阿含経=釈迦は縁起、苦、無我 を説き、輪廻転生からの解脱を説いた
       最高の悟りに到達した人を阿羅漢と呼んだ
       釈迦と同等の悟りを開いた阿羅漢が500人以上も出た。
       そこに釈迦教団の確固たる正当性がある
       その修行方法は、三十七菩提分法
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    二度の結集
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上座部と大衆部の根本分裂
 さらに20の部派に分裂
アビダルマ(阿含経を分析論評する部派の有力集団)=釈迦の成仏法に三十七菩提分法の名を与える
       阿羅漢と如来の悟りを区別して、釈迦の個人崇拝をはじめる     
       

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1世紀、大乗仏教起こる・・・主体は恐らく大衆部の流れを汲む部派の一部と、熱心に仏塔を信仰する在家の一集団が
                  合流したものであろう
縁覚 声聞 菩薩 の概念が始まり、釈迦の個人崇拝を完成させる  
    
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3世紀、中観派のナーガール・ジュナが空の思想を完成させる
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  本格的な修行ができない在家の信仰の為に
  成仏法が無いが信仰の情熱をよりよく訴える経典、
初期大乗仏教経典(般若経、維摩経、法華経、華厳経、無量寿経 )を創作し始める

縁起、苦、無我、輪廻転生からの解脱 は捨て去られ
「空」を悟りの本義とし、
いつまでも輪廻しつづけ他者を救う菩薩の利他行が取って代わる。

ここで、ニルヴァ−ナの意味が変わる
本格的な修行をしなくても、「空」を悟れば悟りに到達できるとした。
般若経において、、菩薩は三十七菩提分法に執着しない、と宣言。
また法華経においては、阿羅漢を最高の悟りをいまだ得ていない者として、おとしめた。
ここで、三十七菩提分法は捨てられた


















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3世紀、如来蔵思想、勝鬘経の制作
中期大乗仏教経典の創作はじまる

「解深密(げじんみつ)経」 「勝鬘(しょうまん)経」

4世紀、弥勒(マイトレーヤ)、唯識派を開く

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一切衆生悉有仏性論「大般涅槃経」 、大乗涅槃経

法身としての如来説・・・歴史上の釈迦との決別

  (菩提法という具体的な修行法と決別したために、
人が成仏する根拠を、法身如来の説法と、
一切衆生悉有仏性論に求めたと言えるだろう)

「如来蔵経」

5世紀、無著(アサンガ)、世親(ヴァスバンドゥ)により、唯識の思想が完成

「楞伽(りょうが)経」 ・・・阿頼邪識(あらやしき)を衆生の持つ如来蔵と同一視

空がもたらす無の世界に、空を認識する心は実在すると言うような
実在感がもたらされた。(もちろんこの説は縁起説から来る「空」観に違反している)

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7世紀 後期大乗(金剛大乗)仏教経典の創作
大日経
金剛頂経・・・その曼荼羅の中に三十七人の仏が三十七菩提分法の象徴として描かれる
理趣経

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 1世紀に、大衆部の流れを汲む部派の一部と、熱心に仏塔を信仰する在家の一集団が大乗仏教を創始
したと、私は考えるが、その時には、瑣末な学問ばかりを繰り返し大衆に釈迦の教説を分け与えないアビダ
ルマ仏教を、何とかしたいと言う純粋な気持ちがあたっと思われる。
 清新の息吹が仏教をよみがえらせ、インドにおける仏教の寿命を長くしたのも事実なのである。
 しかし、成仏するための修行法である三十七菩提分法が受けた扱いを見るとき、それは、まず捨て去られ、
(初期大乗)、顧みられず(唯識大乗)、最後は形骸化され(金剛大乗)、
曼荼羅の中に象徴として座らせられるという歴史だったのである。
ナーガール・ジュナの唱えた「空」は、彼の意思に反して、三十七菩提分法を捨てさ去らんがための理論と
なってしまった。
またこの事実を仏教史として記述する者があまりに少ないのである。

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          池田慈水のサイト            

釈迦は大乗仏教系の話は1度もされておりません。
空小経というような「空」を説かれた阿含経の一部経典が存在しますが、
これは後世の創作仏典だと考えております。
釈迦は空を説かなかったとするほうが論理的に正しいからです。
阿含経における説法の統一性と言う立場に立てば、次のように言うことが出来るのです。

次の5段階の説法を仮に設定いたしますと、

「一切の事象は原因と条件とによって生起し、原因と条件とによって消滅する」・・・@
「拠って、この世は無常である」・・・A
「拠ってこの世は苦しみである」・・・B
「拠ってこの世は執着すべきでない」・・・C
「執着から離れれば、貪り、怒り、愚痴から離れ、この世から解脱する」・・・D

「空」の入りこむ隙間は実は無いのです。あえて言うならば「空観」が無くとも人は解脱します。
敢えて差し込み、というか割り込みを入れるとすれば、Aのところに、
おまけの様に付随せることが出来ます。

「拠って、この世は、空であり、無常である」・・・A
でもこれもこの世は苦しみであると言う論旨をぼかしてしまっているだけです。移ろい行くから、世界は苦なのですからね。
それではBに差し込むとどうなるかと言うと、
「拠ってこの世は空であり、苦しみである」、となりこれも論旨をぼかすだけです。
なぜならば「苦しみに執着するのは愚かだ」とすぐに理解出来ますが、「空っぽだから執着しても仕様がない」、のではそれでも執着しても危険は無いかな
と思わせてしまいます。苦しみだから逃げ、脱出を図るという、これ以上に説得力があることはありません。毒矢の喩えを思い出してください。
要するに空観は、この論理の中では、小さなおまけ以上ではなく、
また苦から脱出を図ると言う宗教的な実践においては、むしろ邪魔にさえなります。
ですから阿含経においては、釈迦がマガダ語「シューンヤ」に込めた意味は、「無我」と「縁起」、特に 「無我」で尽くされていたと考えます。
お釈迦様が空を説かなかったとするほうが、論理に叶っているのです。
    
           大乗仏教と釈迦は全く関係がありません!





           
ナーガール・ジュナ自身は阿含経に説くような解脱をある程度果たされた修行者であったと思う。
なぜ、彼は解脱を果たした優れた修行者だったのか?37菩提分法を修行したからである。
ではなぜ、自ら37菩提分法を修行し解脱を果しておきながら、民衆にはそれを勧めず、「空」という概念を推し進めたのか?
彼は空という概念が37菩提分法を阻害しはじめるとは、予想していなかったと思う。
また、37菩提分法の修行を人々に勧めなかった理由は、当たり前だったからである。
37菩提分法を修行しなければ成仏できないということは、 ナーガール・ジュナの時代、当たり前だったのである。