動物病院 豊島区 東京都 久山獣医科病院

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動物病院 東京都 久山獣医科病院

2012年6月29日午前6時半 葛藤
 月曜日は急患の子の治療で、火曜日はその子が一時帰宅し、そして別の子が胃拡張で、2人ともいつ容体の急変の知らせが入るかと待機して、徹夜でした。週に2日くらいの徹夜はコンスタントにありますが、2日連荘はさすがに堪えます。それが、良い結果を生み出さなければ尚更・・・。

 胃拡張の子は無事落ち着きましたが、急患の子は明け方に息を引き取りました。飼い主さんは僕に気を遣って、ご連絡されませんでした。僕は、なんとか頑張ってくれたかなあと7時頃にはやすみました。

 この子は、元々商店街で可愛がられていた地域猫だということで、近医に罹られていたようですが、治療の効果なく2週間くらい前から調子が悪いとのこと。残念ながら当院へおみえになられた時は、腫瘍と腎不全ですでに手遅れに近い状態。もちろん、何も手を尽くさずにあきらめたくない、でも安楽死を考えなければいけないくらいの病状で、でも何かしてあげたい、だけどこの子にはその頑張りは辛いんだろうか。いつもの自問自答です。

 ましてや今回は、飼い主さんが不特定多数、治療方針すら定めにくい状況で、保護された方も皆さんのお気持ちを憚って決断できない様子。今後のことは早急に皆さんとご相談して頂くことになり、一度はご帰宅されようとしましたが、でも気を取り直して、その間だけでも少しでも楽にしてあげよう、ということで入院治療に踏み切りました。

 この決断に、保護された方はとても悩み、心無い方たちの態度や言葉に傷ついていらっしゃいました。そして、猫が安らかに眠った後も、ご苦労は続いたようです。

 治療開始時は容体も楽になりましたが、腎臓は腫瘍に侵され、尿を作れない状況。残念ながら手を尽くしても状況は好転せず、頑張ったご褒美として、少しでもお家にということでご帰宅されました。明朝の再入院を目標に。

 高齢の子、重症の子、外猫、制約のある子たちを治療するときには、いろいろ悩みます。特に地域猫は、診療をどなたにお断りすればよいのか、方針はどなたと相談するのか、自由を奪っていいものか、いろいろ考えなければいけません。

 彼らはよく誤解されますが、野生動物ではありません。よく猫が街なかで自由にしている姿を自然と考える方がいらっしゃいますが、これは人が作った疑似の自然であって、ストレスに囲まれ生きていくことは、人と共生する猫本来の姿ではありません。本来であれば、人と生活を共にすることが幸福である猫たちが、人の社会で不自然に自立していくのは不自然です。生活環境が安定し、質の良い食事を摂り、愛情に育まれ、体調管理も十分に行き届く。これが本来の共生です。
 
 この猫ちゃんは、最期に安住のお家を手に入れ、飼い主さんと出会えました。たった数週間ですが、この方にはとても懐いていました。だって、愛想の良い子の子は入院室でも寛いでいましたし、僕らにもいい顔をしてくれましたが、僕らに対する顔や声と、飼い主さんへのそれとは、明らかに違っていました。今までの地域猫としての幸福と、家猫としての幸福を、手に入れることが出来たのですね。
 
 この子の最期は、とても安らかであったようです。しっかりと治療をしてあげたことで、本来であれば治してあげることが一番でしたが、良い最期を迎えることが出来た、そう思っています。

 最期に自由を奪ってよいものか、治療を行うべきか、迷うことはたくさんあります。無心に治療してさえしていれば良いならば、もっと苦しまない仕事になることだろうと思っています。自由に暮らすということは、保護されない危険と隣り合わせ。自由を奪うことは、でもぎりぎりまで生きようとする気持ちに応えてあげること、でも貴重な時間を奪ってしまうこと。過剰医療かもしれません。自然に亡くなることは、寂しく独りで亡くなることかもしれない、あるいは苦しい最期かもしれない。治療を行わない看取りは、家で飼い主さんと過ごすことが出来る、反面放置死とも考えられてしまうこともあります。

 どんなことにも両面があり、考え方受け止め方で、或いは想いの大きさで、極端に意味が違ってきてしまいます。どのような決断をするにしても、迷い考え思い、動物のことをしっかりと受け止め、今までの動物との心の通じ合いを大事にし、そこから気持ちを振り絞って出した答えは、絶対に正しいと思います。

 皆がその子のためと思いながら、違う答えが出てしまっても、お互いの想いを尊重することこそ、そしてご冥福を祈り、いつまでも思い出してあげることこそ、その子は望んでいることと思います。

 と、気がついたら6時半、そろそろ寝ないといけません。今日の午前中は健康診断、徹夜だと血圧高いんだろうなあと心配しつつ、せっかくお酒を1週間断ったのになあと後悔しつつ、寝不足を理由にしましょ、異常所見の場合は。

 明日は、植木市、いよいよ来週は朝顔市にほおずき市ですよ!<「ナショナルトレジャー」を流しながら>

2012年6月20日午前1時 スポーツ
 なでしこジャパンが大苦戦。戦術や新システムを試しているとはいえ、ちょっと不安になる内容。アメリカのパワープレイに翻弄されたようで、見事なパスワークも華麗な個人技も封じ込まれました。沢選手と丸山選手が復帰!これはビッグニュースですね。

 強いと言っても、強豪国から挑戦を受ける立場になったのは、初めての経験。今までは、ダークホース的に勝ち続けてきたものの、今後はがっぷりよつで受け止めて相手を倒さなければいけない立場。身体能力や体格、パワーでは負けることは百も承知、スピードと俊敏性、組織力とパスサッカーで、もう一度世界をアッと言わせましょう。

 ワールドカップ予選のオーストラリア戦、これも大苦戦でした。さすがオーストラリア、やっぱりアジア最強です。でも、オーストラリアは相変わらずのパワープレイ、日本の弱点を突く巧妙さはさすがですが、戦術やサッカーの内容は、明らかに日本が勝っていました。

 もう一つは中東の笛?アウェイの洗礼。明らかに審判技術のレベルの低さも目立ちましたが、アジア予選のアワエイでは致し方ないことでしょうか。今まではそこまでマークを必要としない国であった日本、とうとう世界に認められた、ということであったと思っています。

 そしてもう一つ、世界の強豪国、一流国は決して予選を楽に勝ち進んでいません。なぜなら相手も強豪で一流だから。予選で苦しみ、切磋琢磨して勝ち上がり、さらに強くなる。これこそ、本戦で戦い抜ける力の源です。
 
 今までの日本は、何とか勝ち抜く、あるいはアジアではまあまあ、これで何とかなりました。だけど今の日本は、もっと高みを目指す存在。こういう苦戦や苦汁、辛酸を経験すればするほど、より強くなっているんだと、そう思えます。今までだったら3−1や4−1で負けていた試合、あるいは引き分けて満足していた試合、そこを引き分けを良しとせず、しかし結果を残したわけですから、大満足です。

 オリンピック予選やユーロ2012、プロ野球交流戦に高校野球の地方予選開始、努力の甲斐なく敗れる者、金星を勝ち得る者、順当に勝ち上がる者、思わぬ敗戦に帰す者、歓び、絶望、悲喜交々な結果。観戦や応援する僕らの落胆や喜びを考えれば、選手のみならず、関係者、ご家族、友人・・・、推して量るべしです。結果に関わらず、彼らの心、身体、努力は称賛に値し、財産となることでしょう。

 では僕らの診療はどうでしょう。経過はどうあれ完治すれば良い?経過が良くとも完治できなければ価値がない?診断や治療が正しければ結果は関係ない?そもそも、目指すのは完治?症状の軽減?QOLの向上?

 心や身体を蝕み、称賛されないばかりか評価もされず、恨まれたり罵詈雑言、財産にもならない、なんて臨床は絶対にいけないこと。正しい過程(診療)がなければ良い結果(完治)は得られず、だけど正しい過程が良い結果になるとは限らない。医療には模範回答がなく、正当のない問題を解いていく苦しさがあります。金メダルもなければ、予選落ちもない。

 医療現場はチーム、動物が主力選手なら飼い主さんは監督、僕らはバックアップの選手やスタッフ、フロント。脇役だけどチームには欠かせない存在で、屋台骨を支える存在。試合に出場したら、必ずチャンスをものにし、ピンチを切り抜ける。華々しく表舞台に立つことは少ないけれど、主力選手や監督が評価され、チームが勝利すればそれが一番の成果。

 チームの敗戦はとっても辛い。でも僕ら以上にいろいろなことを感じ、苦労や苦痛を体験するのは、動物本人とご家族。僕らができるのは、陰ながら支えること。

 過程も結果も最高なものにするには?分かれば、そして出来れば苦労はありません。ならば、明確な目標と意志を持ち、最善を尽くす、こだわり続ける、諦めない、プロに徹する、疑問を持ち続ける・・・、そうすれば自ずと結果はついてくるはず。そう信じて、今日も頑張る。<「ストロベリーナイト」を流しながら>

2012年6月19日午前4時 第13回ご報告 募金ありがとうございました
 被災動物救援支援募金にご協力ありがとうございます。早く現地にて役立てて頂くために、6月19日付で13回目の寄付を行わせて頂きました。
 皆様には、快く募金をお引き受け頂き、心よりお礼申し上げます。
 
寄付団体:日本動物病院福祉協会(JAHA)
(寄付実施が早い団体を選びました。)

金額:計39.894円(13回合計343.806円)

被災動物義援金:受付終了(計当院より50.000)

2012年6月08日午前7時 外科会
 日曜日は、大学病院時代のOB会、通称「外科会」がありました。この日は、恩師のご退官および学会の名誉な賞の受賞のお祝いの会も兼ねての会。例年以上に出席者が多く、盛大なパーティとなりました。

 名立たるお歴々や重鎮が勢揃いし、日本の獣医界を背負うと言っても過言ではない諸先生方の集まりに、普段余り緊張しない僕も少々緊張いたしました、初めだけ!形や年功による名誉や名声だけではない、功なり名を遂げた先生方は、さすがの貫禄であり、でも志を同じく、苦労を共に歩んだ仲間の集まりに、世代も年齢も超えて、実際にはざっくばらんにフレンドリーに、とても楽しいパーティと言うよりは、ただの飲み会のごとく、大盛り上がりでした。

 同期と先輩後輩と、恩師への感謝の品を用意したのですが、これが自分の頚を絞めました。本当は、会場の隅でこそこそっとお渡ししたかったプレゼント、幹事の先生の好意か罠か、当日突然壇上でセレモニーとしてお渡し、しかもスピーチまで、残念ながら楽しかったパーティに、暗雲漂い独りブルー。こういう時はいつもの手段、酒をがぶ飲み酔うしかない。だって僕の他に壇上に立った先生は、全て大先輩、若造の出る幕ではありません。これは「笑い」を取るに限る、結果は及第点?内緒です。

 閉会の挨拶から誰も1時間は退出せず、司会の先生の「お気持ちは分かります、でもこのままだと追加料金です」という叫びに、笑いながら渋々閉会となりました。

 でもこれで終わる訳がありません。ぶっ続けで10時間、4次会まで盛り上がり、懐かしい顔とでも毎日顔を合わせているかのような阿吽の会話、楽しかったっす。

 諸先輩方の功労に支えられ今がある自分、そしてその意志を継がなければいけない自分。この中で自分は切磋琢磨しているんだという自信、負けてたまるかという闘志、恩師が引退という寂しさと不安、そして伝統を決して汚せないというプレッシャー。堪るかあ!

 僕の今があるのは、大学病院時代の研鑽と経験、そして教え。これは生涯の財産であり、僕の礎。だけどそれ以上に宝物となったのは、人の縁。全てを托せる師を得、尊敬できる先輩、信頼できる後輩を得る、これは望んでもそう簡単には手に入らないもの。つくづく僕は、人に恵まれ、人に助けられていると思いました。

 最近友人に言われました。「あと10年は生きててね」、僕を気遣っての言葉です。生き急いでいるつもりはありませんが、いつ死んでも後悔のない毎日を、おかげさまで生きていられます。

 さ、少しだけ眠ります。おやすみなさい。<「同期」を流しながら>

2012年5月29日午前1時 格安
 格安って、いつの頃から品質が伴うと信じられるようになったんだろう。元々「安かろ悪かろ」は常識。その中で、いかに安くて良いものを手に入れるかは、自分の知識と眼力と努力の賜物であることも常識。そう思っていました。

 もちろん、格安でも良質のものをより安く、という保証があるべきかもしれません。でも、限界を超えた格安は絶対にあり得ない。それは「悪安」でしかないと思います。

 だから、はずれを引いたら自分の責任、それは今も僕の常識。当たりを引いたらそれは自分の勝ち、これも僕の常識。通販も僕らの子供時代は、まずはずれが常識。それを経験してみんな学んだ。

 僕の友人はHな通販で何度もだまされました。壁の向こう側が見えるめがね。これは、ただのおもちゃの眼鏡にドリルが附属していて、「眼鏡をかけて壁に穴を開けてください」という説明書。生まれたままの私を見てという写真を買って、赤ちゃんの写真や力士の写真が送られてきたり。

 去年のおせち料理の騒動も、ユッケの食中毒の問題も、ここに引っかかってくる。長距離バスの事故も、ホテルの火災も。全ての共通項目は「格安」。

 もちろん、販売者に責任はある。悪安と言っても、生命にまで関わるのは悪質すぎる。だけど、利用者も考えなければいけないのではないでしょうか。どこに価値を求めるのか。自分の判断や見極めは正しいか。この不幸な連鎖を、僕らは当事者じゃないからとか対岸の火事だからとかではなく、どうすれば改善できるのか、このような事故が防がれるのか、自分たちはどうすればよいのか、考えるきっかけにしなければいけないと思います。誰もが被害者になり、誰もが加害者になる可能性があります。

 僕は、絶対に加害者にならない。お金のために仕事をしない。診療の質を落として、評判に迎合することはしない。動物のために、正しい獣医療を行うために、自分の信じる道を進む。

 被害に合われた方には、しっかりとした保証が得られることを、早期の回復を、心の傷が癒されることを、そして哀悼の意を、不幸にして亡くなられた方やご遺族にはご冥福をお祈り致します。

2012年5月19日午前1時 GW
 今日は、今日は、なんと2ヶ月ぶりくらいに、23時前にスタッフ全員帰宅できました。いやあ、久しぶり。家族ともゆっくり食事して、ちょっと仕事して、今はお酒飲みながらなんの映画観ようかなあ、と。え?早い時くらい寝ろって?そうなんですけど、なんか勿体なくて。

 風呂もゆっくり入りました。これも久しぶり。今週は、仕事終わって6時に入ってましたから・・・。でも、でも、朝早く寝るというのも実はご褒美があって、外に出ると空気が気持ちよくて、最近は空も雲もきれいで、ちょっと初夏を感じて。で、GWのお話。

 緊急手術が終わって、ひとまず僕はお休みを頂きました。これでゆっくり眠れる、これが一番最初に思ったこと。岡ア先生、岡田さんありがとう。

 毎年GWはキャンプに行きます。だけど今年は、重症の子が多いため予定は、友人にお世話になっての1泊2日の八丈島釣り旅行のみでした。でも1週間前から嫌な雰囲気が。週間天気予報でGWは天気が下り坂、海も荒れそう、という情報。一昨年に行った時は、天気はピーカン、ビギナーズラックでかんぱちが釣れ、八丈島の雰囲気も最高、いいことずくめでした。そう、真っ黒に日焼けしていると、「海外ですか?」と問われることが多いのですが、大抵は近場。草野球やBBQがほとんどで、この年は八丈島でした。

 でも、3日間続いた徹夜の直後の船、家族で唯一船酔いにやられました。今年は、さらに徹夜続き、これも不安な要素。荒れた海だとどうなっちゃうんだろう、元々船旅は得意だったので、必要以上に自信喪失。

 そして、前々日から東京も叩きつけるような雨と殴りつけるような風。それが徐々に大きくなっていく。八丈島は、元々天候が荒れやすく不安定、飛行機も小さく、空港も小さい。飛行機の欠航が多く、行ったはいいけど、帰れない危険も。

 出発前に2日の夜の再度徹夜で予定の仕事を完成、でも実はもう一晩分くらいの仕事があるのが心残り。出発の3日当日、東京はさらに荒れ模様、だけど一縷の望みを持って早朝の羽田空港へ。着いた途端のフライト運行状況、札幌は風が強く飛行機は飛ぶけど羽田に戻るか帯広へというアナウンス。八丈島は?「搭乗手続き一時取りやめ」!?!?!?

 せめて飛んでくれれば、だけど刻一刻とフライト時刻が近付いても、何も変わらない。と突然、「手続き終了」そして画面から消える。「ええー?」、カウンターへ走る。「欠航です。今日は夕方の便まで飛びません。夕方の便をキャンセル待ちしますか?」グランドアテンダントのせいではないけど、ちょっと恨めしい。元々この時期は満席で、キャンセル待ちが多い便。早く手続きした僕ですら32番目(結局100番くらいまで行ったようです)。

 しかもよく考えてみると、釣り船の予約は当日の午後のみ、夕方行けても釣り出来ないじゃん。しかも次の候補は明日の午後便。それだと着いた途端、帰りの飛行機じゃん。ほぼ未来が決まった所に先に現地で釣りを楽しむ知人から電話。

 波は10m、釣りどころじゃないかもという話、兵の彼と彼女は、既に船の上、頑張っている様子。他の漁船が躊躇しても必ず出港する船長さんだと聞いていましたが、これもまたびっくり、いや当たり前か。はい、諦めます僕らは。残った仕事が出来る、どんだけワーカホリックなんだかと自分に呆れつつ、ちょっとウキウキ。

 おかげで、当日は昼から再度徹夜仕事でとうとう溜まった仕事をクリア。気分がとっても良い。夜から呑んだくれて、行きつけの店でマッタリ過ごし、久しぶりのお店で再会、そしてゆっくり毎日を過ごした4日以降。お蔭様でお休みさせて頂きました。子供とボーリング、そして映画、いろいろ楽しみました。

2012年5月13日午前3時 GWのことを書こうと思ったけど、怒り2
 前回は怒りに任せて、書きたいこと書いちゃいました。いつものことだけど、反省!だけど改善はしませんが・・・。

 GW前の緊急手術は、無事成功!今は元気になってくれています。犬ちゃんも頑張ったし、飼い主さんも頑張ったし、輸血用の血液を分けて頂いた先生にもお世話になったし、自画自賛だけどスタッフも朝まで頑張ってくれました。本当にありがとうございました。

 今回病気が見つかったのは、定期検査を続けて受けて頂いた飼い主さんのお手柄。腎臓の機能にちょっと不安があるためにずっと検査を受けて頂いています。本当だったら、ずっと異常がないのだから定期検査をさぼってしまうことも多いはず、油断しちゃう、しょうがない部分もありますが。僕の説明が足りないこともあるでしょうし・・・。今回、その検査で気になる結果が。ちょっとだけ貧血気味で(元々多血の子なので、貧血したといっても正常範囲内)、血小板数もやや減、でもこれもぎりぎり正常。不安に思ってCRPを測るとこれも微増。

 うーん、悩む結果。本当だったら見過ごすことも多い数値。でも不安の方が強いので脾臓のエコーを撮ると腫瘍を疑うようなこれも軽度の異常。この程度だと飼い主さんはさらに詳しい検査を望まない方も多いのですが、お話させて頂いたらご理解頂け、再検査を実施。そこで、脾臓の腫瘍を確定診断しました。定期検査を続けられたこと、積極的に精査を続けさせて頂いたこと、高齢にもかかわらず外科手術を決断して頂けたこと、犬ちゃんが頑張ったこと、飼い主さんが見守ったこと、そしてちょっとだけ自慢、小さな異常を見逃さなかったことと手術と術後管理を成功させたこと。このうちどれか1つでも欠けたら、成功はありませんでした。

 本当はこれで終わろうと思っていたんだけど、最近特に転院してみえた方の検査に関わる誤診に出会うことが多すぎる。それも生命に関わる大きなミスに。昨日も同じようなことがあって、腹が立って、怒りで頭にきて、あまりにも動物と飼い主さんがかわいそうで。ことの始まりはお引越し。重度の心雑音と検査で僧帽弁閉鎖不全症が認められ、心臓の治療をしていた子ですが、詳しい診療情報提供書をお渡しして、引越し先でも定期的な検査と治療を受けるようにお話した方。ところが、ちょっと聴診して、心雑音を聞き逃し、診療情報も流して、検査も行わずに治療を中止。もちろん、そこに甘んじた飼い主さんにも責任はありますが、あまりにもひどい対応。

 そして、高齢だからと昨夏の検査。白血球が著増、貧血、肝酵素著増、CRP測定値オーバー、X線検査で肺に陰影。全て悪性腫瘍を疑う所見。それでも、かかりつけ医は年だし様子を見ましょうと。年だからと様子をみるのならば、検査は何のために行ったのか。しかも異常を見逃している部分もある。今の医療は年齢で物を判断しない、体調や病状で良い方法を検討する。その大原則からもはずれ、仮に様子をみるにしても、その時に出来ること、今後の見通し、発症した時の心構え、苦しんだ時の対処・・・、たくさんのことが出来たはず。そう、自分が対処出来ないから、心臓病も腫瘍も放置しただけの話。金儲けで検査をしただけの話。技術も知識もなく、道徳や倫理、誠意も持たず、それでも動物病院を、獣医師を続けているだけの話。

 そう、それは無力の獣医師が良く使う常套文句、「年だから」そして「様子を見る」そして「病気と付き合う」。様子は診るものであって、見るものではない。状態と予後を考えながら、患者さんに寄り添って最良の対応をずっと考え続けることが「診る」ということ。ただ放っておくことが「見る」ということ。「年だから」こそ、年に合わせた最善の出来るだけのことをしてあげる、年だからこそ先を考えてあげる、年だからこそ寄り添ってあげる、年だからこそ予測をしてあげる、より良い余生を送るために、より良い長寿のために、より良い最期を看取るために。「病気と付き合う」ことなんか出来ない。だって辛いんだから、苦しいんだから、痛いんだから、だから病院に来て、僕らを頼って少しでも治そうと、せめて楽に出来ないかと。でもどうしてもそれが不可能であれば、最後の手段として「付き合う」ことが必要になる。でもこれは、「患者さんが病気と付き合う」だけじゃない、「患者さんと獣医師・看護士が一緒に付き合う」こと、「病気と獣医師・看護士が一緒に付き合う」こと、「辛さや痛さと獣医師・看護士が一緒に付き合う」こと。

 昨日、咳が止まらないと相談の電話、そして3年ぶりの診察。心臓は極度に悪化し(心拡大、肺に水がたまり(肺水腫)、肺には多数の腫瘤・・・。咳を止めるとこはできない、なぜなら咳の原因を治さなければ、この咳は止まらない。だけどこれだけの腫瘍はもう手術が不可能で、多分原発は肝臓の癌だと思われ、手遅れだから・・・。涙が出そうだった、悔しくて、もどかしくて。1年前だったら、俺が診ていたら、飼い主さんを苦しめるだけの言葉が出そうになる。出来るだけのことをしよう、少しでも心臓を楽に、そして咳を楽に。

 まともな条件で検査を行わない(検査時刻や絶食の必要性や採血の方法、撮影の方法など)ことがあまりにも多すぎる。信じられないことだと思いますが、よくある話。

 必要な検査が不足し、余計な検査をしすぎている。信じられないことだろうけど、よくある話。

 結果を考察していない。考察しても間違っている。考察しても不足がある。間違った方法で行った検査をそのまま評価してしまう。信じたくないけど、よくある話。

 必要な精査を行わず、不必要な治療を続ける。ここまでくると、信じざるを得ないよくある話。

 他院から転院された場合、聴診や触診が足りず、見逃している病気がたくさんある。血液検査の結果を頂いても、項目が足りず、検査法に誤りがあり、考察が足りず、考察の間違いが多く。X線検査は、撮影の姿勢が、部位が、条件がひどすぎて読影すら出来ないものばかり。そんなレントゲン写真からも何とか読み取れる異常は見逃している。超音波検査では・・・、もう挙げ出したら限が無い。これが毎日起こっている。

 僕ら獣医師が、自分たちで自浄しなければいけない、僕らの責任です。だけど、心ある獣医師が叫んでも、聞く耳を持つのは心ある獣医師だけ。勉強や研鑽を続ける環境を整えても、努力を続けるのは心ある獣医師だけ。自分を律することを提案しても、正しいことを指導しても、何も変わらない。なぜなら目先の利益には繋がらないから、仕事が増えるだけだから、支出が増えるだけだから、残念ながら患者さんからも評価されないから・・・。

 正しい獣医療を受けること、飼い主さんにも意識を持って頂きたい。少しだけお手伝いしてください、そうすればだめな獣医師は減るはず、です。責任転嫁ではありません、ご協力を、僕らの無力を棚に上げて、です。一緒に頑張りましょう、いや一緒に頑張らせてください。ごめんなさい、また怒りに任せて・・・です。

2012年5月8日午前3時 怒り
 今、動物愛護法の改正が検討されています。ペットショップでの店頭販売や展示の規制、夜間や通信販売の規制など、元は当たり前でありながら、動物に害になることがわかっていながら、放置されてきた悪事に規制がかかります。遅きに失する、そんな印象も少なくありませんが、何事も一歩ずつ。

 ここで気になる記事を読みました。猫カフェも夜間の営業を22時までに規制(ショップは20時)になることに対して、猫カフェの連盟からかなりの反対が出ているとか。まあ、ごねて22時まで延長できたこと自体が、政治家も官庁も無能の表れであり、信念も知識も全くない照明ではありますが。

 話を戻します。なぜ猫カフェは大丈夫だと反論しているというと、販売を前提とした展示とお店で寛いでいる展示は違うというのがその根拠で。僕が驚いたのは、彼らが本当に猫がリラックスしてカフェにいると思い込んでいること、そしてストレスが一切ないと信じていること、さらに猫に対しての理解が全く欠如していること。

 あくまで全ての方がそうとは思いませんが、連盟の方の発言はとても動物を理解しているとは思い難いものです。いや理解と言うよりは、猫に対して正しい愛情を持っているのかと心配になります。しかも自分たちは良心ある業者であると自負してしまっているという怖さ。

 猫カフェの猫に本当にストレスはないのでしょうか。見ず知らずの人に可愛がられたり、遊んだり、抱っこされたり、これって楽しいのでしょうか。人懐こい子を選んでいるのかとは思いますが、喜んで働いているんでしょうか。寝ているのを起こされたり、ちょっかい出されたり。仮にストレスは大きくないということでも、動物をホステスのように使うのはどうかと、あるいは猫たちがストレスになっているのではないかと疑問を抱きながら経営することが、彼らの責任と義務なのではないでしょうか。ホステスさんは、自分の意志で、プロ意識を持って働いています。猫カフェの猫は、自分の希望で働いてますか?接客のプロなんですか?

 次の論拠は、猫は夜行性だから夜寝ていなくても平気というもの。開いた口が・・・。犬や猫は昼行性の人によって家畜化された動物で、夜行性の習性は残っていても立派な昼行性の動物です。野生の、自然の中に生きるネコ科の動物とは全く違います。まさか、プロであるべき経営者にこんな知識しかないのか、でもこれが日本における動物関係のプロと呼ばれる大部分の人間のレベルなんです。ブリーダー、ペットショップ、管理士、トリマー、ハンドラー、いろいろな審査員、獣医師、看護師・・・。情けない。

 仮に百歩譲って夜行性だとして、昼間も人間の相手をさせられている猫は、夜行性だから夜も本当に元気なんですか?じゃあ、夜勤で徹夜した人は、昼行性だから朝から元気で寝ないでいられるでしょうか。

 しかも最後の反論が笑えるもので。早く営業が終わると、猫はすべてケージに入れてしまうので、むしろストレスになるから夜まで営業すべきだと。ふざけんのもいい加減にしろ!動物をケージに入れるのが負担やストレスになると思い込んでいることがまずアウト。なぜなら、そうではないことは以前にもクレートトレーニングについて述べましたよね。ただし、扱い方によっては負担になりますから、ということは扱いが悪いんじゃないの?本当に知識が浅くて情けない。

 もし百歩譲って(通算二百歩目です)ケージに入れるのが負担だとすると、あんたら堂々と負担になる管理をしてますとカミングアウトしてますよ。例えそれが夜間の営業で数時間短くなろうと、ストレスや負担には変わりませんよね。これ、問題発言ですよ。私たちは夜間猫たちに負担をかけてますっていう。

 しかもこれは自分たちの管理の問題であって、国や法律に反論する根拠にはなりません、自分らの儲けるための都合ですから。

 物を良く考えない、究めない、シミュレーションしない、想像しない。軽はずみな行動や発言が多く、発言に責任を持たない、発した言葉の影響力を考えない。これが本当に上に立つ者の能力なんだろうか。だから、社会的地位も権力も、僕は認めない。その人間の中身で物事を判断する。

 猫カフェは、僕は大っ嫌いです。なぜなら、人のエゴの最たるものに見えるから、猫も楽しいと思い込み、自分らが楽しむために動物を使う。そこには配慮も気遣いも遠慮も思慮も見当たらない。動物に癒されることばかり考えて、動物をいやそうとはこれっぽっちも思っていない。

 以前に、猫カフェの従業員の方から感染症の防疫や去勢・避妊手術などについて相談を受けました。ぼくは、猫たちに配慮をすること、負担をかけないこと、防疫を徹底すること、これらをお話ししました。従業員の方は理解して頂けました。しかし彼は「たぶん、お店では無理ですね」こう答えました。「会社に反対されるし、こんな面倒なことできないし」と。こんな低い意識で働く従業員がいることが信じられませんでした。

 正しいことをできないでいて、だけど経営は成り立つと考える。儲けることしか考えていない、会社のせいにして自身も結局同じ穴の狢。案の定、会社からは却下、「これでは営業できない、採算が取れない」堂々と。これって、動物に配慮したら経営できません、儲かりません、という宣言ですよね。従業員も従業員なら会社も会社、しかも表向きは「動物に優しい」とかぬかす。

 こういう体験を、ブリーダーにもショップにも、味あわされたことが多々あります。だから僕は根拠なく、批判しているわけではありません。中には心ある方も少しはいらっしゃるのかもしれません。でも、捜そうとは思いません、出会いたいとも思いません。やっぱり、信頼できない。

 すみません、これを読んで傷ついた方、謝ります。これはあくまで私見です。だけど、獣医療の最先端にいる、動物のことをずっと考え続けている、そんな馬鹿の体験であり発言です。本気です。あまりにも腹が立って、情けなくって、怒りにまかせて書いてしまいました。中には、使っちゃいけない言葉、悪い言葉も入っています。それらも全てひっくるめてごめんなさい。

 わたしはちゃんとやってます、そういう方もいると思います。そういう方は、ご自身のできることを、信念を、例え辛くて険しい道であろうと、お金にはならなかろうと、貫いてほしい。動物のために。動物の世界で生きている人間として。

 犬や猫は、飼い主さんの愛情さえ受けられれば、そして飼い主さんを愛せれば、それで幸福です。もちろん、いろいろな人たちから愛情をもらえることも幸福でしょう。だけど、飼い主さんには比べ物にならない。だから、どんなに離れて寂しくても待つんです。遊んでくれなくても大好きなんです。重い病気になっても頑張るんです。だったら、動物のレンタルもカフェも、その原理原則からは、外れています。たとえどんな理由や根拠を並べられても、動物のためのものとは違います。

またこういうこと書くと、偉い人に叱られるのかな、地位だけ偉い人に。今日は尖がってます、いつも以上に。<「クイック・シルバー」を流しながら>

2012年5月1日午前5時半 GW気分には程遠く
 悪い流れが続いていて・・・、急患の方、重症の方が続いています。とうとう、この10日間、夜睡眠がとれた日が1日、昼寝できたのが2日、残りは徹夜で、ちょっとヘロヘロです。

 動物も飼い主さんも、そしてスタッフも(今日も帰宅は2時過ぎでした、そして明日も緊急手術で)、全力で病気と向き合い、力を尽くしています。おかげさまで皆元気になって、無事手術の済んだ子、治療の済んだ子から退院していき、通院が終わり、元の生活がまた始まっています。中には、病状が芳しくなく、苦労されている方、断念された方・・・、大変だけど諦めずがんばりましょうね。

 深夜の治療中は、溜まった仕事の総決算のチャンス、でも仕事の効率が徐々に落ちているような。今晩は、ちょっと進みません。

 毎晩1本は映画を流しながら、レントゲン読影をしています。昔懐かしい「オリエント急行殺人事件」、懐かしいモーションピクチャーのリメイクのアクション大作「タイタンの戦い」、群像劇が面白かった「はやぶさ/HAYABUSA」、また観ちゃった「クライマーズハイ」、ジャッキー・チェンの黒社会映画「新宿インシデント」、高校時代は面白かったはずの笑えないドタバタ映画「キャノンボール」、細菌兵器と人の狂気を描いた「クレイジーズ」、超期待外れだったゾンビ映画「ゾーン・オブ・ザ・デッド」と「30デイズナイト」。これが唯一の楽しみで。

 そしてこの間に書き上げた資料。今回は、最近注目されている口腔内ケアについて。以前にもハミガキの重要性は何度も書いてきましたが、実際にはどのように病院での口腔内処置は行われているのか、なぜ全身麻酔が必要なのか、などをまとめた資料です。口腔内のケアは、ずっとずっと昔から大切なのはわかっていることです。なぜ今更注目されるのかは甚だ納得いきませんが、啓蒙されることはよいことで。

 でも絶対忘れないでください。病院で行う口腔内処置は、基本的には歯石や歯周病の治療のためが基本。健康維持のためには、このような処置が必要ないようにおうちでのオーラルケアが基本。大抵の歯周病は、このケアの不足から起こることが多く、それは飼い主さんの怠慢や手抜きが原因。口腔内処置には全身麻酔が必要、だけど全身麻酔を何度もかけることは決して身体に良いことばかりではない。どんなにきれいに処置をしても、ハミガキで維持しないのであれば意味がない。歯石は3日で形成される。口腔内処置は、その後のオーラルケアのための準備でしかなく、その指導と飼い主さんの実行がむしろ重要。・・・。

 注目されると必ず誤解をされる方も増えます。そしてこれは獣医師も同じ。金儲けに勧める先生も増えるし、そういう先生はまともな処置も、重要な指導もできません。実際に、何回も病院で口腔内処置を受けて、でも今も口はひどい状態、こんな子をたくさん診ます。

  悪い流れが続いていて・・・、急患の方、重症の方が続いています。とうとう、この10日間、夜睡眠がとれた日が1日、昼寝できたのが2日、残りは徹夜で、ちょっとヘロヘロです。

 動物も飼い主さんも、そしてスタッフも(今日も帰宅は2時過ぎでした、そして明日も緊急手術で)、全力で病気と向き合い、力を尽くしています。おかげさまで皆元気になって、無事手術の済んだ子、治療の済んだ子から退院していき、通院が終わり、元の生活がまた始まっています。中には、病状が芳しくなく、苦労されている方、断念された方・・・、大変だけど諦めずがんばりましょうね。

 深夜の治療中は、溜まった仕事の総決算のチャンス、でも仕事の効率が徐々に落ちているような。今晩は、ちょっと進みません。

 毎晩1本は映画を流しながら、レントゲン読影をしています。昔懐かしい「オリエント急行殺人事件」、懐かしいモーションピクチャーのリメイクのアクション大作「タイタンの戦い」、群像劇が面白かった「はやぶさ/HAYABUSA」、また観ちゃった「クライマーズハイ」、ジャッキー・チェンの黒社会映画「新宿インシデント」、高校時代は面白かったはずの笑えないドタバタ映画「キャノンボール」、細菌兵器と人の狂気を描いた「クレイジーズ」、超期待外れだったゾンビ映画「ゾーン・オブ・ザ・デッド」と「30デイズナイト」。これが唯一の楽しみで。

 そしてこの間に書き上げた資料。今回は、最近注目されている口腔内ケアについて。以前にもハミガキの重要性は何度も書いてきましたが、実際にはどのように病院での口腔内処置は行われているのか、なぜ全身麻酔が必要なのか、などをまとめた資料です。口腔内のケアは、ずっとずっと昔から大切なのはわかっていることです。なぜ今更注目されるのかは甚だ納得いきませんが、啓蒙されることはよいことで。

 でも絶対忘れないでください。病院で行う口腔内処置は、基本的には歯石や歯周病の治療のためが基本。健康維持のためには、このような処置が必要ないようにおうちでのオーラルケアが基本。大抵の歯周病は、このケアの不足から起こることが多く、それは飼い主さんの怠慢や手抜きが原因。口腔内処置には全身麻酔が必要、だけど全身麻酔を何度もかけることは決して身体に良いことばかりではない。どんなにきれいに処置をしても、ハミガキで維持しないのであれば意味がない。歯石は3日で形成される。口腔内処置は、その後のオーラルケアのための準備でしかなく、その指導と飼い主さんの実行がむしろ重要。・・・。

 注目されると必ず誤解をされる方も増えます。そしてこれは獣医師も同じ。金儲けに勧める先生も増えるし、そういう先生はまともな処置も、重要な指導もできません。実際に、何回も病院で口腔内処置を受けて、でも今も口はひどい状態、こんな子をたくさん診ます。

 さて、今日の手術、がんばります!

 <口腔内処置の手順>

1、X線検査:顎骨の診断
        歯根・歯槽骨の診断
        鼻腔内および形成する骨の評価

2、症状の評価:採食時の顔の傾斜、偏った咀嚼
          唾液の過剰や異常色・悪臭、出血
          口臭
          口の違和感、口腔周囲の掻き創や汚染、前肢の汚染
          口内や歯、歯肉の疼痛
          膿性および出血性鼻汁、くしゃみ、咳

3、口腔内の評価:口内炎・歯肉炎の診断
           新生物・腫瘤の評価
           歯肉の評価〜特に歯肉の退縮
           食渣や汚染物の遺残
           歯石の評価
           不整咬合や歯の過長・損傷、歯のぐらつき
           顎骨・顎関節の評価
           骨・歯・歯肉の違和感や痛み

4、術前投与
 抗生物質投与:歯肉炎や歯槽骨膜炎の治療として
           特に、重症例や感染が重度の場合は、術前1〜2週投与
           菌血症・敗血症、多臓器感染症の予防
           術中の抗生物質濃度を高める

 消炎鎮痛剤:患部の炎症や疼痛のひどい場合の治療
          術中術後の鎮痛に対する先制効果
        
5、オゾン水による口内洗浄:口腔内の洗浄・殺菌
歯石の分解促進
                 脱臭・漂白・止血
                 菌血症・敗血症、多臓器感染症の予防

6、スケーリング(歯石除去)
歯石除去用の鉗子や歯石破砕器具、スケーラーなどで歯石除去を行います。本来、全身麻酔下で行うべき歯石除去ですが、無麻酔でも歯の外側の歯石はしっかりと除去できます。ただし、姑息的な処置であることを理解しておかなければいけません。

・基礎疾患や合併症、老齢などの全身麻酔の負担を考慮しなければいけない場合
・軽症で簡易な処置で充分と考えられる場合
・口唇周囲や口腔内の視診や触診、処置に我慢できる、あるいは保定で制御できる場合
・取り急ぎ、口内の病状を良くしておきたい場合
などが、無麻酔口腔処置適応となります。

〜なぜ、全身麻酔をするべきか?〜
・口腔内処置は、まずは細かく視診・触診などを行って評価する必要があります。また、細かい作業や処置が必要であるため、口をしっかりと開けること、動物が動かないこと、細かい部分や歯の裏側が視認できることなどが必要となりますが、無麻酔ではこれらはそれぞれ完全ではありません。
・口腔内の洗浄や薬剤注入、歯肉の辺縁や歯周ポケット、歯の裏側の処置は、麻酔下では行えないことが多く、実施できても完全ではありません。
・無麻酔で使用する器具は、歯の表面を出来るだけ傷つけないように処理されている特別な器具を使用しておりますが、それでも超音波による処置に比べるとキズをつけやすくなります。また、麻酔下で行うスケーリング後のポリッシングは、これらの薄いキズをさらに除去します。これらが実施できないと、歯の表面は歯石の付着しやすい状況をずっと残すことになります。
・口腔内処置は、どうしても痛みを伴い、動物には恐怖や嫌悪感を生じさせます。全身麻酔では、これらの嫌な体験を感じずに済みます。気持ちよく眠っている間に終わります。

7、全身麻酔下でのスケーリング(超音波・オゾン水による歯石除去)とポリッシング(歯表面の研磨)
 歯の表面を傷つけずに歯石を除去し、さらに既に形成されている細かい傷を研磨することで、出来るだけ歯石の付着しにくい状態を作ります。
また、歯肉と歯の付着部分や歯周ポケット、特に歯肉退縮部を含み、しっかりと歯石を除去します。

8、オゾン水による口内洗浄

9、抜歯:重度の歯肉退縮
      歯根や歯槽骨の病変部
歯周囲膿瘍や歯槽骨膜炎部
咬合により疼痛がある部分
損傷・欠損歯
骨融解特に頬や鼻腔との境界部

顎の血流の維持を考えると、極力歯は残っていたほうが良い。ただし、歯石により歯がやっと歯肉につながり維持されている場合やぐらいついている歯は、咬合時に強い痛みを発するだけでなく、すでに歯槽骨膜炎を呈している可能性が高いため、抜歯が必須となる。  
歯が正常に見えても、歯根や歯周囲、歯槽骨に病変がある場合や痛みがあるとき、歯をそのまま維持すると炎症や膿瘍は骨に浸潤していくため、早期に抜歯が必要である。歯自体もすでに壊死を起こしているため、既に寿命は尽きており、遺残させる病害が危険である。またこれは、骨髄炎や顎骨折、骨融解の危険を回避する方法でもある。

 抜歯の手順
@歯石除去および歯の洗浄
A歯肉の剥離またはフラップ切開・形成術
B境界上皮・靭帯の切開、歯肉の剥離
C歯槽骨の削除
D抜歯
E止血・洗浄

10、抜歯痕部のオゾン水洗浄、歯石・膿瘍除去、歯槽骨掻爬・削除
同部および歯周ポケットへの薬剤注入

11、歯肉新生物・腫瘤の切除、レーザー切除・蒸散
   歯肉炎・口内炎部のレーザー照射・蒸散
   抜歯痕のレーザー照射・蒸散

12、日常のオーラルケア
・食後の飲水
・口内の洗浄・清拭
・ハミガキ
・デンタルリンス
・外用薬:ヨードグリセリン、LIVAV、VC、IFN
・内服薬:ラクトフェリン、VC、IFN、免疫調整効果のあるサプリメント・漢方薬

2012年4月25日午前6時半 気分転換
 先々週から2週間、重症の子が多く、病院は野戦病院のようにごった返しています。それも今日から落ち着きそうな雰囲気で、みんな元気でいてくれえ、ちょっとホッとしています。

 24時間ぶっ続け、休みなしでお仕事に集中、そして翌日の業務に、こういう経験は皆さんするもんなのでしょうか。たまに疑問に思います。僕はこういうことが日常茶飯事で、しかもそんなに苦でもなく、それが数日続くこともあります。

 確かに30代に比べ、疲れのたまり方や抜け方にはかなりの差が出ていますが、この波が収まった時に死んだように1日眠り、寝だめ、これで元に戻ります。渦中にあるときは、2時間くらいの睡眠で何とかしのげますが、頭と身体のフル回転が続くと、どうしても頭の方の回転が求められるので、頭と身体と心のアンバランスが生じます。こういう時には、それぞれの解決法があると思うのですが、僕はビリー・サ・゙ブートキャンプでへとへとになり、映画を観ながら、あるいは本を読みながら熱い風呂に浸かる(ホントは温泉がいいのになあ)、これがベスト。疲れてんのにまた動くの?そう思われがちですが、これなんですね僕の場合は。でも実際は、睡眠時間を削ってのことなので、その分眠れば、とも考えられるのですが・・・。本当は、遊びに出かける、呑みに出かけるが一番なので、これが出来ればどんなに厳しくても出かけられますが、もちろん仕事だから出かけません。

 ぶっ続けにもいろいろあって、診療が立て込んであるいは重症の方やすぐに入院される方がいらっしゃってずっと終わらないとか、急患や緊急手術が入ってそのままとか、レントゲンの読影やエコーの診断、まとめや雑用、勉強、執筆、紹介状の記述などで診療後の仕事が終わらないとか。前者は、アドレナリンが出ているし、ずっと看ていないといけない場合が多いので元気。後者は、ちょっと嫌々やっているので、娯楽が必要。映画を流しながらとか、ジュース買いに行ったりとか。

 実は診療が混み合うだけで、必然的にスタッフの業務終了は遅くなってしまいます。診療後にカンファレンスを行いますが、だいたい午前と午後の分でそれぞれ1時間半〜2時間かかります。診療中には難しい詳しいカルテ記入(かなり細かく記入して、添削します、だから皆さん分厚いです)と補填は言うに及ばず、診療内容の報告だけでなく、カルテを添削し、誤りがないかを精査し、診療についての検討や今後の方針を決めていくからです。この際に、診療中の判断よりもより良い診療ができるような相談があれば、またそのご相談のために飼い主さんにはお電話をさせて頂いたりします。これを行うことで、診療時の相談だけでなく、さらに充実したチーム診療ができることになり、情報を全てのスタッフが共有できるようになります。診療件数が多かったり、重症の子がいたりすると、さらに時間がかかります。また、このカンファレンスの前後や合間に入院の子の診療も行いますし、翌日の準備も同時進行します。

 そう、もし仮に19時ジャストに診療が終わっても(まずありませんが)、後片付けも含め、業務終了は早くても21時を過ぎるわけです。例えば、午前が忙しくカンファレンスが行えなかった場合(多いですこのパターン)、まとめて行うことになりますので業務終了は単純計算でも23時は優に超えてしまうことになります。

 でもこれはやめるわけにはいきません。問診する、問診から病態を予測する、説明する、身体検査を行う、考察する、検査内容と治療方針を決める、説明する、検査と治療を実施する、予後の今後の方針を検討する、説明する、お薬などを注射や処方する、資料をお渡しする、診療終了、カルテの不足部分を書く、カンファレンス。これらを正しく適切に行うことが、モットーである「やさしく ていねいに じっくりと」であり、最良・最善・最新を実行できる元になります。

 たぶんこんなに時間をかける病院はありません、こんなにカルテが厚い病院はありません。でも、これが僕の究極の獣医療だと思っています。だから・・・、お待たせすることが多くなるのですが、ごめんなさい!!いや、言い訳です、今後も努力します。

 昨日は、業務終了3時半、途中休憩は昼食の10分とアイス食べた10分のみ。僕はその後朝まで入院の子を看護。一昨日もやはり午前様、僕は急患の子を朝まで看護。日曜の夜は研究会で、土曜の夜は親友と朝まで飲んで、金曜は…、いつから寝てないのか?でも元気です!

 僕は、on-offのスウィッチングがうまいので、ちょっとした一瞬で、何かの拍子で、しっかり抜きます。だから、ストレスも含め、蓄積していきません、と思い込んでいる節もありますが。スタッフは、どうやって抜いているのか、4月に入って午前様が続いているので、ちょっと心配です。皆さんの気分転換は、どうされているのでしょうか。<「RONIN」を流しながら>

2012年4月14日午前4時半 落語
 今スタッフ皆が帰宅しました。お疲れ様でした。今日は緊急手術、そしてその手術中に急患の方。また明日、緊急手術となります。今日の手術は成功、急患の子も今は治療を始めてかなり楽になったようで、入院室で遊びたいと言ってます。ちょっと一安心。

 土曜日の緊急手術は、本来夕方から夜間に行っているのですが、容態がかなり悪く午後には始めなければいけない様子です。そのため、午後の診療は縮小して行うこととなり、ご来院の方には、大変ご迷惑をおかけ致しますが、よろしくお願い致します。

 ところで、今テレビで「落語者」という番組をやっています。この番組、落語家さんの一席をゆっくり堪能できる番組で大好きです。そう、僕は落語も大好きなんです。子供の頃から、演芸番組が大好きで、特に落語と漫才は必ずチェックしていました。NHKの末廣演芸会とかテレビ朝日の大正テレビ寄席とか、日テレのお笑いオンステージとか。

 池袋の末広亭に出入りし、高校時代は落語研究会に野球部と掛け持ちで入部したり。ただしこの落研、僕以外新入部員が無く、入部初日に廃部となりましたが。今でも、落語家になりたい、せめて修行したい、そう思っています。

 好きな落語家は、古い方では三遊亭金馬さん、あの渋い声と芸達者振りは抜群で、「目黒のさんま」は絶品です。三遊亭圓生さんも渋い声と確かな語り口で大好きでした。上方では今もご健在の米朝さん、威勢のいい啖呵と小気味良い関西弁、「三十石船」という長い話fが大好きです。最近では、創作の秀でた文珍さん、円丈さん、古典も味のある今は亡き桂枝雀さん。亡くなった方では、志ん朝(志ん生)さんも小さんさん良かった。談志さんは1つの立派な流派で、彼の前にも後にも、彼を越えるものはいません。

 ざこばさんの「崇徳院」はおかしいやら呆れるやら笑って、一緒に疲れて。鶴瓶さんもいい味出してます。今の上手といわれるこ小朝さんや志の輔さん、花禄さん、それぞれいい味出していますが、僕にはまだ分かりません。

 毎月1枚届く落語のCDは、とうとう120枚を越しました。かれこれ10年続いています。さて、今日もまた楽しく頑張ります!<「落語歳時記」カセットセットを聞きながら>

2012年4月10日午前1時 やめとこ、思ったけど
 4月6日は、ホームズの命日でした。書かないどこって思ってました。普段、しっかり見送りなさいいて言っていながら、いまだに引きずっているから。まだ、新しいワンコは飼えません。前にも書きましたが、我が家から犬の姿が消えたのは史上初めて。多分親父の代から考えたら、60数年ぶり?

 ホームズのお母さんと姉妹の飼い主さんご夫婦から、立派な御花を頂きました。お互いに次はまだ・・・、そう笑いました。でも、ここに書くことで、やっぱり一区切りつけなきゃいかんと。そう思いつつあります。明日には気が変わってるかもしれませんが。

 さて、ワトソンと出逢った施設にまた遊びに行くか、それとも福島に行こうか、少しずつ考えていこうかと思います。

 これも前に書きましたが、僕の知人の俳優さんは、震災直後からずっとボランティア団体の長として、現地で動物の保護に奔走しています。その彼が、立ち入り禁止区域に入りました。団体のメンバーが行きたいと望んだため、彼らの危険を回避するため、彼らの想いを無駄にしないため、彼が独りでまず視察と保護に向かいました。

 その彼が、「現地の情報などが必要なら、どこに言って欲しいか支持してくれと」そう伝えてきました。僕はそれだけで胸が熱くなり、「無事に帰ってきてくれるだけでいい」そう答えるのが精一杯でした。今頃彼はどうしているのか、何を見て、何を思っているのか。すごく身勝手な考えだけど、何も出来なくていい、五体満足でいてくれ、そう思います。

 僕だけが立ち止まっていてはいけない、そう思います。学会の理事や運営委員に、積極的に参加するようにしました。こんなのちっぽけだけど、これで少しでも獣医療に社会に、動物たちに、飼い主さんに還元できれば良いと思って。ぼくも、スケジュールを調整して、再度北へ向かおうと思います。

2012年4月6日午後8時 PC故障長引く
 やっと本日、たった今、HPの更新ができました。と言いましても、PCはまだ直っておらず、ひとまず他のPCでHP更新のみ可能となりました。

 3月末から更新できなくなっておりましたが、モバイルサイトで細々と更新しておりました3月28日分、4月2日分、4月5日分をここにアップ致します。

 PCは、なぜか留守中に損傷し、長時間の格闘の末ハード自体がぶっ壊れているのが判明し、修理に出してかれこれ10日。タイで生産されているハードは、昨年の洪水の影響でいまだに品薄だそうで、一体いつになったら日本に届き、僕のパソコンに収納されるのでしょうか。

 まずは、愛機の復活を待ちつつ更新していきますので、よろしくお願い致します。

2012年4月5日午前4時 第12回ご報告 募金ありがとうございました
 被災動物救援支援募金にご協力ありがとうございます。早く現地にて役立てて頂くために、3月31日付で12回目の寄付を行わせて頂きました。
皆様には、快く募金をお引き受け頂き、心よりお礼申し上げます。
 
寄付団体:日本動物病院福祉協会(JAHA)
(寄付実施が早い団体を選びました。)

金額:計9.303円(12回合計303.912円)

被災動物義援金:受付終了(計当院より50.000)


2012年4月2日午前4時 育つ
 3月31日をもちまして、工藤先生が退職されました。4年間一緒に頑張ってくれた仲間が去るのは、ほんとに寂しいですが、彼も独り立ちしなければいけない時期、元気に巣立ってくれたことを喜ばないといけません。彼の今があるのも、温かく見守って頂いたこと、そして大切な家族である犬ちゃん猫ちゃんたちを任せて頂けたこと、これに尽きると思います。皆様のおかげです、工藤に代わってお礼申し上げます。

 うちを退職される先生や看護士さんには、必ず絵や版画を卒業記念にお贈りしています。いつもモチーフは犬や猫たちが描かれているもの、贈る方のイメージに合ったもの、そして僕が自分に欲しいと思うもの。今まで何枚贈ってきたのだろうと、ふと思って数えてみたらすでに数十点。不思議なのは、必ずいい作品が見つかること。なんでだろう。

 ある飼い主さんから、「先生は大変ね、育てても育てても皆さんいなくなっちゃうものね」励ましてもらいました。確かにずっとずっとうちにいてくれたらどんなに助かるか。そう思わないことはありません。だけど、僕らのもう1つの仕事は、人材を育てること。彼らがいろいろな場所で獣医師として、看護士として、力量を発揮してくれれば、もっとたくさんの動物や飼い主さんたちを救うことが出来ますから。そして彼らがまた、人材を育ててくれる。

 そうやって、僕のまいた種が少しずつ芽を出し、葉を育て、花が咲き、また実を成させば、ちっぽけな僕独りが頑張る力よりも、よほど大切なことが出来るでしょう。

 育てる、って書きましたが僕が育ててるのではなく、周りの全てが育てていてくれているだけ。それと、彼らが自分の力で育っていってくれているだけ。僕はその手助けしかしていません。僕は元々教えるのが下手、というよりも教える必要はないと思ってしまっている節も。教わるのではなく、自分で見て、考えて、学ぶものだと思っています。背中を見て育て、そういう古いタイプです。みんなは苦労しただろうなあ、こんな僕の元で。だけどね、立派な背中を見せてやる!これだけは、やっているつもりです。

 友人と行っている勉強会には、開業した長岡先生や塩谷先生、日景先生など積極的に参加され、外部から会員を募集しない我々の志成会も、続々と人数が増え、後進が育っているようで、嬉しく、そして頼もしく思います。大学で教官をされている瀬戸口先生、結婚後また獣医師として復帰した山本先生、体調を崩されたけどまた獣医師として頑張っている内山先生、結婚されて関連の仕事につかれた嶋田先生、中島先生。看護士として頑張っている秋田さんに越石さん。今は休職中だけど、ぜひ復帰して欲しい松田さんに木村さん、上木先生。

 皆、誰が見ても、評価しても、決して恥ずかしくないプロフェッショナルになってくれている。毎年恒例のOB全員参加の忘年会は、僕自身が自分の立ち位置とぶれない意志をさらに固める良い機会になっています。

 土曜の夜は送別会、いつも通り食って、呑んで、朝まで歌って。そしていつも通り、じゃあまた!ってかしこまった挨拶もせず、かっこいい訓示や教訓もたれず、普通に別れてきちゃった。そう思うと、まだまだ一緒にいてくれるんだと多分心の奥底では思っていたのだろうと、寂しく思います。

 さあ、今日からは森永先生という新しい先生が加わります。頑張ります。

2012年3月28日午後6時 PC故障
 PC故障のため、HPの更新が出来ず、モバイルサイトだけ、更新いたします。

 お休みを頂き、ありがとうございました。仕事は予定通りこなし、十分すぎるくらいゆっくりさせて頂き、ハワイの風と太陽をしっかり浴びて帰国しました。顔も腕も真っ赤っか、ひどい姿で申し訳ありません。

 決して長いことビーチやプールにいたわけではありませんが、プールサイドで本を読んでいたら爆睡。こんがり出来上がりです。

 いつもお休みに悩むのは、昼から酒呑んじゃお、ってどうしようかなあと。気分的には、最高潮になりますが、昼の酒は身体に効き、活動量が極端に減り、眠くなり。夜まで時間を無駄に、ってパターンが恐い。ということで、お洒落なカクテルなんぞを飲んでいたわけでもなく。

 今回はコンドミニアムで、ずっと自炊しとりました。実は、料理作りながらお酒呑むのも好き。ちょっとつまみながら、最高です。え?だったら日本でいいじゃん?野暮は言わない言わない。

 ホノルルにもドンキがあり、安い、旨い、食材の宝庫。ビールも1ダース買い込み(ちゃんとライト)、もちろんザ・アメリカのビールで気分を出し。ベーコン焼いて、肉焼いて、パン齧って、こりゃあハワイに住んじゃおうかな、なんて。

 15年ぶりにハワイ在住の獣医師の大先輩とお会いしました。自分のことを棚にあげて、「年とられたなあ」とちょっとお会いした時は寂しく感じましたが、お話しすると昔のまんま。いや、さらにパワーアップかも。熱い、ハワイの陽よりも気温よりも。新薬のこと、獣医療のこと、医療のこと・・・、話が尽きない、やっぱり1日あけとけばよかった、ってくらいずっと話していたかったです。

 会いたい人に会い、南国特有の開放感を感じ、いろいろな人とまた出会い、語らい、熱と風を感じて、良い日を過ごさせて頂きました。

2012年3月15日午前3時半 腹腔内に形成される肉芽腫について
 腹腔内特に脂肪織に重度の炎症を起こし、周囲臓器や組織の癒着や肉芽腫形成を引き起こす疾患が増えています。皮下や腹腔内の脂肪織炎、肉芽腫性胃炎などが多発するミニチュア・ダックスフンドに多いことから、これらの疾患も含んで免疫学的異常や遺伝的素因、体質などが原因と考えられています。

 この肉芽腫は、動物の苦しみや痛みも強く、広範囲に拡大する例が多く、炎症や癒着を多臓器や組織に引き起こし、生命に関わることの多い疾患であり、放置されたり誤診されてしまうと予後不良あるいは死の転帰を迎えるため、最大限の注意が必要です。

○症状:元気・食欲廃絶、著明な疼痛や違和感、発熱、嘔吐・下痢、重度の感染症
     免疫異常

○診断:症状や既往・体質から推測、触診、
血液検査、CRP測定、X線検査、超音波検査 など

○治療:副腎皮質ステロイドや免疫抑制剤による消炎および免疫抑制
     免疫調整〜サプリメント、免疫治療など
     抗生物質投与
     内科疾患での完治は不可能〜外科手術

○予後:早期発見の外科手術により完治可能
      完全摘出や癒着の剥離が技術的に不可能なケースもある
      ただし、内科治療の継続による予防が必要になる可能性あり
再発の可能性あり

また、外科手術を行った結果、数か月から数年後にこの肉芽腫を発症する例も多いことから、上記の生体側の素因だけでなく外科手術が大きな原因の1つではないかと考えられています。外科手術は、組織や臓器の炎症や損傷、癒着を少なからず引き起こすため、これらが刺激になることも多く、他にも腹部臓器の空気暴露、全身麻酔、血流の変化なども関与しているはずです。また、外科手術に使用される医療器材である縫合糸が、これらの肉芽腫を惹起する一因であると示唆される報告や経験も多くなっています。

ただし、これらの原因の解析はいまだ進んでおらず、何が原因であるか未だ特定できていない状況を鑑みると、生体側の素因と外科手術の影響の両側面を考えながら、最大限の予防法〜生体側の素因の予測や精査による管理、外科手術手技の徹底や縫合糸の適切な選択など〜を試みるべきですが、もし防ぎきれない場合も、これらの疾患を念頭に置きながら診療を行うことで、早期発見や早期治療を行うことが可能となります。

特に、典型的な例として、絹糸を使用している手術例で圧倒的な肉芽腫発症例が多く、さらに病理組織検査にて縫合糸が肉芽腫の内部から見つかっているため、組織反応性の高い多繊維性非吸収性縫合糸が肉芽腫を作ることは断定されています。ただし、この縫合糸だけが原因とは考えられない事例も多く存在しているため、今後も徹底した検証や考察が必要です。

・絹糸が原因;組織反応性?多繊維?自然素材?易感染性?
・多繊維性ナイロンが原因;コーティングの損傷?多繊維?易感染性?
・絹糸の使用が主流であった時代になぜ少なかったか;絹糸が原因ではない?認識不足?
・組織反応性の低い合成非吸収糸でも発症〜長期遺残のため?
・合成吸収糸は、一時的に組織反応性が高いが、発症例は少ない〜短期だから?
遺残しないから?
・組織反応性のないワイヤーやクリップでも発症〜縫合糸は関係なし?外科手術が原因?
                    他の原因が主因?
・これらの器材未使用例でも発症〜縫合糸は関係なし?外科手術が原因?
                 他の原因が主因?
・病理組織検査や肉眼所見で縫合糸が認められない〜縫合糸は関係なし?
外科手術が原因?
他の原因が主因?

中には、「縫合糸関連性肉芽腫」と断定する獣医師や報告も多くなってきていますが、実際には上記の事実を解明しない限り、こうと断定するにはあまりにも早合点であり、早計だと思われます。また、これらの誤った周知は、さらに混乱や誤診を招くため、事実を積極的にアナウンスする必要があります。<「ナイトライダー・ネクスト」を流しながら>

2012年3月14日午前6時半 手術の考え方と縫合糸の選び方
 手術を行うにあたって、縫合糸は必ず使用する医療用具です。切開部分や断裂部分をつなぎ合わせる縫合だけでなく、血管や出血部位を結紮する止血、臓器の牽引や固定、個々の臓器の癒合や変位、縫縮、組織や臓器の再建などにも使用します。

 この縫合糸を使った手技とどの縫合糸を使用するかの選択やこだわりは、手術の中でも大きなウェイトを占め、外科医の意識や技術の差が大きく出る部分でもあり、その結果は直接的に生命に関わります。仮に生命に及ばなくとも、急性の術後合併症を引き起こし、これを乗り越えて、あるいは発症しなくともその後の慢性合併症や数年後の病気の発症などを起こすため、生涯を左右するものであるのは間違いありません。

 生命に関わる診療は、全て最大限の注意を払い、リスクや危険性を極力抑え、最善の結果を得なければいけませんが、特に直接的に生命に関わる手術や麻酔は、細かいところまでこだわり、気遣い、考え、施術しなければいけません。外科医によっては、縫合糸の選択が手術の80%を決めるとも言われています。

 話が脇に逸れますが、手術の成功は、術中術後を乗り越えるだけなら決して難しくありません。しかし、12:15本来の手術の成功とは、病気の快癒であり、術前よりも改善した体調や病状であり、消失あるいは軽減した苦しさや痛みであるわけですから、実際には手術後の数日から数か月後にはっきりするわけです。

しかも厳密には、病気によっては無理なことも多々ありますが、数年後の、あるいは生涯の、後遺症や合併症の発症を防ぎ、病気の再燃や再発が起こらないことが手術の成功であり、動物と飼い主さんがより幸福になることが成功と言えます。

この点は、獣医師ですら気づいてないことも多く、後々のこれらの病気の発症は別のことが原因と判断され、気付かないまま処理されてしまうことも少なくなく、本来であれば病気に苦しまずにいられた可能性も大きいわけです。

例えば、腫瘍の手術を例にとります。腫瘍を身体から摘出する場合、ただ単に切り取れば良いという訳ではありません。まず、腫瘍の性質や危険性を把握し、他の臓器への浸潤や転移、癒着の有無を調べます。さらに、どのように切除するかよく観察し、シミュレーションします。

切除する範囲(マージン)と癒着の剥離が正しくなければ、腫瘍は身体に残存します。切除する際に、腫瘍に不要な出血や損傷を加えると、腫瘍細胞は身体中に飛び散り、播種を起こします。腫瘍への触れ方、取り扱い方も腫瘍の転移や浸潤・転移の原因となります。腫瘍の性質により、あるいは不可抗力によっては防ぎきれないこともありますが、不用意に扱うことで大量出血を起こしたり、腫瘍が破れたり割れたりしてしまうことは、その場で生命を失う危険性も高く、治癒の遅延や体調・病状の悪化を必ず起こし、腫瘍の播種や転移の原因となります。

術前検査を行わずに、基礎疾患を治療せずに麻酔や手術を行うこと、麻酔手技の失宜、術中の感染、不活性組織の残存、術後の臓器癒着なども同様です。

同様の理由で問題になるのが、縫合や使用される縫合糸が関連する組織の癒合不全や術創の離開、止血失宜の出血、組織や臓器の損傷などです。

話を元に戻しましょう。縫合の方法や結紮、臓器や組織の取り扱いは、技術を習得するしかありません。術式を適切に選ぶことは、知識を学び、意識を高め、最善を尽くす姿勢を身に着けなければいけません。これらはなかなか出来ることではない獣医師も多くいます。その中で、縫合糸の選択は決して難しいことではありません。少しだけ知識があって、その点を気を付ける注意力があればできることです。

手術に使用される糸には、分類方法によっていろいろな種類があります。自然の材質を原料とする糸と人工的な糸、より糸(編み糸、多繊維性)と一本糸(モノフィラメント)、より糸とコーティングされて一本糸の状態にしたより糸、吸収糸と非吸収糸という分類です。特殊な例として、ステンレス製のワイヤーやチタン性のクリップも使用されます。

これらの糸の選択は、それぞれの糸の特性が手術に影響するため非常に重要ですが、万能というものはなく、体質や病状、手術の方法や臓器・組織の特性、使用方法や手技など、条件に合わせて検討しなければいけません。また、縫合糸の取り扱いや手術手技も大きく関与するため、縫合糸がどんなに良質でも、使用する外科医の技術や知識、意識によってもまた大きな差異が出てしまいます。

糸の評価は、いろいろな基準があります。

○組織反応性:身体の中で異物や異種蛋白として認識され、あるいは加水分解反応や炎症反応に伴う形で、組織反応性が現れます。この反応が強ければ強いほど、 遺残した体内で炎症や癒着、肉芽形成などを引き起こします。ただし、糸本来の組織反応性が乏しくとも、遺残期間が長ければ反応性は増してしまうこともあります。

○抗張力:糸に強い力、特に引っ張る時に耐えられる能力です。抗張力が強ければ、組織をしっかりと保持することが出来ます。糸の特性に関わらず、糸の太さが増せば抗張力が増しますが、組織反応性は強くなります。

○結節保持力:糸を結紮した時の結び目(結節)の緩みにくさの能力です。結節保持力が強ければ結びがほどけないため、組織を保持する能力も高くなります。糸の特性に関わらず、結び目が多くなれば結節保持力が増しますが、組織反応性は強くなります。

○取り扱いやすさと結びやすさ:しなやかさ(非弾力性)が増すと糸の取り扱いが良くなり、結びやすくなります。

○吸収と非吸収:体内で加水分解や貪食により融解する能力です。吸収糸は、一時的な組織反応性を有しますが、体内より消失するため、糸の遺残による弊害がが起こりません。しかし、吸収される体内の環境や糸の特性によって吸収速度は異なり、抗張力の消失が必要以上に早く起こってしまう場合があります。

○コーティング:多繊維性縫合糸をコーティングすることで、より糸の利点に加え、組織反応性や易感染性を低下させる特徴があります。ただし、コーティングの損傷による特性の喪失や多線維性縫糸の欠点が防ぎきれない場合もあります。


 糸の特性は次のようになります。

○自然素材糸;絹糸 低コスト、組織反応性 強、易感染性 有(蛋白質が原因?)
  合成糸;ナイロン、ポリプロピレン等(非吸収) 組織反応性 ほぼ無
      ポリジオキサノン、ポリグリコネート等(吸収) 組織反応性(吸収過程での炎症反応) 強

○より糸;抗張力 弱、結節保持力 強、しなやかさ 良、組織反応性 中、易感染性 有(繊維間に細菌が侵入しやすく、排除しにくい)

○モノフィラメント;抗張力 強、結節保持力 弱、しなやかさ 悪、組織反応性 弱、易感染性 無

○吸収糸;抗張力 弱(消失していく)、結節保持力 中〜弱(消失していく)、しなやかさ 中〜良、組織反応性 強、易感染性 有

 非吸収糸(モノ・合成糸);抗張力 強、結節保持力 弱、しなやかさ 悪、組織反応性 無、易感染性 無

○チタンクリップ;抗張力 強、結節保持力 中〜強、しなやかさ 悪、組織反応性 無、易感染性 無

<当院使用の主な縫合糸>

自然素材・より糸・非吸収;絹糸 ほぼ使用なし、緊急の場合のみ(煮沸・アルコール処理に感染性と組織反応性を減弱)

合成・モノフィラメント・非吸収;チタンクリップ、重合カプロラクタム、ナイロン、ポリプロピレン

合成・より糸・非吸収;ポリエステル、ナイロン

合成・モノフィラメント・吸収;ポリディオキサノン、ポリグリコネート

合成・より糸・吸収;ポリグラクチン910

<「CSIマイアミ」を流しながら>

2012年3月9日午前1時半 ホテル
 頭も身体も痛んで傷んで悼んだ時は、外資系ホテルに泊まりたい。ちょっと贅沢だけど、とても癒されます。都内なら、急患や仕事があってもすぐに戻れて、夜遅く出発しても20分くらいで到着。お休みを頂いた時に、朝晩は仕事で病院に戻って仕事、昼間はホテルでゆっくり。場合によっては、ホテルの部屋やラウンジで仕事を続けることも。でも、ホテルの車寄せに着いた瞬間、疲れも悩みも吹っ飛んで、ニヤニヤ笑いを我慢しつつ、気分はムッチャ高揚してます。

 土曜の夜遅く着いて、翌日のチェックアウトはお願いしてレイトアウトでゆっくり。でも本当は、出来れば、2泊したい!ほぼホテルから離れず、ちょっと散歩をするくらい。朝起きたらまずビリー、フロ入ってさっぱりして、朝食は楽しいブッフェ。ラウンジでゆっくりして、本を読んで、スタッフの方とお話して、今度はプールやジムへ。プールでは、思いっきり泳いで、ゆっくり本を読んで昼寝。また、ラウンジに行って、本読んで、スタッフの方とお話して。早めのお酒を好きな映画を観ながら。いやあ、至極の時間です。

 なぜ外資系ホテルが好きかというと、それは素晴らしいホスピタリティです。豪華さも華美さなどもそんなに興味はありません。スタッフ全員が、もてなすことを第一と考えられ、プロフェッショナルに徹する。ドアマンの方の出迎えからベルの方の案内、フロントやラウンジの方の対応、宿泊中も客室係の気遣いやしっかりとした電話担当の方、気持ちのこもったレストランやルームサービス、出来ないことがないコンシェルジュ・・・、全てが理にかない、感嘆に値する仕事。この方たちの仕事を見ているだけで、癒され、気持ちがいい。

 そして、自分への戒めと仕事に役立つ彼らのホスピタリティを学ぶ。スタッフの方にも、いろいろ質問して、お話させて頂いて、これも楽しく勉強にもなる時間。前にも書きましたが、職人さんや技術者、ホテルやディズニーのスタッフのお仕事は、僕らにも通じるところがあり、学ぶべきことがあり、ちょっとした同志を得た気分になり、とても気分がよくなります。これが究極の幸福。ホスピタリティの次に好きなのは、景色とお風呂です。

 なんでこんな贅沢が好きになったかというと、それは15年前くらいにディズニーのオテルに初めて泊まったのが始まり。それまで、休みなしの仕事でしたが、初めて泊まりがけのお休みをもらった連休でした。もちろん、すぐに病院に戻れるように近場です。テンションは朝からMAX。ホテルの前に車を停めた瞬間から車で出発するまで、ずっと幸福な時間を過ごしました。この時、ホテルの従業員さんて凄いプロフェッショナルだなあと、凄く印象に残り感動しました。

 この時はもう1つ嬉しいことが。たまたま立ち寄ったイクスピアリというモールに、今はない画廊がありました。絵を観るのが好きな僕は、ふらっと立ち寄りました。そこに、ルイ・シンという画家の方が描いた猫の獣医さんの版画が3点。普段は買い物で一目惚れはほとんどなし、いつも何度も何度も考えてから。だけどこの時はビビッと。ただ悲しいのは、決して高い版画じゃないのに、全部購入するのは無理!しかも1つでも実際には凄い躊躇、勇気を出して1点決めるのに30分。

 泣く泣く残りの2点に別れを告げて、買ったばかりの大事な版画を胸に抱きながら、ディズニーランドへ。残りは絶対来年!と心に決めて、約束通り翌年まだお店に残っていた版画を1点購入しました。もう1点は、友人の病院へ。これらは今も僕の記念の品、病院の待合室に飾ってあります。

 話がそれましたが、それまで、旅行は車中泊かキャンプ、温泉旅館だった僕には、初めての、そして素晴らしい体験でした。学びと癒しのホテルですが、本当に今もホテルに惹かれるのは、この時の気分を思い出すからかもしれません。<「特攻野郎Aチーム」を流しながら>

2012年3月3日午前2時半 アカデミー賞
 アカデミー賞、アメリカだけでなく、日本も授賞式が終わりました。映画好きの僕は、授賞式を観るのが大好き、名場面、撮影秘話、俳優さんや監督のお話、どれをとっても楽しい。

 でも1つだけ不満があります、それは娯楽作やエンターテインメント、アクションやファンタジー、SF映画の評価が不当に低いということ。そして、美形の俳優さんにも評価が辛いこと。もちろん、テーマや根底に流れる想いも大切ですし、心に響くもの、考えさせられるもの、自分の考えを覆されるもの、励まされるもの、タブーに触れ冒すもの…、良い映画はたくさんあります。しかし、楽しい、ワクワクする、興奮する、勇気が出る、これも映画の醍醐味であり、作品性です。

 とかく重いもの、難解なもの、社会的なものが評価され、あたかもそれが文化的と評されますが、それは絶対間違っている。アメリカの文化の1つである映画、であれば映画の良さをとことん突き詰めているのもアメリカであるはず。でもそれが、不当に捻じ曲がっています。まだ邦画の方が、正当な評価をしているように思えます。

 あとは、監督にも、俳優にも、作品にも、好き嫌いが如実に出てしまっています。普通に、正しく評価してくれ。好悪を表に出すのは未熟であり、恥ずべき行為。弁えてくれ、偉いと思われている人たちなんだから。

 偏ったマスコミや作為的なトレンドの形成も鳥肌が立つ。恥を知れ。

 演技がうまいのも才能であれば、姿かたちも、鍛え上げられた肉体も、所作動作も才能であるはず。

 どうも、何も苦労していない、努力していない、考えていない、そう思ってしまっているんじゃないでしょうか。せめて、部門を分けるとか、いや部門を分けること自体差別か。何とかしてほしい。

 お亡くなりになられた原田芳雄さんが最優秀主演賞を受賞しました。素晴らしい映画であり、素晴らしい演技であり、素晴らしい情熱や想いでした。でもこの受賞に、日本のお得意のお涙頂戴があったとしたら、それは映画への冒涜であり、原田さんへの冒涜です。

 僕は原田さんの大ファン、日本のデ・ニーロ、イーストウッドだと思っています。最近の作品では、浪人街がお勧め。正当な評価で、正当な賞を受賞されたのだと思っています。ご冥福をお祈りいたします。

 映画は、すごいパワーを持っています。社会を変える力もあります。だからこそ、本当に映画が楽しめる評価を望みます。

 こういう不当な評価は、偏った知見は、実は映画だけではありません。世の中が変わってくれますように。または、変えていこう。<「日本アカデミー賞授賞式」を流しながら>

2012年3月2日午前4時半 流れ
 今日、いや昨日の3月1日はうちの会社の創立記念日でした。と言っても、企業の方に言われるまで忘れていましたが。そして気付いた、今年は開業60周年、そして僕が獣医師になって20周年。いろいろありますなあ。

 ところで、僕は過去を振り返りません、とかっこいいこと言えればいいですが、あんまり考えてないのかなあ。だけど今も思い返すと悔しいなあと思うことがあります。別に拘っているわけでも、拗ねているわけでもありません。

 僕が良く遭遇すること、それは今、常識と思われていることが、僕にはしっくりと来なくて。だからそれを打破しようと、否定しようと、主張しようとすると、周りからすぐ批判される。そんなの違う、まだ早い、そうじゃない、と。批判は簡単です、だって当時常識と思われることに則って、新しいこと、いわゆる当時の非常識を攻撃するわけだから、主流派で、根拠も一杯あって、仲間もたくさんいて。でも結果的には大抵僕の思った方向に物事が動く。まあ、その頃は僕の興味はまた他へ移ってしまっているのだけれど。
 
 こんな時思う。おいおい、批判してた奴ら、この状況をどう思う?悔しいだろう、謝れ、頭下げろ、ごめんなさいは?だけどそういう人たちは、批判してたことを覚えてない。けろっと流れに乗って、いけしゃあしゃあと自分が時代の最先端だ、みたいなことを言ってる。

 でも批判する人は知らない。常識と思われていることを否定することが、ぶち壊すことが、どれだけ怖いか、勇気がいるか、覚悟がいるか。そして仮にそれが間違っていたとしても、その覚悟は必ず将来に力になる。流れに乗るより、流れを作る方がよほど楽しい。

 今から20年前の大学病院時代、女性獣医師なんて役に立たない、世間では、業界では、そう言われていました。体力勝負な仕事だから、から始まっていろいろ文句があったのでしょう。確かに当時の女性獣医師は数が少なく、尊敬できる先輩女性獣医師は皆確かに希少で男勝りな先生でした。良い意味で世間一般で言われる女性っぽくない(この見方も間違っていると思いますが)。

 当時から僕は、女性獣医師の方が優秀では?そう思っていました。周りに出来る女性獣医師が多かったし。先輩も同僚も、後輩も。気遣いが出来て、動きが滑らかで、丁寧で、粘り強く。料理や子育て、家事に力を発揮する女性は、むしろ獣医師に適していると。

 批判した奴ら、皆、女性獣医師を雇ったり、頼りにしています。ざまあみろ。

 まあこれは、些細なことの例ですが、小さいことで言えば、麻酔監視モニターを導入した時も(当時は大学でも持っていない所がありました。開業獣医師では十数か所のみ)、レーザー治療を始めた時も、漢方やサプリメントを重用するときも、心臓に特化した超音波検査機器を導入した時も…。必要ない、まだ早い、高い、普及しない・・・。

 20年来一番僕が力を入れていること、問診を、説明を、相談を、丁寧に時間をかけて正しく行うことこそ、適切な獣医療の実践の基礎になるということ。獣医療の技術や知識だけでは精度の高い診療は行えても、良質で最善の診療は行えません。インフォームドコンセント、やっと定着してきた概念ですが、残念ながら定着したのは言葉だけ。実践も徹底も、それどころか理解もされていない現状。

 よく考え、いろいろな状況を想定し、予測し、出来る限り必要な対処を事前に施す。第一は動物のため、僕らの仕事は動物を助け、守り、保護すること。飼い主さんの満足よりも、動物の痛みや苦しみを最小限に、でも飼い主さんの心労や苦労を少なく。そんなに時間はかけられない、必要ない、そこまで出来ない、採算が合わない、そんなことできるのはお前だけ…、いろいろ言われました。で、これは今も言われています。これだけは、流れになっていない。

 これが実現されたら、悔しくもないし、謝れなんて言わない。だから、努力を惜しむな、行う前から諦めるな、逃げるな、獣医師たち。先生と呼ばれること、感謝をされる仕事であることの意味をもう一度考えるべき。これは、責任が重いということの現れ、プロフェッショナルであって当たり前ということ、そしてそれらの要求に応える義務があるということ。慢心と驕り、怠り、これは罪だ。<「目撃」を流しながら>

2012年2月24日午前4時 感じる
 今日は徹夜です。溜まった仕事をちょっとずつこなしてます。容態の悪い子が入院している訳ではありませんが、夜に具合の悪くなったこの急患の子、容態は落ち着きご帰宅しましたが、まだいつ悪くなるか不安なため、もう少し起きて待機しておこうと思います。

 昨晩は、深夜から降り出した雨が明け方には一瞬だけ雪になりました。今晩は、風が強いです。でも、風が暖かいです。ちょっと気持ちがいい感じ。病院の外のベンチで気分転換、ゆっくりトマトジュースを飲みながら風を感じました。

 風が強い冬の夜は、火事が怖いです。そう言えば、1月後半から巣鴨周辺では連続不審火が続いています。放火の疑いが濃厚とのこと。放火犯には、愉快犯が多いとのこと。そんなことで生命を奪うのは、生活を壊すのは、想い出を無くすのは、やめてほしいですね。火事は、思い出の品も、写真も、記録も、全て奪ってしまいます。助かっても大事なものを奪ってしまいます。やめましょ。

 話がそれました。徹夜の時、僕は必ず気分転換に1度は外に出ます。大抵は、病院のベンチで飲み物を飲む。飲み物を買いがてら江戸橋で、月を観て、星を観て、貨物車や線路工事を見る。遠くのビルを見る。これちょっと楽しい。実は職住一緒だと、全然外に出ない日が続くことがあります。もちろん太陽も見ない、日も浴びない。最長では2週間という記録が。なので病院を改装するときは、僕の為に陽が入るように、患者さんが不安になりにくいように、自然の光で診察できるように、窓を大きくしました。

 患者さんが途切れた時も、少しでも合間で外に出るようにしていますが、僕の外出は深夜の飲みに出かける時が主。だからお休みの出かける日は、陽が出る前に出発して、景色の開ける高速道路で朝陽を観るのが好き、キャンプ場の朝焼けが好き。夕焼けも、薄暮も、Magic hourもBlue momentも好きだけど、やっぱり朝の方がいいかな。月も観るのが好き、いろいろな形があり、色があり、模様があり、光があります。ぜひ皆さんも。

 人間、陽を浴びて、陽と共に生活して、夜は眠る、これが基本です。どんなに睡眠時間をとっても、休んでも、運動しても、太陽を感じないとだめ。うーん、いつこのような生活が出来るだろう。今はとりあえず、飼い主さんと動物たちが、太陽と一緒に生活できれば、まずそれでいいです。

2012年2月23日午前2時 諦めてたまるかい!
 震災直後から現地に入られて、動物の救済をボランティアで行っている知人からメールがありました。彼は自分の仕事を投げ打って、自身も体調を崩したりと苦労の中、今でも活動を行っています。

 人が生きるのがやっとの状況で、確かに動物を救うというのは、ある意味許せない方たちもいらっしゃるでしょう。でも実際には、動物に癒され助けられていると堂々と公言されていた方が、平然と動物を見捨ててしまう。やむを得ないとは思いつつも、解せない気持ちも生まれます。

 彼からのメールは、遠くにいる僕らには計り知れない苦労と苦悩の想いがたくさん詰め込まれていました。もちろん愚痴のメールなんかじゃありません、頑張ってますよ、という報告のメールなんです。

 復旧と復興は違うという論議。元に戻ればいいのであれば復旧で済み、これは決して難しいことではない。だけど復興となると、この震災という体験の上に、そしてその労苦と戦いの末に、得られる別次元のものであり、これは人も変わらなければ無理という。確かにその通りかもしれない。言うは易し、ですが。

 もう一つは寂しい話。義援金で遊び呆けている人たち、瓦礫を片付けている傍らに平気で廃棄していく人たち、捨てられる食事や支援物資、動物の虐待や乱獲、避難所での盗難の続発、連日パチンコやさんは満員と…。

 生命の尊さと儚さ、生きていく上でより大切なもの、利己主義の限界と利他の考え・・・、いろいろと学んだはずの経験が、結局何も社会には通じず、人も変わらず。決して皆がそうであるはずはありませんが、しかし思う以上に多いという現実。

 諦めるのは容易い。投げ捨てるのも自由。でも、でも、出来ることを出来る人が、諦めずとことんやっていく、強固な意識や姿勢を示し続ける、絶対に無駄ではないはずです。

 いるべき場所で、あるべき姿で、行うべきを行う。僕も諦めません。

2012年2月14日午後21時 失礼
 最近かなり頭にきたことが2つあります。いつも何かに怒っていることがある僕ですが、これはちょっと度を越してる、信じられないなあ、ということ。でも両方ともメールがらみのことで、これってちょっとした行き違いもあるんじゃないかと思いますが、やっぱり許せないなあ。

 僕が一番怒りを感じる基本は、人に不快感や迷惑をかけて平気な人、利己主義な人、権利ばかり主張して義務や責任を果たさない人、礼に欠ける人、気遣いや思いやりのない人、意識の低い人、プロフェッショナルでない人、そしてやぶ獣医師は無条件!!もちろんこれは僕だけが嫌だ、ということではなく皆が嫌だ、と感じることです。極力自分の怒りが公平か、わがままや思い込みじゃないか、冷静に考えてから怒るようにしています。これは昔の瞬間着火剤(キャンプでは便利ですが)時代にはなかったこと。成長したなあ、遅いけど。

 1つは、来月仕事がらみでハワイに行くのですが、その時の現地での車の手配での出来事。もちろん初めて利用する会社で、2日に分けて利用するため、また利用の仕方がいろいろ当方に条件があるため、メールでの打ち合わせをしましょうということになり、やりとりをしました。

 まずは、会社設定のパッケージがあるので、こちらの条件をオプションで加えるのか、初めからプラン外のオリジナルのコーディネートにするのかの相談。ここでまず1件。最初はオプション追加で対応、ということだったのに途中からオリジナルに話が変わっている。それについてわかりやすく説明するため以前のメールを添付し、誤りを指摘すると「メールが分かりにくくなるので、以前のは添付しないでほしい」という返信。いやいや、いつも仕事や会議などでわかりやすくメールするようにしているので、これでわかるはずなのに。

 そして2件目、その問題が解決しないまま、では以前のメールをなしで誤りを指摘すると、「以前のメールは読まない。交渉は毎回新しいメールしか読まずに行う。なので今までの経緯を書いてくれ」という返信。またその言い訳に、「メールが多いんだからできるわけないだろ」という内容。だから前回分かるように書いて、それがだめだから次は簡単に今回の指摘だけをしたのにこの返信。また、この言い訳は勝手に自分の都合だけを書いて、事前に断わりもなく、プロではあるまじき言動。ここで、グツグツ心は煮立ってくるわけです。このあとは、問題目白押しです。

 「メールが多いか少ないかはそちらの問題。その処理能力もそちらのスキルの問題。メールでの相談受付を基本にするなら、正しく対応し処理するのが当たり前。」と返信。僕は怒った時必ず口調や文調がより丁寧になります。今までの全てを整理し、ひとまず予約を申し込みました。ここまでは、他よりも安いからしょうがない、海外だからしょうがない、僕独りの問題ではないのでまだ我慢してます。

 これに対して、「うちは安くて親切だから、問い合わせや申し込みがたくさんある。それをしっかり処理するのは不可能。また、リピーターが多いのでほぼ専用。相談などもなく簡単に済む。」と開き直りかつこちらが悪いかのような言い草。さらに「ちゃんと相談したいなら、高い金払ってJTBとか大手に相談しなさい」と。そして究極は、「希望日はいっぱいなので、予約は無理。キャンセル待ちをしてください」・・・。

 これは明らかに突っ込みどころ満載。交渉中なら普通は予約を空けておくか、残り枠が少ないことを事前に告知するべき。リピーター優遇なら初めての利用者には告知するべき。相談も面倒なら、親切さや相談受付の告知は嘘。大手でも、割安なものはある、また顧客に正しい対応が出来ず不誠実な点は、料金の安さでは言い訳にはならず、割に合わない。そして究極は、顧客相手に捨て台詞や嫌がらせなどもってのほか。かなりきつく論破しました。加えて、二度と返信はいらないとも。

 実は、相談時には時差もあり、返信が数日かかっていたのに、このメールには即座にいらないって伝えた返信が。じゃあ、今までの相談で時間がかかったのはなぜ?その対応も?読まなきゃいいのにもう頭に来ているのでついつい開くメール。「これがうちのやり方だ」という内容でここまで謝りもなし。もう沸騰です。

 ここから先は掲載できないくらい厳しいもの。ここまで言われたら、旅行業者の免許だってどうにかするぞ、というくらいの怒り。その後やっと「ごめんなさい」のメール。もう疲れた。

 実はこの後、他の業者さんに相談したら、即回答、契約成立。1回のやり取りだけで終わりました。ほぼ同じ内容のメールだったのに…。

 でもう1件。始まりは忘年会の告知。3か月前に告知し、返信もなかった人が数日前に出席の返信。しかも、誤りも言い訳もなし。まあ、元々自分では気付かずに人を傷つけるタイプの人。何度言っても治らない、多分治す気がない。普段接するわけでもなく、諦めて達観する。

 ところがその後にまた。団体でスキーに行く機会があり、1年以上前に告知していました。その際にも、行けるかどうかわからないという返信で(かなり先の話なので、普通は予定が空いていればOKだと思いますが)、その後結局返信はなく。こちらもすでに言葉は悪いですが、見捨ててましたが。そしたら前日に、「返信忘れてました。他のスキー場に行く予定を入れてしまいましたので、欠席です」・・・。絶句。返事が遅いのも失礼、理由も失礼、伝え方も失礼。

 ちょっとしたことだけど、そのちょっとしたことで、人の気持ちって大きく動くし、傷つくし。そういう失礼に対して、気遣いが出来ない、気付かない、は、性格や育ちなどで許されるものではなく、努力不足と思います。

 以前にも書きましたが、「僕ってこういう人間だから」とか「あいつはしょうがない」は、あくまで甘えが許される家族や友人、仲間の中では許されるかもしれませんが(これにも限度がありますし、親しき仲にも礼儀あり、そして親しいからこそお互いに注意する気持ちも必要)、他人に対して、社会の中で、仕事を通して、許されるものではありません。服装だけでなく、言動や行動、心遣いもTPOが必要ですが、実際にはこの使い分けができない人が多い。ならば、日常や普段の生活から自分を律し、見つめなければいけないと思います。「一事が万事」、日常ではできないけど、他ではできる、なんてことはあり得ません。

2012年2月13日午後23時 第11回ご報告 募金ありがとうございました
 被災動物救援支援募金にご協力ありがとうございます。早く現地にて役立てて頂くために、2月13日付で11回目の寄付を行わせて頂きました。
皆様には、快く募金をお引き受け頂き、心よりお礼申し上げます。
 
寄付団体:日本動物病院福祉協会(JAHA)
(寄付実施が早い団体を選びました。)

金額:計18.326円(11回合計294.609円)

被災動物義援金:受付終了(計当院より50.000)

 以上、皆さんのお気持ちを寄付させて頂きました。

今後とも、よろしくお願い致します。

「一緒に頑張る、一緒に生きる。」

2012年2月8日午前5時 お肉の生食は大間違い〜百害あって一利なし!
 昨日飼い主さんとお話していて、猫のIBD治療に「生肉療法」なるものが実しやかに飼い主さん間で効果あり、と評価されているとお聞きしました。でもこの手の話、昔から迷信や都市伝説のようにあるお話で。冷静に考えれば必ずおかしいことは分かって頂けるはずですが、これらいわゆる「民間療法」や「自然療法」〜そもそも療法ではないんですが〜に傾倒される方は、なかなか聞く耳を持って頂けないことが多く、冷静にお話しできなかったり、どんなにご説明してもネットや評判を重視してしまい・・・、何とかせねばなりません。 

 以前にもお肉の生食には、自然をどう考えるかも絡めて、注意を喚起する文章を書きましたが(2009.7月)、今回はその集大成で。そういえば、人のお肉の生食にも書きましたが(ユッケ、レバ刺し、ハツ刺し、センマイ刺し・・・、大好きです)。

 さてこの療法、そもそもの始まりは「猫は元々肉食だから」、なので「生肉が身体にいいはず」、そして「生肉療法」という短絡した結論になるわけですが、でも実は生肉だけでは栄養が不完全、ミネラルやビタミン等は添加してくださいというもの。実はここまでの記載だけで、数十か所の突込みポイントがあり、突っ込みどころ満載なんです。

 まず医学的に、生肉の食事がだめなんじゃないの?と思いませんか。だって、@結局混ぜ物するんですから不完全ですよね。これじゃ、キャットフードと変わりません。お肉だけで不足が多いなら、結局それはお肉がいいわけではありません。それに加えて生肉は、A高蛋白で栄養バランスが最悪、脂肪も考えないと合わせて高脂肪、消化吸収が難しく、胃腸に負担になる。これだけで、心臓病や腎臓病、消化器疾患の予備軍です。でももっと、肉だけではだめな理由があります。

 それは根本的な問題。B生肉は、細菌や寄生虫という問題があり、健康被害が多くなる危険性があります。また、胃腸にとって生肉はC消化吸収の負担になるだけ。そして論拠となる、「元は肉食」という指摘。これ、猫ではなく「ネコ科の野生動物」のことを言っているわけですから、D「猫は肉食」もまず誤り。猫は人が家畜化した動物であって、野生動物ではありません。正確には「猫の祖先は肉食」。だから、大昔の人と暮らし始めた初期は別としてE今の猫たちに生肉を食べる習慣なんて初めからありません。

 例えば人の祖先は猿だから、「猿の生活に戻れ」とは言わないはずです。これってとっても身体に良いことでしょうか?猿と一緒に生活し、同じ物を食べていれば健康になれるでしょうか?嘘デタラメ、そう思う方はいらっしゃらないと思います。ならば、なぜ猫にはこの理論を当てはめてしまうのでしょうか。たった数十年、日本人の食生活が欧米化しただけで、体型が変化し、体調や病気にまで影響しているのに、何千年の経過は気にしないで良いのでしょうか。

 そうそう、日本人には生野菜って身体の害になる可能性があるの、知ってますか?生野菜は、全てが健康食品ではありません、むしろ胃腸に負担になることが多いのです。日本固有の調理法を通して摂取する方が、日本人の身体には合っているという報告があります。話を元に戻しましょう。

 加えて恥ずかしい間違い。F「肉食」って肉だけ食べるわけではなくて、肉と一緒に血や内臓、骨も食べているんです。だから、草食動物が獲物であれば、その体内の野菜も結果的に摂取しますし、あらゆるものを口にするから栄養分は足りるわけです。しかも、これらを食べて身体を壊すような子は、自然淘汰されます。G肉だけ食べる動物なんていないんですよ。そう、ここにもお肉だけ食べていればいいなんてことがあり得ない理由があるのです。

 よく言われる「自然に返す」というのもいろいろな意味で間違っています。H人の元でしか生きられない動物を野生動物と混同している、現代の自然は野生動物にとってももはや自然ではない、人が出来る範囲だけ自然に返してそれが正しいと思う。本当に自然に返したいなら、その動物にとって自然は何かと考えることが大切。人が勝手に思い込んだ自然を正しいと勘違いし、それは人の都合に良い捻じ曲がった自然。もし、ずっと昔の野生に戻すことを考えるならば、まずは人が生活を共にすること、関わるのをやめなければ、そして強い動物だけが生き残るという原理を受け入れ、自然淘汰されていくこと、寿命が短いことも受け入れなければ。でもこれって、ひどいことではありませんか?I人と自然に生きる動物は、人と離れることは不自然でしかありません。
 
 野生に返しても元の生態に戻るわけではなく、本当の自然界ではすぐ死んでしまいます。もちろん、生肉なんて消化吸収しっかりできません。だから、猫にとってはいい迷惑。そう、J猫にとっての自然は人と適切に良い関係を築くこと。

 そもそもこのIBD、実際には人の病気の名称を動物の病気に当てはめただけで、実は獣医学的な定義は不明瞭なままでいます。今の解釈は、犬や猫に特有の「慢性炎症性胃腸疾患(消化管疾患)」の総称であって、IBDの中でも原因が明瞭な場合は普通はその病名を、必要な検査を行ったうえで原因が不明瞭であったり特発性であるものを、IBDとするような傾向があります。

 だから、ここでまず第一に考えなければいけないのは、まずKIBDという診断が本当に正しいのか、IBDに対しての正しいアプローチが行われたうえでの診断や治療なのか、ここなんです。僕が今まで他院でIBDと診断されたものの大半は、正しい診療を受けておらず、正式にはIBDではありませんでした。だから、そもそもIBDの診断が正しいか不明のことが多い病気に対して、特効薬的な治療など、ましてや絶対に効く治療法などあるはずはないのです。

 またLIBDにはたくさんの原因があり、さらに多種多様な病態があり、症状があります。この病気の総称でしかないIBDに、1つに治療だけが絶対に効くなんて根拠も現象もあり得ません。
 
 だからあえて強く言えば、M「生肉療法」だけで治る病気は、IBDではありません。あるいは、「生肉療法」で治る病気は、他の治療や食事でも、適切に治療を行えば治っているはず、そうまぐれ当たりだけ。もちろん、蛋白質の抗原性などを考えると、たまたま「生肉療法」で好転する病態はあるはずです。でもこれは、生肉を試すことに対して理由や根拠があるはずで、当てずっぽうのことではありません。

 また、「生肉療法」はすでに数十年前から世の中に存在し、獣医療でも行われていました。しかし、Nすでに特別な効果がないと検証されています。実際に僕は臨床の現場で、生肉で発症した、あるいは悪化した動物をたくさん診ておりますが、それでしか治らない症例は1度もお会いしたことはありませんし、正しい情報の中では見聞きしたこともありません。

 以上のように、お肉の生食、ひいては動物への理解の不足や誤った思い込みは、ただ危険なだけではなく、百害あって一利なし!です。

2012年1月26日午後9時 粋〜いき
 僕は、子供が小さい頃から、自分の出かける先には連れて行くようにしていました。もちろん、子供の負担にならないこと、他の方に迷惑にならないこと、子供も楽しめること、子供がしっかりと対応できること、などが前提です。

 僕の父も診療以外はほとんど家にいない人で、遊んでもらった記憶が少ない。箱根でキャッチボール(スパルタで嫌だった)が1回、東京サマーランドが1回、獣医師会の旅行で数回、鎌倉の海に1回、僕の父と遊んだ記憶はたったこれだけ。勤務の先生とは、お祭り、野球観戦、遊園地・・・、遊んで頂きました。

 そんな父も、行きつけのお店への外食はよく連れて行ってくれました。ほとんどが子連れの方なんていないお店、でも皆さん良くしてくれて、僕も大人扱いしてくれること、いろいろな話を聞かせてくれること、父と居られること、何か特別な空間ですごく楽しかったのを覚えています。ただ、子供ながらにここはちゃんとしてなきゃ、皆さんに迷惑かけられない、と心地良い緊張感を味わっていました。この経験は、僕を呑兵衛にした弊害はさておき、いろいろと今でも役立つ経験でした。

 僕が子連れで出かけるのも理由は様々、一緒に過ごす時間が普段は短いから、一緒に楽しめたらより楽しさが増すから、自分が遊びたいから(これが本当の理由かも)、いろいろな場でのマナーを身に着けさせたいから、子供が望むから、貴重な体験になるから、などなど。

 行きつけの飲み屋さんから始まり(お店の方、お客さん、皆さんありがとう)、病院の歓送迎会・忘年会(みんなありがとう)、遠方の友人の冠婚葬祭(旅館で待ってました)、学会や講演会の時(講演中は託児所へ)、独り旅にも付き合わせました。

 子供たちも、普段から大人に囲まれた生活(スタッフがたくさんおりますので)が多いため、一緒に過ごすことが楽しいようです。ただ必ず気を付けるのは、周りへの迷惑。子供たちにも、「ここは特別な場所、子供でもここに居たいならしっかりしないと」と教えていました。TPOを弁えることを自然と学んでくれています。

 おかげさまで、立ち振る舞いに気を付けたり、気遣いが出来るようになってくれましたし、特に二人旅の時は妙に大人っぽく、頼りになる相棒になります。もちろんこれらには賛否両論、間違った部分もあると思いますし、結果オーライかもしれないし、子供に負担をかけたかもしれません。良いのか悪いのかこれは個々の判断になると思います。でも絶対言えるのは、僕が楽しい子育てをさせて頂けたこと、今でも子供たちと何でも言い合え仲良くいられること、これは周りの皆さんの、家族のおかげと思っています。

 最近思うのは、TPOや雰囲気を大切にしない方や場を弁えない方が多いこと。お金さえ払えば何をやってもいい、客の言うことを何でも聞け、そんな風潮さえあります。例えばホテルでは、以前は服装や声のボリューム、立ち振る舞いなどホテルマンも毅然とした態度でお客さんを注意していました。もちろんこれは威張ってのことではなく、そのホテルと利用客を大切にし、心から居心地のよいものとするためでした。

 今は、客に対して阿る方が多く、迷惑を蒙るその周囲の人には気遣いが出来ない施設が増えています。クレームさえうまく処理できれば、あるいはクレームが出ないように。本来のホスピタリティとは、そういうものではないと思います。客が弁える、スタッフがそれに応える、これだけで心地よいものであったと思います。あるホテルのプールで、親子連れのお子さんが大声で騒いで、さらにプールを占領していました。ホテルによっては子供が不可、そんなプールも多い中、そのホテルは優しいホテル。貸切状態だったら少しくらい羽目を外してもいい、だけど他のお客さんがみえたら、親が注意をするべき。フィットネスで泳ぎにみえる方、プールサイドで寛ぎにみえる方、時差ボケ対策で泳ぐ方、ホテルにはいろいろな利用者がいます。こんな時こそ、子供が楽しく、実地に勉強できる機会なのに。

 注意する方も不快だし、注意されるのも嫌だろうし、こういう時こそ上手に話せるスタッフの腕の見せ所。だけど、そんな素晴らしい対応はありませんでした。必要ならスタッフにお声を、と言われたって、言いつけるのだって楽しくない。スタッフも客も、未熟でした。

 例えば、小さな飲み屋さん。板前さんが1人なら、注文の仕方もタイミングも変わってきます。丁々発止、そのやり取りがはまった時、心地よく、極上の時間が味わえます。これこそ、粋というものです。

 粋とか伊達とか、やせ我慢とか恥とか、日本には良いものがたくさんあるんです。大人が身を持って手本を示さないと。最近さらに説教臭くなってるかも。道端でも駅でも、知らない子供でも、大人でも叱るし。でもいいですよね、1人くらい面倒くさくて、厄介な大人がいても。だめかな。

 昨晩から発熱で、今日は早く寝かせて頂きます。<「ライ・トウ・ミー」を流しながら>

2012年1月20日午前6時 やる気
 5時半ころから雪になりました!いまだに、雪が降るとウキウキするのは大人げないと思うけど、やっぱりうれしい。でも、積もりそうもないのは残念。迷惑うける方の気持ちは差し置いて、ですが。被災地の雪は、それこそ心を身体を蝕んでいるかもしれませんが、少しでも心が和む雪でもあってほしい。
 
 日曜日に、シンポジウム運営と学会誌編集委員をしている学会のシンポジウムが、盛況のうちに無事終わりました。前にも書きましたが、僕は獣医師が大嫌い、一部の方を除いて。利己的で、嘘つきで、非常識で、勉強不足…、もちろん尊敬できる先生も、共感できる先生も、共鳴できる先生も、たくさんいらっしゃいます。だけど、それよりも多い意識の低い、志のない、怠慢の獣医師が多すぎる。誇りを持ち、社会的に尊敬され得る仕事に対して、どういう意識でいるのか。でもそんな獣医師でも、ある地位にいて、社会的に認められ、評価されている。僕らの努力が足りない、そのために不幸になる動物や飼い主さんがたくさんいらっしゃる。だから、僕は学会や獣医師会に参加することを極力避けてきました。

 でも、お手伝いを誘って頂いた先生や一緒に働く先生も含め、この学会で出会う先生は、人間的にも獣医師としても、尊敬に値する、そして熱さと義憤を持たれた先生がすごく多い。獣医師も捨てたもんじゃない、上目線に聞こえるかもしれないけど、心底そう思う会でした。縁があって人と出会い、仲間と出会い、僕は恵まれている。今はその会の改善点を探し、次会につなげる作業中。そのため更新が遅れてしまいました、言い訳。

 あ、年末重要なことを忘れてました。そう、トイレ掃除。そしてまだできず…、頑張ります。

 昨日は、長く回復しなかった急性腎不全の子が快方に向かってきました。長く闘病をしてきた子が、通院が難しくなり、在宅での看護に切り替わりました。手術が必要なのに、飼い主さんのご事情が行うことが出来ず、急変が心配な子がいます。皆それぞれ、頑張って、生きて、そう願うしかできない。

 さあ、寝ます、おやすみなさい。<「CSIニューヨーク」を流しながら>

2012年1月10日午前2時 クチコミ
 飲食店の評価を行う人気インターネットサイトの食べログのクチコミが、やらせで問題になっているようです。ある会社に料金を支払うと、自店に良い評価のクチコミを月何件という形で書いてくれるというもの。はっきり言ってインチキで、もしかしたら他店の悪口だって書いてたんじゃないの?そう思ってしまいます。

 僕が驚いたのは、こんなことが今更話題になり、問題になること。そもそも、ネットでの匿名の発言なんて、全く信憑性もないし、無責任だし、根拠もないし、悪意や作為を感じるものも多いし、卑怯だし。だから、元々信用してないので「そんなもんだし、当たり前だし」というのが感想。要は、自分がそれに踊らされず、乗らず、参加しなければいいだけ。1つのフィクションとして、娯楽として楽しめばいいんじゃないかな、と思います。

 でもそんなインチキは、ネットだけでなくいろんな分野で行われています。うちもいろいろお誘いがありますので・・・。もちろん全部お断りしますが「これってズルですよね」って聞くと、堂々と「はい」って答えます。こだまかな?詐欺だよ。以前にもいろいろ書いて批判しましたし、業者とも喧嘩しましたが、焼け石に水。

 病院のサイトの閲覧数を増やすだけでなく、集客を増やしますという大手(テレビCMもやってるくらい)の会社からの誘い。方法は簡単。その会社が契約する数千人のブロガー(素人さんですが、こういうので稼いでる悪セミプロ)に、病院の良い評判をいろいろなクチコミサイトに書かせるというもの。簡単で効果的、でもこれって騙しだし、詐欺です、よね。

 雑誌や書籍に掲載される優良病院。もちろん、うちも取材を受けたことがありますが、しっかり取材して正しく評価してくれているものもあります。でも大半は、出版社とのタイアップ。実は出版社に費用を支払うと、その額によってページ数やカラーなどが決まるというもの。優良ではなく有料です(つまらない駄洒落ですみません)。実は芸能人との対談やテレビ取材にも同じような仕組みがあり、全然良い病院ではなく、お金のある病院を紹介する番組です。

 契約する病院のある地域の家庭に、「動物の生活を良くするためのアンケート」と偽ってアンケートを取り、最後に「お近くのお奨め病院は・・・」という案内を入れるというもの。もちろん、アンケートは意味がなく、場合によっては集客や通販に悪用され、広告の電話に利用されるだけ。

 クチコミは、時に正しく、有用です。でもそれは、その発信者の顔が見えて、氏素性が分かって、思考や感覚が理解できて、評価が信頼に足る、そう思えたものだけに限るべきです。もちろん、中には自信家にみえて、声が大きく、断定的で、物事を言い切り、押しが強く、弁の立つ人(僕みたい?)には騙されることもありますが。

 匿名で、顔も見せず、言動に責任を取るつもりもなく、評価に足る知識も根拠もなく、時には伝聞の情報だけで、ネットはよく「議論社会を作った」と言われるけど、こんなのは議論でもなんでもない。ルールのない議論なんてありえないし、根拠のない、知識や技術の裏付けもない、そんな意見の言い合いなど議論ではありません。

 一方的に、感情的に意見を押し付け、相手の意見には肯定も否定もなくあくまで持論をひたすら展開し(持論への批判には真向否定する)、最終的には建設的な意見も歩み寄りも、統括もなく言いっぱなし。ただ単に、ストレス発散の、気に入らない意見の方をいじめるだけの場でしかない。

 ネットでこんな発言してたら、同じだろうと言われそうですが、僕はズルも嘘も、逃げも隠れもしてません。

 流行だって実際は、皆で作ったものではなく、どこかの誰かがこれで行こう、って言ったものが大半で、それで言うと今は亡きジョブスさんが言った、「大衆は皆、実物を見せられて初めて欲しいものに気づく」これが原理だと思います。経営者として、モノを売って何ぼという物欲を相手にする創造者(創造者とは本来違うものですが)として、であれば評価される発言かもしれませんが、こんなの消費者を馬鹿にしてる発言ですよ、実際は。

 だから、自分の眼を、耳を、感覚を信じる、僕は絶対にそうしてます。まあ、天邪鬼だからかもしれませんが。はっきりしないモノを盲信すれば、結果は伴わず、後悔ばかり。しかもこんな後悔はするだけ無駄。そう思います。
 
 自分を信じて、流されないように、騙されないように。<絶対お奨め!今日から本放送開始!!「ストロベリーナイト」を流しながら>

2012年1月1日午前0時 あけましておめでとうございます
 無事新年を迎えました。何とかギリギリ、仕事をあらかた片付けました。

 どんな年でも、当たり前だけど明けるものなんですね。「明けない夜はない」「冬来たりなば春遠からじ」、今年はご自宅で迎えられない方、家族が揃わない方、あるいは新年なんて・・・、そんな方たちが多いことと思います。年賀状も今年は「おめでとう」が自粛ブームとか。

 でも、だからこそ、年が明けて「おめでとう」と言いたいな、そう思ってます。どんなに辛くとも、年が改まったらやっぱりおめでとうじゃないかと。年賀状とかあいさつ文とか、形じゃなくて体裁じゃなくて、もっと考えるべきことがあり、行動すべきことがあると思います。

 震災だけでなく、日本にも、世界にも、苦労されている方がいらっしゃいます。皆が幸福になれることは難しいかもしれない、理想論かもしれない。だけど、諦めちゃったら前に進めない。被災地を回り、自衛隊の慰問を続けた長渕さん。彼の行動の原動力は被災された方への想い、自身を顧みず助ける人たちの勇気、復興へ立ち上がる強さ、それに応えるには謳うしか自分にはできないと思われたからだそうです。そして、疎開した自分に恥じ、日ごろ力を合わせようと歌う自分が何をやっているんだと自分に腹が立ったそうです。

 自分の立ち位置で、成すべきことをなし、らしく生きる。昨年から言い続けていますが、形だけ人を思いやるのではなく、力を尽くすところを誤らず、力を尽くしたい、そう改めて思います。大和魂、まだまだ生けり。

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