76.医療制度の国際比較(4) アメリカの医療制度(3) 
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2007年7月16日記載)

 アメリカの医療制度について、影の部分を重点的に分析し、日本が今進めている医療改革で、アメリカ医療の市場原理を導入しないように、注意点を述べてきた。今回は、そのアメリカで進められている、医療改革を求める動きについてまとめ、日本の医療改革を考えるヒントにしたい。

1.国民皆保険運動とその挫折

(1)ジョンソン、ニクソン時代

 @ケネディ大統領の後を引き継いだジョンソン大統領は、貧困との戦いを掲げ、1965年に社会保障法を成立させて、メディケア(高齢者向けの公的医療保険制度)とメディケイド(貧困者向けの医療扶助計画)を創設した。。
 Aしかし、メディケアは予想をはるかに上回る医療費支出によって、施行後数年で財政再建を迫られることとなった。そこで当時野党に転落していた民主党は、エドワード・ケネディ上院議員を中心に「国民健康法案」の成立を目指した。
 Bその国民皆保険を目指す民主党案をつぶすために、当時のニクソン政権が考え出したのが「HMO戦略」である。メディケアの再建と無保険者問題の改善を同時に達成できる妙案として、1973年に「HMO法」として成立した。
 Cこの結果、民主党が目指した国民皆保険は頓挫してしまった。

(2)クリントン改革の挫折

 @1990年代のアメリカは空前の好景気に沸いたが、「ジョブレス・リカバリー」とも呼ばれたように失業問題が深刻化し、その結果、無保険者が大幅に増えた(アメリカの医療保険加入の大半は雇用を通じてであるから、失業は医療保険の喪失をも意味した)。
 Aそこで1992年の大統領選挙は無保険者問題が選挙の争点として浮上し、選挙に勝った民主党のクリントン大統領は、国民皆保険を目指して、1993年に医療保障法案を議会に提出した。
 Bしかし、保険加入者数の増大は追加的な医療費負担を生み出すとの懸念が財界に広がり、結局、医療保障法案は廃案とされてしまい、4千万人を上回る無保険者はそのまま放置されることになってしまった。
 Cクリントンの医療改革の失敗と対照的に発展を遂げたのが、HMO、PPOといったマネジドケアである。

(3)マネジドケアの発展 

 @団体医療保険におけるマネジドケアの発展の状況を右上の図1に示す。団体医療保険における保険種類別構成比をみると、1992年には、51.6%あった従来型の保険が1997年には21.2%へと半分以上に激減した。
 
Aその反面、マネジドケア型は、1992年の48.4%から1997年の79.8%へと、大幅にシェアを伸ばした。
Bこれは、マネジドケアが医療費を抑制し企業負担を軽減するとの期待感があったためである。マネジドケアによる医療費抑制効果については諸説があるが、アメリカ商務省の調査に基づく結果を左の図2に示す
 C雇用主の医療費負担を税引後利益との比率で換算すると、1990年の72.6%から、1995年の53.4%まで、20%近く減少した。
 D医療費負担のうち、保険料負担だけを取り出してみても、1990年の59.9%から1995年の43.4%まで、16%ほど減少した。
 Eこの減少は、好景気による利益の上昇という面もあるが、マネジドケアの効果、という面もあると思われる。


マネジドケアの憂鬱 

 1990年代前半に大きく成長したマネジドケア業界は、1990年代後半以降、厳しい経営環境に直面することとなった。その原因として、次の3点があげられる:@支払者側の圧力、A制度改正に伴う財政負担、Bマネジドケア規正法の制定。
 こうした経営環境の変化によりマネジドケアの業績は悪化しており、1990年代後半以降、HMOの平均利益率は赤字に転落している。(右下の図表9を参照)。(この図表は、参考文献1から引用)。

(1)支払者側の圧力 

 @一般に民間医療保険市場では、保険料率や保険給付が標準化される公的医療保険制度の場合と異なり、保険会社と医療費支払者(保険購入者)、医療提供者との力関係がすべてを決する。
 Aまず、保険会社側が急激な買収・合併によって大規模になり、医療支払者と医療提供者に対する交渉力を強化して、保険料を引き上げ、医療費支出を減らして、利益を増やした。。
 Bそこで、保険購入者側が結束して大規模組織を結成し、保険会社側に対して保険料の値下げを要求するようになった。
 Cたとえば、マサチューセッツ州では、地元財界が「医療者購入組合(MHPG:Massachusetta Healthcare Purchaser Group)」を結成し、保険料率抑制交渉を行った。その結果、結成年1994年の翌年以降、マサチューセッツ州のHMOの平均利益率は赤字に転落した(右の図表9参照)。。
 Dしかし、医療費支払側の圧力は、国民全体を代表するものでない限り、保険料負担の不平等をもたらす恐れがある。たとえば、MHPGに対する割引保険料を補填すべく、MHPGに属さない者の医療保険料が意図的に引き上げられるのである。

(2)規制改革に伴う財政負担 

 @まず第1に、1996年、「連邦HIPAA法:Health Insurance Portability and Accountability Act)」が制定され、管理の簡素化規定ができた。この規定は、すべての病院と保険会社に対して、保険情報および医療情報(カルテ等)を互換性を持たせた形で電子化することを要求している。問題はそのための設備投資を捻出しなければならない。
 A情報化投資負担の悩みは深刻で、たとえば、全米屈指のグループHMOのカイザー・ヘルス・プラン社も、膨大な情報化投資関連コストのために、1999年に初めて赤字を計上した。
 Bまた、BCBS社も同様で、全国組織のBCBS協会が1994年に営利転換を認めた背景には、情報投資のための資金調達先として株式市場が魅力的であったからだそうである。
 注: BCBS社は、全米最大の非営利型のマネジド企業である(詳しくは、「75.医療制度の国際比較(3)アメリカの医療制度(2)」を参照ください)。
 C次いで第2に、マサチューセッツ州の未払い医療費支払基金(フリー・ケア・プログラム)の財政方式が改正され、1997年より州政府と病院に加え、新たに保険会社にも基金への拠出が義務付けられたことがあげられる。この変更によって、保険会社は業界全体として基金の年間予算3億〜3億5千万ドルの3分の1を拠出実場ならなくなり、経営の圧迫要因となった。

(3)マネジドケア規正法の制定 

 @マネジドケアによる医療費管理の手段として、専門医受診や入院の抑制が行われ、その結果、手遅れになったり、早期退院をさせられて余病を併発する等のトラブルが多発するようになった。
 Aそのため、マネジドケアによる医療管理には社会的な反発が大きくなり、医療管理を規制する立法が州レベルで相次ぐようになった。マサチューセッツ州でも、2000年11月に、いわゆる「マネジド改革法」が成立した。改革法の要点は以下の通り。
  @.合理的常識的な救急受診を保障すること。
  A.保険給付の拒否は医師の判断によるものとし、また、不服がある場合の紛争処理制度を整備すること。
  B.一定数の患者確保や45日以内の診療報酬支払など医業経営を保護すること。
  C.「さるぐつわ条項」を禁止し、医師と患者の話し合いを認めること。
 Bこの規正法により、保険者による医療管理は大きく制約され、保険給付額の抑制が困難になった。このため、保険会社の支出が増え、その分減益となった。
 Cしかし、同時期に実施された、より一層の規制強化を求める州民投票は、営利・非営利を問わず保険会社が全力を挙げて阻止運動を繰り広げたため、成立しなかった。

ネイバーフッド保険会社について

 市場主義に基づくアメリカの医療制度の中で、患者の立場を第一に考えて奮闘している非営利型のHMOも、数は少ないが存在する。ボストンにある小さな非営利HMOの「ネイバーフッド保険会社(NHP:Neighborhood Health Plan)」は、地域住民を大切にする保険会社として、大手の営利保険会社(プルデンシャル社等)に負けないように頑張っている。

 @ネイバーフッド保険会社(NHP社)は、1988年に地域のコミュニケーションを母胎とした、地域主体のHMOとして誕生した。小企業にターゲットを絞った一般保険もあるが、対象とする会員はメディケイド受給者が中心であり、会員の9割(10万5千人)がメディケイドの受給者である。
 ANHP社の方針は、「喘息患者とエイズ患者は貧困層に多い。だから、貧困層対象のNHP社のプログラムが作られること」、だそうである。NHP社の支出の大部分は、医療費であるが、NHPのヘルス・プランの考え方は、病気になった人の医療費を削ろうというのではない。会員の健康度を高めることによって、最終的に医療費を削減しようというのが、NHP社本来の考え方である。
 BNHP社は、プロバイダー・リレーションズ(Provider Relations:医療提供者の協同)を大切にし、情報提供、教育、啓蒙活動などによるプライマリケア医の能力強化に力を注いでいる。
 CNHP社のもう一つの大きな方針は、事務管理費を10%以内に抑えるということである。マネジドケア会社の中には、事務管理費が全体の3割にも達しているところもある。また、経営者の中には、何億円もの年収をとる人もいるそうで、保険会社に向けられる批判の一つになっている。
 D州政府からのメディケイドの支払は、病気や重症度、年齢などで給付金額が違うので、NHP社ではパターンをみながら毎年州政府と交渉している。しかし、それだけでは、患者に給付すべき医療のすべてをメディケイドで支払うことはできないので、薬剤費の高騰に対しては、薬剤給付管理会社(PBM:Pharmaceutical Benefit Management)を導入している。また、NHP社の持ち出し分に対する再保険にも加入している。つまり、NHP社は、メディケイドの支払者である州政府と利用者である患者の間に入って、医療費のマネジメントをしているわけである。
 Eメディケイドを対象とするということは、必然的にマイノリティを対象とするということであり、アフリカ系アメリカ人、ヒスパニック、東洋系アメリカ人を多く会員にする、ということである。このため、NHP社では、24時間どんな言語でも対応できるサービスを用意している。(スタッフが対応できない言語に対しては、AT&T社の同時通訳サービスを利用している)。

4.医療防衛特別委員会の活動  

(1)医療防衛特別委員会の結成 

 @ケンブリッジ市立病院のヒンメルシュタイン医師は、ハーバード大学名誉教授バーナード・ロウン医師(ノーベル賞受賞者)らと共に、1997年に「医療防衛特別委員会」を立ち上げた。彼らは、医療に市場原理はなじまないと、全米医師会誌に、「利益に為でなく、患者の為に」というタイトルで、国民皆保険を国に求めるアピールを出した。
 注: ヒンメルシュタイン医師は、マネジドケアの「さるぐつわ条項」を暴露して、一躍「時の人」となった正義感溢れる医師である。(「さるぐつわ条項」を、めぐる経緯については、「74.医療制度の国際比較(2)アメリカの医療制度(1)で述べた)。
 A「医療防衛特別委員会」のメンバーは、医者、ナース、それ以外の医療従事者で構成されているが、病院の経営者やHMOの経営者はメンバーに入っていない。
 B「医療防衛特別委員会」には、ドクターが3,000人から4,000人加入しているが、彼らがメンバーになった理由の一つは、「アメリカには世界最高の医療インフラがそろっているのにそれを活用できない」という不満があるからである。(医者の立場から、必要と判断した医療行為でも、保険会社が認めたものでなければ、行うことはできない)。

(2)国民皆保険制度を目指す運動 

 
@アメリカでは大統領選挙に合わせて、いろいろな課題を争点にした州民投票が行われる。2000年の大統領選挙の時には、「医療防衛特別委員会」が先頭に立って、マサチューセッツ州で「国民皆保険制度」を目指す州民投票にうってでた。
 A選挙戦に入る前の住民アンケートでは、80%対20%で、「医療防衛特別委員会」の主張が支持されていたが、危機感を強めたHMOなどの民間保険会社や営利病院、製薬資本などが金に糸目をつけずに連日テレビで、「国民皆保険制度」に反対する大キャンペーンを行った。
 B最終的には、「医療防衛特別委員会」の選挙資金5万ドルに対して、120倍の600万ドルという運動費を投じた反対派の勝利となったが、その差は、51%対49%で、わずかなものであった。
 Cしかし、その後、いくつかの都市の住民投票で「国民皆保険制度」賛成の成果を勝ち取っている。たとえば、メイン州ポートランド氏では、52対48で、「医療防衛特別委員会」の主張が支持され、ニューヨークタイムズ紙は、「国民皆保険支持の小さな投票結果は、実に重大だ」と報じている(保団新聞2002年9月5日号)。

5.日本の医療改革が学ぶべきポイント

(1)医療の三要素 

 @米国オレゴン州の低所得者用医療保険「オレゴン・ヘルス・プラン」の管理部局には、「“Cost, Access, Quality. Pick any two.”:コストとアクセスと医療の質。このうちの二つを選んでください」という言葉が額に入れられて飾られているとの事である。
 A「コストを抑制してアクセスも保証し、質も良くする」ということなど出来ない、と言っているのであるが、英国の場合は、コストを抑制しすぎたために、手術待ちが著しく長くなるなどアクセスが悪化した。日本も現在進めている医療改革では、費用の抑制を大きな目標として掲げている。これは、はたして正しい方針なのだろうか?

(2)日本医療の最大の問題点はその「質」 

 @日本の医療が抱える最大の問題点はコストではなく、その「質」である。その証拠が、頻発する「医療事故」である。しかも、その事故が極めて単純なミスから起きているのである。
 注: 日本の医療費は安いし、医療費支出もGDPに比べれば極めて少ないということは、「73.医療制度の国際比較(1):費用」で分析した)。
 Aなぜそうなったかというと、医療の質を保証する制度を作ってこなかったことに加え、医療の質を高めるための社会資源の投入を惜しんできたことが挙げられる。
 B医療の質を良くする事に金を使うことを惜しんできた格好の例が、「医療の卒後研修を保証する財政基盤を社会に用意してこなかった」ことである。その結果、研修を充分に受けていない未熟な医師が「一人前」の医師として医療の最前線に送り込まれる、ということになり、医療の質の低下を招いているのである。
 Cさらに、看護師が病院の中を忙しく飛び回っているのは日本特有の現象とも言える。これは、患者1人当りに配置されている看護師の数が少なすぎるために、彼女たちが走り回らないと仕事がこなせないからである。なぜ、少ないかと言えば、医療費を抑制するために、診療報酬で充分な看護師の配置を認めていないからである。このため、看護師のケアレス・ミスに起因する医療事故も多発している。
 注: 病床100床当りの看護職員数は、日本は米国の5分の1、英国の3分の1に過ぎない。
 Dまた、よく問題になる「3時間待ちの3分診療」にしても、医師の数を増やし、医師の診療費に時間制を取り入れれば解決する問題である。専門技能を売り物にしている職業で、時間と収入が直結していないのは医師だけである、といっても過言ではない。たとえば、弁護士の費用は、相談時間に応じて決まっている。

6.最後に

 アメリカでも市場原理を見直して医療制度を改革しようとする動きがある。政治的にみれば、市場原理を見直して国民皆保険制度を目指す民主党と、市場原理をベースに現行の制度の枠組み内で改革を進める共和党、という枠組みになる。こうした動きを参考に、日本の医療改革が求めるべき方向を探ってみると、市場原理をベースとした改革ではなく、診療報酬の抑制だけを目指すのでもなく、「医療の質」の向上を目指した改革を行うべきである、という結論に達した。次回は、医師や看護師の数、といった医療資源とその利用状況について、国際比較を試み、日本の医療制度が抱えている問題点を探ってみることとする。

参考文献: 1.「市場原理のアメリカ医療レポート」、三浦清春、かもがわ出版
         2.「介護地獄アメリカ」、大津和夫、日本評論社
         3.「苦悩する市場原理のアメリカ医療」、アメリカ医療視察団、あけび書房
         4.「超・格差社会アメリカの真実」、小林由美、日経BP社
         5.「市場原理が医療を亡ぼす」、李啓充、医学書院

日本の医療に関するコラムは以下の通り。

38.日本の医療(1)制度と問題点 39.日本の医療(2)医療機関と医者
40.日本の医療(3)医療従事者と患者 41.日本の医療(4)医療機関の経営状況(1)
42.日本の医療(5)医療機関の経営状況(2) 43.日本の医療(6)医療保険制度
67.医療崩壊の現状(1)病院勤務医の急減  68.医療崩壊の現状(2)看護師争奪戦
69.医療崩壊の現状(3)医療難民 70.医療崩壊の現状(4)介護難民
71.(5)自治体病院と地域医療 72.(6)厚生労働省の失政
73.医療制度の国際比較(1)医療費 74.(2)アメリカの医療制度(1)
75.(3)アメリカの医療制度(2) 77.(5)医療資源
78.(6)医療資源と利用状況


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