福島県いわき市久之浜。東京電力福島第1原子力発電所から約30キロメートルの緊急時避難準備区域の境界線に接する町だ。6月10日、津波で土台以外すべてをさらわれた集落の跡が痛々しく残る海岸を望む役場の支所で、いわき市の市民団体「福島のエートス」が地元住人十数人を集め、勉強会を開いた。

 「できるだけ細かく刻んで容器にきっちり詰めてくださいね」「魚の骨は入れないほうがいいのかい?」と、料理教室のような和気あいあいとした雰囲気の中、かっぽう着姿に手袋の参加者が包丁で食品を刻み容器に詰める。地元の野菜や魚の放射性物質量を専門家と一緒に自分たちで測り、数値の読み方について学ぶのが目的だ。

 「検査の誤差を小さくするには大量の検体を時間をかけて測ることが必要」。東京大学の早野龍五教授が、測定方法とその理由、結果の読み方までその場で解説する。

 この日、参加者が持ち寄った食材からは、1キログラム当たり100ベクレルという規制値を超えるものは非流通品のシイタケと玄米以外には出なかった。

 結果を基に、福島県立医科大学・放射線健康管理学講座の宮崎真助手が身近な例に置き換えながら解説する。「大事なのは、食品中の放射性物質の合算量を年間1ミリシーベルト、つまり換算して5万ベクレルに抑えること。わかりやすくお金に置き換えて説明すると、5万円入った財布、つまり許容量を1年で使い切らないように気をつければいいということです。今日測ったカレイは1匹当たり20円、毎日1年食べ続けると約7000円になります。でも実際にそんなに食べる人はいないですね」。

 「うちは年寄りばっかりだから、無理だよ」。参加者も笑いながら相づちを打つ。

 いわき市は原発事故直後、一部地域が屋内待機区域に指定された。しかし現在の空間放射線量は、千葉県印西市や埼玉県三郷市とほぼ同様の毎時0.1マイクロシーベルトしかない。法的には居住可能なのに、原発から近くて不安と移住した住民も多い。福島のエートスは地元に残ることを決めた住民に、放射線を理解し、適切に自分たちの手で防護を行いながら、生活を取り戻すための支援を住民主体で行っている。

 福島のエートスを立ち上げたのはいわき市田人町で夫と2人で造園業を営む安東量子さん。その背景には、地元を何とかしたい、という強い思いがある。

福島のエートスで住民主体の勉強会を開く安東さん(中央)。Photo by Jun Takai

 2011年5月、空間線量が年間20ミリシーベルト以上の地域は避難区域とするとの決定が一方的に伝えられ、地元はパニックに陥った。理解できない放射能という異物が生活に入ってくる恐怖。移住しようにも、1次産業で生計を立てる人にとってそれはすべてを失うことに等しい。家族や友人間でも放射能への不安や考えは異なり、家族や人間関係までもが壊れていく。住民が放射能に抱く恐怖心は、実際の健康被害よりも先に、地域の生活基盤を壊した。

 安東さんはひたすらインターネットとツイッターにかじりつき、情報を片っ端から集めた。11年9月にはツイッターで知り合った専門家の協力を得て、不安を払拭するため田人町で放射能の勉強会を開催。会は盛況だったが、「今日家庭菜園で採れたこの野菜は食べられるのか」などの、住民が知りたい具体的な話については答えを提示できなかった。「住民が生活をしていくための実用的な知識として、放射線のことを理解しなければ意味がない」と安東さんは考えるようになる。

 そんな中、目にしたのが09年に発表された「ICRP(国際放射線防護委員会)111勧告」だった。ICRPは1928年に設立された放射線防護の国際学術組織で、ここが行う勧告は各国の放射線防護政策のベースに採用される。

 ICRP111は、チェルノブイリの警戒区域のすぐ外側で生活するベラルーシの住民が、どのような考え方に基づいて長期間にわたり放射線から防護していくべきかについてまとめたもので、別冊資料にはICRP委員が関わり、住民と専門家が一緒になってつくった、放射線防護プロジェクトの様子が書かれていた。

 上から安全と言われてそれを信じるのではなく、自分たちで安全とすべき基準を専門家と相談して決め、放射線防護を「エートス(共有知)」としてコミュニティで共有する。「これこそ今の福島に必要なこと」と安東さんは考えた。

 国際機関と何の接点もなかった安東さんと、ICRP111の主筆でエートス活動の中心人物であるフランスのジャック・ロシャール氏を結んだのは、ネットだった。語学が不得手な安東さんのために、ロシャール氏の講演資料の翻訳や氏への連絡・仲介を申し出る人がツイッター上で集まった。英語やフランス語に長けた者、研究者、放射線専門家、医師、主婦。ネットを介して、多種多様な人が支援に立ち上がったのだ。

ベラルーシでエートスプロジェクトを進めたICRPのロシャール氏(上・中央)、東大の早野教授(下・左から2番目)ら、専門家もサポートする。Photo by J.T.(上)、DW(下)
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生活を取り戻すために
放射能と向き合う

 ロシャール氏からも全面的なバックアップを得て、安東さんは、今年2月に福島県伊達市で行われた、国・自治体、学識経験者を集めたICRPの対話会議に招聘され意見を述べた。

 定期的に開く勉強会では、住民と放射能に対しての不安を語り合ったり、ベラルーシのエートスの模様を紹介したりしている。

 チェルノブイリ原発の立ち入り禁止区域の境界線のすぐ近くで酪農をし、子どもを川や野原で遊ばせるなどの生活を送る家族もいる。線量計で家の中や家の周りを細かく測り、線量の高いところには家族を近づけず、定期的な健康検査と食物検査を受けているからこそできることだ。

 冒頭の勉強会も、座学で専門家の話を聞くだけではなく「放射能と正面から向き合うこと」を促すための仕掛けである。

 現在、仮設住宅や借り上げ住宅に避難している住民は、1年後までに帰還するか否かを決めなければならない。そのときまでに、放射線防護を生活に取り入れて暮らしていける仕組みをつくり、戻るという選択が可能になるようにすること。これが安東さんの目標だ。

 久之浜や近隣の末続地区で、協力者に携帯式の個人積算線量計を配布し、行動記録と、どのような行動を取ると被ばく量が変化するのかというデータを取り、個人単位での被ばく量を正確に把握しようとする取り組みも、その一つだ。

 生活の周りにどの程度放射線があるかがわかれば、防御もできる。「放射能が全くない状態を取り戻すことはできない。ならば、真っ向から向き合わなければ対策はできない」という安東さん。その挑戦は、始まったばかりだ。

本誌・鈴木洋子


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