2005年12月14日

いただきます

今、家の紙類を減らそうと、新聞、雑誌の切り抜きやら、昔の資料やら、明細書などをせっせとスキャンしてパソコンに保存しています。

さきほど、紙の山の中から、先月の朝日新聞の投書欄『声』に掲載された投稿で「まさに同感!」と感じた文章が出てきました。
あなたにも是非読んでほしいので、ここに書き写します・・・。


2005年11月14日掲載
【いただきます 言わせない親】 札幌市清田区 48歳 無職 及川京子さんによる投稿

 つい先頃、道内のある中学校で、生徒の母親から「学校側に給食費を払っているのだから、うちの子に『いただきます』を言わせないでほしい」という要望が出たと聞き、驚いた。
 また、別の中学校の教師が、生徒から「『おはよう』『こんにちは』の挨拶に何の意味があるのか。必要ないのでは?」と問われ、教師もその通りだと思ったと聞き、唖然とした。
 挨拶をしない時代が来るのだろうか。食事ができるのは当たり前、朝、目が覚めるのも、人に会えるのも当たり前、生きていることも当然なのだろうか。
 しかし、病気と闘っている人たちをはじめ、生きることが当たり前でない人たちが、日本には少なからずいる。世界中の貧しい国でも、大勢の人たちが食べるものがなく死んでいる。
「あー、今日も生きていた!」と感激して1日が始まり、今日も生きることができたことを心から喜びながら、挨拶し合う人たちがどれほどいることか。
 それを子どもたちに教えるべき親や教師は、いったい、何を大切にし感謝して生きているのだろうか。心から挨拶ができる世の中になったら、自殺も犯罪も減るのではないだろうか。



2005年11月29日掲載
【豚や鶏の命に感謝を忘れず】 東京都日野市 28歳 会社員 南出裕香さんによる投稿
 
 「いただきます 言わせない親」(14日)を読んで憤りを感じた。
 私には、もうすぐ1歳になる子どもがいる。「いただきます」の意味を本当に分かる子の育てたい、と常々思っているからである。
 「いただきます」は、私たちのために食物を作ってくださった人たちや、人間のために命を奪われた魚や肉に感謝する言葉なのではないだろうか。
 現代では、身近にあるのは切り身の魚や部位別の肉ばかりだ。それが元々、豚や鶏の形をしていたなんて、子どもたちが一目で理解するのは無理だろう。ましてや、それが生きていた命だったとは、とても想像しにくい。
 8年前にフランスに旅行した時、泊まったペンションのご主人が、私たちの目の前で買っていた鶏をさばいてくれた。私はショックを受けたが、できあがった料理は大事に残すことなく食べた。とてもおいしかったのを覚えている。
 私たちは「いのち」を「いただいている」のだ。そのことを忘れないでいたい。「いただきます」というすばらしい日本語が、日本人の食卓から、そして心から消えないようにと願っている。



この2件の投稿を読んで、ふたつの体験が呼び起こされました・・・。

子どもの頃、お祭りでヒヨコを買い、育てたことがあります。
無事に大きくなったのですが、コケコッコーとの鳴き声には困りました。
なにせ住宅地なもので。
ある日、学校から帰ると鶏の姿が見えず、母に聞くと「絞めた」とのこと・・・。
生きている鶏を殺して料理にする方法を知っている母をすごいと思い、母だってピーピーと鳴く頃からかわいがっていたのによくそんなことができるな、と思い・・・。
あぁ、もう鶏にエサをやれないんだ、と思い・・・。
尊敬、寂しさ、哀れさ、etc.・・・。
複雑な思いだらけでしたが、肉は食べました。
子ども心にはショックでしたけれど、私たち兄弟はこのことによって、「自分たちの命が、他の命によって保たれている」ことを知ったのだろうと思います。

そして、自分が親となり、幼稚園児だった我が子をキャンプに連れて行った時のこと。
泳いでいる魚を捕まえて、それを焼いてたべる体験に参加申し込みをしていました。
魚獲りを楽しんだ子どもは、それを家で飼うつもりだったのかもしれません。
夕方になり、「お魚、焼くよ」と言ったら、テントの裏に行きなかなか戻ってきません。
様子を見に行ったら、空を見上げて必死で涙をこらえていました。
とてもショックだったようで、魚もあまり食べようとはしなかったのですが、「お魚の命をもらったんだから、きれいに食べてあげないと悲しむよ・・・。」と言ったことを覚えています。


『アワビの踊り食い』って知っていますか?
今年になってから知った食べ方ですが、私はどうしても好きになれない料理です。
生きている鮑を火にかけるのです。
まるで火あぶりの刑!
鮑が苦しんでもがく姿を「踊る」と言って眺め、「おいしそう♪」と表現する感性、私には共感できません・・・。

じゃ、アサリも食べないのかって?
アサリは食べます。
でもね、毎度料理する時に心が痛みます。
熱いだろうなぁ・・・。
蓋をしてしまうので、苦しむ姿は見えないのですけれど、もっとアサリを苦しめずに食べる方法はないのだろうかって。

動物だけではなく、植物だって生きていますし、稲作の手伝いをした経験から農家の苦労も多少はわかります。
そういったことに感謝できない人たちがいるとしたら、そういう人たちを気の毒に思いますね・・・。


<追記 13:35>

もう1件、切り抜きが出てきました。
2005年8月5日 V6の「イノッチ」こと井の原快彦(よしひこ)さんが、生活面に寄稿していたものです。

『コドモ界にリンク』 生まれてきたのだから

 北海道の旭川にある旭山動物園の特集をテレビで見て、考えさせられました。蛇が生きたネズミを丸のみする所を、子供たちの目の前で見せるのです。ほとんどの子供たちは「かわいそう」と言って、両手で顔を覆っていました。
 しかし、テーマは「命を魅せろ!」だそうで、たとえ残酷なシーンであっても命の大切さや、生きる意味を子供たちに伝えるのが目的だということです。
 悲しいことに、最近ではあまりに理解しがたい、残酷な犯罪が増えていると聞きます。子供だけではなく、大人も一緒になって、もう一度「命」について考えるのはとても重要なことだと感じました。
 僕の姉は、子供たちに目をつぶらせて「死んじゃうってことは真っ暗になるってことなんだよ」と教えるそうです。言葉で「死」を教えるよりも、その方が子供にはわかりやすかったようです。
 それを証拠に、いたずらをするとすぐに怒る姉に向かって「なんでそんなに怒るの?せっかく生まれてきたのに」とつぶやいたそうです。
 「せっかく生まれてきたのに」 
・・・・・・実に正しい意見だと思います。姉も返す言葉がなかったそうです。教えなくてはいけない立場の大人が、子供に教わってしまいました。
 せっかく生まれてきたのだから、笑って、遊んで、いたずらして、勉強して、恋をして、精いっぱい生きるべきなのかもしれません。そのために今日も「命」を食べなくてはいけないのですから。僕らも蛇と同じなんですね。


私は、『ウルトラマン・ティガ』が大好きで、ティガ繋がりでV6ファンにもなったのですが、こんな文章を書くイノッチをますます好きになりました。
posted by たいむとらべらあ at 12:17| Comment(5) | TrackBack(0) | 失礼な! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
【いただきます 言わせない親】 驚きです。
挨拶に何の意味があるのかと問われてその通りだと思った教師、教師失格。
でも、もしかしたらその方たちは、
人の愛情にも優しさにも触れたことがない、寂しい人なのかもしれません。

感謝の言葉も、挨拶も、大切にしたいと私は思います。
昔の上司で、朝挨拶を殆どしてくれなかった方がいましたが、
どんなに仕事ができようと、そういう方は心から尊敬できません。
善意と優しさにより、自分も人も生きている、生かされていると思います。
Posted by もぐ at 2005年12月14日 17:37
もぐさん、長〜くなってしまったブログをよくぞ読んでくださいました。
ひたすら感謝です・・・。
「いただきます」の意味はなんとなくわかっていましたが、「こんにちは」とか「こんばんは」「さようなら」等の元々の意味は、会社の自己啓発セミナー「話し方教室」で習いました。
「こんにちは」の意味をちゃんと知っている人は、「こんにち『わ』」なんて書かないと思いますよ。
せっかく意味のある日本語、なくさないでほしいですよね。
地名も含めて・・・。
Posted by たいむとらべらあ at 2005年12月14日 18:27
はじめまして。
【いただきます 言わせない親】には私も驚きです。何を考えてるんでしょう?(何も考えてないからそういう発想をするんでしょうけど)

【命】をいただいているという事,私達はそうして生きているという事を子供達にもいろいろな経験を通じて知っていってもらいたいと思いました。
挨拶もとても大切なものです。
人と関わることの大切さをもっと感じて欲しいです。
Posted by はな at 2005年12月15日 10:47
はなさん、はじめまして。
コメントもありがとうございます。

はなさんにも何か感じるものがありました。
ブログに行き、お奨めの本に目がとまり、もしや・・・と思ってマイホームへもお邪魔しました。

やっぱり!
<b>図書館</b>お好きなのですね。
それに<b>野村萬斎</b>さんも!
私もです。
もしや、『にほんごであそぼ』などもご覧になっているのでは・・・?


気持ちのこもっていない言葉は虚しいですよね。
効き目のない呪文のようです。
反対に気持ちがこもった言葉は泣けてくるほど強い『氣』を感じることがあります。
役者ではありませんでしたけれど、心のこもった『雨ニモ負ケズ』の暗唱を聞いた時は涙がでました。
まるで、宮沢賢治自身がその思いを語っているようでしたよ・・・。

多くの「本好き」な人たちは、言葉やその奥にあるものを大切にできる人たちだと思います。
残念ながら、そうではない人もいるようですけれど・・・。
(本当はそういう人たちに「私は本好き」なんて言って欲しくはないのですけれど!)

はなさんと知り合えて、嬉しいです♪
今後ともよろしくお願いします。
Posted by たいむとらべらあ at 2005年12月15日 11:29
こちらこそ、今後ともよろしくお願いします♪

「にほんであそぼ」見てますよ(^0^)もちろん♪
Posted by はな at 2005年12月15日 14:12
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