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ザ・モーニング・スター
ザ・モーニング・スター編第二話:追憶
 ●

 物心がついた時、現実を正しく認識出来なかった。
 目の前に広がる光景。
 鼻腔をくすぐる匂い。
 鼓膜を震わせる雑音。
 自分が着ている服の感触でさえ理解不能な何かに思えたのだ。だが、それも刹那の事だ。呆ける意識に対して脳が現実を叩きつけ、否が応にも納得させられた。
 俺はここに居るのだ、と。ここには俺を縛るモノは何も無い、と。

「人生ロールプレイ」

 ……なんて生まれた瞬間に考えた俺は筋金入りの厨二病。
 でもいいのさ。何故なら二度目の人生だから。もはや自重する必要はない。ただただカッコイイと思ったあの人っぽくなればよし! カ★コンのダソテさんっていいですよね。でも習うのが刀術なんでおにーちゃん目指そうと思います。いい人生ですね?
 そのためには化錬剄で剄を自在に変化させなくちゃイカン。超かっこいい居合いで数メートル先を球形に斬るとかさー、そうでもなきゃ無理でしょ。化錬剄ならサヴァリスかトロイアットだけど、ルッケンスは体系が出来上がってるから微妙。欲しい千人衝とか見て盗めばいいし? つーわけでトロイアットの自在な化錬剄が知りたい。
 大問題として、あの男は女以外には優しくない。正攻法じゃ断られるのがオチです。と、いう訳で。デルボネさ~ん! デルボネおばあちゃ~ん!? ちょっと協力よろしこ。かわいい孫(あの人からすれば皆孫だってさ)の頼み聞いてちょーだいな。トロイアットの動向を教えてくれるだけでいいんです。
 これでバージノレプレイは俺の物だ! あ、でも超攻撃的すぎて人間社会に馴染めないのは勘弁な。マジで。

 ●

 天剣授受者は強く在れば良い。
 女王であるアルシェイラが明言している事実だ。天剣は強ささえ確かであるならそれ以外は大した問題ではない。だからこそ天剣に成り得る様な存在はただ強さだけを求めていたり、地獄みたいだとかの違いはあるが、結局の所、異常者の集団なのだ。
 その異常者が、ここ一ヶ月に渡って他人を教導している。サングラスをかけたカジュアルな服装の青年、トロイアット・ギャバネスト・フィランディンはこんな自分らしくない振る舞いの原因となった日を脳裏に描く。
 一ヶ月前。
 レイフォンの天剣授受式翌日のことだった。
 天剣授受式当日は祝宴。その翌日には天剣授受者としての振る舞いを可能とすべく、必要な準備が全て一気に行われる。天剣の調整から専用の都市外戦装備のサイズやデザインまで多岐に渡り、およそ丸一日は王宮に(こも)ることになるだろう。レイフォンは天剣の調整に最も多くの時間をかけていた。
 トロイアットは後で聞いた話だが、歴代でもレイフォンほど時間をかけた天剣はいないらしい。
 その日、天剣としての準備を整えねばならないはずのレイフォンが目の前に現れ、

「化錬剄を教えてほしい」

 などと土下座までして頼み込んできた時は驚いたのを覚えている。
 しかも都合の悪いことに苦労して落とした女とのデート中で、自分のことを”優しい”と評した瞬間だった。普通なら確実に断っているがレイフォンが十歳のガキだということと、どうしても護りたい人が居る、などと女受けすることを言いやがった所為(せい)で話を聞く羽目になった。間違いなくこのタイミングを狙われたのだと、確信した。
 表情に出さなかったことも、ブチ切れなかったことも奇跡だと今になって思っている。
 そしてレイフォンに化錬剄を教導させられる時間の所為で女を捕まえられない一ヶ月が過ぎた現在(いま)、トロイアットは自宅の庭ではなく王宮の庭に居た。

「よし、小型の陽球を作ってみろ」

 庭園、それもアルニモス戴冠家のプライベート空間である空中庭園だ。庭師か王家に関係のある人物しか出入りの許されていない場所で、一時的に弟子となったレイフォンに指示を出す。
 レイフォンが紅玉錬金鋼(ルビーダイト)を装備している両手を突き出すと、ややあってから二人の間に掌ほどの大きさの光の塊が発生した。レイフォンの剄力が結集した小型の太陽は破壊的エネルギーそのものだ。
 陽球の出来を確かめたトロイアットは無言で小石をレイフォンの足元へと蹴り転がす。と、小石の一点から熱に溶ける様に熔解(ようかい)していった。
 陽球からの照射だ。化錬剄で作り出したいくつものレンズを通して、熱が集中させられたのだ。その様子をじっくりと眺めていたトロイアットは不意に、

「あ――――! これで美女と楽しめるぜ――――!!」

 鬱憤を叫んで少しでも発散。そうでもしなければレイフォンをぶち殺している所だ。そうでなくても真面目に教えないと十歳にデタラメを教える様な天剣だ、と噂を広めるなんて言いやがった奴は殺してしまいたい。

「……長い、永い一ヶ月だった……!」
「それはすまなかったな」
「全くだクソ野郎!!」
「そう怒るな。報酬代わりの概念は教えてやったろう?」

 女について、自分以上に語れる野郎が居るとは思っちゃいなかった。絶対の自信があった。なのに、このレイフォン・アルセイフとかいう小僧は『萌え』という概念を持ち出してきた。まるで数十年数百年と練り上げられ、完成された文化の様に研磨された考え方、概念だった。だからこそこの小僧が憎い。自分以上に女を分析し尽くしていやがったこの小僧が!

「まあ、俺としても貴様が思っていた以上に義理堅くて助かった。手を抜かれるかとも思っていたが」
「抜いてたさ。お前は異常に物覚えがよかったから問題なかっただけだろ」
「そうか。やはり俺の器用さは天剣随一か」
「チッ」

 皮肉のひとつも通じない。
 神経の図太さこそが天剣随一なんだろう。ふざけたクソガキである。

「そういや、お前はなんで化錬剄を習うんだ? 俺はサイハーデンで十分だと思うがね」

 唐突な質問ではない。これはトロイアットにとって、ずっと疑問だったことだ。
 レイフォンはサイハーデン刀争術を修め、天剣争奪戦を勝ち抜いている。それこそがレイフォンの基礎となり、身体に染み込んだ戦闘技術だということは見れば分かる。戦闘体系として十分な部門であることも同じく見れば分かった。
 しかし、サイハーデン刀争術には化錬剄を扱う剄技など存在しない。つまり、レイフォンは全く別分野の技術を無理矢理叩き込んでいたということだ。

「別にたいした理由はない。昔から、俺にはどうしてもやってみたい戦い方があった。そのためには化錬剄が必要だった。それだけの話だ」
「やりたい戦い方ねえ。トロイアット様に憧れました、ってか?」
「馬鹿を言うな。貴様の戦闘は優雅とは程遠い」
「ハッ」

 自分のカッコよさは子供にはまだ早いらしいので鼻で笑い飛ばしてやると、老女ののどかな声が降り注ぐ。

『汚染獣が接近しています。老性体二体。戦闘域への到達は二日後くらいですわね』

 デルボネの声だ。
 デルボネ・キュアンティス・ミューラ。百歳間近であり、日々の大半を病院のベッドで寝て過ごす老女だが、その絶大な念威の能力には衰えが感じられない。彼女が死ぬまでキュアンティスの地位、役割は揺るがないとさえ言われるグレンダン屈指の念威繰者だ。
 声のする方を見上げれば、チョウの形をした念威端子が浮いていた。レイフォンの傍にもだ。

『そうですねぇ、お昼には到着するでしょうか?』

 誰かが聞いたのだろう。感情をしっかりと表現する声で答えていた。しぐさまで容易く想像出来る声音だと、トロイアットは思う。

『ランチは早めに済ませておくべきですね。だめですよ。ちゃんと食べないと大きくなれません』
「……デルボネ刀自(とじ)。それよりも情報を頼む。今回の出撃は俺なのだろう?」
『はいはい。戦闘区域は外縁部北西十キルメル周辺となるでしょう。ランドローラーを使う必要もありませんもの。あなたがたなら特に移動時間も必要ありませんね。よろしいですか?』

 最後の問いかけは、天剣の上役である女王、アルシェイラへの確認だ。

『はい、わかりました。ではリンテンスさんを後詰に、レイフォンさんが出撃ということで。リンテンスさん、ちゃんとフォローしてあげてくださいね。それにレイフォンさん。子供とはいえ、あなたはもう立派な天剣授受者なのですから、しっかりとお働きなさい』

 リンテンス・サーヴォレイド・ハーデン。現在、天剣最強と目されている壮年の武芸者で、武器は極細の糸を無数に扱う鋼糸と呼ばれるものを使っている。
 黒を好んで身に着けているので、さらに黒いサングラスを付ければ立派な悪人になれるでしょ、とは女王談。人嫌いとして有名で、普段から不機嫌そうな表情と口調の男だ。生半可な悪党なら睨まれるだけで漏らすレベルだそうだ。

「精々、励むとしよう」

 レイフォンの言い方に、デルボネの声が小さく上品そうに、ふふふ、と笑った。

『レイフォンさん、もう少し元気よくお返事なさいな。そうすればひ孫を紹介してあげられますよ?』

 紹介する女性に不足はないらしい。下の年齢まで幅広いのは確かな様子。ならば、とトロイアットは言葉を挟む。とはいえ返答には期待はしていない。いつも通りのやりとりでもあるからだ。

「刀自、妙齢で魅力的な女性に知り合いが居るのでしたら、ぜひ俺にも紹介してほしいものですね」
『トロイアットさん、あなたが女性を一人にお絞りにできるのでしたら、とびきりの美人を紹介して差し上げますわ』
「そいつは難しい注文だ」
『ではお諦めなさい。あらあらカルヴァーンさん、そんな渋い顔をしなくてもよろしいでしょう? 人生に余裕は必要ですよ。では、みなさん。よい戦場を』

 そう言い残してデルボネの声は途切れ、トロイアットの頭上から念威端子が去っていく。空中庭園の更に上空にだ。再び都市外の監視に勤めるらしい。身体と違って元気なことだ。

「おい、さっさとお前も行きやがれ」

 デルボネとの交信が終わっても移動する様子を見せないレイフォンに声をかける。
 するとレイフォンはこちらへと歩み寄り、頭を下げた。これではまるでお礼でも示しているかの様ではないか、と本気で驚いたトロイアットは声を漏らした。意味を持った言葉にならないそれは、単なる音として空気を震わせていた。

「……あぁ?」
「トロイアット、今まで本当に世話になった。心から感謝する」
「お前、本当にレイフォンか?」
「失礼な奴だな、貴様は。……まあいい。ではな、トロイアット」
「ハ、さっさと失せな。リンテンスの旦那を待たせてるんじゃねえか」

 それは怖いな、と苦笑してレイフォンが飛ぶ。緊急時のみに許された高速移動だ。

「リンテンスとレイフォンが同時に出るなら、”あっち”も動くんだろうな。……悪人にすらなれないってのは悲しいねえ」

 ユートノール家の屋敷がある方角に目を向けて呟き、トロイアットは王宮と去っていった。

 ●

 外縁部と都市部の境にある空間で、レイフォンは都市外戦装備を着せれていた。
 若草色に染められた汚染物質遮断スーツだ。ヘルメットにはヴォルフシュテインを象徴する刻印があり、スーツにもヴォルフシュテイン用の装飾が多数存在していた。だが、それ以上に異様なのはレイフォンの装備の方だろう。
 刀の天剣とその鞘である黒鋼錬金鋼(クロムダイト)、獣の四肢かの様な手甲と脚甲の紅玉錬金鋼(ルビーダイト)。鍔のみに装飾があり、絢爛というよりも瀟洒な意匠の青石錬金鋼(サファイアダイト)の大剣が背中にあった。ただでさえ通常よりも数の多い錬金鋼(ダイト)を全て復元した状態で保持するレイフォンの姿は、着付けをする技術部の人間をどよめかせるには十分なのである。
 とはいえ彼らもプロだ。一度動揺した後はそのまま流れる様に作業をこなしていく。この場で動きがないのはレイフォンとリンテンスだけだ。

「リンテンスは着ないのか?」
「外に出るのはお前だけだ。……そのままで行くつもりか?」
「コレが俺のスタンダードだ」

 公式戦や汚染獣戦に幾度となく参加する様になってから刀と鞘は常に復元した状態でいた。戦場ではそれだけだが鍛錬する時や、ゆえあってサヴァリスと戦闘する時は必ずこの装備でいた。結果としてこの重量の方でいた時間の方が長く、より身体に馴染んでいる。

「そうか、これはお前の初陣だ。俺は保険でいるだけだ。次からは別命がない限り一人でやることになるだろう。好きに戦え」

 レイフォンは一瞬驚いた顔をして、すぐにそれを消した。ヘルメットを被って接合部のチェックをしながら、

「大丈夫だ。無傷で戻ると約束してきたのでな」

 下部ハッチが開き、同時にレイフォンが飛び出した。
 眼下に広がるのは荒野。死んだ世界が広がっている。生気を破壊され尽くした荒野を北西へと駆けていく。
 レイフォンは、自分の心が凍っていくのを自覚する。感情を欠落させ、戦闘に集中している。これはレイフォンが汚染獣戦を経験していく中で学んだ自分なりのスイッチだ。
 通常の生活をしている時と戦場に居る時の武芸者は、別物でなければならない。戦闘に特化して、害意の顕現たる汚染獣を殺すこと以外の全てを思考から排除する。無駄な思考を織り交ぜれば、その武芸者は死んでいる。そうして死んだ者を何人も見てきた。
 ただ戦闘に焦点を絞るレイフォンは、

「――いい塩梅(あんばい)だ」

 高速で移動する最中、化錬剄による移動補助を試していた。脚甲から剄を変化させ、一時的な足場とする移動術。外力系衝剄の化錬変化、『エア・ハイク』とでも言うべき剄技だ。これで空中での機動力が大幅に上がる。
 そうして外縁部北西十キロメルの地点に着いた時には、汚染獣を目視出来ていた。
 二体の汚染獣が寄り添いながらグレンダンへと直進している。レイフォンは自分という”敵”の存在を認知させるべく、技を放つ。
 外力系衝剄の化錬連弾変化、『重ね次元斬』。
 透明な金属音が連続して響く。直後、球形に抉り取る様な斬撃が発生し、さらに鳴り響いた金属音に倍する数の『次元斬』が連続発生して追撃。汚染獣の羽を裁断し、胴を削り取る。元々が巨体なため、大した効果は上げられないが、肉まで達したらしい。

「――――――!!」

 高音の絶叫が共鳴してフェイスマスクを貫き、鼓膜を震わせた。ビリビリと肌を打ちつける空気の振動は近距離では、それ自体が物理的な圧を持つ攻撃になるだろう。
 ……ここからだ。
 飛行能力を奪われて地に落ちた汚染獣はグレンダンに向かうことよりも”敵”の打倒を優先し、レイフォンへと這いずっている。
 と、フェイスマスクからデルボネの声がした。

『あらあら、ちょっとミスしてしまった様ですね』
「どうした?」
『汚染獣ですが、脳がふたつあったので二体だと思ったのだけど一体です。ほら、尻尾が繋がっているでしょう?』
「シャムの双生児というやつか……」
『どちらかというとアキツ虫の交合ですわね』

 いずれにしろ、

「――やることは変わらん!」

 跳躍。
 一秒後、さきほどまでレイフォンが居た空間を双頭の(アギト)が上下の連携で襲った。
 上空に逃れたレイフォンは急降下して強襲すべく『エア・ハイク』を足場に地面へと再び跳躍。手にした武器は青石練金鋼(サファイアダイト)のフォースエッジを模した大剣だ。

「はあっ!」

 狙うのは『次元斬』で表皮をはぎ取った箇所。
 下方への跳躍による脚力と重力を加算した兜割りは、確かな威力で剥き出しの筋肉を斬り裂いた。
 上側の汚染獣を確実に殺すため、『エア・ハイク』や汚染獣を踏み台にしてその場で停滞。限界ぎりぎりまで剄を込められた青石練金鋼(サファイアダイト)の連続使用を避け、追撃にはベオウルフを模して作らせた紅玉練金鋼(ルビーダイト)と天剣を使う。

「フン、はッ!」

 外力系衝剄の連弾変化、『重ね閃断』。
 刀身に収束させた剄を斬線の形のまま解き放つ『閃断』を連続の居合いで繰り出し、さらに刀身に纏わせていた剄が『閃断』を形成。追撃となって高速の連斬を実現する。汚染獣の体内へ隙間を作って次に叩き込むのは、
 外力系衝剄の化練変化、『流星脚』。
 光に変化された剄を脚から背後に流し、推進力を得て下方へと突進する強襲型の蹴撃だ。敵を砕き、叩き込まれる輝きは浸透剄の力そのもの。『重ね閃断』で作られた隙間に入り込み、内側から破砕した。
 小さな跳躍を何度も繰り返し、無数に連撃を重ねて表皮を抉り、肉を切り裂き、砕いていく。レイフォンの周囲は全てを殺し尽くす暴風と化していた。
 一秒に満たぬ時間で汚染獣を致命のレベルまで破壊していくと、

「!」

 ……違う!
 斬撃の手応えが変化した。骨を砕く感触ではない。全く別の手応えだった。レイフォンは咄嗟(とっさ)の反応で跳ぶ。全力の退避行動だ。
 直後。
 汚染獣の傷口から無数の影が溢れる様に飛び出した。幼生体だ。幼生体は飛沫の様に飛散し、レイフォンに追い縋った。

「チィ……!」

 本来、老生体は繁殖を放棄して強力になっていく個体である。同時に特異な変貌を遂げる個体でもある。そんな老生体が、常に寄り添いながら内部に幼生体を持っていた。それが意味することは、

「――(つがい)だったかっ!」

 空中で飛沫を切り払いながら叫んだレイフォンを飲み込もうと下から迫る巨大な口があった。下側に居た汚染獣だ。(つがい)と子を無残に殺していく小さな敵を噛み砕かんと巨大な牙を揃えた口を広げ、迫っていたのだ。
 レイフォンにとって巨体の突撃を防ぐことは難しいことではない。問題は、そのレベルの剄技には一瞬のタメが必要であり、断続的な幼生体の飛沫が邪魔だということ。だから、という様に彼は動いていた。
 外力系衝剄の化練変化、『エア・ハイク』。
 脚甲に込められた剄を足場として物質化する『エア・ハイク』は一瞬しか展開出来ない。跳躍の足場以外に役目を持たないからだ。
 しかし、強大な活剄による恩恵を受けた跳躍を支えきるソレを敵の攻撃に対して展開すれば、
 ……防循(ぼうじゅん)の役割を果たす!
 壁として機能するのは一秒に満たない刹那。それでも『エア・ハイク』を蹴るには十分な時間だった。
 跳ぶ。
 高速で危険域を離れ、小さな岩に着地。そして思う。すばらしい、と。
 幼生体は話にならなかった。雄生体を相手にしていた時は物足りなかった。弱い汚染獣では、連撃を決めるまでもなかった。一撃で殺せてしまうからだ。
 だから思う。老生体は素晴らしい、と。
 老生一期は余り硬い訳ではないが、それでも十分な硬度、そして生命力だ。天剣の連撃を受け、浸透剄で破砕され、それでもまだ生きている。
 武芸者にとって、戦う者にとって、全力を十全に振るっていい戦場とは、魚にとっての水場なのだ。
 天剣相手ですら使ってはならない本当の全力を許された戦場。それは、レイフォンに極限の高揚を与えていた。

「――よし」

 見れば、一体の勢いによって汚染獣は錐もみ回転しながら落下している。
 状況も完璧だ。だから、放つ。最強の半人半魔による最強の絶技を。その再現を。たとえ完成には遠い出来だとしても、あれを再現出来るというのがなんと甘美なことか。
 ……衝剄活剄混合の連弾化練変化――。

『――陛下がお呼びです、レイフォンさん。汚染獣はリンテンスさんに任せて王宮に行ってくださいね』
「――――……」
『命令、だそうですよ。急がないと機嫌を損ねてしまいそうですわねぇ』
「甘ったれが。そんなに殺されたいか……!!」

 ●

 一人の女性が王宮庭園に居た。
 黒髪で長身のグラマラスな体格をした美貌の女性だ。しかし、彼女が見た目通りの年齢ではないと、皆が知っている。見た目が十九歳で止まっているのは、膨大な活剄によって最盛期が維持されているからだ。名は、アルシェイラ・アルニモス。槍殻都市グレンダンの女王だ。
 彼女は茶番の結果を眺めていた。
 サヴァリス・クォルラフィン・ルッケンス。
 カナリス・エアリフォス・リヴィン。
 カルヴァーン・ゲオルディウス・ミッドノット。
 グレンダンで最強の武芸者であるはずの天剣が、三人も身体の至る所から血を流し、地に伏していた。
 普通ならば天剣は敗北を許されない。それなのに大敗を喫した天剣達を女王は省みない。なぜなら彼らを叩きのめしたのは女王だからだ。
 アルシェイラにとって天剣三名による反逆など、力尽くで簡単に終わる。その程度の些事(さじ)に過ぎない。あるいは娯楽なのかもしれない。それ程までに女王は突き抜けて強い。彼女は最強だ。それゆえに女王なのである。

「どうか、ご寛恕(かんじょ)を」

 女王に嘆願するのは五十を超える壮年の男性、カルヴァーンだ。
 カルヴァーンだけが、女王の前で(ひざまず)いている。見れば、サヴァリスとカナリスは起き上がっているだけで動けそうにない。三人の中で微弱でも動ける体力を残していたのは、彼だけらしい。とはいえ彼らの中では最年長であり、最も経験豊かな武芸者なのだから、全盛期を過ぎた程度で若い天剣に劣るようでは困る。

「……あんた初めからそのつもりだったのね」

 カルヴァーンは苦労性な人間だ。
 アルシェイラの天剣授受者を増やそうとする方法に不満があり、直訴までしていたがために反逆の提案をされた。その性格が災いして火消しの役目を買って出ていたのだ。

「で、そっちは? 満足した?」
「いや、さすがにお強い」

 答えるのは長い銀髪を後ろでまとめる青年、サヴァリス。
 彼はアルシェイラと戦い、とその願望のためだけの反逆の提案に乗った戦闘狂だ。折れた左腕を押さえて笑ってはいるが、額に脂汗を(にじ)ませているので無理をして作っているのだろう。

「もう少しいい勝負が出来ると思っていたのですが」
「考えが甘いわよ。で、カナリスはどうなの?」
「……っ」

 答えるのは特徴に欠ける顔立ちの女性だ。妙齢だが顔の部品のあらゆるものが没個性を目的に作られた様な女性、カナリスは、

「泣いてるの?」

 聞けば、影武者になるために育てられ、そう在るのが当然と思うままに天剣まで登りつめて職務に就こう、という時にアルシェイラに直接拒否された。そのため自分のアイデンティティを見失い、確かめるべく女王に挑んだのだ。
 そして無様に敗北した以上、女王は自分を必要としていない。そう考えてしまったのか、彼女は甲高い声で泣き叫び、

「あーん、死んでやる!」
「ええい、やめなさい!」

 必死になって自分の喉を突こうとする天剣授受者を抑えつけるのは女王でも骨が折れる。と、廊下の方から笑い声が響いてきた。

「活気がよろしいですな」
「ティグ爺?」

 ティグリス・ノイエラン・ロンスマイア。
 三王家のひとつ、ロンスマイア家当主。齢八十をを数える老人で、現天剣授受者の中ではデルボネに次ぐ年長者であり、アルシェイラの祖父にもあたる。頭の半ばまで綺麗に禿げ上がり、残る頭髪も色が抜け落ちた男がこのタイミングで来たのは、

「カルヴァーンね」

 火消し役が選んだ消火剤という訳だ。

「そうで在れ、とされた者をその枠に収めないのであれば、その者のためにしてやらねばならない事があると、ご承知願いたいですな。ああ、もちろん考えるのが面倒であるなら、お認めになればよろしい」

 いつの間にかカナリスが泣きやみ、アルシェイラがなんと言うか、じっと見つめている。

「……はぁ、分かったわよ。とりあえずテストね。わたしの影武者になるなら馬鹿はお断り」
「はいっ!」

 アルシェイラには理解できないが、カナリスは笑顔で頷いた。これで天剣の方は終わり。
 あと残るのは、

「――こっちかあ」

 天剣たちに背を向け、視線を向けたのは一人の青年というにはまだ若い少年だ。
 ミンス・ユートノール。
 グレンダン三王家のひとつ、ユートノール家の一応、最後の一人。兄が一般人の女と駆け落ちし、父母も死んでしまったため、最早残るのはこの顔を青くさせて茫然とする青二才ただ一人なのである。
 彼は大きな勘違いと邪推を重ねて反逆を天剣に(ささや)いた首謀者だ。

「ティグ爺、なんかある?」
「ちと甘やかしすぎましたな。懲罰を与えるのが妥当かと」
「――っ」

 無情な宣言にミンスは顔色を青から白くさせた。

「取り潰すとウチが金出さないといけないし、うーん。ま、欲しがってたし、現実見せてやった方がいいかな」
「ふむ。それも良いと思いますが、彼はちと過激が過ぎますな。注意された方が良いでしょう」

 アルシェイラがデルボネの念威端子に言葉を告げてから時間が空く。ミンスにとっては死刑執行にも等しい長い時間だっただろう。
 ややあってから、不意にそれは姿を現した。

「――来たぞ、陛下」
「思ったより早かったわねー」

 汚染物質遮断スーツに身を包む小柄な姿から響くのは歳相応の甲高い声であるはずだが、異様に重々しい雰囲気を(かも)し出していた。彼はおもむろにヘルメットを外し、

「俺を呼んだのは何故だ」
「そこのミンスと戦ってもらおうと思ってね」

 直後。
 レイフォンが動いた。鞘を用いた抜き打ち、――居合い。
 不意打ち気味に放たれたレイフォンの居合いは、天剣授受者たちが”神速”という言葉を脳裏に思い描くほどの速度だった。刀身が空気をすり抜ける様にしてミンスの首へと走り、しかし、

「うん、ホントに速いねえ。天剣の中でも最速なんじゃない?」
「!」

 数メートル以上離れていたはずのアルシェイラが掴んでいた。

「な――――!?」

 この時点でようやく自分が殺されかけたことに気付いたミンスは、尻餅をついた。脚を絡ませて転んだのだ。だが、アルシェイラもレイフォンもそんなことには目を向けていない。

「何故止める?」
「死なれると困るのよ。殺さない様にやりなさい」
「…………なるほど。()()()()()()()
「なに、なんか文句あるの?」
「――是非もなかろう」

 大きな息を吐いたレイフォンは改めてミンスを見る。

「立て」
「ミンス。このまま罰を与えられても不満が残るでしょ? だからチャンスを上げる。レイフォンに勝てば天剣を上げるわ」

 レイフォンとアルシェイラの催促に、ミンスが吠えた。

「わ、私を殺すつもりか!?」

 錯乱するミンスはチャンスなどと言って、試合中の事故として処理するつもりだ、と思っていたのだ。さきほど自分を守ったアルシェイラのことよりも、淡々と首を飛ばされかけていたという事実が重すぎたからだ。
 醜態を晒すミンスをしばらく見ていたレイフォンは再び大きく息を吐き、背を向けてこう言った。

「――くだらん。俺は帰るぞ」
「えー?」
「相手を見繕(みつくろ)うならせめて武芸者から選べ」

 暗にミンス・ユートノールは武芸者ですらないと宣言し、彼は王宮を後にした。

「うーん、一応、天剣との差くらいは分かったみたいだし、いいのかなあ?」

 首を傾げるアルシェイラは、レイフォンを睨み付けるミンスの表情が恐怖に歪んでいたことに”最後の時”まで気付かなかった。

 ●

 この時の出来事が原因になるとレイフォンは理解していた。
 しかし、この時の彼には、追放の直接要因になる出来事など想像できることではなかった。

 ●
うーん、アルバイトしないと学費払えないとかやばすぎた。
どっかにアダルトショップとかないかなあ。暇な時間に勉強しながら金貰いたい。


で、”追憶編”ですけど、これは導入として必要なので書きます。ツェルニに来るまでの経緯が分からないと話のバックボーンが薄いので。


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