私達の教育改革通信
第54号 2003/2
放射能に殉じた山田延男 山田光男
原子力政策の姿勢の転換を! 菅野礼司
新刊紹介:西沢潤一「日本人よロマンを」(本の森、1600円)
日本経済を考える 海野和三郎
放射能に殉じた山田延男 山田光男
亡父・山田延男(1896~1927、以下,山田)は創立間もない東京帝国大学航空研究所化学部に勤務し、1923年10月、パリのラジウム研究所(所長マリー・キューリー)に留学した。2年余の研究生活を経て帰国後、放射能障害の療養生活に入り、治療の甲斐なく昭和2年11月1日に31歳の若さで短い生涯を終えた。(中略)
山田の履歴 (省略)
ラジウム研究所での山田の研究: 1923年から2年余の研究は、共同研究者である所長の長女イレーヌ・キューリーと連名又は山田の単独名で、フランスの科学アカデミーのComptes Rendus に発表されている。阪上正信博士(金沢大学)によれば「山田は、アルファー線の飛程とその衝撃による現象について実験を行ったが、この研究は、後にノーベル賞を授与されたラジウム研究所のジョリオ・キューリー夫妻による人工放射能発見に先駆する丹念な研究であった」。また、イレーヌが母マリー・キューリー所長と頻繁に手紙を交換したのは有名であるが、1924年7月にイレーヌが出した手紙の中に山田の実験に触れ「ともかく、休暇前に、酸素中の分布とブラッグ曲線を測ってしまいたいものです(中略)。実験結果の様相を視るには、ヤマダが撮ったもので充分なようです。」とある。この手紙の原文はパリのキューリー博物館に保存されている。当時、第1次大戦後のラジウム研究所には世界中から多くの若い研究者が来たが、「日本人ヤマダは特にイレーヌと協力して研究を行った」(西川祐子訳『母と娘の手紙』京都・人文書院、1978)とも記されている。
山田の発病(省略)
山田の放射線障害の史料: 山田の放射線障害に関し、わが国の史料が2点ある。飯盛里安(化学の領域1959)は、「山田はキューリーのもとで長飛程アルファー線の研究に輝かしい結果を収めたが、旧式なシンチレーション直視観測法により、眼底から脳にかけて強いガンマー線を受けたため、悪性の脳症を起こし放射能研究による最初の悲劇をおこした」と述べた。古川路明(現代化学講座1998)は、「放射能研究の歴史は、放射線障害との戦いの歴史であり、キューリー夫人のもとに留学して帰国後、間もなく夭折した山田の例もあり、危険が十分把握されなかった時代の犠牲は痛ましい限りであった」と述べている。また、国外では、アメリカの女性ジャーナリスト、スーザン・クインが、1995(平成3年)キューリー夫人の生涯についての著書(英・仏語版)を刊行したが,同書では1920年代のラジウムによる放射線障害の発生について触れ、その文中に、「山田博士死去の悲報に接したマリー・キューリーが山田の研究に対するすばらしい素質を礼賛する手紙を未亡人(筆者の母)に出した」と2ページを割いている。山田の死後70年を経て、放射能研究に倒れた山田の記録が欧米でも出版されたことは、感無量である。
遺品の放射能測定と診療歴(カルテ)(省略)
おわりに:山田が死去した大正期〜昭和初期は、放射能発見から間もないため放射線障害についての医学認識も低く、山田の症状は一部からは奇病扱いされ、恩師、片山正夫(東京帝国大学)も当時、山田はフランスで勉強し過ぎたとの印象をもっていたと仄聞している。一昨年、日本のフランス年の行事の一つとしてラジウム発見100周年を祝う講演会があり、マリー・キューリー夫人の孫のヘレン・アンジュバン・キューリー博士が講師として来日した。筆者は、科学技術館の講演会場で挨拶する機会があったが、同博士は母のエレーヌ・キューリーから山田のことを良く聞いているとのことで、山田の恩師マリー・キューリー夫人を私の身近に感じた次第であった。
今回の検索により、当時フランス(ラジウム研究所)でも放射線障害による多数の犠牲者がでていたこと、山田の死が国内の放射化学研究者、海外のジャーナリストによって放射線障害死として成書に記載されているを確認できたことは幸いであった。(以下省略)
(山田延男氏の履歴、写真史料、文章など頁数の都合で省略した部分については原文:東京大学史史料室ニュース第27号2001・11・30を見てください。それにしても、かくも偉大な先人の業績が、これまで、わが国においてごく一部の科学史家によってしか公表されていなかったのは極めて残念なことである。)
原子力政策の姿勢の転換を!
菅野礼司
先日、高速増殖原型炉「もんじゅ」について、名古屋高裁が「設置許可無効」という画期的判決を下した。わが国の原発政策は批判や反対を押し切って、かなり無理を重ねて進められてきた。原発の使用済み核燃料を再処理して取り出したプルトニウムを利用する核燃料サイクル政策の中で、高速増殖炉を維持するという方針は、今度の判決で崩されるであろう。
日本の原発政策は、軽水炉など普通の原発で使用済み核燃料を廃棄せずに、リサイクルすることを基本方針としている。それゆえ、使用済み核燃料からプルトニウムを取り出し、その結果、大量のプルトニウム(核兵器の原料にもなる)を抱え込んで、その保管と処理に困っている。普通の原子炉でそのプルトニウムを燃やす「プルサーマル計画」では、数10基の原子炉が必要といわれている。これでは悪循環に陥ることは明らかである。それも東電や関電のトラブル隠しにより頓挫している。ところが、高速増殖炉はそのプルトニウムを大量に利用する、夢のリサイクル原子炉といわれ、最初大きな期待がかけられていた。その研究用と実用を兼ねた炉が「もんじゅ」である。それゆえ、名古屋高裁の判決は政府と電力会社の原子力政策にとって由々しきことであり、晴天の霹靂でもあったろう。
だが、無理と矛盾を抱えてきた原子力政策は、遅かれ早かれこのような事態に陥らざるをえなかったろう。高速増殖炉は究極の「夢の原子炉」とまでいわれたが、近年にいたり、欧米では技術上、採算性などの理由で、高速増殖炉の研究をすべて中止、あるいは廃止した。それにも関わらず、日本では何としてでもこの政策を通したいらしい。核燃料のリサイクルとしては高速増殖炉が今のところ一番理想的であろう。それ故、本当にそれが安全性さえ確保して実現されるならば、基礎研究を続けることに反対するものではない。それには、なぜそれが欧米で破棄されたのかを述べた後、それでも日本で続けるべき理由と研究の将来の見通しを、国民に分かりやすく説明し公表すべきである。
わが国の原子力政策には、「原子力3原則」によって公開が義務づけられているが、建前に終わっている。実際に、事故隠しを典型として、言い逃れと秘密で通してきた。初期には、科学・技術の粋を尽くした原子炉は絶対安全であるといていたが、事故が起こると事故をひた隠しにし、隠し仰せなくなると弁解と陳謝に終始して、その場を逃れるばかりで、安全対策を根本的に改めることはなかった。それゆえ、国民の不信は募るばかりであった。国の強い原子力推進政策に支えられて、原子力分野は何をやっても少しくらいのことは大目に見られ、許されるという甘えがあった。だから、手抜き、予算流用など次々に不祥事が裏で起こり、その体質が事故をエスカレートさせてきたと思われる。民間会社の原子力部にいる筆者の知人から次のようなことを聞いた。「今度、原発の安全性を研究する部所に移って驚いたことは、安全性研究とはいかなる危険性があるかを検討してその対策を練るのかと思っていたところ、反対に“どこまで手を抜いても大丈夫かの研究”であった。」多分、この安全性に関する姿勢は、その会社だけではないだろう。日本全体の体質である。 次の文がそのことを端的に示しているだろう。“日本の原子力政策の最大の問題は「政策が変わる可能性がない」ということだ。代替案をきちんと議論する場さえない。新しいアイデアを政策に反映させるには従来と別の意志決定システムが必要になる。”(電力中央研究所鈴木達治郎:朝日新聞)今度の「もんじゅ」に関する判決を期に方針を転換すべきである。
西沢潤一「日本人よロマンを」(本の森、1600円)
著者は、先年、エジソン賞も受賞した日本の誇る電気電子工学の権威で、最近も、それに並ぶ「西沢メダル」を創設した創造の人である。東北大学の学長もした教育者としても知られている。
序文によると、河北新報、信濃毎日、岩手日報などに書いた随筆、論説をまとめたものであるが、著者のざっくばらんな飾らない人柄と持ち前の独創性が随所にちりばめられている好著である。題名からも想像つくように、スマートとはいえないが、風雪に耐えた東北の春を思わせるロマンチックなエッセーが50編並ぶ。光ファイバーや静電誘導トランジスタの発明など数々の業績が議論に説得力を与える。「一,人間の智能の発達」、「二,今日の視角」の二章に分かれる。第一章の中の一文を以下に掲載して、紹介に代える。
「若者にロマンを 命運を決する教育」
伊藤正男先生のお話の中に、実験用の猿の指を切り取ってしまったら、頭脳の中のその指をつかさどっていた部分は、隣の指をつかさどる方に分属していってしまったという外国の実験の紹介があった。最近は、MRI(磁気共鳴診断装置)などという器械ができて、頭脳のどの部分が働いているかなどということがすぐ分かるようになったから、こんなことまで分かる。
ところがごく最近、新聞で紹介されたところでは、人間の生活機能をつかさどっている小脳が病気などでで働かなくなったときに、大脳がその働きを代わってするようになったという。これもまた驚くべきことが発見された。つまり、人間もすべてが決まっているわけではなく、頭脳構造まで環境によって変わってしまうということで、勿論、こんなことはすべてDNAのなせる業なのだから、DNAの発現の仕方は決して一意ではないということなのだ。
努力していけば、小脳の働きが大脳でできるようになるというようなちょと考えられないようなことさえ起こる。それもDNAに書いてあるということになるが、周囲が,本人が努力せざるを得ないようにした場合でなければ、少なくともそのかたちでの努力はしなかっただろうから、脳の構造も、別のかたちになっていたはずである。
明治維新後、学者が外国に出て諸学の習得に努めたが、ロンドンに行った教育学者が、学会で討論されていたのが「明治維新と吉田松陰」だったのには仰天したという。アーサー・ウィリアム・ワードは「凡庸な教師はただしゃべる。少しましな教師は理解させようとする。優れた教師は自らやって見せる。最高の教師は子どもたちの心に火を付ける」と言った。松陰は火を付けた最高の教師と評価されたのである。
今、心の教育が求められている。若者にロマンを持たせなければならないのだが、日本人はどんなロマンを持ったらいいか迷っている。自分の心に聞いてみればよいのだが、教師のアドバイスが要る。その教師も親もロマンがない。宮沢賢治の故郷岩手は違うのだが。
ロマンがないから金と権力を求めるようになる。その通関切符は偏差値。だから暗記となっているのだと思う。入ったり出たりすることより、出た後に伸びる教育こそ大切なのだ。科学的に見ても、知能発達からいっても、人間の能力を育てるのには教育の力が大きい。ただ教えるだけではならないし、初期の強制めいた教育も暗記も長い間の経験から出てきたことで、むげに捨ててはいけない。その代り、思春期に入ってからは人間性を伸ばし、天分を伸ばさなければならない。これが成功して、日本の出す人材が世界の頂点に何人か並ぶとき、日本は安定した二十一世紀に入ることになるだろう。“まさに教育こそ、日本の命運を決する。”
第二章には、「物づくりとマネーゲーム」「経済再建の正道」、「心厚き人々の住む国」、「ゼロ・サムからの卒業」、「経済再建の正道」、「地球規模の送電線」、「平和日本の出番」、「教育改革1,2」など憂国の150篇余りの随筆がある。
最近新聞紙上で経済不況が多く議論され、それが教育の世界にも閉塞感を与えている。若い人に元気を与える経済の立て直しが必要である。日銀OBで政治経済の専門家である60年來の友人のT君に師事して文献などを教えてもらい経済学を勉強することにした。
分かりやすい解説に小粥正巳氏の「日本の財政を考える」(学士会会報No.838,2003-I)がある。その中に、今年度の国の歳出歳入の不健全さを一ヶ月の家計にたとえて「月収はやっと51万円なのに、ローンの元利払いが17万円、田舎に仕送りを17万円すると残りは18万円しかない。これでは生活できないので、新たに30万円の借金をして、合計48万円で一家が暮らすという姿だ」とある。万を兆にすると、税収47兆円、税外収入4兆円合計51兆円に対し、歳出の2割以上を占める国債費の利払いと債還費の合計17兆円、地方交付税交付金の17兆円、それ以外の一般歳出は社会保障費17兆円、公共事業費8兆円、文教科学振興費7兆円が3分の2を占める合計48兆円、全歳出は82兆円ほどになる。不足分30兆円余は新国債発行で穴埋めすることになる。税収は、所得税16兆、法人税11兆、消費税10兆とのことである。
オイルショック、赤字公債発行、それを戻すための消費税導入、バブル崩壊で更なる公債発行というのが大まかな現状に到る過程であるらしい。この流れでいえば、国の総生産を格段に増やすか消費税を3倍にするか、或いは一般歳出を格段に切り詰めるしかないようである。小粥氏の処方は、まず公債関係を収支から除いたプライマリーバランスの回復と個人向け国債の導入を含む国債管理政策の整備充実にあるようである。
プライマリーのアンバランスは、上記の勘定からして13兆円、それに地方の分を加えて22兆円、それを10年間でバランスに漕ぎつけるとして前年比で毎年2兆円余の支出削減または税収増を必要とする。社会保障費では年金や医療診療報酬の引き下げ、地方交付税交付金の引き下げ、公共事業費では例えば利用度の低い道路の建設中止など、一方税収増もいろいろあるが結局は消費税に落ち着くらしい。いずれをとっても、一つの施策には必ずかなりの割合でマイナスが伴うので、総合的な対策が必要である。
どうしてこのような事態になったのか、その分析は滝田洋一氏の「日本経済不作為の罪」(日本経済新聞社)に詳しい。不良債権など金融関連の議論が中心である。このまま行くとどうなるか、予測の好きな人は、ベンジャミン・フルフォード氏の「日本がアルゼンチン・タンゴを踊る日」を読むと面白い。とにかく、バブルが如何に作られはじけたか、それを財政政策がどう取り扱ったかの歴史に学ぶ必要がある。素人の暴言であるが、どうも経済学というのは、この二、三十年來の複雑系科学の発達から取り残された分野らしい。一つの施策に対する目的の効果の誤差評価を聞いたことがない。不良債権の処理も重要には違いないが、バブル期には生産企業に対する投資よりも資金の回転の速いレジャーなどの非生産に対する投機的金融が大々的に行われたこと、その結果日本を売ればアメリカが二つ買えるなどという悪いジョークが出るに到った事情などに客観的な冷静な分析が必要であろう。
何処で読んだか忘れたが、衛藤瀋吉氏が「これからの日本は中級の科学技術者の大量の養成が重要である」という趣旨のことを言った。田中耕一氏のノーベル賞受賞でその意味が明らかになったが、21世紀を見通すと日本の生きる道はそれしかないように思える。金融論議だけが日本の経済学の重点ではないはずである。百年、千年先の未来を考える衛藤式経済学で新産業を創生するのが今の日本経済の立て直しに最も必要なことではないだろうか。大変迂遠な議論のようだが、今日からでもその一歩を踏み出すことができなくはない。これがバブルに到る歴史からの教訓であるように思われる。
私にも天体物理の知識を応用した提案がある。太陽光は10倍集光するとほぼ水星軌道に入ったのと同等の日照温度になり、水深10cmの水が1時間弱で沸騰し、太陽電池パネルの面積辺りの発電効率は10倍になる。それがそう巧くいかないのは、対流で表面温度が高くなり水面からの蒸発や放射で熱損失が大きくなるためで、太陽電池ではパネルの温度上昇で発電効率が格段に下がるためである。両者の欠点を除くには、フレネル・レンズを魚眼レンズ的に用いた光線方向制御板と非結像集光鏡を組み合わせた固定全天集光装置で水深10cmの多層式対流防止型のソーラー・ポンドに10倍集光し、最下段の冷水注入部に太陽電池パネルを置けば所期の目的を達成する。多層式対流防止は各層の高さと層間をつなぐ小孔の直径を3mm以下にすればよい。対流層物理の応用である。
可視光に透明、赤外光に不透明、比熱が大というような水の優れた特性で海洋が地球環境を守っているのと同じ原理を利用するわけである。環境にやさしく、各家庭規模でエネルギーの自給自足ができる。
21世紀は、人口問題・エネルギー問題・環境問題で人類の命運が危機にある。教育通信43号の太陽エネルギー文明論でも述べたが、その元凶は、未来のジェネレーションに配慮しない化石燃料の浪費が主たるものである。資源の少ない日本では特に危機が身近に感じられ、人々の未来への期待を暗くしている。これを除去して若人に希望を持たせるのが教育の最大の問題である。幸いに、わが国には、かなりの経済力もあり、何よりも科学技術立国のできるマンパワーがあり、その根拠をなす文化がある。そうした力と意欲を持った国家として日本に期待する声は世界中に満ちている。田中耕一さんを先頭にして、獅子奮迅の努力をして期待に応えようではありませんか。
図書推薦:熊沢峰夫・伊藤孝士・吉田茂生:全地球史解読 (東京大学出版会)\7400
専門書であるが、地球環境の原理を知るのに必読の書である。
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