魔理沙は手元に置かれた紅茶を飲み干した。
 上質なハーブの香りと味が頭の回転を早めてくれる。
 気分を切り替え、魔理沙は再びペンを取った。

「よし、続けてくれ」
「熱心な生徒を持てて幸せだわ」

 皮肉半分に告げて、パチュリーは魔理沙の傍らに佇む咲夜へ目配せした。彼女が集中しているうちに、事を済ませろというのだ。
 心得たとばかりに、咲夜は包帯を巻く作業を静かに再開した。

「続けましょう。
 魔法を行使する為の魔力にせよ、東洋の術に用いられる霊力にせよ、個人の保有量には限界があるわ。
 個人差はあっても、これは弾幕という物量を生み出すにはあまりに足りない。では、何故弾幕という現象を発現されることが出来るのか?」
「ふーむ……内的要素オド以外に外的要素マナを使ってるからか?」
「あらあら、基礎的な知識はしっかり抑えているようね。大変結構」
「……出会ってからそうだけど、お前ずっと上から目線だな」
「その通りよ。魔法使いとしても、実年齢の上でもね。私はもう人間じゃない、『魔法使い』という名前の妖怪なのよ」
「じゃあ、私は何なんだよ?」
普通ニンゲンの魔法使いでしょ」

 むぅ、と魔理沙は再び口を尖らせる。
 これほど歳相応の少女とは思わなかった。仮にも魔法使いという人の道を外れた存在に手を掛けながら、この人間らしい素直さ、少女らしい純粋さは珍しくもある。
 パチュリーは悟られぬよう、小さく苦笑した。

「とりあえず、アナタの考えは核心を突いているわ。
 外の世界の常識から否定された非常識。つまり『幻想』を結界によって隔離し、残存させた場所がこの幻想郷よ。
 言い換えれば『温室』なのよ。花の咲かない環境から守られた場所なの。だから、冬には咲かない花も咲き続ける。
『人間は空を飛べない』というのが外の世界の常識だけれど、その常識に否定された非常識がこの世界に流れ込んだ結果、私達は空を飛べるようになった。
 弾幕とは、それらの要素が噛み合わさって可能になるこの世界特有の現象なのよ」
「回りくどい説明が過ぎるぜ。
 つまり、外の世界で否定された『何か』が幻想郷には豊富に残ってるから、個人の力量以上の大規模な魔法や術を弾幕として使えるってことだろ?」
「……大変よく出来ました。
 ごめんなさい。本ばかり読んで誰かに物を教えることなんてなかったから、つい余分になってしまったわ」
「ああ、ノリノリで語ってたぜ」
「パチュリー様は普段から図書館に篭もりきりで、あまり人と話したこともないのよ。だから、はしゃいでしまっているの」
「咲夜、余計なこと言わない。治療は終わったの?」
「はい。完了致しました」

 治療用の薬や包帯などの片づけまで、すっかり終えて傍らに静かに佇むメイドを魔理沙は居心地悪そうに見上げた。
 施された治療の跡がどうにもむず痒い。
 もちろん、それらは完璧な仕上がりだったが、精神的に受け入れづらかった。

「……なあ、なんで侵入者に対してこんなに親切なんだ?
 怪我の治療して、魔法や弾幕の技術を教えて、おまけにお茶とお菓子まで出すなんてどうかしてるぜ」
「敗者に拒否権は無いわ」
「だからっ、勝負に負けた私に親切にする理由なんてないだろって話!」

 魔理沙は堪えきれずに食って掛かった。
 あれだけ大見得切っておきながら、パチュリーに弾幕ごっこで敗北し、続く咲夜にまで完膚なきまでに負かされたのだ。
 不法侵入者にふさわしい処罰があるものと覚悟していただけに、現在の待遇は拍子抜けすると同時にどうにも納得のいかないモヤモヤした気分を残していた。

「霧雨魔理沙」
「魔理沙でいいぜ」
「では、魔理沙」

 咲夜が空のティーカップにポットを近づける。

「おかわりはいかが?」
「……いただくぜ」

 魔理沙は観念するように頭を垂れた。
 そんな少女の百面相を眺める魔法使いとメイドの顔は、愉快そのものといった具合に微笑んでいる。
 もちろん、それを相手に見破られるほど迂闊でもなかった。

「では、講義の締めよ。
 魔法という点に絞る限り、弾幕をより高度に操るには、自分自身にではなく周囲に意識を向けなさい。マナを効率的に運用し、行使する魔法に付加するの。
 アナタは人間なのだから、妖怪のように生来の能力や性質による、特殊かつ膨大な弾幕を生み出す力技は出来ない。咲夜のような異能者でもないしね。
 だけど、何も不利なことはないわ。このスペルカード・ルールにおける強さとは、幻想郷という世界に漂う様々な要素をいかに上手く運用するかにかかっているのだから」
「そうすれば、お前やそこのメイドにも勝てるんだな?」
「それはアナタ次第よ」

 答えを自分自身に委ねるパチュリーの瞳をじっと覗き込み、やがて自分なりの納得を得たのか、魔理沙は手帳にメモを書き込む作業へ没頭した。

「なんだかんだ言って、熱心に話を聞いたわね」

 パチュリーの独り言を目ざとく聞き取った魔理沙が顔を上げる。

「結果を掴む為に必要なことだからな。楽して勝つには、コツを掴むことが一番だぜ」
「あ、そう」

 悪ぶった笑顔が全然さまになっていない。
 パチュリーは魔理沙の言葉を、そのまま素直に受け止めるつもりはなかった。
 努力を否定するような言動だったが、それがこの霧雨魔理沙という少女に最も当てはまっていないということを見抜いていたのだ。
 パチュリー自身の七曜の魔法を織り交ぜた多属性の弾幕。
 咲夜の時間停止という特殊能力を組み込んだ機械的にして変則的な弾幕。
 弾幕とは、そのひととなりを表すものなのだろう。
 そして、魔理沙の弾幕は愚直なまでの一直線だった。
 敗北したとはいえ、未熟な魔法使いが本家の魔法使い相手に善戦し、傷と疲労が癒えぬまま戦闘者としても有能な咲夜と戦い抜いた。
 付け焼刃の魔法と並の人間の精神力などで出来る芸当ではない。
 確かに知識も経験も不足している。
 しかし、それが魔理沙の置かれていた環境での限界だったのだ。
 パチュリーは豊富な魔道書に囲まれた、自らの根城である地下図書館を見回し、これらが全て自分の努力で得たものではなく結果的に与えられたものなのだということを改めて理解した。
 単なる道具屋の娘でしかなかった普通の人間が、苦心の末に手に入れた魔道書というにはあまりにお粗末な本の内容を、理解し、反復し、身に刻み込んで昇華する。
 その果てに得たものが、霧雨魔理沙の魔法なのだ。
 故に、彼女の魔法はあそこまで未熟で、愚直で、それでもなお相手に届いた。

「ただ一筋の美しき道、駆け抜けるから人と言う……か」

 魔理沙は不思議そうな顔で、遠い目をしたパチュリーを見上げた。

「なんだそりゃ、何かの本の一節か?」
「いえ、これは私達の生き方を変えた人間の言葉よ」

 魔理沙を一瞥し、そこに別の人間の面影を重ね見て、懐かしむように笑う。

「……アナタを推した先代巫女の見解は、正しかったようね」





 圧倒的魔力に物を言わせた膨大な弾幕が夜空を埋め尽くす。
 しかし、その赤い光の奔流の中を紅白の巫女はすり抜けるように飛んでいた。

「クソッ、空気かコイツは……っ!?」

 夜の貴族にあるまじき悪態がレミリアの口から突いて出る。
 無理もないことだった。
 霊夢の動きは弾幕だけではない、空気の流れや魔力の流れ、周囲のあらゆる要素を読み取っているかのように無駄が無い。
 荒れ狂う弾幕という名の濁流の中へ、あえて身を預けるようにして流されていく。
 全ての弾は、彼女の傍を掠めるばかりで一度も直撃しない。宙を舞う木の葉を捉えることが出来ないように。
 カードに定められた弾幕を撃ち尽くし、無傷の霊夢を残したままレミリアの攻撃は終了した。 

「スペルカード・ブレイク、ね」

 淡々と告げる霊夢に対して、レミリアは呻くことしか出来ない。
 何一つ言い訳のしようもなく、彼女は人間に圧倒されていた。
 こんなルールの上でなければ。
 吸血鬼の能力を使って襲い掛かれば。
 そんな仮定を考えている時点で負けているのだと、自分自身を罵倒しながらレミリアはただ霊夢を睨みつけることしか出来ない。
 所持するスペルカードは、まだ奥の手が残っている。
 しかし、目の前の人間を倒せるというビジョンをどうしても思い浮かべることが出来なかった。

「……強い」

 そう呟き、認めるという行為は、強者としての自負を持つレミリアにとって酷く苦痛を伴うことであるはずだった。
 霊夢はそんなレミリアの様子を眺め、やがて小さなため息と共に応える。

「あんたが弱いのよ」

 嘲ることもなく、ただ淡々と。
 それ故に、レミリアの自尊心を抉り取る言葉だった。

「何だと……っ」
「あんた、わたしに勝てると思ってないでしょう」

 霊夢の指摘に、レミリアは湧き上がる怒りも忘れて目を見開いた。

「そもそも最初の言動からしておかしかったわ。『人間は素晴らしい』? その人間を食料にする吸血鬼が何言ってんの」
「……私は、父を倒した人間に敬意を払っているだけだ」
「つまり、父親が勝てなかった人間に自分が勝てるはずがないって考えてるわけでしょ?」

 それのどこが悪い、と聞き返そうとして、レミリアは無意識に口を噤んでいた。
 ――悪いのだ。

「あんたは吸血鬼でありながら、人間であるあたしに敵わないと無意識に思ってる」

 悪いに決まっている。

「あんた、全然血の匂いがしないわ。最後に血を吸ったのいつよ? もう人間の血を吸えなくなってるんじゃないの?
 この異変を起こせるほど強大な妖怪のくせに、そういった妖怪特有の傲慢さや覇気を感じない。あんたは、なんとなく・・・・・怖くない」

 人間に敵わないと諦めた妖怪なんて何処にいる。
 そんなものは妖怪とは呼ばない。
 別の何かだ。

「妖怪っていうのはね、人間を襲うものなのよ。襲われれば、食われる。そういう恐ろしい存在なの」

 霊夢の言葉は、同じ人間が口するものとは思えない暴論だった。

「人間なんて、妖怪から見ればちっぽけなもんでしょうが」
「お前は……自分が何を言っているのか、分かっているのか?」
「間違ったことは言ってないわ。間違ってるのはあんたの考え方よ」

 レミリアは目の前の人間に恐怖を覚えた。
 それは、自分の父が人間に――当時の博麗の巫女に――滅ぼされた瞬間に抱いたものとは、また別の恐怖だった。

「少なくとも人間は妖怪が恐ろしいものだと、決して敵わないものだと信じている。
 なのに、あんたは自分自身を信じていない。そういう自尊心やうぬぼれのない妖怪が、人間に恐怖を与える存在としての力を十分に振るえるわけがないでしょう?」

 奇妙なことに、この妖怪退治を生業とした巫女は妖怪にその力の在り方を説いているのだった。
 妖怪は人間が恐怖するに足る存在でなければならない。何故なら、そう考えた人間の幻想によって構成された存在だからだ。
 自らが恐怖されるに足らない存在だと考えた妖怪は、ただ弱っていくしかない。

「……だが、私の父は、その傲慢さ故に滅ぼされた」

 レミリアは霊夢の言葉を理解しながらも、記憶に刻まれた鮮烈な光景を思い出して、頷くことが出来ずにいた。
 絶対に歯向かうことなど出来ないと思っていた、強大な存在であった父の姿を思い出す。
 あらゆる暴虐を働き、他者から奪い、殺し、嬲った。その対象は自分とその妹にさえ及んだ。
 逆らうことなど出来なかった。
 力の差もあったが、親であるという絶対的な関係がレミリアから反逆の意思を奪っていた。

「確かに、父は強かった。恐ろしかった。強者としての栄華を極め……その果てに、お前の母に完膚なきまでに滅ぼされたんだ!」

 いずれ父をこの手で殺す――そんな言葉は虚勢以外の何ものでもなかった。
 例え今でも、そう思える。
『いずれ』『いつか』『きっと』 それらの日が来ることはないだろうと、他でもないレミリアが心の奥底で認めてしまっていた。
 そしてある日、唐突に父は死んだ。
 目の前の光景が信じられなかった。
 弱者を踏み潰し、這い蹲る姿を見て愉快そうに笑っていた父が、逆に地に這い蹲り無様にのた打ち回る姿だった。
 駆け寄り、成れの果てである灰を掴み上げて、その虚しいまでの軽さに愕然とした。

「人間が、妖怪に敵わないだと?」

 レミリアは、その目に焼き付けられたのだ。
 絶対者であった父を地に這い蹲らせ、苦しみ悶えて滅び行く様をただ静かに見据える人間の姿を。

「だったら、お前達は一体何だ?」

 驕り高ぶった恐るべき吸血鬼の哄笑を、血塗れになりながらも貫き通した拳によって、断末魔の悲鳴へと変えて見せた人間の可能性を。

「お前達のような存在がいる限り……自分が強いなどと、どの面下げて言えるものかァ!?」

 レミリアは知らず、涙を流していた。
 あの日以来、心の底に溜め込んでいた激情が溢れ出しそうだった。
 それは自らを滅ぼされる側の存在なのだと自覚してしまった妖怪としての悔しさなのか、虚しさなのか。
 彼女自身にも分からなかった。
 魂の慟哭を聞き届けた霊夢は、しかし普段通りの平坦な表情のまま告げる。

「甘ったれたこと言ってんじゃないわよ」

 霊夢の叱責するような視線を受け、レミリアは呆然と顔を上げた。

「人間は不死身にはなれないし、体を蝙蝠や犬の使い魔に変えることも出来ない。夜の闇は味方なんかじゃない。病や寿命さえ牙を剥く」

 いつの間にか霊夢はレミリアの眼前にまで来ていた。
 思わず後退りしそうになる胸倉を掴まれ、引き寄せられる。

「それで、あんたは今言った内の幾つ当て嵌まる?
 ねえ、甘ったれないでよ吸血鬼。そんな弱音聞いたら、か弱い人間様が憤死しちゃうわ。あんたがこれまで糧にした人間に言ってみなさいよ」
「……どうすれば、いいっていうの?」

 弱弱しく尋ねるレミリアに、霊夢は決まっているとばかりに笑って見せた。

「笑えばいい。高みから見下ろして、その与えられた力を振りかざして、傲慢に笑い続けなさい。灰になるその瞬間まで」

 襲い来るあらゆる理不尽に対して、生き抜く決意を刻み込んだ人間の凄惨な笑みだった。
 叱咤されているのか、激励されているのか、それとも最後の笑顔は改めて敵わない相手なのだととどめを刺されているのか。
 レミリアは、もう何がなんだか分からない気分だったが、ただ一つ心に決めたことがあった。
 いや、最初から決まっていたのだ。
 その為に、あの八雲紫との裏取引に応じ、異変を起こした。
 自分自身が望んで、今この場で博麗の巫女と対峙している。

「さあ、続きを始めましょう」

 霊夢が先んじて、それを促した。
 まだスペルカードは残っている。
 この異変はまだ終わらず、元凶である妖怪も退治されていないのだ。

「レミリア・スカーレット、あんたを退治してやるわ」
「……本当に、博麗の巫女というのは、ぶれないのか最初からズレているのか分からないわね」
「あんたが前提からして間違っていたから修正してやっただけよ。
 好き好んで悪さをしたのなら、好き好んで退治されなさいな。めでたしめでたし、それで終わりよ妖怪」
「詰まるところ、さっきの言葉は情けない私へのお節介というわけか?」
「その通りよ。人間に励まされるなんて、前代未聞に情けない奴よね」

 霊夢の挑発に対して、レミリアは笑った。
 最初に対面した時のように、ゲラゲラと、甲高く下品に驕り高ぶった笑い方をしてみせた。
 どうだろう? 少し虚勢も混じったが、様になっているだろうか。
 もう随分久しく……いや、きっとあの父の下で抑圧されていた頃からずっと出来なかった笑い方だ。
 空元気も元気という言葉もあるが、なるほど。存外気分は――。

「……悪くない」

 牙を剥き、レミリアは吸血鬼らしく愉悦に歪んだ笑みを浮かべていた。
 闘争の空気が戻ってくる。
 紅い月が身体に力を満たしていくのを感じる。
 夜の闇が禍々しい雰囲気を纏い、怪異の中心に相応しい空間をそこに構築していた。

「こんなに月も紅いから」

 レミリアのラストスペルが切られる。

「本気で殺すわよ」

 二人の緊張が高まり、この異変における最後の弾幕ごっこが開始されようとしていた。





 う〜、レミリアレミリア。

 今、紅魔館を求めて全力疾走している私は、博麗神社に以前勤めていたごく一般的な先代巫女。
 強いて違うところをあげるとすれば、昔レミリアの父親を心臓ぶち抜いて目の前で灰にしたってことかナー。
 名前は特になし。
 そんなわけで、異変解決に向かった娘がとばっちりで報復される前に土下座でも何でもしようと、紅魔館へやってきたのだ。
 ふと見ると門前に美しい門番が佇んでいた。
 ウホッ! いい紅美鈴……。

「あ、貴女は……!」
「久しぶりだな、美鈴」
「……名前を、覚えててくれたんですね」

 えっ……そりゃまあ、東方では知名度高いから忘れるわけないですし。
 何故か美鈴は私の言葉に驚き、そして少し嬉しそうに微笑んだ。頬もちょっと赤い。やだ、可愛いんですけど。
 ……いや、ちょっと待て。
 おかしい。なんだ、このむず痒い空間は? 
 レミリアとの確執を思い出した私は、正直思考がぶっ壊れるほど焦って診療所を飛び出したのだが、久しぶりに対峙した美鈴のこの対応は全くの予想外だった。
 具体的に言うと、もっと険悪な対面になると予想していた。
 当時、事情があったとはいえ紅魔館の当主を滅ぼした私が、この場所で歓迎される存在なはずがない。
 おまけにあの後、紅魔館はしばらくの間、おおやけにならないようにと紫自身の手で結界に封じられ、今日に至るまでここへ来ることも出来なかったのだ。
 数日間眠り続けてたら、目を覚ました時には当人同士で話し合いとかもう全部終わってたからね。
 私は事の顛末を紫から話で聞いたただけで、それから今まで紅魔館のメンバーとは顔も合わせていない。

「すまないが、通してもらえるか?」

 とりあえず、門前払いされるほど嫌われていないのはありがたい。
 私は端的に要求を切り出した。

「……博麗の巫女は、もう引退したと聞きましたけど」
「異変に関わることではない」
「それでは?」
「様子を見るだけだ。あとは、状況で決める」

 なんだか曖昧な説明しか出来ないが、実際に紅魔館がどんな状況なのか分からないうちは私も判断のしようがなかった。
 過去の確執抜きにして、レミリアと霊夢が異変解決の為に弾幕ごっこをしているだけなら、本当に様子見だけで終わらせるつもりだ。
 父親のことに関しては、異変が解決してから、後日改めてここへ伺いに来ればいい。
 ただ、私のことで霊夢達が揉めてしまうようなら、その場に出て行って土下座なりケジメ取るなりやらせてもらわなくっちゃいけないのだ。
 親の因果の報いを子に受けさせるなんて、あっちゃいけないことだからね。
 美鈴はしばらくの間、黙って考えに耽っていた。
 やがて、決断したかのように私を真っ直ぐに見据えた。

「……申し訳ありませんが、お通しすることは出来ません」

 うっ……やはり、というか当然とも言える判断だった。
 さて、どうしたものか?

「私は門番です。ここを通りたければ、私を倒して行って下さい」

 思案し始めた私に、美鈴はそんな意外なことを言ってきた。
 つまり、通りたかったら実力で通れってこと?
 それは、マズイ。
 昔とは状況が違う。今回はスペルカード・ルールを基盤とした異変なのだ。実力といっても、拳で押し通るわけにはいかない。
 それに、なんてったって……。

「すまない。私は、弾幕を使うことは出来ない」

 私は美鈴に告白した。
 ごめん、何を隠そう私ってば弾幕を出せないんです。あと、何故か空も飛べません。
 新しいルールの上で、私が御役御免となった理由はまさにこの通り、実にシンプルなものだったのだ。
 いや、本当に心苦しいのだが……あっ、美鈴がなんか苦々しげな表情で俯いてる。
 ひょっとして、失望されちゃったかな?
 アワワ、違うんじゃよー!
 ちょっと待って、確かに弾幕は無理だけど飛び道具がないってわけじゃないから!
 弾幕みたいに、力を大量に分散させて放つことが出来ないってだけ。ちゃんと手からなんか光る奴とか出せるから。ただ分散出来ない分、威力が半端じゃないから弾幕に使えないの!
 あとね、空飛べないって言うけど、代わりに水の上走ったり、空中蹴って方向変えたり加速したり、代用する方法はちゃんとあるんだからね!?
 内心焦って言い訳しまくる私を尻目に、美鈴は気持ちを切り替えるように一呼吸して、改めて顔を上げた。

「いえ、弾幕は必要ありません。どうか、その拳で押し通って下さい」

 そう告げると、美鈴は静かに構えを取った。
 弾幕ではない。拳法の構えだ。
 美鈴の纏う空気は、臨戦態勢に入ったそれだった。
 彼女は本気なのだ。

「……それでいいのか?」
「ルール違反であることは理解しています。処罰があるのなら、後で受けます」

 真剣な表情から本気を感じ取り、私は思わず黙り込んだ。
 うーむ、何故美鈴がそこまでやる気なのか私には分からない。
 別に門前払いしてくれてもいいのだ。今のルールに適応出来ない私が悪いのだから。

「ですから、どうか……今の私と一戦して下さい」

 しかし、理由は分からずとも、美鈴が私と戦いたがっていることは良く分かった。

「時間を掛けるつもりはない」
「はい……」

 実のところ、私も美鈴とは一度組み手をしてみたいと、初めて会った時から思っていた。
 だから、この状況は望むところだったりする。
 ただ悠長に楽しんでいる時間がないのが現状だ。門の先で何が起こっているのか分からない。
 よって、私は美鈴の気持ちを汲むことも含めて、全力で行くことにした。

「一撃だ」

 構えと共に、ハッキリと断言する。
 ……断言するほど自信家じゃないんだけど、つい気が昂ぶって本当に一撃で倒した人の名台詞が出てしまった。
 これで戦いが長引いたら超カッコ悪い。
 初撃を外したり、いなされたり、逆に先制取られたりしたら、もうホント目が当てられないんじゃないかな。
 なんだか自分で自分を追い込んでしまったような気がする。こ、こうなったらやるしかねえ。
 ま、一言で言うと……『本気にさせたな』 主に自分自身のせいで。
 美鈴と私。既に互いの間合いに入った状態で、構えを取ったまま拮抗した。
 先に手を出したら負ける、って緊迫感だが、事前に言ってしまった以上私から仕掛けるしかない。
 ここは、もうシンプルに行こう。小細工抜きだ。
 右ストレートでぶっ飛ばす。まっすぐ行ってぶっ飛ばす。
 右ストレートでぶっ飛ばす。まっすぐ行って――。

 ぶっ飛ばした。

「がはぁっ!?」

 最短距離を最速で踏み抜いて、最大の力で拳を打ち込んだ。
 ドガンッという人体が出せるはずの無い物凄い音が響き渡る。
 下腹に直撃を受けた美鈴が、空気と胃液を吐き出して後ろに吹き飛んだ。
 美鈴は私が攻撃に移る瞬間まで、わずかな間も気を抜かなかったが、それでも私の一撃は相手に反応する猶予を与えなかった。
 まあ、そういう攻撃だしね。
 単純な肉体鍛錬以外で、一番最初に始めた修行である一万回の正拳突き。それを飽きもせず今日まで続けた成果が、これである。
 私の、全力の一撃だ。

「ぅ……げぇ……っ」

 踏ん張りながらも大きく後退する形となった美鈴は、そのまま腹を押さえて震えながら蹲ってしまった。
 私は彼女の身を案じることをしなかった。
 むしろ逆だ。
 驚きで、それどころではなかったのだ。
 美鈴ってば……耐えちゃったよ。
 本当に正真正銘、全力で打ち込んだ一撃だったんだけど。
 もちろん、妖怪にダメージを与える霊力を込めた拳ではないし、持てる奥義を尽くした一撃ってわけでもない。
 しかし、全力で踏み込んで、全力で打ち込んだ。
 背骨を砕いて、拳が反対側から飛び出したんじゃないかってくらい凄い手応えだったんだが、美鈴は全身でそのダメージを抑え込んだのだ。

「は……っ、はは……やっぱり、貴女は強いっ」

 外傷はないものの、涎と汗をだらだら垂らしながら、美鈴は引き攣った笑みを浮かべている。

「本当に、一撃……でしたね」
「しかし、耐えた」
「やせ我慢、です。反撃どころか、防御すら出来なかった。もう動けません。やっぱり、私はまだまだ……」
「美鈴」

 青褪めた顔で自虐的なことを呟きかけるのを遮る。
 真剣勝負の後の慰めっていうのは嫌いだ。
 だから、私は思ったままのことを口にした。

「門番が門を守り切れたのなら、それを誇るべきだ」

 呆気に取られる美鈴に、背後を指す。
 私の一撃に耐え切れず、吹っ飛ばされた美鈴は、しかし門に激突する寸前で踏み止まっていた。
 今もなお、ふらつく足取りでありながら、門に寄りかかることなくかろうじて立っている。
 無意識なのかもしれないが、私はこの結果を賞賛されるべきものだと素直に感じていた。

「強くなったな、美鈴」
「あ……」

 肩に手を乗せて、感慨深く呟いた。
 本当にね、昔初めて会った時をつい昨日のように思い出せるよ。
 いろいろ調子に乗ってあしらったり、アドバイスしたりしたけど、その後成長した結果が今の美鈴なのだ。
 私自身、あの時から今までずっと絶えず修行を続けた自負がある。
 その成果の一つを、美鈴は受け止めて見せた。
 ホント、強くなったよね。
 あー、くそっ。今回ばっかりは弾幕ごっこのルールが惜しく思える。
 こんな当てたもん勝ちの身も蓋もない勝負ではなく、もう一度ちゃんとした形で美鈴と戦ってみたかった。
 好戦的なことを言うつもりはないが、拳を交えることが美鈴と一番深く触れ合える方法だと思うんだよね。
 まさか『殴り愛』という概念を理解する日が来るとは思わなかったな。

「ありがとう、ございます……っ」

 ダメージが抜け切らないのか、美鈴は震える声でそう言った。
 少し目に涙が溜まっているようにも見える。
 ……やべ、思ったよりも腹に残るような一発だったか?
 非常に後ろめたい気持ちになってしまったが、今は先を急がなければならない。
 後日お詫びをすることを誓いながら、私は改めて門を潜った。
 さて、意識を切り替えよう。
 ここへ足を踏み入れるのは二度目。
 一度目は死地に入るかの如く物騒な状況だったわけだが、今回もこの先で何が起こっているか分からない。
 私は気を引き締めて、激しい戦闘の音が響く紅魔館へと向かった。

挿絵(By みてみん)





 ――生まれてこのかた、明日の寝床と糧すら知れぬ、野良犬のような生き様だった。
 ――粗末な首輪で縛られ、残飯を与えられて生き長らえるようになっても、その本質は変わらない。
 ――誰にも、見向きもされない、ただの畜生だった。
 ――あの日までは。


 あまりに唐突な彼女との再会は、美鈴にとって大きな驚愕を与え、そしてすぐ後に告げられた言葉は震えるような喜びを抱かせた。
 初めて出会った時は敵として名乗り、そして歯牙にも掛けられなかった未熟な自分を、彼女は鮮明に覚えていてくれたのだ。
 かつて与えられた言葉を、美鈴は片時も忘れたことはない。今の自分が持つ力と自信は、あの時の言葉を元に培われたものだからだ。
 一方的にこだわり続けていた。そう思い込んでいた。
 いずれ再び彼女の前に立った時、改めて自分の名を名乗ろうと決意していた美鈴にとって、自分が既に一角の存在として心に残っていたことを知った時の感動は溢れんばかりのものだった。
 だからこそ、再会の喜びを一人噛み締める以上に、行動を起こすことを選んだのだ。
 あの日と同じように、敵として立ち塞がることを。

『一撃だ』

 眼前に立つ先代巫女が、宣告する。
 それはあまりに強烈な一言だった。
 驕りなど無く、誇張でもない。彼女がそう言い切るのならば、現実になってしまうだろう。言葉そのものに絶対的な力があった。
 二の撃は無い。本当に一撃で決まってしまう。
 拳を交える前から、美鈴は自らの敗北を察してしまっていた。
 自分自身への情けなさに、笑いさえ込み上げてくる。
 敗北を認められないほど意固地なつもりはない。
 だが、実際に戦いもせず、言葉だけで思い知ってしまうなど。これでは何の為に彼女に縋って、願いを聞き届けてもらったのか分からない。
 これが、彼女と戦う最後のチャンスなのだ。
 新しいルールが主流となった幻想郷において、自ら役割を下りた先代巫女。
 未だ圧倒的な強さを誇りながら、彼女が博麗の巫女として異変を解決することは、もう無い。
 妖怪が人を襲い、人がその妖怪を退治する。そんな人と妖怪の関係から、彼女は離れてしまうのだ。
 だからその前に、ただ一度だけでいい。
 戦いたかった。

(ただ再会を喜び、触れ合うなら、もっと穏やかなやり方がある。だけど……)

 初めて出会ったあの日から、今日が繋がっていることを証明する為に。

(私は、貴女の期待通りに強くなれたのか)

 歯を食い縛り、萎えかける戦意を奮い起こして、全身の筋肉を叱咤した。
 彼女に勝てないのは分かった。だけど、まだあの人の目に今の自分がどう映っているのかを確かめていない。
 二人の間で、空気が張り詰め、気迫が拮抗する。
 美鈴はただそうしているだけで、全身から汗と共に体力が消耗されていくのを感じた。今、こうしているだけで精一杯だった。
 そして、結局何も出来ぬまま、拮抗は崩れた。

「がはぁっ!?」

 いつ攻撃されてもおかしくない、と。
 そう覚悟を決めていた美鈴は、そんな前準備が何の意味もないことを思い知った。
 目を離したつもりも気を逸らしたつもりもない。
 だが、まさに『気が付いたら』としか表現の出来ないタイミングで、美鈴は体の中心に凄まじい衝撃が叩き込まれるのを感じた。
 全てが手遅れだった。
 反撃も防御も、何の反応も出来ずに後方へ吹き飛ばされた。
 何も知覚出来ず、何も理解出来ない。刻み込まれたダメージの深刻さだけは本能が理解していた。体中の機能が滅茶苦茶に混乱していた。
 しかし、ただ一つ。『このまま終わることは出来ない』と、自分の中の全てが叫んでいるのがハッキリと聞こえた。
 戦いの為に備えていた全ての力を両脚に回す。
 背中から突き破って出てきそうなほどの衝撃を、体の中へ押し込めて、歯を食い縛り足を踏ん張った。
 戦闘の上で意味や利点のある行為ではなかった。ただ無意識に、美鈴自身が己の意地を押し通した結果だった。
 そして、衝撃が全身を激痛と共に隈なく駆け巡り、消えた時、既に勝負は決していた。

「は……っ、はは……やっぱり、貴女は強い」

 笑うしかない。
 本当に一撃で決着がついてしまった。
 何一つ、相手に示すことなく。美鈴の望んだ戦いは終わった。
 失意に沈む中、巫女は告げる。

『門番が門を守り切れたのなら、それを誇るべきだ』

 そうして指し示す先には、確かに守り抜いた物があった。
 意識してやったわけではない。何も分からず、ただがむしゃらに意地を通した結果の偶然だった。

『強くなったな、美鈴』

 それでも、彼女がくれた言葉は、あの日から何よりも望み続けたものだった。
 気が付けば、堪えていたものが涙となって目から溢れていた。


 ――野良犬のような生き様だった。
 ――誰にも、見向きもされなかった。
 ――あの日、貴女に出会って、生まれて初めて認められた。


 時間にすれば、まさに一瞬だった勝負の後。
 紅魔館の方へと走り去っていく巫女の背中を美鈴は見送っていた。

「強くなった……か」

 彼女に言われた言葉を反芻する。
 疑問に思ってしまうことはある。結局、勝負は一方的。自分は手も足も出なかったのだから。
 ただ、他でもない彼女がそう言うのなら。

「……ま、とりあえず昔よりはマシになったって思おうかな」

 顔を上げ、美鈴は普段の陽気な笑顔を思い出したかのように浮かべた。
 体に刻み込まれたダメージと鈍痛は消えていないが、不思議と心は晴れやかになっていた。
 なんとも現金な心だな、と自分自身に苦笑する。

「本当、現金な娘ねぇ」
「うわぁ!?」

 不意に背後から声をかけられ、美鈴は痛みも忘れて飛び上がった。
 慌てて身構えれば、そこには先代巫女とはまた別の意味で当時のまま心に残り続ける存在がいた。

「八雲紫!」
「あら、名前を知っていてくれて光栄だわ」

 紫は、かつて出会った時と同じような胡散臭い笑みを浮かべていた。

「……何の用だ?」
「実は、そこを通していただきたくて」
「断る。消えろ」
「冷たいわぁ、先代巫女とは対応が違うのではなくて?」
「やはり、盗み見ていたか」

 美鈴は敵意を持って、紫を睨み付けた。
 幻想郷のルールを破ったことは棚に上げ、酷く不快な気持ちだった。大切なものを汚された気分だ。
 目の前の大妖怪が、自分など相手にならない程強大な存在だと理解していながら、それでも怒りを抑えられない。
 対する紫の態度は、一貫して飄々としたものだった。

「そう怖い顔をしないで下さいな。先程のは冗談よ。紅魔館に用はありませんわ」
「……それで?」
「特に何も。ただ、事の顛末を見届けに来ただけです」

 真意を隠す微笑。
 美鈴はその顔に強い嫌悪感を抱いたが、思わせぶりな相手の言動を追及するような真似はしなかった。
 黙って門の前に立ち、侵入を阻むように紫と対峙する。

「貴女は、中で何が起きているか知っていて?」
「私の仕事は門番だ」

 紫の翻弄に惑わされず、ただハッキリと自らの意思だけを告げる。

「門を守ることを任された。私は、その責務を果たす」

 誇りを持って、美鈴は言い切った。
 紫は、ただわずかに笑みを深くするだけでそれに応える。
 門前で直立不動となっている美鈴と、スキマから上半身を乗り出してニヤニヤとそれを見守る紫。奇妙な光景だった。
 嫌がらせ以外の何物でもない紫の行為に対して、美鈴は鉄の意志を持って無視を決め込む。

「いやぁ、本当に強くなったわね」
「当たり前だけど、アンタに言われても全然嬉しくない」

 しかし、さすがにその言葉には死ぬほど嫌そうな顔で反論した。
 それを聞いて、紫は愉快そうに笑った。


 ――認められたのも、褒められたのも、あの日が生まれて初めてのことだった。
 ――だからきっと、紅美鈴という妖怪はあの日本当に生まれたのだ。
 ――そして、あの日から小さな願いも一つ、心の奥に生まれた。
 ――それが叶うことはないだろう。叶えようと思う日は遠いだろう。
 ――少なくとも、貴女が人間である限り、生きている間にそれが許されることはないはずだ。
 ――ただ、もし。長い年月の果てに誰も彼もが貴女を忘れ、妖怪である自分だけがこの記憶を残す日が来たのなら。
 ――一度だけでいい。許して欲しい。

 ――貴女を、母と呼ぶことを。





 先代巫女が紅魔館に辿り着いた時間より、少し遡る。

 最初に、異変に気が付いたのはパチュリーだった。
 読んでいた本から、不意に顔を上げると険しい表情で虚空を睨み付けた。
 普通の人間が持たない、魔法使いだけの独特の感性が図書館の外で起こった変化を感じ取ったのだ。
 初めて見る高度な魔道書に悪戦苦闘していた魔理沙が、次に顔を上げた。

「……なんだ?」

 説明しようのない異様な感覚が、魔理沙を襲っていた。
 寒気や怖気に近い。酷く気持ち悪い何かが、遠く離れた場所で蠢いているのを朧気に感じる。

「……本当に危険な悪魔や邪神といったものの気配は、本や呪文を通してそれらと関わりやすい魔法使いが最も敏感に感じ取れるものよ」
「何の話だ?」
「それに近いものが、この紅魔館の地下に存在する。
 どうやら、外で行われている戦いに刺激されたようね。封印が破られたわ」
「だから、何の話だよ?」

 食って掛かる魔理沙を無視して、パチュリーは読みかけの本にしおりを挟むと、席を立った。
 眼鏡を外し、平積みしていた本の中から強力な魔道書だと一目で分かる物を抜き出す。
 それらの作業はゆったりとしてものだったが、淡々と淀みなく、手早く進められた。

「パチュリー様、『妹様』が……」
「分かっているわ、咲夜」

 ティーセットを片付けに図書館を出て行ったはずの咲夜が唐突に姿を現し、パチュリーに伴われて、再び出て行こうとする。
 完全に取り残される形になった魔理沙は、慌ててそれについて行った。

「どこへ行くんだよ?」
「外よ」
「何の為に?」
「命が惜しければ、ここに残っていなさい」
「会話しようぜ!?」

 飛行によって素早く移動し始めた二人に食って掛かりながら、魔理沙は追従した。
 パチュリーは魔理沙のその判断に対して特に何かを言うこともなく、一瞥だけくれると、先へ進むことに集中した。
 地下の薄暗い通路を抜ける途中で、爆発による振動が遠くから響くのを聞き取る。

「封印が破られたって言ったな? この音は、誰だか知らんが『そいつ』が暴れてるんじゃないのか?」
「……暴れているだけならまだマシね。これは地上へ出ようとしているわ」

 答えるパチュリーの様子は変わらず淡々としたものだったが、声色は何処か焦りを含んでいるように魔理沙には感じられた。
 命が惜しければ、という彼女の言葉も大げさなものではないのかもしれない。
 しかし、今更引き返して図書館に篭もっているなどという選択肢はなかった。
 最も機敏に動ける咲夜を先頭にして、三人は階段を上がり、館の正面口から外へと躍り出た。
 月の光と弾幕の瞬きが出迎える。
 夜空には無数の弾幕と、その中で飛び回る霊夢とレミリアの姿があった。
 傍から見ても、自分では手の出せないレベルの激戦だと実感した魔理沙が半ば呆然と呟く。

「こっちは宴もたけなわってとこか」
「のんきに見ている猶予はないわよ。レミィ達に、妹様のことを知らせなくちゃいけないわ」
「咲夜、答えてくれ。お前らの言う『妹様』って誰のことだ?」

 パチュリー相手では埒が明かないと判断した魔理沙は、咲夜に矛先を向けた。

「……その呼び名の通り、お嬢様の妹であるフランドール様のことよ」
「じゃあ、吸血鬼か」
「アレが真っ当な吸血鬼と呼べるのならね」

 言葉を選ぶ咲夜に反して、パチュリーが端的に冷たく呟いた。
 その様子から新たな疑問を抱いた魔理沙が更に質問を重ねようとした時、爆音が起こった。
 今度は遠くではない。
 紅魔館の一角が吹き飛び、崩落して煙を巻き上げる。
 それを起こした者の正体を見極めようと目を凝らす魔理沙の真剣な横顔を一瞥し、パチュリーは諦めたかのように唐突に説明を始めた。

「これから現れる吸血鬼、フランドールとは確実にスペルカード・ルールを抜きにした戦闘になるわ。
 おそらくアナタに矛先が向くことはないだろうから、自分から目立ったり関わるような真似は控えておきなさい」
「忠告ありがとうよ。だが、状況次第だぜ」
「危険なのは力だけじゃない。彼女は正気ではないのよ」
「身内に随分な言い方だな」

 妖怪相手に良識を持つことを前提とするのも随分な考えね、と内心呆れながらパチュリーは小さくため息を吐いた。

「あの娘は、生まれてからずっと。実の父親から虐待しか受けていないわ」

 凍りつく魔理沙に、パチュリーは淡々と告げた。

「そんな育てられ方をした子供が、正気まともでいられるわけがないでしょう?」

 爆発の後の静寂を切り裂くように、煙の中から一筋の赤い閃光が飛び出した。
 破壊の力を持つそれは、弾幕ごっこを中止して、空中で対峙していた霊夢とレミリアの中間を薙いで過ぎる。

「何よ?」
「まさか……!」

 決戦の乱入者に気付いた二人は、それぞれ別の反応をした。
 ここが敵地であることを十分に理解している霊夢は、新たな敵の登場に対して動揺など欠片も見せずに備える。
 レミリアは現れた気配が酷く見覚えのあるものだと気付いて、表情を強張らせた。
 五つの視線が状況を見定める中、煙の中から小さな人影が夜空へと浮かび上がってくる。

「ウフフ……アハハ……」

 最初に聞こえたのは、幼い少女の無邪気な笑い声だった。
 鈴の音が鳴るような小さな笑い声は、しかし徐々に大きくなり、リズムは狂い、最後には鐘をかき鳴らすような不協和音となって夜の闇に不気味に響き渡る。
 少女の声だった。だが、決して正気を感じられない声だった。

「フラン……」
「ずるいよぉ、お姉さま。どうして一人でやっちゃうの?」

 煙の中から少女が姿を現す。
 レミリアと瓜二つの顔。しかし、それ以外は酷く歪に違っている。
 姉と呼びながら髪の色素は同じではなく、背中に生えた羽は似るどころか枯れ枝のように非生物的な形だ。
 吸血鬼という種族として括ることすら難しい、二人の違い。

「フラン、部屋に戻りなさい」
「わたし、知ってるよ。だって、お姉様と変な妖怪が話し合ってるのこっそり聞いちゃったもん。そいつが博麗の巫女なんでしょ?」

 向けられる狂気の笑みと、それに伴う敵意と殺気に対して霊夢は静かに身構えた。

「そいつの母親が、お父様を殺しちゃったんだよね?」

 如何なる状況にも対応出来るよう、霊夢は防御用の結界を密かに準備した。
 弾幕を抜きにした本当の実戦になるものと想定しての備えだ。
 新たに現れたこの吸血鬼が、スペルカード・ルールを解し、従うだけの理性を持っているとは全く思えなかった。

「お父様がわたし遊んでくれなくなったのも、そいつらのせいなんだ。
 許せないよ。わたし、ずっと地下で待ってたのに。お父様が待っていろって言うから待ってたのに。一生そこにいろって言うから待ってたのに!」
「霊夢、下がって!」

 おそらく本人にしか分からない激情が膨れ上がり、フランドールはそれを叩きつける場所を探してギョロギョロと忙しなく目玉を動かしている。
 レミリアは思わず、霊夢の身を案じて叫んでいた。

「お姉様ぁ」
「フラ……ッ」
「そいつ壊すの、わたしにやらせて?」

 限界だ。来る。
 ただ冷静に状況と周囲の流れを読み取っていた霊夢は、自分を標的とした殺意が爆発する瞬間を正確に察知した。
 隠し持っていた札を素早く周囲に撒き、それらを支点にして二重の結界を張り巡らせる。
 霊夢の読みは正確無比だった。
 防御用の結界が完成した瞬間、フランドールの右腕がようやく霊夢の方へ向けられたところだった。
 広げた手のひらがゆっくりと握り締められる。

「きゅっとしてぇ」

 レミリアが悲鳴のように何かを叫び、結界の内側にいるはずの霊夢は根拠もなく己の死を予感した。

「ドカーン」

 フランドールの右手が握られると同時に、結界の内側で霊夢の肉体が爆ぜた。
 血と肉が飛び散り、障壁を中から汚す。
 それを行ったフランドール以外の視線が凍りついたように見つめる中、霊夢は墜ちた。

先代「霊夢の霊圧が……消えた……?」

調子に乗って紅魔館に重い過去を背負わせてしまったせいで、軽い気持ちで勘違い展開を挟みにくくなってしまいました。
重ねて記しますが、当作品は独自解釈による設定の補完を行っております。ご注意下さい。
次回で紅魔郷編は終了します。
以降はもう少しお気楽な幻想郷を描けるよう作風を修正していこうと思います。


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