朝日新聞の天声人語をもっと読む大学入試問題に非常に多くつかわれる朝日新聞の天声人語。読んだり書きうつしたりすることで、国語や小論文に必要な論理性を身につけることが出来ます。
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飾らない笑顔というのは一つの才能である。接客などの仕事で覚えることもできようが、地井武男さんのそれは天然ものとお見受けした。散歩に演技なしと決めつけては、70歳で逝った名優に失礼かもしれないが▼6年続いたテレビ朝日の「ちい散歩」。地井さんは電車やブランコに夢中になり、商店街でコロッケや豆腐を買ってスタッフに振る舞う。収録の思い出を描きとめた、素朴な絵手紙も楽しみだった▼とみに増えた「ぶらり系」の番組は、歩き手の人間味に負うところが大きい。お祭りと自然を愛する地井さんは、街の風景にたちまち溶け込んだ。商店主や職人さんとの語らいも、芸能人とは思えぬ砕けぶりで、視聴者は大いに和んだものだ▼俳優座養成所の同期は、原田芳雄、前田吟、栗原小巻ら粒ぞろいだった。1970年、基地問題を正面からえぐった映画「沖縄」で初主演し、注目される。以来、荒くれ者や刑事の配役が多かったせいか、「散歩中」に沿道から飛ぶ声援には戸惑ったという▼「おんなじ人間なのに、こんなにも反応が違う。僕は運がいいだけ。分かれ道ではいつも、誰かが良い方に導いてくれた。これからは、いただいた運をお返ししていきたい」。本紙に語ったのは2年前だ▼「運返し」の思いも道半ば、今ごろ、いつものハンチングでどこを歩いているのやら。なぜか、桜吹雪の坂に消えてゆく背中が目に浮かぶ。たまの早足もいいけれど、地井さん、カメラやファンを振り切っちゃいけません。