2012-02-27 (月)
■[コウノ] 引用のふたつの話
後期のレポート採点が終わりました。どの科目も私の想定を上回るレポートがたくさんあって、とてもよかったです。とくに「文化研究概論」は読んで面白いものがいくつもあった。
そんな中、「メディア史」についてすこし考えるところがありました。科目の性質上、今後はレポートじゃなくてテストにすべきかと。
レポートだと、歴史的事実の整理はもちろん、考察の手がかりさえもネットからの引用で済んでしまうんですよね。ある語句で検索すると、それについて整理したり意見を述べたりした記事がたくさんヒットする。それを引用してちょっと自分のコメントをつけてレポート完成。これじゃ何も頭に残らない。
ネットに頼らずに文献をきっちり調べれば、ネットに載っていないいろんなことがわかるし、全体像も見えやすい。頭にもしっかり残って教養になります。ほんとうはみんなそうやってレポートを書いてほしい。
でも、いくつものテストやレポートが重なる期末に、そんな時間のかかることをするのは一部の歴史好きか優等生だけ。すべての1・2年生にそんな自主性・能動性を期待するのはちょっと無理かなとも思うんですね。どうしてもコピペで済ませてしまう。
となると、テストにしたほうが教育効果ははるかに高い。「メディア史」は教養科目なので、あるていど事実関係や基礎概念を“覚えて”ほしいところです。この種の科目はやっぱりテストかなとの思いは以前からありましたが、今年その思いが決定的に強まりました。
レポートを書くとき、wikipediaやブログからコピペしてくる傾向を否定するつもりはありません。そういう時代になっているので、それがふつうです。むしろ、手軽に多様な情報を入手できるようになったことは祝福されるべきです。
しかし、ネットをどれだけ駆使できるようになっても、「受信者」としてのレベルが上がるだけで、「発信者」としてのレベルはほとんど上がりません。大学教育はネット情報の上質な「発信者」を育成する機関だと考えれば、コピペのレポートは批判されるべきでしょう。
前回の日記でピチカート・ファイヴについて書きましたが、少し補足します。
渋谷系の音楽を考えるうえで大事なのは「元ネタ」で、彼らの音楽を楽しむことは、元ネタを探してそれを楽しむことを含んでいました。元ネタのほとんどは1960〜70年代の洋楽ポップスで、一部、リアルタイムでそれらをコピーしていた日本のグループ・サウンズなどもあります。
私自身も、渋谷系の音楽を楽しみながら、同時に元ネタである英米のソフト・ロックやバート・バカラックなどの映画音楽、フレンチ・ポップなどの輸入版復刻CDを、WAVEやHMVで日々あさっていました(アナログ盤を集めるほどの根性はなかったけれど)。元ネタの音楽と、再解釈された音楽とを同時進行で知っていくわけですね。
若い人が渋谷系を聴くときは、同時進行で流行していた元ネタとしてのレトロ・ポップにも目を配ると、理解が深まって面白いかもしれません。
たとえば前回紹介したピチカートの"Baby Portable Rock"を例にとると…
0:21〜0:32のイントロは、直接的な元ネタはないと思いますが、ボサノバ・リズムにギターやホーンを合わせるのはソフト・ロックの定番なので、雰囲気的なインスピレーションを多数指摘できます。
Fifth Dimension"Up,Up And Away"のイントロとか、
Roger Nichols & The Small Circle of Friends"Love So Fine"のイントロとか。
それからAメロの出だし「春なのに」のフレーズは、Spanky & Our Gang"Sunday Will Never Be The Same"の出だしのフレーズと同じ。
もっと直接的な元ネタもあります。Cornelius(小山田圭吾)を例にとると、有名なのはまずコレですね。
Cornelius"Theme from First Question Award"
元ネタは映画「カジノ・ロワイヤル」
あとはこれも有名。"Love Parade"
元ネタはさっき出てきたRoger Nicholsの"Don't Take Your Time"
小山田さんが小沢健二とやっていたFlipper's Guitarにもいろいろあります。
Flipper's Guitar「恋とマシンガン」のイントロ
昔のものだけでなく直近のもの(ギターポップなど)もかなり取り入れています。有名な例だと……
Flipper's Guitar"The Quizmaster"(1991)
Primal Scream"Loaded"(1990)
ちなみに2:45から始まる歌詞めくりはボブ・ディランが元ネタ。
それからこんなのも。ギターの感じとAメロの出だしかな。
Flipper's Guitar"偶然のナイフ・エッジ・カレス"(1989)
Aztec Camera"Just Like Gold"(1981)
小山田さんの弟子(?)のカジヒデキさんもいっぱいありますが、ひとつだけ。これをカバーと呼ばないのはある意味立派?
カジヒデキ「たまごの中の欲望」
The Move"Curly"
僕が自力で指摘できるのはこのくらいです。こういうのは詳しい人たちが徹底的に分析しているので、詳しくはこういうサイトを読んでみてください(ポップアップがでるかもしれません)。
YouTubeなどで世界中の人が渋谷系の音楽を聴けるようになった現在、単なるパクリ、劣化コピーの烙印を押される可能性はあるでしょう。若い人たちが聴いても同じ印象だと思います。
しかし当時は、これこそが渋谷における正しい音楽の受容の仕方で、楽しみ方であったことも事実です。1990年代の東京のサブカル・シーンの空気を、忠実に反映していると言わざるをえない。過去の音楽やデザインのデータベースから、気に入ったものを拾い上げて、パッチワークのようにつなぎあわせて、オリジナルと一緒に楽しむ。そういうものだったと言うしかありません。
これが日本だけの傾向だったとは思いませんが(モンド・ブームなどは世界的だったので)、日本で特に強くあらわれたことはあるでしょう。
しかし、60〜70年代を元ネタとした部分はいまでもポップなものとして評価できますが、ベースになっている部分にはほぼ同時期のギター・ポップなどのコピーも多く、そこは今では評価できないでしょう。そこは欧米のコピーにすぎず、オリジナリティはなかったのかもしれません。渋谷系は、黄身は個性的だけと白味は凡庸な目玉焼きだったと。
前回も言いましたが、手当たり次第にパッチワークして元ネタのクイズを楽しんでいたフリッパーズは、自らのオリジナリティなど意に介していなかった(=DJ的なアイデンティティに徹していた)。それに比べてピチカートは、曲がりなりにもオリジナリティを追求していた跡があり、それが現在のJ-POPにつながっているのはほんとうに興味深いことです。
歌謡曲の世界では昔から欧米ポップスのパクリが山ほどあったわけですが、渋谷系はそれらとは違ってパクリを目的化したというか、中心化したことで、パクリをクリエイティブな営みに昇華した。欧米のポップスに対してひたすら受動的だった日本の立場をある意味逆手に取ったこの価値転換が、その後のジャパン・ポップに与えた影響は計り知れないと思います。
同時期、マンガやアニメのオタクの世界でも国内作品を元ネタに似たような動きがあったわけで、これは日本のポップ・カルチャー全般におこった地殻変動なのかもしれません。
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