南部氏が、「良い価格差別」と「悪い価格差別」について整理した上で、映画館がサービスに付加価値を付けていく重要性を指摘し、一方で価格競争を問題視している。
価格差別と映画館(南部竜介)内容自体は「経営学の教科書通り」の提案で、一読すると「そりゃそうだ」と思ってしまいがちなのだが、悲観的過ぎる書き方に違和感を覚える。筆者の立場としては、映画館の中でもシネコンにはまだまだ余力があると考えている。
1. シネコンの余力
「いつ見ても席が殆ど埋まっていない」のに「ずっと経営が出来ている映画館」というのを見た事があるだろうか。勿論、
一部の「ヒット作による収益」で他の「駄作による赤字」を補っているわけだが、それ以前に、現在の映画館というビジネスは
「割とがらがらでもやっていける」状況なのだ。
三井トラストホールディングス(現三井住友信託銀行)のレポート(2007)では、映画館(特にシネマコンプレックス)の産業動向や問題点を分析している。その中で、映画館を3つに分類(単独館・複数の映画館の同居ビル・ショッピングセンタートとの同居型)した上で、それぞれの収支構造を分析したものがある。(下図1)
(単独館は、座席数が多い昔ながらの映画館である。ショッピングセンターとの同居型が所謂シネマコンプレックスと言われる事が多い映画館である。)
これによると、
損益分岐点における平均座席占有率は、
単独館で10.6%、複数の映画館の同居ビルで16.3%、ショッピングセンターとの同居型(シネコン)で14.7%である。つまり、シネコンならば、
平均して14.7%の座席分だけチケットが売れれば売上高と費用が一致するわけである。
図1:映画館の形態別損益分岐点比較と来場者一人当たり営業収支
出典:三井トラストホールディングス(2007), p. 35
勿論、あくまでも平均であり、映画館によって損益分岐点が上下するのだが、いずれにしても客が沢山入り続けなくても十分に経営していける構造になっている。
とは言え、最初に述べたように「ヒット作で売上を稼ぐ」という構造は変わらない。だから、損益分岐点が低くても、沢山の演目を用意出来ない単独館が潰れ続けているという実態は確かにある。しかし、一方で
様々な映画を上映出来るシネコンは増加傾向にあるのである。
下図2は、映画館のスクリーン数の推移を表したものである。(2000年からの緑色の部分はシネコンのスクリーン数が統計に加わっている。)これによると、確かに1960年前後辺りの映画大ブームの時代と比べれば、映画産業が衰退している様子が分かる。しかし、1994年からスクリーン数が上昇に転じている。これは、シネコンが本格的に日本で展開される1993年と時期が合致しており、
最近のスクリーン数の回復はシネコンのおかげというのは間違いない。(あくまでもスクリーン数の推移であり、一つのシネコンが多くのスクリーンを持つので、実感として映画館が減っているというのは正しい。)
図2:スクリーン数の推移
出典:日本映画産業統計より筆者作成
では、肝心の入場者数や興行収入はどうか。ここでは、映画ブームが終わったとみられる1970年以降を取り上げてみよう。図3は、入場者数と物価変動調整済興行収入の推移を示している。2011年は震災の影響で大幅に下落しているが、やはり興行収入も入場者数もシネコンが登場してから増加傾向にある。嘗ての勢いが無いとは言え、シネコンに限っては伸びているのだ。
儲かるからこそ、シネコンは増え続けているわけだ。
図3:物価変動調整済興行収入と入場者数の推移(単位:興行収入〈百万円〉・入場者数〈千人〉)
出典:日本映画産業統計より筆者作成
2. 価格設定
これらの統計を見る限り、単独館の状況は悲惨なものであろうが、
シネコンに限ってはまだまだ余力があるというのが現状だろう。
ここからが、南部氏の指摘する
「定額という問題」が生きてくる。ここまで見てきたように、映画館が損益分岐点に達する座席占有率は低く、全体として見れば「幾つかのヒットで駄作を補う」というのが現状だ。そして、今までは
駄作が出た場合は公開を早期で打ち切り、ヒット作の公開期間を伸ばすしか方法がなかったわけだが、
値段を柔軟に変えても良いのではないだろうか。
映画の定価は1800円というのはイメージとして定着しているが、映画産業統計によると、
平均料金はここ20年間ずっと1200円台で推移している。つまり、定価が1800円と言っても、かなりの人が割引(前売り券・レディースデー・シニア券など)で行っているわけだ。これは、客層が女性や高齢者などに偏っている可能性がある上、普段映画館に行かない人は「高いイメージ」を持ってしまう。
寧ろ、基本料金を1000円くらいにしてしまって、人気の作品や時間帯は高めに、不人気の作品や時間帯は安めにした方が、来場者が増えると思われる。
需要が価格変化によってどの程度変わるかが分からないので、安易に平均単価を下げて損益分岐点座席占有率を無闇に上げるのは良くないが、作品の人気の動向で値段を柔軟に変化させる方が、機会損失も防げると思われる。(同じ売り上げなら、空席が少ない方が基本的には良いのだ。)
実際、映画館によく足を運ぶ人は1000円くらいしか払っておらず、普段映画館に行かない人は「定価が1800円」というイメージを持っているので、今のままでは客がどんどん固定化してしまう。来場者が増えているのだから、
基本料金を1000円にすれば、平均料金をあまり変えず、かつ、潜在需要を掘り起こせるだろう。
その上で、南部氏の言うような「60分の映画で半額」のような価格設定とか「脱出ゲーム付きの映画」みたいな付加価値を高める戦略を取る余地がある。(割引価格を現在の半額にして、南部氏が言う60分の映画とかを作れば、
新作映画1本を250円で提供するというのも可能だろう。)
いずれにせよ、映画館は「テレビやネットのせいで駄目だ」という言説をよく聞くが、現在の「定価」設定自体が十分な余力を含んだものであり、まだまだ問題無いのである。
3. 参考文献
[1] 一般社団法人日本映画製作者連盟ウェブサイト
「日本映画産業統計」[2] 中央三井トラスト・ホールディングス(現三井住友信託銀行)レポート(2007)
「シネマコンプレックスの現状と課題~転換期にさしかかったシネコン経営~」 (PDFファイル)
[3] 南部竜介
「価格差別と映画館」(わかりやすさを、コーディネート)
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経済学専攻の大学院生男女2人が様々なテーマについて議論