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ガチョウ君よ!

 投稿者:ロム男  投稿日:2012年 6月 7日(木)22時47分30秒 p7231-ipngn100108osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  黒川和雄さんへのお返事です。

さて、いよいよ詰まってきたな。(爆)

> 君は屁理屈を述べる前に、当方が質問したことに回答することが先だよ。

君は、答えに窮すると屁理屈で済ませてしまう。

ガチョウ君、君はまったく意味も分からず、文献にもあたらず投稿してるだろ!(大爆笑)

> ①大石寺、あるいは末寺に仏像があったということだが、ではその仏像は現在どこにあるのか、また大石寺、またその末寺のどこに祀られていたのかを証明しなさい。

=============以下、堀上人に冨士宗門史を聞くより引用=======================

【堀上人】大石寺の日主上人と、むこうの要法寺の、当時の貫首との関係が結ばった。その関係を結んだ一派ですね、粟田口の清という人が関係を結んだ。つまり粟田口の清という豪族が取りもってですね、要法寺から入ることになった。そこに大石寺はですね、例の有名な日性を入れるつもりだった。日性というと、日辰の門下の一等学者で、とても京都方面では幅がきく人で、そこら中の公卿から招待せられて講義に行く、又宮中からも呼ばれるというほどでね、学者で何でもできるんですから。ええ、もう、神道の講義でも何でもやるんですから…。仏教の講義ばかりじゃないんですから、重宝な人物だったんですね。そういう人を連れてきたら、大石寺が繁昌するじゃろうということをいっていましたけれども、むこうじゃ離さない、それはむこうで役に立ちますからね。

○予定とは別の人が来られたわけですね。

【堀上人】ええ、日性は本地院日性というそれで、なんですね、日昌上人がこられたんです。この人も、ものができるんですよ

○それから、つづいてしばらく要法寺の人が・・・・。

【堀上人】 ええ、それから九代。九代ですけれども、それは始めのうちはね、要法寺で相当できた人が上がってきたです、後にはね精師以後はですな、精師そのものも、てき上ってきたんじゃないのです。若いとき、きたのです。そして大石寺にきて、江戸へ出て、そして、偉くなった。精帥以前の人はですね、大石寺にきて大きくなるんでなくて、むこうから大きくなった成人した人がきたんです。精師以後の人は、みんな、大石寺にき大きくなった。所化できたといっても、たゞその、身体をもらっただけです。

○ははあ、実際には、かせがなかったわけですね。

【堀上人】 ええ。それですから、学問なんかでもですね。一々要法寺流をもってきたわけじゃないですね。えゝでも、いくらか要法寺の弊害は残ったですね。それをすっかり改めたのが同じ要法寺出の日俊上人、あの人が要法寺から出ていながら要法寺の弊害をキレイに大石寺から洗った人です。

○この日俊上人が、そういう仏像なんかを壊された。

【堀上人】 ええ、仏像なんかをとっちゃった。

===============以上、引用終わり===================================


ほら、堀上人が、石要通用時代に大石寺に仏像があったことを証明されている。

しかも、「要法寺の弊害」と仰せだよ!

この記述が、堀上人の勘違いであると云う事を文献をもって論証しなさい。


> ②日賙師が仏像を良しとする旨の文証を出しなさい。


アホタン!何度も言うが、日周は日辰の弟子であり、要山の日辰から相承を受けた法主だ!

間抜けな質問にもほどがある。

君は、根拠もなく、日周が邪義を改めたと云うが、根拠をしめしていない。

子供じゃあるまいし、ダダを捏ねるのではない!(爆)


> 話をそらさないことだね。


話を逸らしているのは、君のほうだよ!(大笑)

黒川君!返答に困っているな!?(大爆笑)

余りにも見っとも無いので、君の挙げた『家中抄』に日周云くの文の出典を教えてあげよう。(笑)

大日蓮出版の『富士門流の歴史 重須篇』に、出典が載ってるよ。

3000円でネット購入できるから、購入して勉強しなさい。

こんなものも、蔵書せずに投稿しているのか?(苦笑)

アホタン!(爆)
 

アヒル君よ、

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2012年 6月 7日(木)22時09分34秒 p7141-ipbfp4501osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  ロム男さんへのお返事です。

君は屁理屈を述べる前に、当方が質問したことに回答することが先だよ。

①大石寺、あるいは末寺に仏像があったということだが、ではその仏像は現在どこにあるのか、また大石寺、またその末寺のどこに祀られていたのかを証明しなさい。

②日賙師が仏像を良しとする旨の文証を出しなさい。

話をそらさないことだね。

以上、

 

Re: 補足

 投稿者:ロム男  投稿日:2012年 6月 7日(木)21時56分53秒 p7231-ipngn100108osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  > No.68012[元記事へ]

黒川和雄さんへのお返事です。

> この文は日興上人の五人所破抄に関する「日賙師の」四悉檀の解釈が謝りであると破折されておられる箇所であり、仏像造立とは何の関係もないではないか。


その通りだよ!

日周の邪義を破折されているのだ。(爆)

黒川君、日周は、邪義を改め大石寺と通用したのか?(大笑)
 

Re: 法華講の皆さん、アヒル君はやっぱり捏造でした。

 投稿者:ロム男  投稿日:2012年 6月 7日(木)21時53分53秒 p7231-ipngn100108osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  黒川和雄さんへのお返事です。


やれやれ、君は『末法相応抄』を読んで投稿しているのか?(苦笑)

それとも、誰かの受け売りか?得意のコピペか?(笑)

> > 『問う 日シュウ(貝+周)略要集に玄文第七の文を釈して云く「迹権本実より非権非実に至る是れ一往
> > なり、但約此法性の下は是れ再往なり、例せば興師の御草案に但し四悉の廃立・二門の取捨宜しく
> > 時機を守り敢て偏執すること勿れと云うが如し』
> >
> > 黒川君の言うように、日周が反省し冨士の立義に戻ったのなら、
> > 何故、寛師が日周を破折されたのだ?(笑)
> >
> > しっかり、答えてごらん。(~o~)


> この文は日興上人の五人所破抄に関する四悉檀の解釈が謝りであると破折されておられる箇所であり、仏像造立とは何の関係もないではないか。
> わけの分からん文証を挙げるではない。


アホタン!要法寺の邪義は、造仏だけか!?
要法寺は、造仏読誦と言って、造仏だけでなく、法華経を一部読誦すると云う、
邪義も唱えていたのだよ!

提示した、『末法相応抄』の御文の意味は、日周は、『法華玄義』の「権実本実」との
文を一往の義といい、「但約此法」と云う文を再往の義と言ってるのだ。

その、一往・再往の立て分けの例として『五人所破抄』を引用して時と機に応じて、
折伏と摂受があり、そのいずれかに偏執するものではないことを挙げているのだ。

分かるか?日周は『五人所破抄』を論拠として、一部読誦は禁じられているように
思われても、それは一往の義であって、再往は要品(方便品・寿量品)以外の品でも
読誦を認めると云う、石山にはない邪義を唱えているのだ。(笑)

この、要法寺日周の邪義に寛師は批判を加えているのだよ!


黒川君!日周は、邪義を改めて大石寺と通用するようになったのではないのか?(爆)


> 日周師曰く、
> 「師弟和合して本末相承を継ぐ。冥慮(めいりょ)に相叶う者か」(家中抄)
> ちゃんと総本山は大石寺である、要法寺は末寺であると言っておる。


なに?日周が『家中抄』に云くだって?

黒川君、申し訳ないが、冨士宗学要集のページ数を教えてくれまいか?(苦笑)

ところで、「要法寺は大石寺の末寺」と君は言ってるがそれでいいのだな?

では聞くが、石要通用時代に、日周は、臨終にあたり本尊を書写している。

「周公本尊に向かって首題一辺書写し日周判と書き加ふ重ねて筆を点して年号を
書く可くしたまふ」(『祖師伝』<日周の伝>冨士宗学要集5巻)

↑とあるが、日周は、本尊書写を行い、自身の判形を書いているのだ。

他にも、要山日成、日遥ともに判形を書くことを認めている。

おまけに、黒川君が言うところの、石山の末寺の住職(要山歴代)が、勝手に
本尊書写を行っていたことになる。

黒川君!『化儀抄』78条を読んでごらん。

まったく、石山の化儀を無視してるではないのか?(大笑)

もう、出任せに無茶を書いて恥を掻くものではないぞ!


> また天正15年に日主上人が日周師に日目上人の本尊を授与、また翌年には日周師が日興上人の本尊を日主上人へ贈っておる。
> つまり日周師の時代から大石寺との交流(通用)が始まったということだ。


そんなことは、百も承知だよ!(爆)

おたくの、森岡雄樹師も『冨士学報』で述べているよ!

それがどうしたのだ???????

おい!日周は邪義を改めて石山と通用したのか?

日周は、日辰のお弟子だが、日辰を否定して石山と通用したのか?

答えなさい!(~o~)
 

補足

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2012年 6月 7日(木)20時22分14秒 p7141-ipbfp4501osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  この文は日興上人の五人所破抄に関する「日賙師の」四悉檀の解釈が謝りであると破折されておられる箇所であり、仏像造立とは何の関係もないではないか。
 

Re: 法華講の皆さん、アヒル君はやっぱり捏造でした。

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2012年 6月 7日(木)20時14分17秒 p7141-ipbfp4501osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  ロム男さんへのお返事です。


> 『問う 日シュウ(貝+周)略要集に玄文第七の文を釈して云く「迹権本実より非権非実に至る是れ一往
> なり、但約此法性の下は是れ再往なり、例せば興師の御草案に但し四悉の廃立・二門の取捨宜しく
> 時機を守り敢て偏執すること勿れと云うが如し』
>
> 黒川君の言うように、日周が反省し冨士の立義に戻ったのなら、
> 何故、寛師が日周を破折されたのだ?(笑)
>
> しっかり、答えてごらん。(~o~)


この文は日興上人の五人所破抄に関する四悉檀の解釈が謝りであると破折されておられる箇所であり、仏像造立とは何の関係もないではないか。

わけの分からん文証を挙げるではない。

日賙師曰く、

「師弟和合して本末相承を継ぐ。冥慮(めいりょ)に相叶う者か」(家中抄)

ちゃんと総本山は大石寺である、要法寺は末寺であると言っておる。

また天正15年に日主上人が日賙師に日目上人の本尊を授与、また翌年には日賙師が日興上人の本尊を日主上人へ贈っておる。

つまり日賙師の時代から大石寺との交流(通用)が始まったということだ。


以上、

 

Re: ロム男君

 投稿者:ダディ  投稿日:2012年 6月 7日(木)13時48分13秒 wb004proxy06.ezweb.ne.jp
返信・引用
  > No.68009[元記事へ]

ロム男さんへのお返事です。
> ダディさんへのお返事です。
>
>
> > 君は話にならん。壊れたテープレコーダーか?気の毒なヤツだなあ(爆)
>
>
> そうか。(爆)
>
> ならば、私に語りかけるな!
>
> アンポンタン。(^O^)

そうやってせいぜい日蓮正宗を誹謗するがいい。必ず冥罰が出るよ。
 

Re: ロム男君

 投稿者:ロム男  投稿日:2012年 6月 7日(木)12時59分37秒 wb89proxy08.ezweb.ne.jp
返信・引用
  > No.68008[元記事へ]

ダディさんへのお返事です。


> 君は話にならん。壊れたテープレコーダーか?気の毒なヤツだなあ(爆)


そうか。(爆)

ならば、私に語りかけるな!

アンポンタン。(^O^)
 

Re: ロム男君

 投稿者:ダディ  投稿日:2012年 6月 7日(木)12時33分42秒 wb004proxy07.ezweb.ne.jp
返信・引用
  > No.68007[元記事へ]

ロム男さんへのお返事です。
君は話にならん。壊れたテープレコーダーか?気の毒なヤツだなあ(爆)
 

Re: ロム男君

 投稿者:ロム男  投稿日:2012年 6月 7日(木)12時25分13秒 wb89proxy07.ezweb.ne.jp
返信・引用
  > No.68006[元記事へ]

ダディさんへのお返事です。


> じゃあ、具体的にどう破折したのかお述べ下さいな(大笑)

それを質問返しと、言うのです。

私の過去の石山教学についての書き込みは、すべて、破折にあたります。

質問返しは、あなたの敗北を意味します。

お大事に。(爆)
 

Re: ロム男君

 投稿者:ダディ  投稿日:2012年 6月 7日(木)11時08分13秒 wb004proxy11.ezweb.ne.jp
返信・引用
  > No.68005[元記事へ]

ロム男さんへのお返事です。
じゃあ、具体的にどう破折したのかお述べ下さいな(大笑)
 

Re: ロム男君

 投稿者:ロム男  投稿日:2012年 6月 7日(木)10時14分39秒 wb89proxy01.ezweb.ne.jp
返信・引用
  > No.68004[元記事へ]

ダディさんへのお返事です。


> ロム男さんへのお返事です。
> 何が破折済みだ。君は大聖人否定じゃないか(大笑)


じゃあ、具体的に、お述べ下さいな。(大笑)
 

Re: ロム男君

 投稿者:ダディ  投稿日:2012年 6月 7日(木)04時49分41秒 wb004proxy11.ezweb.ne.jp
返信・引用
  > No.68003[元記事へ]

ロム男さんへのお返事です。
何が破折済みだ。君は大聖人否定じゃないか(大笑)
 

Re: ロム男君

 投稿者:ロム男  投稿日:2012年 6月 6日(水)21時35分40秒 p7231-ipngn100108osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  ダディさんへのお返事です。

> これでも読んで勉強しなさい(笑)→http://sudati.iinaa.net/index.html


そんなもの、既に読んで破折済みだよ。(笑)

おたくの坊さんの反論文書も読んでる。

君は、『末法相応抄』を読んで勉強しなさい。

しかし、ここの法華講諸氏は、亨師否定、寛師否定。

いやいや恐れ入った。(爆)
 

ロム男君

 投稿者:ダディ  投稿日:2012年 6月 6日(水)20時12分29秒 wb004proxy05.ezweb.ne.jp
返信・引用
  これでも読んで勉強しなさい(笑)→http://sudati.iinaa.net/index.html  

法華講の皆さん、六巻抄を学んだことがありますか?(笑)

 投稿者:ロム男  投稿日:2012年 6月 6日(水)19時17分8秒 p7231-ipngn100108osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  寛師著『六巻抄』の「末法相応抄」の内容は、上下とも日辰の造仏読誦論を破折しているのです。

寛師はその中で、日周も破折しているのですよ。(笑)

寛師『末法相応抄』に云く、

『問う 日シュウ(貝+周)略要集に玄文第七の文を釈して云く「迹権本実より非権非実に至る是れ一往
なり、但約此法性の下は是れ再往なり、例せば興師の御草案に但し四悉の廃立・二門の取捨宜しく
時機を守り敢て偏執すること勿れと云うが如し』

↑分かりますか?(苦笑)

君たちの聡明な脳みそで、内容を良く咀嚼しなさい。

そして寛師は、日周破折の結論として、末法相応抄で、

『然れば則ち末法の折伏とは法華流通の明鏡・時機相応の綱格なり、
何ぞ此れを以て一往の義と為すや。』

と、結論付けられている。

黒川君の言うように、日周が反省し冨士の立義に戻ったのなら、
何故、寛師が日周を破折されたのだ?(笑)

しっかり、答えてごらん。(~o~)
 

ロム男頑張れ!

 投稿者:ダディ  投稿日:2012年 6月 6日(水)18時41分10秒 wb004proxy04.ezweb.ne.jp
返信・引用
  そうやってドンドンと恥をさらしなさい(爆)  

ガチョウ君、しっかりしなさい。(苦笑)

 投稿者:ロム男  投稿日:2012年 6月 6日(水)18時06分42秒 p7231-ipngn100108osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  黒川和雄さんへのお返事です。

> ①要法寺第20代日賙師が「仏像を造立し、仏像を拝め」ということを定めた日賙師自身が書いた文証を出してくれ。そのような文献はないであろう。この時代は要法寺は清浄だったということである。従ってこの時代より約100年間、大石寺の法主として要法寺出身者が大石寺へ登られたというのが真実史である。


もう少し、脳みそを使ってはどうか?

日周の師匠は、日辰で、造読の邪義を主張し、要法寺の教義とした人である。

日周も、勿論、師の意思を継いで、造読家だったのだよ!

その後、要山は、長きに亘り造像をしていたことは、明らかじゃないか!(苦笑)


> しかし異流義門においては「日賙師しが仏像を造立した」という記述はある。今の「創価学会の怪文書フェイク」と同じことだ。お分かりか?


間抜けよ!松本佐一郎氏も、「日周は造像家」と『冨士門徒の沿革と教義』で、断定しているではないか。


> ②要法寺の濁流の源は19代日辰師の邪義に始まっているが、日賙師が邪義を一掃する。しかしその後、31代ぐらいからまたもや邪義が横行、32代日脊師になり決定づけられ、現在に至っている。


↑のことは、どこの文献を参考としたのだ?お教え頂こう。

君は、要法寺の歴代を理解してかいているのか?(苦笑)

19世日辰のあとは、20世日周なんだぞ!

その後、造像義に関しては33世に至るまで、要山に根付き、造像している。

あまり、無知を曝すのではない。(苦笑)

 

このロム男は

 投稿者:ダディ  投稿日:2012年 6月 6日(水)17時53分48秒 wb004proxy10.ezweb.ne.jp
返信・引用
  自分の中で時間が止まってるんじゃないのか?とっくの昔に破折され尽くした邪義を今頃になってぶつけて来るとは…ちょっと信じられないね。  

Re: 回答になっておらん。

 投稿者:ロム男  投稿日:2012年 6月 6日(水)17時16分41秒 p7231-ipngn100108osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  > No.67989[元記事へ]

黒川和雄さんへのお返事です。

> 君はホントの莫迦ものである。
> 堀上人の勘違いであると既に申し述べておるではないかいの~。
> 勘違いしているものをいくら挙げても意味はない。
> であるから、その仏像とやらはどこの末寺にあるのか、どこに保管されているのかと
> 聞いているのだ。


間抜けよ!堀上人が勘違いされたと言うのなら、勘違いであった理由を挙げよと、
言ってるのだよ!

君が、間抜けな脳みそで考え、「堀上人の勘違いだった」と云うのでは、まったく、
論証にならない。

誰かが、そのように言ってるのか?

堀上人は、『冨士宗門史を聞く』で、御発言の要旨は、すべて勘違いされているのか?(爆)

堀上人ともあろう大学者が、文献的な裏づけなしで公式にお話をされたと云うのか?

堀上人は、要法寺より法主を迎えていた時には些少ではあるが、要法寺の異流儀が流入していた
と、仰せである。

大石寺に仏像があったことも示唆されておるではないか。(苦笑)

だから、22世日俊が、仏像を撤去したのだろ。

君は、いつから堀上人の意を覆せる教学を学んだのだ?

アンポンタン!(~o~)
 

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