中日スポーツ、東京中日スポーツのニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 中日スポーツ > 芸能・社会 > 紙面から一覧 > 記事

ここから本文

【芸能・社会】

小野ヤスシさん通夜に1000人 プレスリーの曲で天国へ

2012年7月3日 紙面から

にこやかな表情の小野ヤスシさんの遺影が飾られた祭壇=東京・青山葬儀所で(石井裕之撮影)

写真

 腎盂(じんう)がんのため6月28日に72歳で亡くなったタレント小野ヤスシさんの通夜が2日、東京・港区の青山葬儀所で営まれた。バンドマンや俳優、司会者として半世紀にわたって一線で活躍した故人に別れを告げようと、芸能界やスポーツ界などから約1000人が参列。故人が大好きだったエルビス・プレスリーの曲が流れる中で冥福を祈った。葬儀・告別式は3日午前11時から同所で。

 1000本の白い花々に囲まれた祭壇には、10年ほど前に宣伝用に撮影された写真が遺影として飾られた。小野さんは40年前にキリスト教の洗礼を受け、「バルトロマイ小野ヤスシ」のクリスチャンネームを授かっていた。

 通夜はキリスト教の形式で、故人への祈りを込めて歌唱が行われた。また、献花の際には小野さんが“神様”と仰いでいた歌手エルビス・プレスリーのアルバム「アーティスト・オブ・ザ・センチュリー」の曲が流された。生前から家族らに「何かあったら、プレスリーの歌でにぎやかに天国に送ってほしい」と話していたという。

 小野さんは音楽バンド「ザ・ドリフターズ」の初期のメンバーだった。同じメンバーとして活動した時期もあった加藤茶は「兄のような存在だった。棺で眠っている顔を見ると、まだ生きているようで、よけいつらい」と悔しさをにじませた。

 今年3月の加藤の結婚式で小野さんは「弟のためなら」と司会を買って出た。抗がん剤治療を受けている最中だったが、「盛大にやるから任せておけ」と体調が悪いのを押して最後までにぎやかに盛り上げたという。「式が終わった後はぐったりして、車いすに乗るような状態でした」と振り返った。「いつかボケたままコントやろうって言い合っていたのに…。あと10年は生きてほしかった」と話した。また、「ドリフ当時はもめ事もあったけど、天国では長サン(いかりや長介さん)と仲良くやってほしいですね」とも話した。

 小野さんの後任のメンバーとしてドリフに参加した高木ブーは「オレより先に逝くなんて、とんでもないことだ」などと涙ぐんでいた。

 小野さんはお気に入りだったグリーンのタキシード姿で棺に眠った。愛用していたマージャン牌やゴルフクラブ、そして昨年5月に都内のホテルで開いた芸能生活50周年のパーティー「それとなく祝う会」の案内状なども納められた。

 ◆松山千春(56) 「昨年のプロ・アマゴルフ大会でご一緒したのが最後になりました。小野さんが亡くなった日の僕のコンサートで、小野さんが好きだった「ひとりじめ」を歌った。縁を感じました。心から音楽を愛するアーティストだった。今度僕が天国に行くことがあったら向こうで一緒に歌を歌いたい」

 ◆左とん平(75) 「(6月)25日に病室に行ったんだけど、つらかったね。あいつももう知ってるわけだ、がんだって。冗談も言えないから最後に握手して帰ってきた。力強いんですよ、握り返す力が。40年くらい付き合ってますからね。僕と一緒にやるギャグがもう聞けないと思うとつらいね」

 ◆ミッキー・カーチス(73) 「長い付き合いです。4年前に(自分の)結婚式の司会もやってもらいました。別れたつもりはない。寝てたのが起きなかっただけだと。彼は暗いのが好きじゃないから、さっき遺影に向かって、誰の断りもなしにハモニカで『アメージング・グレース』を吹いたよ。天国でもセッションしたいね」

 ◆石田純一(58) 「口は悪かったけど、実は僕達を立てて、やさしくリードしてくれる先輩でした。あの名調子が聞けなくなるのが残念です」

 ◆小柳ルミ子(60) 「若いころは本当によく怒られましたし、お父さんのようにかわいがっていただきました。実は今日は私の還暦の誕生日なんです。『ルミ子、おまえが還暦? 冗談じゃない、俺を見送るのが先だろ?』って言いそう。縁があるというか、本当に小野さんらしい。きっと私が還暦になるのが嫌なんでしょうね」

 

この記事を印刷する

PR情報

おすすめサイト

ads by adingo




中日スポーツ 東京中日スポーツ 中日新聞フォトサービス 東京中日スポーツ