娘とともに人体改造に励む津布工浩
der verbrecher 津布工浩 訴えられる
刑法第222条に規定される行為を為すには、表現活動と表裏一体で言論活動の一環として行われるのが通例である。、言葉を発する、文字を書き文章に組み立てる、一連の思索によって意味を組み立て意味ある物を用意する作る、などは憲法第21条表現の自由規定の「その他一切の表現」に該たる行為である。
脅迫文言あるいは態度などによる害悪告知が人を畏怖させるに足りる害悪の告知といえるかどうかの判断にあたっては、脅迫罪が言論による犯罪であるということから慎重な認定がされるべきである。日常の生活での社会的相当行為として認められるある程度の他人の意思を制したり排したりする行為、立場上の不利益を説いて説得する行為や、取引社会での債務の弁済をしなければ将来の取引を停止する旨の通告、力関係や立場を利用して相手を制する行為は日常茶飯事で、単なる警告や戯言や放言に大言壮語やいやがらせなどから脅迫行為の可罰性を画し、どの程度のものから構成要件に該当する行為となるかについては判断は具体的事情の下に、四囲の状況を客観的に考慮してなされる必要がある。
行為の外形にとらわれることなく、それが為されるに至った経緯、それが為された時の四囲の状況が総合的に判断される必要があり(東京高判昭和36年11月20日下級裁判所刑事裁判例集3巻11=12号993項)、
以前の経緯など前後の具体的状況に照らして人を畏怖させるに足りず、相手方の事情からすると畏怖させるに足りない言辞であった云わなくてはならない(東京高判昭和33年6月28日東京高等裁判所判決時報9巻6号169項、盛岡地判昭和43年8月21日下級裁判所刑事裁判例集10巻8号862項)。
しかも相手方に威迫感ないし恐怖感を抱かしめたとしても、この言動のみをとらえて身体へ暴力を加える意思の表示とは認められず、畏怖させるに足りる害悪の告知とは云えない(福岡地判昭和34年2月20日下級裁判所1巻2号428項)。
諸般の状況から一時の興奮に駆られて、売り言葉に買い言葉としてエスカレートしていったものである(金沢地判昭和41年10月15日判時475巻65項)。
さらには畏怖させる意思を必要であるとする趣旨にも思われるが当時の具体的状況から相手方を畏怖させるに足りる害悪の告知としか云えず(岐阜地判御嶽支部昭和34年7月30日下集1巻7号1718項)、
たまたま相手方の自由意思を拘束するに足りる文言が使用されても、その拘束の度合い等も考慮して違法性が阻却される場合がある(仙台高裁秋田支部判決昭和47年1月27日刑事裁判月報4巻1号35項)。
つまり人を畏怖させるには足りない警告の意味で行ったもの(広島高松江支部判昭25年7月3日高裁刑集3巻2号247貢)
であるので、刑法222条に該当せず、これを取り締まることは憲法21条に違反している。(以上、大コンメンタール刑法第二編32章303、322以下より)
ネットに「殺す」、宅八郎氏を書類送検へ
の事件の顛末は、
ミクシィに「ブッ殺します」宅八郎氏、起訴猶予
という。
この理由は明らかにはされていませんが、本稿にも記載したとおり「論争の一つ」として、言論の自由や表現の自由が考慮されたのではとの思惑が成り立つでしょう。
津布工の人格
は とは止むなく同級生となったものであって、15の春泣くより18の春見返せということで、不本意な関係であった。被害者は高校時代より口ひげ・茶髪・リーゼント・ポマード・ガクラン・ボンタンのDV男で乱暴者の体裁であった。被害者は授業の合間に掃除道具入箱を突然拳で殴り付けストレスの解消を図る癖があり、クラスでも被害者を恐れていた級友は数多く、被害者は原告の通報によりパー券事件で中途退学となった者達の代わりにお礼参りを生涯に渡って果たすと公言(卒業式終了後クラス担任へ学校側の事件の解決方針へ散々苦言を呈暴力事件の話題を何時間も論争していたー他大学受験予定の原告は卒業後の進路指導を受けるために論争の終結迄待たされた)してはばからなかった。沙汰に好色であって警察への口利きを怠らない人格であった。短絡的判断を専らとする乱暴者であった。被害者は原告の差し出した郵便葉書記載内容に心当たりがあり、そこを突かれて罪悪感と恐怖心を増幅させていた。その一方被害者は潰しのきかない特別な職業に就いており、夏季休暇を一ヶ月半与えられその間の給与を丸々受け取っている。養護教員となった理由は腹違いと種違いの兄姉がいて、その片方はロンブローゾの指摘する頭骨にパラノイアの特徴がみられる養護学校出がいる。器量からいっても贖罪としての免罪符を求めて養護教員に就いたものであって、いわゆる不適格教員である。
真の被害者は である。
高等学校在学中に、原告が級友たる不良グループから受けたイジメ事件について大量処分者を出すに至る事件の発端は、本件被害者と称する同級生津布エ浩が加入している校外の任意団体アメリカン・フットボールチーム「 」へ、原告の大学進学を阻む目的で強い調子で津布エ浩の手により強制加入させられ、クラス内でベスト10の圏内に絶えずあった原告の学力が低下し、親大学への推薦入学が危うくなったところを理由に退会したところを以って、同級の不良グループより「天誅」の名目で殴る蹴るなどの暴行を連日受け続けた以外にも、不良グループの「使い走り」をさせられるなどの被害があった。本件の被害者と称する津布エ浩からも暴言を吐き付けられたり、胸倉を掴まれながら売り言葉に買い言葉の最中顔面を殴られて前歯を折られるなどの被害もある。
しかも原告の父親は ではあるが大学卒業の学士である以上、その たる の大学進学は当然でもあるので、猛勉強の末「 」へ入学し、 入会、その後 への進学と 、転じて 学修了、各種資格取得などの経歴を持つに至った事ですらも調べ上げもせずに、ましてや憲法21条の保護を受ける著述業を営んでいることに至っては寝耳に水であったろう。 警察の逮捕取調送検は津布エ浩の暴行傷害強要を正当化するに等しく断じて許すことはできない。
被害者と称する津布エ浩が深刻な事態へ至る前の被害届(イジメっ子は昔イジメた相手に対して常に神経質となっているので、当事者外からの被害も全部関係付けてしまう供述)であるとの当時の捜査主任の陳述書中での供述は不自然な点が数多い。まず「 」などとの電話程度で本当に殺される確率が高いのかどうか疑問である。しかも実際に わけではない。その上相当な理由もなく電話や郵送物送付したわけではない。その理由は訴状以下準備書面(本書面も含む)に散々書き散らしているとおりである。「 」というセリフは被害者と称する津布エ浩自身が原告と同級であった時にも、格闘家のボブ・サップがかつてフットボーラーであったのと同じフットボーラーである被害者と称する津布エ浩自身から原告へ対して何回も聞かされている言葉であって、被害者と称する津布エ浩は へ対して「お前を殺す」と脅し続けたことは、当時を知る同級生を始めクラス担任も暗黙の了解事項となっている言葉である。被害届を額面どおり受け取れば恐ろしい事件かも知れないが、被害者と証する津布エはかつて不良であった事実からの免罪符を既に手に入れており、勝ち逃げにて自分だけが良い子に収まろうとしている。本件は最高裁までやらせてもらう。
被害者から事情聴取をした際に被害者の「盲学校教師」(かつての不良が免罪符取得目的で入手ー教員免許を取得するのは容易だが、その免許を生かして教職に就くには非常に難があり、普通科どころか職業科教諭にも就けず養護学校教諭に就いたのは被害者と称する津布エ浩の人格と能力に非常に劣る点があるのがその理由)との肩書きのみに目を捕らわれ、相手方には恨みを多数買うだけの人物であって、警察沙汰を自らの悪業解消の手段として利用しようとしているのも知らずに、 警察は原告から逮捕以前の早い段階でその事情や経緯に一切耳を傾けることなく、津布エ浩のオベンチャラに盲従追随し、不良の旧友(奴の当時のセリフに「傷付け合うのが愛」とするものがあるー警察沙汰を敵討ちなどという権利侵害の手段として利用)なので警察沙汰で敵を討つなど、原告を凶悪犯であるかの如く犯人像を描き続け立件したのは、いくら に (前科はないー全て 処分)があっても不充分な捜査による逮捕であることは間違いがなく、被害者と称する津布エ浩の被害妄想へ追随する捜査担当官の過度の正義妄想である。事件当時は一年間に事件の発生件数の少ない2月に逮捕令状を執行しており、刑事課内のひとつの班4~5名が1件を取り扱うのに専任しても、一ヶ月3件程度の取り扱いが限度である。一ヶ月平均7~8件程度の告訴がある。その割には余りにも軽微な事件でもあり何ら凶悪性や危険性の乏しい言論表現活動を「脅迫」だのと、雑事件の立件にて同業者の便宜と被害者と称する津布エ浩の二十数年前の敵討ち(当時赤穂浪士討ち入り400年)に加担するなど、意思決定に瑕疵がある刑事手続きを抵抗できぬ強要行為に利用したり、 警察は当時暇を持て余していた事実も窺える。
しかも原告は当時 を受講中でもあり、他方 との民事裁判を 地裁 支部にて審理継続中でもあり、罪証隠滅や逃亡の怖れは全くなく警察の捜査不充分さが見え隠れしている。 警察による原告に対する民事介入暴力として処断する緊急性・必要性が高い。
刑事法学で云うところの「破れ窓理論・割れ窓理論」を警察に適用すれば、かような警察の違法行為(警察沙汰を敵討ちなどという権利侵害目的で逮捕取調送検新聞発表に利用)をひとつでも見逃すと次々と警察が同様な違法行為を繰り返す危険性が高い。特にマスコミが挙って小さな雑事件を次々と延々と30分も放送したり、紙面に大きく掲載する、などは「巨悪を眠らせない」とのかつての東京地検特捜部の捜査方針に反する雑魚報道を興味本位で繰り返している。小泉純一郎総理逮捕収監であるとか、石原慎太郎都知事逮捕収監などのニュースが報道される気配ですら窺えぬ。このことからすると、日本警察は罪刑法定主義が確立されたマグナカルタ制定以前の弱肉強食(強きを助け弱きをくじく)の段階へ逆送した。真の被害者を取り締まり巨悪たる津布エ浩を咎めることなく、毎晩安心させて寝付かせる非常識をまりとおす危険を犯し、絶対に許すことはできない。
当該事件被害者たる男性とはかつて同じ学校の同級の関係にあり、男性はかつて暴力生徒の一員であって、当時原告が「パー券事件」「暴力事件」の発生を生活指導教諭に通報したことが契機となって大量処分者を出す事件となった。ところが原告が行った表現行為は、当該男性に疾しい心当たりがありその責任追求が止まぬので、やがて罪悪感を増幅させ恐怖心を持つに至ることとなった。当該事件の責任から回避させぬと、原告の事業のひとつである著述業による創作活動の一環として、教侮させるべく糾弾を行ったものである。つまりその男性には疚しい過去があるので、現在盲学校(オウム事件松本智津夫の如き生徒を卒業させる劣悪な教育環境下にある)教諭の立場へ至った(高校大学時代が優秀であったのならば普通科教諭になれるハズであるー養護学校教諭の職を選んだのも職業科教諭ですら教職に就くのには無理があるのが理由ー大学卒業に6年間も費やしたのは教諭として不適格な証拠)ところを以って糾弾した、こちらの表現行為が相手方にはかつての非行についての免罪符たる他に潰しのきかぬ養護教員の立場を奪われる心配から、警察への口利きから頻繁に警察相談を繰り返した結果、表現行為を材料に使って沙汰を好物とする相手方が無理やりにも事件にしたものである。津布エは原告による表現行為を利用した責任追求の手から逃れようとした。それは明白かつ現在の危険もないものを、不適切な記述が一部ある点を理由に、情報の自由な流通を妨げようと警察権力を利用し弾圧したものである。携帯電話やインターネットを利用した情報の流通には驚くべきものがあり、本件請求に掛かる原因事件の表現活動もそれと同じ情報流通のひとつである。津布エの悪事へ対する戯言を利用した教侮行為である。
本件原因事件たる津布エ浩との紛争に付いては、原告は であるので観光・ショッピング以外に地理・風土に馴染みのない横浜へ 受講のために通うこととなって、横浜界隈に津布エの自宅だか勤務先があるのは察知していた。そこで津布エは過度に不安を増幅させ続けこれを理由として20何年来の恨み・憎しみを決着する絶好の機会と待っていた。その理由は高校時代に校外の任意団体たる(実態は日本大学の不良学生が母体として運営している喧嘩集団)「アメリカン・フットボール・チーム」への入会を強要されたことにより、不良グループから目を付けられた上に、自分の意思(親大学法学部への推薦入学達成から他大学法学部受験)の貫徹に重きを置いたので、学校を裏切ったとの感傷論をチームを退会した一連の経緯を理由として置き換え、嫌がらせや暴力沙汰の事件の原因を発生させた津布エに、そもそもの責任がある。このように考えるに付いては次の具体例がある。 署に勾留中にJR山の手線新大久保駅で盲人がホームから転落した際に、救助するべくホームから降りた救助人が電車に跳ねられ死亡した事件が発生し、人道的に当然のことを「英雄的行為」などとマスコミが賞賛したその背景には、盲学校のひとつである津布エの勤務先たる「横浜訓盲学院」が、各方面へ働きかけ国民的話題として大々的に取り上げさせた、との事後談を校長へ確認したところ「そのとおり」との回答を得た。これも津布エが盲学校教諭となったその経緯からすると、かつての不良が免罪符入手目的でしたことは高校時代の奴を知る原告には明白であり、その上今回の事件を新聞社へ被害者として名乗りを上げて、記事(本件訴訟勝訴後に訂正記事の出稿請求を予定している)にすることまでする悪質な性格と歪んだ人格の持ち主である。しかも身体的にハンディーを背負っている子供の教育をしているなどという美名で、養護学校教員の立場を錦の御旗として振り回し、これを免罪符として濫用・悪用し特別扱いを求めるなど、もともとの津布エの人格の特徴たる凶暴性・凶悪性・危険性がベースとして存在するからこそである。その津布エ浩の生育地は大阪で言うところの東大阪や岸和田と同じ環境の大田区蒲田糀谷(津区布エの父親は都バスの運転手ー他方原告の父親は の人事部に所属する職員の教育研修担当教官)で生育している。津布エの粗暴な性格や乱暴な反応にはその「免罪符」獲得が急務であり、その方便が養護学校教諭への就職であった。教員免許取得はそれ程困難ではないが教職へ就くのは非常に難がある。横浜訓盲学院は幼稚園から小学部・中等部・高等部までの一貫教育をする教師の免許について、一種類の免許だけで全ての部類を教育させる教員免許上の抜け穴を利用して、教員を採用し教育に当たらせている。津布エのかつての台詞に「傷付け合うのが愛」とするものがある。乱暴者が自己を正当化するのに最も適した台詞である。原告は高校時代の暴力事件を解決するのにおよそ1年間を費やして解決した。今回津布エは僅か3ヶ月間の出来事を即警察へ持って行った。これは津布エの短絡的な判断である。しかも新聞社へ記事にさせるなど針小棒大な扱いである。津布エが教師であろうとも「不適格教員」であるのは自明である。その証拠に教諭の立場にあるのならば、捜査結果を受けて行為者の特定以後に自らの学識を用いて諭すであるとか、注意書き返信であるとか、署員を利用して参考人聴取の際に「始末書」を書かせるだとか、当事者が旧知の間柄ではそれが可能である。津布エは20何年前の事件を執拗に根に持って「敵討ち」「仇討ち」(その頃丁度赤穂浪士討ち入り400年)など、教育者にはおよそ不適格な方法にて決着を図る、教育者としての資質に欠ける人材であったことが、今回事件の結果判明した。このような人材には先天的ハンデを背負った子供の教育は無理であり、体罰に偏重するなど最近の教育現場で問題となる「不適格教員」である。しかも津布エが「点字」の読み書きを憶えた、「盲導犬」の使い方を指導できるなどとの嘘偽りも程々にして頂きたい。その津布エが事件解決を依頼した警察署は、戦時中の治安維持法違反の取り調べを行い、最近になって再審決定が下された「横浜事件」の捜査を担当した「 警察」であった。
表現の自由侵害
原告は、後日疎明書類「個人事業開業届出書」中、事業の種類の欄に記載の通り、「 」を事業のひとつとして営むものである。神奈川県警察平成 年 月 日事件の原因は、旧労働省の外郭団体 機構が委託する横浜駅前にある へ を受講しに行くこととなって、本件原因事件たる相手方が横浜界隈を本拠地としていることは事前に察知していたが、かねてより双方とも因縁の深い間柄であって、双方とも不良が暴れている暴力学校卒業についての怨念染みた感情が消え去らず、いつのまにか何とはなしに単なる嫌がらせめいた気持ちの高ぶりが芽生え良からぬ風評も波立ちだし、原告は個人事業のひとつである による表現行為を利用して、正当行為たる原告の権利を守る必要に迫られて、正当防衛として、被害者とされる男性宛へ郵送物送付並びに留守番電話への吹き込みをしたものである。その中のひとつであるカッターの替え刃送付についても、単なる嫌がらせの範疇から芸術的感性の発露としてのいわゆる「オブジェ」送付に至った。これらすべて憲法21条にて保障される「表現の自由」の行使のひとつであり、それを 署が警察権力による言論弾圧したものである。 署に付いては職権濫用致傷・特別公務員陵虐致傷の嫌疑が濃厚であるところ、当該事件被害者たる男性とはかつて同じ学校の同級の関係にあり、男性はかつて暴力生徒の一員であって、当時原告が「パー券事件」「暴力事件」の発生を生活指導教諭に通報したことが契機となって大量処分者を出す事件となった。ところが原告が行った表現行為は、当該男性に疾しい心当たりがありその責任追求が止まぬので、やがて罪悪感を増幅させ恐怖心を持つに至ることとなった。当該事件の責任から回避させぬと、原告の事業のひとつである著述業による創作活動の一環として、教侮させるべく糾弾を行ったものである。つまりその男性には疚しい過去があるので、現在盲学校(オウム事件松本智津夫の如き生徒を卒業させる劣悪な教育環境下にある)教諭の立場へ至った(高校大学時代が優秀であったのならば普通科教諭になれるハズであるー養護学校教諭の職を選んだのも職業科教諭ですら教職に就くのには無理があるのが理由ー大学卒業に6年間も費やしたのは教諭として不適格な証拠)ところを以って糾弾した、こちらの表現行為が相手方にはかつての非行についての免罪符たる他に潰しのきかぬ養護教員の立場を奪われる心配から、警察への口利きから頻繁に警察相談を繰り返した結果、表現行為を材料に使って沙汰を好物とする相手方が無理やりにも事件にしたものである。津布エは原告による表現行為を利用した責任追求の手から逃れようとした。それは明白かつ現在の危険もないものを、不適切な記述が一部ある点を理由に、情報の自由な流通を妨げようと警察権力を利用し弾圧したものである。携帯電話やインターネットを利用した情報の流通には驚くべきものがあり、本件請求に掛かる原因事件の表現活動もそれと同じ情報流通のひとつである。津布エの悪事へ対する戯言を利用した教侮行為である。刑事事件としての立件も困難で無理である。強制捜査に及んだ磯子署の判断については、「表現の自由」に対する差し迫った非合法の危険もなく、被害の程度の確定も困難で恣意的な制約であり、表現行為を萎縮させる結果となり、憲法上「優越的地位」にある「表現の自由」を行使した、本件事件は違法性阻却事由に該たるとして不問に付すべきである。 署の担当官も津布エによる原告に対する弁を鵜呑み・丸呑みする以外に である原告へ対する情報源に乏しいのを良いことに、強制捜査の必要が高いなどとして横浜簡裁 判事による令状発布並びに 署元署長警視 並びに同署刑事課元課長警部 及び同署同課元1係長警部捕 による令状発布請求と令状執行は違法行為であって、「罪証隠滅の恐れ」「逃亡の恐れ」「急迫不正な侵害」なども無いところを乱暴にも曲解した事件処理である。原告としては警察より任意捜査のひとつである事情聴取の要請があれば即座に応じる用意があるところ、何の前触れもなく問答無用とばかり、突然自宅へ捜査員3名が押しかけて来た上に強制捜査に踏み切るなど、署は警察権力の行使に軽率かつ不注意で悪質極まりない。憲法で保障する「表現の自由」「裁判を受ける権利(後述隣人との民事裁判係続中)」「職業選択の自由」、これら基本的人権の権利行使を侵害したことを正当行為としたもので、日本国内でしか通用せぬ週間文春や週間新潮などの言論の如き民族主義的な思考回路を経由した、人の人格を軽視したものである。
養護学校の教師が高校時代のトラブルを追及されたからといって、それを脅迫事件に仕立て上げた笛木亮介巡査部長は、職務権限を著しく濫用した初級公務員として懲戒の処分に付されるべき者である。
そもそも警察官は余り取締に熱を上げすぎると、世間の空気が萎縮してしまう。オウム事件以後の警察による微罪を理由とする取り締まり強化は、最近のデフレ経済の深刻化を引き起こした諸悪の根源である。先の大戦時を真似るかの如き警察の横暴は社会に無用の停滞感をもたらす危険な権力行使として戒められなくてはならない。つまり刑罰の厳格化を以って憲法で保障する国民の基本的人権の保障についての制限となる危険な動きである。いまやかつての日本の安全神話は警察官によって保たれたものではないことが明らかとなった。安全神話なるものは国民各層の間での努力によって成し遂げられたものであって、日本の安全神話を形成したのが警察によるものとのたまうのは今や驕り高ぶりであることが判明した。その証拠に外国人犯罪の多発化は日本人が無防備であったからこそその隙をついて発生しているものであるのは司法統計より明らかである。
要するに警察官はあまり働きが良くない方が活気ある社会の形成に大いに役立つものである。それはオウム事件以後警察が予算を増やせだの警察官の数を増やせなどという陳情が活発となって以後デフレの兆候が見られ今日に至っている。その典型例が の 巡査部長のこの2~3年の仕事が挙げられる。の自己犠牲による献身的捜査活動は必要の無い犯罪者を生み出し社会に停滞感をもたらしている。特に 区在住の養護学校教師が高校時代のトラブルを理由とする糾弾活動を は何ら違法性の乏しい事件を手掛けて事件にする必要の無い事件を事件にする極悪非情の捜査の結果一人の青年を廃人に追い込んだ例が挙げられる。
近年では先進国たる欧米でも犯罪として取り締まる刑罰を減らそうする動きがみられ日本にも紹介されている。その端緒がPFI的手法による留置場運営英や交通警察の運営である。かつて郵便局が民営化されるなどとは奇人変人の言うことであるとは死語と化した。ドイツ・ポストによる民営化の実験が軌道に乗り出したので構造改革の一つとして日本でも同じように成りつつある。それと同じく欧米先進国では留置場の運営や交通警察の取締を刑罰のひとつしてではなく単なるペナルティーとして民間へ移譲している。この欧米先進各国による動きは、 巡査部長のこの2~3年の仕事への評価とは著しく反する。その証拠に は高卒であり大学で法学教育を受けていない上に警察学校の講習でしか法律を知らず警察沙汰になればそれでオシマイとするのは司法が事後的救済であるのを知らず達成段階の低い証拠である。
平成13年2月9日神奈川県警察 警察署よりの横浜市中区山手にある「横浜訓盲学院」教諭津布エ浩に対する脅迫容疑での逮捕令状を発布したのは、同じ高校の同じクラスのかつての同級生という間柄を無視した暴挙である。旧友へ対するフザケ半分・カラカイ半分での電話・郵便を脅迫容疑とした違法・不当な令状発布である。強制捜査に及ぶだけの嫌疑もないまま、 警察署元刑事課 巡査部長起案による強制捜査に踏み切った事件である。それは請求人側の事情聴取を全く一切せずに請求人についての様子を曲解した十分な捜査もせず、被害者からの誤解と偏見・執念や怨念に基づく事情聴取を丸呑みした、違法かつ不当な捜査に対して何ら 判事自身の判断も全くないまま逮捕手続書(甲)へ盲判を押したものである。津布エに対しては請求人が在学中に学校内部での「パー券事件」を同じ高校の生活指導教諭へ通報した結果、大量の停学・退学処分者を出した処分者に対する生涯掛けて請求人へ報復をするとの予告どおり、 警察署元刑事課 巡査部長へ被害届けを出し、その際嘘・偽りを内容を届出たものである。訴追人は津布エが盲学校教諭という偽善者たる肩書きを丸呑み・鵜呑みにしたところ令状を発布したものである。訴追人は、津布エの親告した被害妄想たる誣告紛いの行為について、違法性・不当性を見抜く眼力が劣っており、津布エが高校での当時の処分者からの誤った噂・風評を基にした被害届けについての十分な判断能力がないことから令状発布に及んだものである。検察庁が不起訴にはしたが、又警"察"を"検"査するのが検察の役割であっても、逮捕という重大な結果を容易に招く初級公務員たる法の執行者である警察官の請求する逮捕手続書へ対してのチェック機能を訴追人は持ち合わせていない。
刑法第222条に規定される行為を為すには、表現活動と表裏一体で言論活動の一環として行われるのが通例である。、言葉を発する、文字を書き文章に組み立てる、一連の思索によって意味を組み立て意味ある物を用意する作る、などは憲法第21条表現の自由規定の「その他一切の表現」に該たる行為である。
脅迫文言あるいは態度などによる害悪告知が人を畏怖させるに足りる害悪の告知といえるかどうかの判断にあたっては、脅迫罪が言論による犯罪であるということから慎重な認定がされるべきである。日常の生活での社会的相当行為として認められるある程度の他人の意思を制したり排したりする行為、立場上の不利益を説いて説得する行為や、取引社会での債務の弁済をしなければ将来の取引を停止する旨の通告、力関係や立場を利用して相手を制する行為は日常茶飯事で、単なる警告や戯言や放言に大言壮語やいやがらせなどから脅迫行為の可罰性を画し、どの程度のものから構成要件に該当する行為となるかについては判断は具体的事情の下に、四囲の状況を客観的に考慮してなされる必要がある。
行為の外形にとらわれることなく、それが為されるに至った経緯、それが為された時の四囲の状況が総合的に判断される必要があり(東京高判昭和36年11月20日下級裁判所刑事裁判例集3巻11=12号993項)、
以前の経緯など前後の具体的状況に照らして人を畏怖させるに足りず、相手方の事情からすると畏怖させるに足りない言辞であった云わなくてはならない(東京高判昭和33年6月28日東京高等裁判所判決時報9巻6号169項、盛岡地判昭和43年8月21日下級裁判所刑事裁判例集10巻8号862項)。
しかも相手方に威迫感ないし恐怖感を抱かしめたとしても、この言動のみをとらえて身体へ暴力を加える意思の表示とは認められず、畏怖させるに足りる害悪の告知とは云えない(福岡地判昭和34年2月20日下級裁判所1巻2号428項)。
諸般の状況から一時の興奮に駆られて、売り言葉に買い言葉としてエスカレートしていったものである(金沢地判昭和41年10月15日判時475巻65項)。
さらには畏怖させる意思を必要であるとする趣旨にも思われるが当時の具体的状況から相手方を畏怖させるに足りる害悪の告知としか云えず(岐阜地判御嶽支部昭和34年7月30日下集1巻7号1718項)、
たまたま相手方の自由意思を拘束するに足りる文言が使用されても、その拘束の度合い等も考慮して違法性が阻却される場合がある(仙台高裁秋田支部判決昭和47年1月27日刑事裁判月報4巻1号35項)。
つまり人を畏怖させるには足りない警告の意味で行ったもの(広島高松江支部判昭25年7月3日高裁刑集3巻2号247貢)
であるので、刑法222条に該当せず、これを取り締まることは憲法21条に違反している。(以上、大コンメンタール刑法第二編32章303、322以下より)
ネットに「殺す」、宅八郎氏を書類送検へ
の事件の顛末は、
ミクシィに「ブッ殺します」宅八郎氏、起訴猶予
という。
この理由は明らかにはされていませんが、本稿にも記載したとおり「論争の一つ」として、言論の自由や表現の自由が考慮されたのではとの思惑が成り立つでしょう。
津布工の人格
は とは止むなく同級生となったものであって、15の春泣くより18の春見返せということで、不本意な関係であった。被害者は高校時代より口ひげ・茶髪・リーゼント・ポマード・ガクラン・ボンタンのDV男で乱暴者の体裁であった。被害者は授業の合間に掃除道具入箱を突然拳で殴り付けストレスの解消を図る癖があり、クラスでも被害者を恐れていた級友は数多く、被害者は原告の通報によりパー券事件で中途退学となった者達の代わりにお礼参りを生涯に渡って果たすと公言(卒業式終了後クラス担任へ学校側の事件の解決方針へ散々苦言を呈暴力事件の話題を何時間も論争していたー他大学受験予定の原告は卒業後の進路指導を受けるために論争の終結迄待たされた)してはばからなかった。沙汰に好色であって警察への口利きを怠らない人格であった。短絡的判断を専らとする乱暴者であった。被害者は原告の差し出した郵便葉書記載内容に心当たりがあり、そこを突かれて罪悪感と恐怖心を増幅させていた。その一方被害者は潰しのきかない特別な職業に就いており、夏季休暇を一ヶ月半与えられその間の給与を丸々受け取っている。養護教員となった理由は腹違いと種違いの兄姉がいて、その片方はロンブローゾの指摘する頭骨にパラノイアの特徴がみられる養護学校出がいる。器量からいっても贖罪としての免罪符を求めて養護教員に就いたものであって、いわゆる不適格教員である。
真の被害者は である。
高等学校在学中に、原告が級友たる不良グループから受けたイジメ事件について大量処分者を出すに至る事件の発端は、本件被害者と称する同級生津布エ浩が加入している校外の任意団体アメリカン・フットボールチーム「 」へ、原告の大学進学を阻む目的で強い調子で津布エ浩の手により強制加入させられ、クラス内でベスト10の圏内に絶えずあった原告の学力が低下し、親大学への推薦入学が危うくなったところを理由に退会したところを以って、同級の不良グループより「天誅」の名目で殴る蹴るなどの暴行を連日受け続けた以外にも、不良グループの「使い走り」をさせられるなどの被害があった。本件の被害者と称する津布エ浩からも暴言を吐き付けられたり、胸倉を掴まれながら売り言葉に買い言葉の最中顔面を殴られて前歯を折られるなどの被害もある。
しかも原告の父親は ではあるが大学卒業の学士である以上、その たる の大学進学は当然でもあるので、猛勉強の末「 」へ入学し、 入会、その後 への進学と 、転じて 学修了、各種資格取得などの経歴を持つに至った事ですらも調べ上げもせずに、ましてや憲法21条の保護を受ける著述業を営んでいることに至っては寝耳に水であったろう。 警察の逮捕取調送検は津布エ浩の暴行傷害強要を正当化するに等しく断じて許すことはできない。
被害者と称する津布エ浩が深刻な事態へ至る前の被害届(イジメっ子は昔イジメた相手に対して常に神経質となっているので、当事者外からの被害も全部関係付けてしまう供述)であるとの当時の捜査主任の陳述書中での供述は不自然な点が数多い。まず「 」などとの電話程度で本当に殺される確率が高いのかどうか疑問である。しかも実際に わけではない。その上相当な理由もなく電話や郵送物送付したわけではない。その理由は訴状以下準備書面(本書面も含む)に散々書き散らしているとおりである。「 」というセリフは被害者と称する津布エ浩自身が原告と同級であった時にも、格闘家のボブ・サップがかつてフットボーラーであったのと同じフットボーラーである被害者と称する津布エ浩自身から原告へ対して何回も聞かされている言葉であって、被害者と称する津布エ浩は へ対して「お前を殺す」と脅し続けたことは、当時を知る同級生を始めクラス担任も暗黙の了解事項となっている言葉である。被害届を額面どおり受け取れば恐ろしい事件かも知れないが、被害者と証する津布エはかつて不良であった事実からの免罪符を既に手に入れており、勝ち逃げにて自分だけが良い子に収まろうとしている。本件は最高裁までやらせてもらう。
被害者から事情聴取をした際に被害者の「盲学校教師」(かつての不良が免罪符取得目的で入手ー教員免許を取得するのは容易だが、その免許を生かして教職に就くには非常に難があり、普通科どころか職業科教諭にも就けず養護学校教諭に就いたのは被害者と称する津布エ浩の人格と能力に非常に劣る点があるのがその理由)との肩書きのみに目を捕らわれ、相手方には恨みを多数買うだけの人物であって、警察沙汰を自らの悪業解消の手段として利用しようとしているのも知らずに、 警察は原告から逮捕以前の早い段階でその事情や経緯に一切耳を傾けることなく、津布エ浩のオベンチャラに盲従追随し、不良の旧友(奴の当時のセリフに「傷付け合うのが愛」とするものがあるー警察沙汰を敵討ちなどという権利侵害の手段として利用)なので警察沙汰で敵を討つなど、原告を凶悪犯であるかの如く犯人像を描き続け立件したのは、いくら に (前科はないー全て 処分)があっても不充分な捜査による逮捕であることは間違いがなく、被害者と称する津布エ浩の被害妄想へ追随する捜査担当官の過度の正義妄想である。事件当時は一年間に事件の発生件数の少ない2月に逮捕令状を執行しており、刑事課内のひとつの班4~5名が1件を取り扱うのに専任しても、一ヶ月3件程度の取り扱いが限度である。一ヶ月平均7~8件程度の告訴がある。その割には余りにも軽微な事件でもあり何ら凶悪性や危険性の乏しい言論表現活動を「脅迫」だのと、雑事件の立件にて同業者の便宜と被害者と称する津布エ浩の二十数年前の敵討ち(当時赤穂浪士討ち入り400年)に加担するなど、意思決定に瑕疵がある刑事手続きを抵抗できぬ強要行為に利用したり、 警察は当時暇を持て余していた事実も窺える。
しかも原告は当時 を受講中でもあり、他方 との民事裁判を 地裁 支部にて審理継続中でもあり、罪証隠滅や逃亡の怖れは全くなく警察の捜査不充分さが見え隠れしている。 警察による原告に対する民事介入暴力として処断する緊急性・必要性が高い。
刑事法学で云うところの「破れ窓理論・割れ窓理論」を警察に適用すれば、かような警察の違法行為(警察沙汰を敵討ちなどという権利侵害目的で逮捕取調送検新聞発表に利用)をひとつでも見逃すと次々と警察が同様な違法行為を繰り返す危険性が高い。特にマスコミが挙って小さな雑事件を次々と延々と30分も放送したり、紙面に大きく掲載する、などは「巨悪を眠らせない」とのかつての東京地検特捜部の捜査方針に反する雑魚報道を興味本位で繰り返している。小泉純一郎総理逮捕収監であるとか、石原慎太郎都知事逮捕収監などのニュースが報道される気配ですら窺えぬ。このことからすると、日本警察は罪刑法定主義が確立されたマグナカルタ制定以前の弱肉強食(強きを助け弱きをくじく)の段階へ逆送した。真の被害者を取り締まり巨悪たる津布エ浩を咎めることなく、毎晩安心させて寝付かせる非常識をまりとおす危険を犯し、絶対に許すことはできない。
当該事件被害者たる男性とはかつて同じ学校の同級の関係にあり、男性はかつて暴力生徒の一員であって、当時原告が「パー券事件」「暴力事件」の発生を生活指導教諭に通報したことが契機となって大量処分者を出す事件となった。ところが原告が行った表現行為は、当該男性に疾しい心当たりがありその責任追求が止まぬので、やがて罪悪感を増幅させ恐怖心を持つに至ることとなった。当該事件の責任から回避させぬと、原告の事業のひとつである著述業による創作活動の一環として、教侮させるべく糾弾を行ったものである。つまりその男性には疚しい過去があるので、現在盲学校(オウム事件松本智津夫の如き生徒を卒業させる劣悪な教育環境下にある)教諭の立場へ至った(高校大学時代が優秀であったのならば普通科教諭になれるハズであるー養護学校教諭の職を選んだのも職業科教諭ですら教職に就くのには無理があるのが理由ー大学卒業に6年間も費やしたのは教諭として不適格な証拠)ところを以って糾弾した、こちらの表現行為が相手方にはかつての非行についての免罪符たる他に潰しのきかぬ養護教員の立場を奪われる心配から、警察への口利きから頻繁に警察相談を繰り返した結果、表現行為を材料に使って沙汰を好物とする相手方が無理やりにも事件にしたものである。津布エは原告による表現行為を利用した責任追求の手から逃れようとした。それは明白かつ現在の危険もないものを、不適切な記述が一部ある点を理由に、情報の自由な流通を妨げようと警察権力を利用し弾圧したものである。携帯電話やインターネットを利用した情報の流通には驚くべきものがあり、本件請求に掛かる原因事件の表現活動もそれと同じ情報流通のひとつである。津布エの悪事へ対する戯言を利用した教侮行為である。
本件原因事件たる津布エ浩との紛争に付いては、原告は であるので観光・ショッピング以外に地理・風土に馴染みのない横浜へ 受講のために通うこととなって、横浜界隈に津布エの自宅だか勤務先があるのは察知していた。そこで津布エは過度に不安を増幅させ続けこれを理由として20何年来の恨み・憎しみを決着する絶好の機会と待っていた。その理由は高校時代に校外の任意団体たる(実態は日本大学の不良学生が母体として運営している喧嘩集団)「アメリカン・フットボール・チーム」への入会を強要されたことにより、不良グループから目を付けられた上に、自分の意思(親大学法学部への推薦入学達成から他大学法学部受験)の貫徹に重きを置いたので、学校を裏切ったとの感傷論をチームを退会した一連の経緯を理由として置き換え、嫌がらせや暴力沙汰の事件の原因を発生させた津布エに、そもそもの責任がある。このように考えるに付いては次の具体例がある。 署に勾留中にJR山の手線新大久保駅で盲人がホームから転落した際に、救助するべくホームから降りた救助人が電車に跳ねられ死亡した事件が発生し、人道的に当然のことを「英雄的行為」などとマスコミが賞賛したその背景には、盲学校のひとつである津布エの勤務先たる「横浜訓盲学院」が、各方面へ働きかけ国民的話題として大々的に取り上げさせた、との事後談を校長へ確認したところ「そのとおり」との回答を得た。これも津布エが盲学校教諭となったその経緯からすると、かつての不良が免罪符入手目的でしたことは高校時代の奴を知る原告には明白であり、その上今回の事件を新聞社へ被害者として名乗りを上げて、記事(本件訴訟勝訴後に訂正記事の出稿請求を予定している)にすることまでする悪質な性格と歪んだ人格の持ち主である。しかも身体的にハンディーを背負っている子供の教育をしているなどという美名で、養護学校教員の立場を錦の御旗として振り回し、これを免罪符として濫用・悪用し特別扱いを求めるなど、もともとの津布エの人格の特徴たる凶暴性・凶悪性・危険性がベースとして存在するからこそである。その津布エ浩の生育地は大阪で言うところの東大阪や岸和田と同じ環境の大田区蒲田糀谷(津区布エの父親は都バスの運転手ー他方原告の父親は の人事部に所属する職員の教育研修担当教官)で生育している。津布エの粗暴な性格や乱暴な反応にはその「免罪符」獲得が急務であり、その方便が養護学校教諭への就職であった。教員免許取得はそれ程困難ではないが教職へ就くのは非常に難がある。横浜訓盲学院は幼稚園から小学部・中等部・高等部までの一貫教育をする教師の免許について、一種類の免許だけで全ての部類を教育させる教員免許上の抜け穴を利用して、教員を採用し教育に当たらせている。津布エのかつての台詞に「傷付け合うのが愛」とするものがある。乱暴者が自己を正当化するのに最も適した台詞である。原告は高校時代の暴力事件を解決するのにおよそ1年間を費やして解決した。今回津布エは僅か3ヶ月間の出来事を即警察へ持って行った。これは津布エの短絡的な判断である。しかも新聞社へ記事にさせるなど針小棒大な扱いである。津布エが教師であろうとも「不適格教員」であるのは自明である。その証拠に教諭の立場にあるのならば、捜査結果を受けて行為者の特定以後に自らの学識を用いて諭すであるとか、注意書き返信であるとか、署員を利用して参考人聴取の際に「始末書」を書かせるだとか、当事者が旧知の間柄ではそれが可能である。津布エは20何年前の事件を執拗に根に持って「敵討ち」「仇討ち」(その頃丁度赤穂浪士討ち入り400年)など、教育者にはおよそ不適格な方法にて決着を図る、教育者としての資質に欠ける人材であったことが、今回事件の結果判明した。このような人材には先天的ハンデを背負った子供の教育は無理であり、体罰に偏重するなど最近の教育現場で問題となる「不適格教員」である。しかも津布エが「点字」の読み書きを憶えた、「盲導犬」の使い方を指導できるなどとの嘘偽りも程々にして頂きたい。その津布エが事件解決を依頼した警察署は、戦時中の治安維持法違反の取り調べを行い、最近になって再審決定が下された「横浜事件」の捜査を担当した「 警察」であった。
表現の自由侵害
原告は、後日疎明書類「個人事業開業届出書」中、事業の種類の欄に記載の通り、「 」を事業のひとつとして営むものである。神奈川県警察平成 年 月 日事件の原因は、旧労働省の外郭団体 機構が委託する横浜駅前にある へ を受講しに行くこととなって、本件原因事件たる相手方が横浜界隈を本拠地としていることは事前に察知していたが、かねてより双方とも因縁の深い間柄であって、双方とも不良が暴れている暴力学校卒業についての怨念染みた感情が消え去らず、いつのまにか何とはなしに単なる嫌がらせめいた気持ちの高ぶりが芽生え良からぬ風評も波立ちだし、原告は個人事業のひとつである による表現行為を利用して、正当行為たる原告の権利を守る必要に迫られて、正当防衛として、被害者とされる男性宛へ郵送物送付並びに留守番電話への吹き込みをしたものである。その中のひとつであるカッターの替え刃送付についても、単なる嫌がらせの範疇から芸術的感性の発露としてのいわゆる「オブジェ」送付に至った。これらすべて憲法21条にて保障される「表現の自由」の行使のひとつであり、それを 署が警察権力による言論弾圧したものである。 署に付いては職権濫用致傷・特別公務員陵虐致傷の嫌疑が濃厚であるところ、当該事件被害者たる男性とはかつて同じ学校の同級の関係にあり、男性はかつて暴力生徒の一員であって、当時原告が「パー券事件」「暴力事件」の発生を生活指導教諭に通報したことが契機となって大量処分者を出す事件となった。ところが原告が行った表現行為は、当該男性に疾しい心当たりがありその責任追求が止まぬので、やがて罪悪感を増幅させ恐怖心を持つに至ることとなった。当該事件の責任から回避させぬと、原告の事業のひとつである著述業による創作活動の一環として、教侮させるべく糾弾を行ったものである。つまりその男性には疚しい過去があるので、現在盲学校(オウム事件松本智津夫の如き生徒を卒業させる劣悪な教育環境下にある)教諭の立場へ至った(高校大学時代が優秀であったのならば普通科教諭になれるハズであるー養護学校教諭の職を選んだのも職業科教諭ですら教職に就くのには無理があるのが理由ー大学卒業に6年間も費やしたのは教諭として不適格な証拠)ところを以って糾弾した、こちらの表現行為が相手方にはかつての非行についての免罪符たる他に潰しのきかぬ養護教員の立場を奪われる心配から、警察への口利きから頻繁に警察相談を繰り返した結果、表現行為を材料に使って沙汰を好物とする相手方が無理やりにも事件にしたものである。津布エは原告による表現行為を利用した責任追求の手から逃れようとした。それは明白かつ現在の危険もないものを、不適切な記述が一部ある点を理由に、情報の自由な流通を妨げようと警察権力を利用し弾圧したものである。携帯電話やインターネットを利用した情報の流通には驚くべきものがあり、本件請求に掛かる原因事件の表現活動もそれと同じ情報流通のひとつである。津布エの悪事へ対する戯言を利用した教侮行為である。刑事事件としての立件も困難で無理である。強制捜査に及んだ磯子署の判断については、「表現の自由」に対する差し迫った非合法の危険もなく、被害の程度の確定も困難で恣意的な制約であり、表現行為を萎縮させる結果となり、憲法上「優越的地位」にある「表現の自由」を行使した、本件事件は違法性阻却事由に該たるとして不問に付すべきである。 署の担当官も津布エによる原告に対する弁を鵜呑み・丸呑みする以外に である原告へ対する情報源に乏しいのを良いことに、強制捜査の必要が高いなどとして横浜簡裁 判事による令状発布並びに 署元署長警視 並びに同署刑事課元課長警部 及び同署同課元1係長警部捕 による令状発布請求と令状執行は違法行為であって、「罪証隠滅の恐れ」「逃亡の恐れ」「急迫不正な侵害」なども無いところを乱暴にも曲解した事件処理である。原告としては警察より任意捜査のひとつである事情聴取の要請があれば即座に応じる用意があるところ、何の前触れもなく問答無用とばかり、突然自宅へ捜査員3名が押しかけて来た上に強制捜査に踏み切るなど、署は警察権力の行使に軽率かつ不注意で悪質極まりない。憲法で保障する「表現の自由」「裁判を受ける権利(後述隣人との民事裁判係続中)」「職業選択の自由」、これら基本的人権の権利行使を侵害したことを正当行為としたもので、日本国内でしか通用せぬ週間文春や週間新潮などの言論の如き民族主義的な思考回路を経由した、人の人格を軽視したものである。
養護学校の教師が高校時代のトラブルを追及されたからといって、それを脅迫事件に仕立て上げた笛木亮介巡査部長は、職務権限を著しく濫用した初級公務員として懲戒の処分に付されるべき者である。
そもそも警察官は余り取締に熱を上げすぎると、世間の空気が萎縮してしまう。オウム事件以後の警察による微罪を理由とする取り締まり強化は、最近のデフレ経済の深刻化を引き起こした諸悪の根源である。先の大戦時を真似るかの如き警察の横暴は社会に無用の停滞感をもたらす危険な権力行使として戒められなくてはならない。つまり刑罰の厳格化を以って憲法で保障する国民の基本的人権の保障についての制限となる危険な動きである。いまやかつての日本の安全神話は警察官によって保たれたものではないことが明らかとなった。安全神話なるものは国民各層の間での努力によって成し遂げられたものであって、日本の安全神話を形成したのが警察によるものとのたまうのは今や驕り高ぶりであることが判明した。その証拠に外国人犯罪の多発化は日本人が無防備であったからこそその隙をついて発生しているものであるのは司法統計より明らかである。
要するに警察官はあまり働きが良くない方が活気ある社会の形成に大いに役立つものである。それはオウム事件以後警察が予算を増やせだの警察官の数を増やせなどという陳情が活発となって以後デフレの兆候が見られ今日に至っている。その典型例が の 巡査部長のこの2~3年の仕事が挙げられる。の自己犠牲による献身的捜査活動は必要の無い犯罪者を生み出し社会に停滞感をもたらしている。特に 区在住の養護学校教師が高校時代のトラブルを理由とする糾弾活動を は何ら違法性の乏しい事件を手掛けて事件にする必要の無い事件を事件にする極悪非情の捜査の結果一人の青年を廃人に追い込んだ例が挙げられる。
近年では先進国たる欧米でも犯罪として取り締まる刑罰を減らそうする動きがみられ日本にも紹介されている。その端緒がPFI的手法による留置場運営英や交通警察の運営である。かつて郵便局が民営化されるなどとは奇人変人の言うことであるとは死語と化した。ドイツ・ポストによる民営化の実験が軌道に乗り出したので構造改革の一つとして日本でも同じように成りつつある。それと同じく欧米先進国では留置場の運営や交通警察の取締を刑罰のひとつしてではなく単なるペナルティーとして民間へ移譲している。この欧米先進各国による動きは、 巡査部長のこの2~3年の仕事への評価とは著しく反する。その証拠に は高卒であり大学で法学教育を受けていない上に警察学校の講習でしか法律を知らず警察沙汰になればそれでオシマイとするのは司法が事後的救済であるのを知らず達成段階の低い証拠である。
平成13年2月9日神奈川県警察 警察署よりの横浜市中区山手にある「横浜訓盲学院」教諭津布エ浩に対する脅迫容疑での逮捕令状を発布したのは、同じ高校の同じクラスのかつての同級生という間柄を無視した暴挙である。旧友へ対するフザケ半分・カラカイ半分での電話・郵便を脅迫容疑とした違法・不当な令状発布である。強制捜査に及ぶだけの嫌疑もないまま、 警察署元刑事課 巡査部長起案による強制捜査に踏み切った事件である。それは請求人側の事情聴取を全く一切せずに請求人についての様子を曲解した十分な捜査もせず、被害者からの誤解と偏見・執念や怨念に基づく事情聴取を丸呑みした、違法かつ不当な捜査に対して何ら 判事自身の判断も全くないまま逮捕手続書(甲)へ盲判を押したものである。津布エに対しては請求人が在学中に学校内部での「パー券事件」を同じ高校の生活指導教諭へ通報した結果、大量の停学・退学処分者を出した処分者に対する生涯掛けて請求人へ報復をするとの予告どおり、 警察署元刑事課 巡査部長へ被害届けを出し、その際嘘・偽りを内容を届出たものである。訴追人は津布エが盲学校教諭という偽善者たる肩書きを丸呑み・鵜呑みにしたところ令状を発布したものである。訴追人は、津布エの親告した被害妄想たる誣告紛いの行為について、違法性・不当性を見抜く眼力が劣っており、津布エが高校での当時の処分者からの誤った噂・風評を基にした被害届けについての十分な判断能力がないことから令状発布に及んだものである。検察庁が不起訴にはしたが、又警"察"を"検"査するのが検察の役割であっても、逮捕という重大な結果を容易に招く初級公務員たる法の執行者である警察官の請求する逮捕手続書へ対してのチェック機能を訴追人は持ち合わせていない。