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ザ・モーニング・スター
ザ・モーニング・スター編第三話:未熟は未熟なりに
 ●

 カリアンか、と呟く声がある。
 レイフォンだ。
 彼は練武館の高い壁に背を預け、カリアンの声を経由させる念威端子を眺め、口を開いた。

「何の用だ。話は済んだと思うが?」

 冷たい声が飛ぶ。
 念威端子の向こう側から息を飲む気配がした。
 そして少しの間をおいて、声が返される。独特の音響を響かせた声は音で空気を震わせず、剄の振動で音を作る。

『あ、いや、そのだね? 何をするにしても怪我のない様にしてほしくてね。彼らもツェルニの大事な戦力だ』
「貴様との契約だろう。武芸大会で重要な戦力は俺ただ一人。こんな有象無象相手に全力など出さん。手加減はしよう。だが……」

 彼は視線をニーナに向けて、は、と笑った。
 結局のところ、

「――こいつら次第だ」
「――ふざけるなあっ!!」

 練武館を怒声が貫いた。
 空気を振動させるのは音だけではない。ニーナの怒気に呼応して剄が全身をから(ほとばし)り、無作為に放出された微量の剄が衝撃となって空気を叩く。
 押し出された空気がレイフォンの髪を撫ぜた。彼は風で垂れた髪を手櫛でかき上げ、

『ニーナ・アントーク君!』

 ――いきなり声が割り込んだ。声には焦りの色が(にじ)んでいたが、平静を失うことなく言う。

『今は私がレイフォン君と話している。口を挟まないで――』
「――ふざけるなと言っているんです! 生徒会長!!」

 ニーナが感情のままに叫ぶ。

「この男一人だけで武芸大会に勝てるかの様な発言を見逃せと言うんですか! ツェルニの全武芸者への許されざる侮辱だ!! それを貴方が、ツェルニの代表である貴方が見逃すなど、あって良いはずがない……!」
『…………ッ』

 決して答えられない、答えてはならない問いかけにカリアンは沈黙した。だから、というように言葉を重ねるべくニーナが口を開くと、

「そこらで止めておけ」

 温度を欠片も感じさせない声に制止させられた。

 ●

 動きを止めたニーナが頭の中で何度も反芻(はんすう)するのは、
 ……止めておけ? 止めておけだと……?
 ツェルニの武芸者を見下す発言を繰り返すお前が言うのか、とニーナは思う。平然と他者を侮蔑する(やから)が一体どういう思惑でカリアンを擁護するのだろうか。
 怒りを心に灯し、全身に充満させた剄をそのままに、壁に背を預けた制服姿の男を見る。
 傲慢で、挑発的で、しかし、ブレのない男だ。視線も強く、揺るぎない。自信に満ち溢れていた振る舞いは一切の(よど)みがなく”歴戦”という言葉を想起させた。
 ニーナはかけられた声に問いを投げ返す。

「なぜ、お前が止める?」

 問いかけると、レイフォンは呆れたようにこう言った。

「貴様らに叱責する権利など無いからだ」
「……どういう意味だ?」
「権利とは、義務と責任を果たした者だけが得られるものだ。貴様ら”ツェルニの武芸者”とやらは武芸者が果たすべき責務を完了しているのか?」
「…………!」

 ニーナは屈辱を顔に張り付けて黙り込む。
 ツェルニの武芸者は、都市の守護者としての十全な役目すら果たせない未熟者だからだ。
 武芸者として、ツェルニの守護者としての役目を全うしていたのならば、残る保有鉱山がひとつになっているはずがない。もちろん、当時の武芸大会で大敗を喫した者たちは既に卒業している。失態の大部分を担う武芸者は、今の学生ではない。
 それでも、とニーナは歯を噛み締める。学年は関係ない。自分が、自分たちが戦力として不甲斐無いから負けたのだ、と。
 それを一番理解しているのはツェルニの武芸者だ。
 それを一番悔しく感じるのもツェルニの武芸者だ。

「それでも、わたしは――」
「それでも? 次こそは、という意志か?」
「そうだ。次こそは必ず勝利する。そのために我々は不断の努力をしている……!」

 は、とレイフォンが失笑する。
 明らかに友好的な笑いではなかったが、彼はニーナが口を開く前に、いいか、と前置きを作り、

「本来ならば、未熟は恥じるものではないだろう。だが、理解しろ。我々武芸者にとって”次こそは”などという奮起は何の意味も持たん」

 なぜならば、

「武芸者の敗北とは”都市の死”そのものだからだ。次など存在しない」
「まだツェルニは生きているだろう!」
「まだ死んでいないだけだ」

 レイフォン・アルセイフという男は、ツェルニの武芸者を否定している。その努力を無意味だと切り捨てている。ツェルニを守ると誓う一人の武芸者として、決して見過ごしていいはずがない。
 この男を認める訳にはいかないのだ。

「お前は……、お前はあくまで我々を侮辱するのだな」
「貴様らに侮辱されるほどの価値はない。弱い武芸者に存在価値など無いと知れ」

 ならば、とニーナが(りき)み、声を張り上げようとした、次の瞬間だ。
 男の声が割り込んでいた。

「――ならちょっと教えろよ、新入生」
「シャーニッド?」

 日頃からやる気を感じさせない男がニーナの肩に腕を置き、レイフォンに対して挑発的な視線を放っていた。
 なぜ、と。どうして、と。問いかけがいくつも脳裏を過ぎ去っていき、言葉にすることが出来ない。しかし、明確な答えが出せないニーナを置き去りにする様に、話は進んでいく。

「なあ、お前はたったひとりで武芸大会に勝てるんだろ?」
「当然だ」
「だったら、俺とニーナ。いくら小隊員だからって、たったの二人を倒すのに時間は掛からねーよな?」
「安い挑発だな」

 しかし、とレイフォンは不敵に笑う。

(たわむ)れだ。貴様らに教えてやろう。本当の強さというモノを、な」
「よし決まりだ。どうやろうかねえ」

 ここで、ようやくニーナは再起動した。
 シャーニッドに詰め寄り、問いただす。

「あ、おい、ちょっと待て! 何を勝手に決めているんだ!?」
「――まあ聞けよ、ニーナ」

 と、シャーニッドが肩を組んできた。
 レイフォンの視線から隠れる様にして顔を寄せた彼の眼はいつになく真剣な物に見える。普段からこれくらいやる気を出しくれれば、と思わず半目で見てしまい、

「……なんだよ?」
「いや、なんでもない」

 そうかあ? と呟いたシャーニッドは、ややあってから、まあいいか、と吐息を吐き出して続けた。

「あいつがどれだけ強いかなんて俺は知らねえ。けどよ、あの会長が認めてるんだぜ? 生半可な奴じゃないだろうさ。実際、間近で見ても強そうだし、二人で戦っても負けるかもな」
「それは……」

 確かに、と続きは声に出さずに思う。
 始めは静謐(せいひつ)な雰囲気だったので気付かなかったが、制止してきた時から異様な空気を(にじ)ませている。そこに居るだけで押し潰してきそうな圧迫感は、小隊員の誰からも感じたことのないものだ。
 もしも本当にレイフォンが熟達した武芸者であるなら、学生の自分では太刀打ち出来ないだろう。記憶に残る大祖父の威容からも敗北は予想がつく。だが、

「ニーナは防御型だし、俺は隠れるし? そう簡単には終わらせねーよ。そうなりゃあ言ってやれる。言い返せる。チームを馬鹿にするな、ツェルニを無礼(なめ)るな、お前ひとりで何が出来るってな」
「……なるほど」

 実力差があるのならば、相応の方法で時間を稼ぐということだ。
 レイフォンには”武芸大会に一人で勝利する”ほどの実力を示すため、速攻で終わらせると条件が付けられている。ニーナとシャーニッドのどちらを相手にしても苦戦すら許されない。それを最も効果的に実行する、最も相応しい戦法は、

「――防戦か」
「そういうこと。やってみるかい?」
「当然だ」

 見れば、シャーニッドの口元には笑みが浮かんでいる。きっと、自分もそういう顔をしているだろう。

「んじゃ、行きますか隊長(ニーナ)?」
「ああ、やるぞ――!」

 ●

 最初に動きを見せたのは、レイフォンだ。
 彼は、一瞬の間に姿を掻き消していた。
 姿が消える直前まで、彼は自然体だったのである。直立の姿勢から開始される運動で、人間の視界から姿を消した。脚力を大幅に強化して高速移動する旋剄でも捕捉出来るはずのフェリが見失う速度。そんなものは予測すらしていなかった。
 どこに、という疑念を抱くよりも前にフェリは念威で走査していた。刹那という僅かな時間で教室内を完全に掌握。念威が教室の全ての物質の動きを伝えてくる。情報の波が感じ取ったレイフォンの居場所は、

「な――!?」
「やる気がないのか?」

 ニーナの眼前。
 レイフォンは十メートル近くあった距離をゼロコンマ一秒程度の時間で潰したのだ。
 武芸者の超人的身体能力は内力系活剄によって(もたら)される。しかし、それでも限度がある。念威繰者であるフェリには武芸者の力量を読み取ることは出来ないが、あれが旋剄による移動でならば紛れもなく異常だということは理解出来た。

「くっ……!」

 身を引く様に地面を蹴りつけ、ニーナは後退。双鉄鞭は彼女の身体を護れる様に構えられている。焦りの行動だが、その時には既にレイフォンは動いていた。

「――フン」

 鞘を振り上げる単純な打撃がニーナの鉄鞭に向けられる。真下から直上へと叩きつける様な一撃は鉄鞭と激突し、一際甲高く響く硬質な音を生んだ。
 金属音に混じって、なんて活剄だ、という声が念威を通してフェリに伝わり、続く音は打撃音で塗りつぶされた。
 レイフォンが追撃を仕掛けたのだ。
 跳躍しつつ放たれる光。股関節を基点として、頭からつま先まで描かれる白光の円は蹴撃の二連。
 外力系衝剄の化錬変化、『日輪脚』だ。
 身体の側面で輝く光の円弧は、錬金鋼(ダイト)さえあれば老生体すらも砕く程の破壊力を持つ。錬金鋼がなく、浸透剄としての破壊をしなくてもニーナを悶絶させるには十分な威力だった。

「――ッ!」

 ニーナは激痛で身体を(すく)ませ、言葉にならない声を上げた。
 直後。
 白い流星が落とされる。
 外力系衝剄の化錬変化、『流星脚』。
 白い光を迸らせて空中から急降下する急襲型の蹴撃だ。流星と化したレイフォンはニーナを捕捉。その勢いのまま地面へと墜ちていく。
 激突。
 空気が爆発する様な音を響かせ、破壊力が衝撃となって地面を(えぐ)る。抉られたコンクリートの砂礫(されき)は巻き上げられ、土煙と化した。
 土煙は二人を覆い隠して視認させないが、フェリは状況を正確に把握していた。
 ニーナが気絶し、敗北したのだ。
 シャーニッドもニーナの敗北をほぼ確信していた。とはいえ、殺剄をして木々へと走っていたが数秒でニーナが落とされるとは思っていなかったらしく、立ち止まって顔に驚愕を張り付けている。
 すると、彼は不意にその場で座り込む。

「――やってやるさ」

 そして軽金錬金鋼(リチウムダイト)の狙撃銃を復元。スコープを覗き込んだ。距離にしておよそ四十メートル。最後の一瞬、土煙からレイフォンが飛び出す一瞬に全てを賭けたのだ。
 自分よりも強い相手に対して、たった一度の機会(チャンス)に全てを賭けて挑む気概は褒めて然るべきものだろう。
 だが、フェリは思う。
 ……やはり手も足も出ませんでしたか……。
 土煙の向こう側。レイフォンがやっていることを観ているから分かってしまった。それは、

「な、なんだ……こりゃあ?」

 シャーニッドの周囲に浮かぶ十の剣。
 蒼く淡い輝きを秘めた剣が切っ先を首に突き付ける形で展開していた。剄で作られたそれは、

「『烈風幻影剣』。所詮は幻影に過ぎないが、それでも汚染獣に対して有効な攻撃手段のひとつだ。貴様ら未熟者を切り裂く程度なら容易い」

 土煙が薄れていき、姿を現したのは、レイフォンとその足元で意識を失ったニーナだ。
 レイフォンはニーナを踏みしめて意識の有無、そしてシャーニッドが動けないのを確認すると、おもむろにフェリを見た。

「――――」

 息を飲む。
 まずい、と思った時には既に首の横に刃があったからだ。
 刃の持ち手を見上げると、人間らしい温かみをまるで感じさせない視線が、フェリを貫いている。
 その瞬間。まるで痙攣でもするかの様に身体が震えたのが分かった。自分でも未知の震えに疑念を抱く前に、

「十七小隊の一人だったな。貴様はどうする?」

 どうするも何も、フェリは元から念威繰者であることすら望んでいない。戦う意志など皆無だ。
 だから、と首を横に振る。明確な否定の意思だ。すると、ややあってから、

「そうか」

 と彼が言い、刀が退けられた。
 フェリが何かを訴える様にして口を開き、しかし、吐く息は言葉にならず、あ、という短い音がこぼれるだけだった。
 そこで、ようやく自覚する。
 背中に滝の様な冷たい汗が流れていた。
 フェリ・ロスという念威繰者に向けられた期待以外の視線。レイフォンという怪物が呼び起こした感情は、畏怖だ。
 殺すつもりは無かったのだろう。害する意志さえも無かったかもしれない。それでも、まるで虫けらでも見ているかの様な冷たい瞳は、感情の薄い念威繰者にも恐怖を抱かせたのだ。

「――これでいいだろう、カリアン。まだ戦いたいと言うなら知らんがな」

 恐怖に身を震わせ、身体を抱きしめるフェリに対して、レイフォンは何の感慨を抱かないらしい。
 彼は淡々と念威端子に言葉を向けていた。

『ありがとう。大事なくて良かったよ。けど、念威繰者を怯えさせるのは感心しないね……?』
「……え?」

 応対するカリアンの言葉の端に怒気の様なものが感じられた。その事実にフェリは戸惑いの思考を作る。
 ……あの兄が、私のことで……?
 有り得ない、と思う気持ちがあった。
 昔のようだ、と願う気持ちがあった。
 是と非。相反するふたつの感情が渦巻き、結論を出させない。

「確かに。汚染獣に対して備えの無い都市に居るというだけで十分だったな」
『…………』

 気付くと震えは止まっている。幻影剣も消し、出口へと足を向けるレイフォンの姿を、自分でも驚くほど冷静に眺めていた。
 背筋が凍る様な感覚は戻ってこない。遠のく足音と共に彼の声が自然に耳を打つ。

「明日までに安全装置無しの錬金鋼所持の許可を出しておけ。どうせ許可は刃引きした錬金鋼の物なんだろう?」
『…………やれやれ。面倒を作るね君は。明日の放課後までには用意しておこう』
「そういうことだ、ハーレイ。調整も含めて明日頼む」
「……え、ああ。うん。分かったけど、ニーナは……?」

 単なる技術者であるハーレイですら一目で強烈と分かる蹴りを、ニーナは喰らっていた。しかも、最後はコンクリートに叩きつけられている。
 ハーレイは完全に気を失った幼馴染の様子に、大丈夫なのか、という不安を言葉に出来ず、喉仏を上下させた。

「気絶しているだけだ。二~三時間もすれば目を覚ますだろう」

 素っ気ない口調だったが、ニーナを叩きのめした張本人からの保障でハーレイは安堵し、息を吐く。

「そ、そっか。良かったあ……」
「――なあ」

 と、座り込んだままシャーニッドが呟く様に言った。

「どうやってそんなに強くなったんだ?」

 問いかけは、レイフォンに対するものだ。
 しかし、レイフォンは振り返らない。歩みを止めず、ロッカールームに通じる廊下への扉に手を掛け、

「場数と経験の量が自信と技術を作る。俺はそうやってきた。そして、――これからもだ」

 言って、扉の向こうに去っていった。
 扉が閉まる音が余韻の様に教室に木霊した。やがて、シャーニッドは天井を仰ぎ、呟いた。

「……場数と経験の量、か」

 ●

「――――」

 意識が覚醒する。
 その感覚を、水中から浮上していくのに似ている、とニーナは思った。
 目を開き、光を取り入れれば現実が見えてくる。簡素な白い壁、鼻腔が感じ取る消毒薬に匂い。視線を向ければ薬品棚もあった。
 保健室だ。
 さらに辺りを見渡すと、横たわる自分の左右に人影が見えた。

「目が覚めたんだね。もう大丈夫なの? あ、はいこれ。お水~」
「お? 起きたか、ニーナ」
「……ハーレイ、シャーニッド先輩……」
「ははは、寝ぼけてんのか? 先輩はよせって言っただろ」

 身体を起こし、そうだったな、と苦笑。自問する様に問いを口に出した。

「今は、いつだ?」
「夜の十時。ニーナが気絶してから四時間くらいかな」

 気絶という単語で思い出すのは、白の軌跡。美しい弧を描く光は、美しい見た目とは裏腹に凶悪なまでの威力を秘めていた。そして――、

「――っつう!」

 腹部で激痛が(うごめ)き、反射的に腹を抱え込んだ。
 苦痛に身動きの取れないニーナを、ゆっくりと優しげに寝かしつけるのはハーレイだ。

「動いちゃダメだって。後遺症は残らないって言ってたけど、まだ内臓にダメージが残っているんだから」

 そんなことはいい、と叫びたい。しかし、神経を殴りつける感覚がそれを許さない。万全には程遠い現状だ。
 ならば、と手を伸ばす。伸ばされた手は襟を掴み、引き寄せる。

「う、うわ!?」

 保健室は清潔な状態に保たれるべきであり、珍しくハーレイまでも制服を着ていたことが災いした。
 急な動作に反応出来ず、ニーナの上に倒れ込んだのだ。結果として、ニーナの顔の両脇にハーレイの手が置かれており、二人は互いの吐息を肌で感じられる距離になる。
 茶化した口笛が聞こえたが、ニーナは気にせず問いかけた。それは詰問、という勢いのそれで、

「――わたしが気絶してからどうなった!?」
「あ、いや、ちょっと待って……!」
「いいから答えてくれ。知りたいんだ」
「そうじゃなくて、ニーナ。まずいんだって!」
「何がまずいんだ。はぐらかさないで教えてくれ!」
「だはははははははははは!!」

 笑い転げるのはシャーニッドだ。
 彼はたまらず、といった様子で腹を抱えていた。いきなりの動きにニーナはようやく止まり、訝しみの視線を送った。

「いい加減気付いてやれよ、ニーナ。いつまで押し倒されてんだ」
「なに……?」

 言われ、ニーナは状況を確認する。
 自分はベットに寝そべっていて、そこに顔を赤くしたハーレイが覆い被さっていた。まさしく目と鼻の先で、だ。
 ……これはっ!
 直後。

「きゃあああああああああ!」

 非常に女らしい悲鳴を上げてしまい、羞恥で顔を染めることになった。
 焦った上に恥ずかしいので今は確認出来ないが、ハーレイも手を放した瞬間に脱出したらしい。

「ぶわっはっはっは!」
「わ、笑うなあ――!!」
「ぐおっ!」

 だが、笑われるのは腹立たしいので一発ぶん殴っておく。これは照れ隠しではない。純粋な怒りなのだ。乙女の。
 ともあれ、

「……負けたんだな、わたしたちは」
「すげえテンションの下げ方だけど無視して補足するとだな」

 鼻を押さえながら言葉を一度切って俯き、仰ぎ、頭を()いて、

「――敗けた敗けた、完敗だわ。これ以上ないってくらいに敗けた。一人で武芸大会に勝てるってのも俺には否定できねーよ」
「お前はどうやって敗けた?」
「よく分かんね。いつの間にか蒼い剣が十くらい首の周りにあった」

 そうか、と気のない返事をして思い出すのは、レイフォンとの戦闘だ。
 速いという思考を作る暇すら与えられぬ程の速力。
 双鉄鞭という重量級の武器を持つ自分を、軽く振った様な片手の一撃で軽々と吹き飛ばす活剄。
 思わず見惚れてしまう流麗な技に込められた途轍もなく凶悪かつ破滅的な戦闘技術。
 どこをとっても武芸大会で無様を晒した自分達とは違いすぎた。次こそは確実に勝利してみせると意気込み努力して、そしてどこかで滅びを予感していた自分達を、彼は存在するだけで不要だと切り捨ててしまう。お前たちのやっていることは無駄だと言われた様な気がする。
 だから、とニーナは思いを口にする。

「――悔しいなあ」
「そうだな……」
「わたしたちとレイフォン。一体どれだけ差があるんだろうな?」

 そういえば、とシャーニッドが言った。

「あいつが言ってたぜ。”場数と経験の量が自信と技術を作る”って」
「場数と、経験の量」
「どんだけとんでもない修羅場潜ってくれば、あーなれるんかね?」

 ははは、と笑ってニーナは卓上のペットボトルの水を一気に飲み干した。

「あ、おいおい大丈夫かよ」
「――ならば我々も可能な限り積み上げていけばいい。違うか? シャーニッド」
「王道に勝る近道無しってか。いいねえ、好みじゃねえけど嫌いでもねえ」

 しかし、

「それには問題がある。しかも大問題。ツェルニの武芸者全員がぶち当たって(もが)いてるヤツだ」
「武芸大会まで、もう時間がない」
「ああ。俺たちには時間がない。悠長に経験を積み上げてく余裕なんて残っちゃいないっていう現実がある。このまま今まで通りにやってたら、きっと無価値な武芸者のままだ」

 不断の努力。
 不屈の意思。
 必勝の誓約。
 ツェルニの武芸者は皆、(まゆ)まぬ向上心を持って日々を過ごしているだろう。
 だが、それはツェルニだけの話ではない。
 あらゆる都市で武芸者達が同じ様に努力し、意志を抱き、大切な何かに誓っている。彼らもまた、自身が護るべき都市のために心身を賭して戦っているからだ。ツェルニの武芸者が努力して強くなるのならば、他の都市の武芸者も同様に努力して強くなっているのが道理だ。
 レイフォンの言った”まだ死んでいない”という言葉の真意だ、とニーナは結論する。だから、

「今まで以上にやればいい」
「どうやって?」
「訓練の意味を、密度を高める。幸い、この都市には学園都市には存在しないはずの達人が居る」
「俺たちに教えてくれると思うか? 正直微妙ってか、無理そうなんだけど」
「それなら簡単だ。断られるなら断る理由をひとつずつ潰していく。何度でも頼み込むんだ」
「…………マジかよ」

 隊長の決定には従うのが小隊員の運命なのだよ、シャーニッド君。

 ●

「で、ハーレイはいつまでそこに蹲ってんだよ。今日はもう帰るぞ俺」
「ちょ、ちょっとだけ待ってて。ニーナ、あ……えっと……」
「ハーレイ。あー、さっきは、そのー……」
「はあ、もう勝手にしてくれ。俺ァ帰る。初々しすぎて見てるこっちが恥ずかしいっつーの」

 ●

 十七小隊相手に無双した翌日。レイフォンは教室で待っていた。
 そして放課後になると、やはり汚れきったツナギ姿のハーレイが教室まで迎えに来た。すっごい臭いです。機械油? とか思いながら連れてこられたのは装備管理部という看板の建造物だった。
 ハーレイが窓口に書類を提出すると大きめの木箱を受け取り、そのまま押し付けられました。しかもまだ別の場所まで歩く。大変じゃないけど、心労。

「で、続きだけど、あんまりニーナのことを嫌わないでほしいんだ」

 教室から装備管理部までの道中、ハーレイはニーナの事情を教えてくれた。
 故郷の都市だけでは出会うことのない多くの出会いを求めていること。
 親元から家出までしてツェルニに来たこと。
 ニーナの性格のこと。
 ツェルニでの貴重な、奇跡の様な出会いをなくしたくないと思っている。自分の力でなんとかしたいと思っている。そして一度思ったのなら真っ直ぐに駆け抜ける、と。

「嫌った覚えはない」

 そうして真剣に向き合える何かを持つのは、良いことだと思います。なんというか、若いっていいよね……。あ、ヤバイ。こんなにおっさん思考してたかなあ? しばらく健康食品を食べよう。

「そう? ならいいんだけどね」

 ならいいんですぅー。とか絶対に口に出せない応対を脳内でしていると、研究室についた。
 扉を開き、一目見たハーレイの研究室は、雑多。というか、汚ねえ。
 なになら粘着性の物体が床にあったり、よく分からない名称の雑誌がホコリと一緒に積み上げられていたり、食べかけの乾燥パンが落ちていたり、と清潔感の欠片も存在しなかった。
 一歩を踏み出すと、

「!?」

 何の物かやはり分からない刺激臭がした。
 ここは危険だ。デンジャーゾーンだ! とか思うが努めて無視。実は綺麗好きなレイフォン君には結構クるものがあるんですがどーにかなんないコレ?
 ハーレイは荷物だらけの三つあるテーブルのひとつに、適当なスペースを作り、ここ、と示したので木箱を置く。木箱を開けると緩衝剤に埋もれるようにして棒状の真っ黒な塊があった。彼は炭素の塊らしき物体に端子をブチ込むと、

「さて、じゃあ握りから調整しようか。片手でいいのかな? それとも両手? あ、その刀と同じでいいなら複製するけど」

 テーブルに端に紛れ込んでいた物体を差し出されたので握りながら答える。青の混じる物体は、コードでハーレイの操作する機械に繋がっていた。

「新しく作った方がいいだろう。『連弾』の事もある。それから武装は複数用意してくれ。刀、大剣、篭手、脚甲だ。問題は無いか?」
「え? 問題はないけど、そんなに必要なの?」

 なんでこんなに錬金鋼を持つのかって?
 バージノレ鬼いちゃんがダァーイ好きだからさ。

「ああ。安全装置の施された試合、武芸大会用と実戦用をそれぞれふたつずつ頼む」
「はいよー。じゃあ、いつも刀を握ってる感じで」

 と、柄の長さや形状から調節が始まった。
 レイフォンが握ると、その情報が数値としてハーレイのモニターするパソコンに表示される。それを基にしてデータ上で柄を設定していく。そして、

「これでいいかな?」

 と、決定のキーが叩かれると、正体不明な物体が伸びたり膨らんだりして形状をモニターのそれと同じ状態に整えられていった。
 何度やっても肉眼で映像として見ると不思議で仕方がない。ぶっちゃけると気色悪い動きなのだ。うねうねと動きやがって。持っていても手に返ってくる感触はほとんどないが、それでも気持ち悪いのだ。芋虫が進むときの胴体みたいで嫌なんだよ、マジで。

「どう?」
「…………ん、ああ。握りは十分だ」
「全体の重量で若干の変更はあるけど、ひとまずオーケーだね。材質はどうしようか? あ、そうだ。サンプルがあったんだ」

 返事すら聞かずに研究室の奥へ行ったと思ったら棒状の束を抱えて戻ってきた。
 ダース単位でばら撒かれたそれは、握っている物と同様に計測に用いる物体らしい。

「これから試していこうか」
「……いや待てハーレイ・サットン。材質は決まっているから大丈夫だ」
「あ、そう?」
「ああ、そうだ」

 分かりきった答えを地道に探していくなんて拷問過ぎるだろ馬鹿野郎。大体、今日は帰ったら野菜で生活するって決めたんだよストレス貯めさせんじゃねー。

「これが終わったらあの『連弾』の方を試すから。いやー、ずっと楽しみで昨日も眠れなかったんだよねー!」

 さようなら、ストレスフリーで快眠の夜……。

 ●
レイフォン「ラブコメ超羨ましい(´・ω・`)ショボーン」ニーナ「ざまあwww」ハーレイ「ざまあwww」シャーニッド「( ´_ゝ`)プッ」鬼いちゃん「」
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