最近のソーシャルメディアの動向を見ていると「マスメディア化」ともいえる状況になりつつある気がしています。
テレビを見るように、個人を論評する人たち
情報発信をしていて感じるのは、「面と向かって言えないこと」をツイートする人が多いことです。匿名アカウントならまだしも、アイデンティティが推定される状態で罵詈雑言を飛ばしたりする人もいます(参考)。
きっと彼らはスマートフォンなりパソコンの画面に映る一人ひとりの人間を、テレビの画面を通して見ているような感覚で論評しているのでしょう。テレビに映る芸人を見て「こいつ、超つまんねー」と、ひとり「つぶやく」ように。
「ソーシャルメディアは個と個のつながりを強めた」?
ソーシャルメディアが成し遂げたイノベーションの一つは、個と個のつながりを強めたことでしょう。僕自身もその恩恵を頻繁に受けています。
連帯を強める力学が働く一方で、ソーシャルメディアは「マイクロ有名人」を大量に生み出し、その結果、一部では人と人との距離が遠くなっているとも言えます。過去の事件を見ると、「面と向かって言えないことをツイートする人」たちが、ソーシャルメディアによって連帯を強めることがあることも分かります。
ややこしいのは、ソーシャルメディアは「エゴサーチ(自分の名前を検索にかけ、口コミをみる)」が可能なことです。仕組み的に、これは個の距離感を強める力があります。個人も企業も、エゴサーチをきっかけにして、様々な接点を得ることができます。
しかし、「面と向かって言えないことをツイートする人」が減ることはなかなかありません。発言者は「テレビの中の芸人」が反応するとは思っていないので、エゴサーチをしている側は対応に困ります。ほとんど場合スルーすることになるでしょう。
僕に対しても、明らかに見ていないと思って発言している人をしばしば見かけます。その度に、その人たちにタッチすべきかを苦慮することになります。ちゃんと見てるんですけどね。
ソーシャルの登場によって、総じて人と人との距離感は縮まっているのでしょうけれど、その可能性を信じる人間としては、まだ違和感を覚えることが多いです。
テレビを見るような感覚で個人に対して攻撃的な発言をすることは、メディアリテラシー的によろしくないと僕は考えます。
「マスメディア化するソーシャルウェブ」というテーマで、そんなことを考えました。皆さんはこのテーマについてどう考えますか?