指先で雪が消えるたび(2/6)
あのとき、ヘイハチは、何が気になったのだろうか。
ぼんやりと、雪の帳の向こうの地平線を眺めた。
一見、何処にでもあるような義手の中身が、意外と凝った作りになっているということに、もしかしたら、気付いたのだろうか。確かに、指先から鋼索を飛ばしたりはしたし、普通の義手にそんな機能は勿論ないから――と言って、世の中でこの義手にしかない機能というわけでもないが――、その辺が、機械好きなヘイハチの琴線に触れたのかもしれない。だがそれならば、鋼索を飛ばす機構が見てみたくて、とか何とか言ってもよさそうなものだ。そう言わなかったということは、別の何かを見たかったのか。
何にせよ、今となっては、ヘイハチがこの義手の何を見たかったのかは、永遠に闇の中だ。戦の終わりを見ることもなく、彼は、あの世に行ってしまった。分解の約束は、果たされずに終わった。
何となくひとつ息をついて、左腕を眺めた。
支えた身体の温もりと重みが思い出されて、今は空っぽのその腕が、何かひどくすかすかとした。戦の中で戦友を失うことは、大戦時に幾らでもあったが、その喪失感には、なかなか慣れない。まして終戦から10年、久々に味わう、もう何処を探してもいないのだ、というこの感覚は、以前よりも胸に応えて、尾を引いていた。大戦時とは違って、「次の戦」に気持ちを切り替えることが出来ないからかもしれない。あるいは、単に年のせいだろうか。
軽く頭を振って、沈み込んでしまいそうになる気持ちを払い除け、地平線に目を戻した。
とにかく、この調子で舟を飛ばせば、明日の昼には虹雅峡に着く。義肢職人の工房へ行って、腕を治してもらったら、帰りがけに蛍屋に寄ろう、と考えた。都を落とした後、無事でいることを文で伝えてはいたが、一度きちんと、元気な顔を見せておきたかった。それに――
この妙に寒々しく感じる腕に、ユキノの温もりが恋しかった。
しかし、その翌日の夕暮れ、シチロージは、星視ヶ峰(ほしみがみね)、という町の門を潜っていた。
虹雅峡には、予定通り昼前にはついたのだが、久々に、腕を作ってくれた義肢職人・谷山の工房へ行って腕を見せると、ここでは直せない、と言われたのだった。
「この腕は、特別製ですんでねえ」
谷山は、肩から外して軽く中身を開いた義手を指差した。
「鋼索を飛ばせるようになってるってのもありますが、何より、腕を操作する神経からの信号を読み取る回路が――ほら、見えますかね、この小さい回路ですよ。ここが、普通の何倍も精巧に作ってあるんですよ。義手であることを、本人も忘れるくらいに――例えば万一、戦に出ても、戦いに一切、支障がないように、と、そういうご注文でしたからねえ」
「なるほど」
頷いたが、初めて聞く話だった。ユキノが気を利かせたのだろう。そんな注文では、酷く高くついたろうに――全く、自分には出来すぎな女性だった。
「とにかく、そこまで要求されちゃ、お恥ずかしい話ですが、正直、当時の私の手には負えなかったもので、私の師匠に、その回路の細工は頼んだんですよ。で、どうもこれを見る限り、何かの衝撃で、その回路の一部が少々傷んでる。これは、師匠でなけりゃ直せないと思うんですよ。3日ほど預からせていただければ、その師匠のとこへ持っていって、直してもらいますが」
「そうだな……」
少し考えた。3日というのは、カンナ村に戻って、年末年始の準備を手伝うことを考えると、少しばかり時間がかかりすぎる。
「いや、その師匠の工房を教えてもらえれば、自分で行って来る」
「そうですか、ご足労おかけして申し訳ないです」
腰低く頭を下げると、谷山は、そうだ一筆書きましょう、と紹介状を書いてくれた。
「名は、大橋キヨツグと申します。今年で確か75になるはずで、地元では割合名の通った職人ですよ。星視ヶ峰という、ここから北へ200里ほど行ったところにある町に住んでます。町の東の外れに、小さな作業場がありますから、そこへ行って、この紹介状を見せていただければ、話は通ると思います」
そんなこんなで、その足で、星視ヶ峰に向かった。2時半ほど舟を飛ばして、日の暮れる頃、漸く、辿り着いたのだった。
星視ヶ峰には初めて来るが、かなり大きな町だ。虹雅峡は、渓谷を利用した凹方向に大きな町だが、ここ星視ヶ峰は、山を利用した凸方向に大きな町だった。そのせいか、虹雅峡よりも、随分と明るく見える。……いや、そのせいばかりでもないようだ、と賑やかな街路を歩きながら、シチロージは周囲を見回した。
この町には何やらキラキラと光るものが多い。店先のみならず、屋根の上や、街角に植えられた木々にも、電飾が巻きつけられて、キラキラと光っている。今は止んでいるが、雪が降ったらしく、道や屋根の上にも積もっていて、それが電飾の赤や黄や緑や青の光を反射して、更にキラキラとして見える。何かの祭りの最中なのか、あるいは、この町の人々は派手好きなのか。とにかく、とても煌びやかな、美しい町だった。
日が暮れてしまったので、行くなら早めにその大橋とかいう老技師の作業場に向かうべきだったが、朝から飛び続けで、腹ペコだった。キラキラと光る街角に、蕎麦屋の屋台を見つけて、暖簾を潜った。
「親父さん、大橋キヨツグ、ってえ義肢職人さん、知ってるかい」
掛け蕎麦を注文しておいて、鉢の準備をしている男に聞いてみた。
「大橋……ああ、キヨさんだね」
男は、愛想良く笑う。
「よく、うちにも食いに来てくれるよ。キヨさんがどうしたい」
「この腕の修理を頼もうと思うんだが、初めての町で、作業場への道が分からないもんでね」
「ああ、道なら簡単さ」
男は、菜箸で屋台の前の道を示す。
「ここを東へ、道なりに行って、林の手前にある小さな小屋が、キヨさんの作業場兼家だ。町外れまで歩かなきゃならねえから、ここからだと四半時ほどかかるがね」
「そうかい、ありがとう」
男の差したほうの道を眺めた。繁華街を抜けて行くらしい。キラキラとした光が目に付いた。
「それにしても、眩しいくらいに賑やかな町だな」
思わず、溜め息が出た。
「今日は、何かの祭りかい。それとも、この町は、いっつもこうなのかね」
「まあ、祭りっちゃあ祭りかね」
男は、ザルに蕎麦を取り上げながら、苦笑した。
「ここ何年か、この時期になるとこの町の差配が音頭とって、こんな風に町を飾りつけるのさ。何でも、随分昔に、何とかっていう有名人だか、偉い人だかが、生まれた夜なんだそうだよ、明日の夜が。古代文明じゃ、それを祝って、この時期は、こうやって町を飾り立てて、祭りみたいにしたそうなんだ。特に、誕生日当日の明日の夜と、その前夜の今夜は、本当か嘘か知らないが、聖なる夜、奇跡が起こる夜、って言われてたらしいな、昔は」
男は、鉢に蕎麦を盛り付ける。冷たい空気の中に、白い湯気が、ふわりとのぼり立つ。
「で、その古代文明を真似て、この町でも、そういう祭りをやろうって、差配が呼びかけてな。最近じゃ、近隣の町でも有名になって、この飾りを見に来る人間も多くなった。店の売り上げも上がってる。差配の作戦が当たったってことだな」
「なるほど、うまいことやったもんだ」
頷きながら、男の差し出してきた、鉢を受け取った。
聖なる夜、奇跡が起こる夜――その言葉は、大戦中に、ちらりと聞いたことがあった。生まれたのは確か、有名人というか、偉い人というか、何かの宗教の開祖だったような気がしたが。奇跡が起こる日、の発展系か何かで、願いが叶う日、とも聞いたし、贈り物をしあう日、とも聞いた気がする。まあ、いずれにせよ、古代文明の話で、今の世では、余り知られていない行事だが、この町の差配は、その伝説を、うまく商売に利用しているらしい。
奇跡、か……。
蕎麦を啜りながら、何気なく思ったとき、
――シチさん、奇跡って信じます?
また、ふいっと、頭の奥で、ヘイハチの声が蘇った。
そう言えば、そんなことも、ヘイさんは言っていたっけ。
それは――ヘイハチが生きていた、最後の夜だった。
カンナ村に向かった都を追って、砂漠を越えている途中、拾った斬艦刀をヘイハチが修理していた時のことだ。
「ヘイさん、一服いかがです。温まりますよ」
真夜中過ぎ、ヘイハチが潜り込んでいる斬艦刀の操縦席に、温かい茶を入れた湯飲みを持って上がって、声をかけた。
「すみませんな、ヘイさんにばっかり、仕事させて」
計器板の下から上げてきた顔へ湯飲みを差し出すと、ヘイハチは軽く手刀を切って受け取る。
「いえいえ。こちらこそすみません、お待たせして」
「何か、手伝えることがあったらやりますが」
「大丈夫ですよ。後は、調整が残っているだけですから」
ふうと湯気を吹いてから湯飲みに口をつけて、ヘイハチはまた、計器板に目を戻した。もう片方の手に螺子回しを取り上げて、再び計器板の裏を覗き込みながら、声だけを寄越す。
「私は別働になるので、ヤカンをいただきますが、これの操縦はシチさんが?」
「そのつもりですが。何か使えないところがあれば、聞いておきまさ」
「いえ、機能はほぼ完璧に戻りましたよ。速度も防人領域設定も起動制御も、最大まで上げられます。存分に使ってください」
「流石ですな」
「いえ、主砲で撃たれて墜落したにしては、損傷が少なかったですから。幸運でしたよ」
そこまで言って、ヘイハチは、何か思い出したように、手を止めた。計器板の下に半身入れたまま、こちらを見上げてくる。
「ところでシチさん、奇跡って、信じます?」
「奇跡?」
唐突な言葉に、ちょっときょとんとして――それから、苦笑してしまった。
「何です、奇跡でも起こらなきゃ都にゃ勝てないって話ですかい?」
確かに、あの巨大な都に対して、こちらは余りにも少数、正に多勢に無勢だった。それにしても奇跡とは、サムライにしては少々気が弱すぎないか。
「いえいえ、そうじゃなくて……」
ヘイハチは首を振って笑い、茶を啜りながら目を伏せた。それは、何かを言おうか言うまいかと迷っているような表情にも見えたが、それも一瞬のことで――ヘイハチはこちらに目を戻してくると、
「でも、多分、奇跡ってあるんですよ、きっと」
そう言って、何やら懐かしそうに微笑んだ。それはもう――何年も会っていない友人に不意に出くわしたような……遠い昔に受け取った手紙をひょんなところから見つけたような……そんな、ひどく懐かしそうな笑みだった。
懐かしい? 何が?
「……何の話です?」
話と表情についていけなくて、やや戸惑いながら聞き返したが、ヘイハチは再び首を振った。
「いえ、いいんです」
そうして、ぐいと茶の残りを呷って湯飲みを返してくると、
「大したことじゃありません。忘れて下さい」
ひらひらと手を振りながら、また計器板の下に潜り込んで行ってしまったのだった。
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