「いただきます」を言うか言わないかを巡る話題でちょっとした論争が起きています。きっかけはラジオ番組に、ある母親が「給食費を払っているから、子供にいただきますと言わせないで」と学校へ申し入れたという投書があり、その反響によるものでした。
考:「いただきます」って言ってますか? 「給食や外食では不要」ラジオで大論争
TBSラジオ「永六輔その新世界」(土曜朝8時半〜、放送エリア・関東1都6県)で昨秋、「いただきます」を巡る話題が沸騰した。きっかけは「給食費を払っているから、子どもにいただきますと言わせないで、と学校に申し入れた母親がいた」という手紙だ。番組でのやり取りを参考に、改めて「いただきます」を考える。
手紙は東京都内の男性から寄せられ、永六輔さん(72)が「びっくりする手紙です」と、次のように紹介した。

 《ある小学校で母親が申し入れをしました。「給食の時間に、うちの子には『いただきます』と言わせないでほしい。給食費をちゃんと払っているんだから、言わなくていいではないか」と》

 番組には数十通の反響があり、多くは申し入れに否定的だった。あるリスナーは「私は店で料理を持ってきてもらった時『いただきます』と言うし、支払いの時は『ごちそうさま』と言います。立ち食いそばなど作り手の顔が見える時は気持ちよく、よりおいしくなります」と寄せた。

 一方、母親のような考え方は必ずしも珍しくないことを示す経験談もあった。「食堂で『いただきます』『ごちそうさま』と言ったら、隣のおばさんに『何で』と言われた。『作っている人に感謝している』と答えたら『お金を払っているのだから、店がお客に感謝すべきだ』と言われた」との内容だ。

 また、申し入れを支持する手紙も数通あった。学校で「いただきます」を言う際、手を合わせることに「宗教的行為だ」、と疑問を投げかける人もいるという。

 永さんは、中華料理店を営む友人の話を紹介した。その友人は「いただきます」と聞くとうれしいから、お客さんの「いただきます」の声が聞こえたら、デザートを無料で出すサービスをした。後日、永さんがサービスを後悔していないかと尋ねたところ「大丈夫です。そんなにいませんから」と言われたという。
給食の際にみんなで一緒に「いただきます」というのは、特に問題のあることではないと思います。バラバラと食事を始めるよりはキチンと気持ちを切り替える方がいいと思います。各家庭で唱和するかどうかは、それぞれ考え方も異なると思いますが。
私個人としては、「いただきます」とは、野菜や肉や魚などの素材の命を頂くということと、食事を作ってくれた人へのねぎらいだと教わってきました。食事の前には「いただきます」、食事が終わったら「ごちそうさま」、食べた食器は自分で流し台へ持っていく・・・ということは子供の頃から育った環境で、それが当たり前のように過ごしてきました。
人それぞれ育った環境や考えは違うと思いますが「給食の時間に、うちの子には『いただきます』と言わせないでほしい。給食費をちゃんと払っているんだから、言わなくていいではないか」といったお母さんはちょっとセコイなぁと思いました。給食費だって全額負担というわけではなく自治体からの補助もあるはずですよ。
それよりも問題だと思うのは、このお母さんが自分の子どもに、食べ物に対する感謝の気持ちをどのように教えているのだろうということですね。日本は豊かな国でお金を払えばモノが買えます。食べ物は当たり前のように手に入り、それがごく当たり前な世の中です。しかし、世界には貧しい国もあり、わずかな食物も口にできず飢餓に苦しみ命を落とす人たちもいます。食べ物をごく当たり前に食べることができるありがたみや感謝の気持ちを考えると、給食費との対価に「いただきます」は不要であるとの発想はなかなか浮かばないものだと思いますが・・・。

人気blogランキング←よろしければクリックをお願いします