僕は、今世紀最大の失敗作といわれている、団塊の世代のどまん中。
我々の世代は人数が多い。生まれたときから競争を宿命付けられたためか、意識はしていないのだが、色々な面で他の世代とはいささか趣をことにしているらしい。
旧世代の生真面目さは引き継いだのに、いまいち何をやっても、下の世代のように自信がない。学生時代のあの一瞬の出来事がいつまでも引っ掛かり、すんなりとは前に進まない。そんな事はお構いなしに、時は進み時代は僕の頭の上を素通りして行ってしまったような錯覚すら覚える。
ナパーム弾に焼け出され逃げ惑うベトナムの少女に心を痛め、今、何かを行動せねばというせっぱ詰まった純真な青年に、その後の世界の変化を読み取れなかった。 狂気ではあったが、ある一種の高揚感もあったあの一瞬の時代は我々の心に深い挫折感を残して収束していった。 人を散々アジっておいて、時代が変わればまたその時代にうまく順応していった人々も多く見てしまった(傍から見れば、これはお互い様か)。
さまざまな心の葛藤を経て、大学だけは終えた僕は、中堅の製薬メーカーの研究所に就職をした。ここでは11年間過ごし、抗がん剤の研究で、実験は堪能するほどできた。 一時は、本当に寝食を惜しむほど研究に没頭した。
途中、2年間は研究所を離れ臨床開発とやらに動員さされたことがその後の人生を変えた。というのは、新薬の試験の、全てが茶番、誤魔化しがまかりとおる恐ろしい世界を見てしまったから。
会社という世界は、基本的には資本の論理がまかりとおり、理性なんて入り込む余地は余りない。儲けのためならば有らん限りの悪智恵を働かし、データの改ざんなんて当たり前という現実に、柔い神経ではついていけなかった。(一部有力教授と厚生省の癒着は想像を絶するものであり、莫大な開発費がばらまかれた現場にいた。その接待漬けの2年間で、銀座、青山、六本木、大阪はミナミの宗右衛門町、北の新地をはじめ、南は中洲から北はすすき野まで、現在のお堅い教師家業では考えられない夜の一流世界は堪能するほど見させていただいたが)。
そのこともあって 深層には考えていたのだが(だから大学も理学部にした)、二十の代には、まだまだ自分で何かをやってみたくて、すぐには成ろうとは思わなかった教師稼業に、運良く母校に拾われて、35歳にして転職した。
ここまでは、結果的には自分が思い描いていた筋書き通りの展開になった。会社に入った時、研究室での新入歓迎会で大胆にも「10年で研究がものにならなければ、会社を辞め教師になります」と宣言して部長を慌てさせたことがあったが、それは僕の本心でもあったのだ。
幸い、喋ることには苦にならない性分で、教室で授業をしている限りは、自分の適性にはあっていると思う。しかし、それから十数年たち、この世界も色々問題がありすぎることがだんだん判りだした。
今では、客観的には社会の中心世代になっているのだが、もまれすぎた団塊の世代の悲しさか、「こうあるべきだ。あらねばならない。」という勇ましい断定に嫌悪感を持ち、[信念]で行動している人には無意識に警戒してしまう習性を獲得してしまったのか、何事にも躊躇してしまっているうちに、時代は僕らの世代を素通りしてしまったようだ。
しかし、これではいけないと思い、賢い電子の助っ人を得て、この自分の城からわずかに開いた小窓を通じて、カメが少しずつ頭を出すように、勇気を持って世界に発言して行こうと考えた。団塊世代の自信を取り戻すために!(1996年8月1日記)
profile
氏名:松川利行
住所:奈良市
生年月日:1949年4月29日
血液型:AB
職業:東大寺学園中・高等学校 理科(化学)の教師
趣味:油絵、ジョギング、水泳、最近はパソコン デジカメ
Last Update:
2012/06/03
(since:1.Aug.1996)
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