45歳の賃金労働者でありながら、短髪とはいえ時には金髪にしたり、ヒゲも生やし、好きな服装で毎日を過ごしてます。
躁鬱病・境界例境界型人格障害・性別違和症候群人間(外見♂だけど心は♀で♀が好きだから脳内同性愛者)です。おまけに先天性白血球不足、先天性大動脈弁閉鎖不全症と先天性白内障、ならびに糖尿病も抱えてます。要は心身ともに病んでる野郎です(笑)
性的には本質は♀でありながら、外見は♂として生まれ、しかも♀が好きなために、客観的には♂が♀を愛してるように見えるが、実際にはレズ的感覚で接している。だからといって、おネエ言葉はたまにふざけて使うことはあるものの、自分の美的感覚に反するので、女装は絶対にしない。
これまでの経験数は男女併せて約300人。どちらでも対応可能なので、基本的に好みであればどっちとも性的関係を持つことができる。女性については潮吹き、AFを痛くないようにするのが得意。
コメント欄を開放してはいますが、ブログについてはあくまでも自分の匿名日記として考えており、他者の反応や連携にはとりたてては興味がないため、積極的にレスしたり、バトンやアフィリエイトに関わったりすることはありません。ペタも積極的に返す方ではありません。また、わざわざネットに公開日記を設けていることと趣旨が反すると解しているので、要請されればこちらからアメンバー申請は致しますが、当方はアメンバー記事は一切書かないというスタンスをとっておりますのでアメンバーの受付は基本的に行っておりません。予めご了承ください。
【略歴】
1966年 父親の愛人である母親が卵巣ガンの治療を拒み私を出産。
1967年 父親による認知。
1969年 母親が末期ガンとなりこの年に死亡。享年36歳。父親が本妻とヨリを戻したため、養育費等の支払はなし。そのため母親の実母である祖母が離婚し、私を育てるために大阪に出てくる。祖母の料理屋勤めおよび年金での生活スタート。ここからの生活は超貧乏(小学生時代には、電気代、ガス代、給食費などが払えないこともしばしば)。
1979年 中学校入学。女子先輩達に呼び出されて集団で8時間にわたって性的虐待を受け、女性恐怖症に陥る。
1982年 高校入学。高校の学費・生活費を稼ぐために夜の仕事デビュー。同時に自律神経失調症、躁鬱病、境界例・境界型人格障害発症。躁鬱人生スタート。
1983年 バイト先でオーナーからゲイの洗礼を受け、就職が決まるまで、定期的に裏で男性客を取らされる。
1985年 河合塾の全統模試で全国一位となり、直後に強度の鬱に転じ、勉強を放棄。浪人決定。
1986年 某大学法学部入学。
1987年 一番目の妻と語学のクラスで出逢い恋愛関係に陥る。
1990年 大学院修士課程進学。貧乏から抜け出すために学力をとの思い。
1992年 大学院博士課程進学。自分の将来にかすかな自信。
1993年 祖母死亡。介護のため、前年からの2年間、病院に簡易ベッドを置かせてもらい、そこから大学・職場へと通う。躁状態増悪。
1995年 研究機関に何とか現役で就職。
1996年 一番目の妻と入籍。ずっとSEXレス。二番目の妻と知り合う。不倫等は一切なし。
2002年 引き抜きで新たな研究機関に移籍。
2004年 妻の要望による十数年ぶりのSEXにより計画出産に取り組む。
2005年 一人息子ゆうきの誕生。育児方法の対立から鬱悪化。ヘッドハンティングで新たな研究機関に移籍。躁に転じ増悪。
2006年 一番目の妻と離婚。二番目の妻から求婚される。躁状態さらに増悪。二番目の妻と入籍。一層躁悪化。人格障害の増悪。精神的DV顕在化。
2007年 二番目の妻と離婚。自死行為、過度の飲酒、浪費が増悪し、1000万円を超える負債を抱えることになり、専門的精神病院に通院開始。病状やや改善。
2008年 職場での人間関係のもつれから鬱悪化。
2009年 メッセでブロともの女性から告白され、実際に逢い、男女関係になるも、相手が人妻であったことや、ともに心の病を抱えていたため、意思疎通に齟齬が生じ破局。その他にもメッセで告白された8人のブロガーの女性と関係を持っては破局を繰り返す。
2009年4月 ピグを通じて知り合った、たーという女性に心を奪われ、一切を告白した上で思いを伝えたところ、すべてを受け止めてもらえ、実際に逢い、さらに想いが高まり、結果的にお互いに将来を誓い合うことに。たーの両親にも挨拶を終え、たーと同棲を開始。
2011年9月 お互いの仕事をふまえた生活スタイルの尊重を理由に、たーとの同棲を発展的に解消し、それぞれの人生を再スタート。
2011年9月 お一人様になった直後に、ブロともだったとんとんとリアルに逢って急接近。お互いを必要とすることで一致し、遠距離を覚悟の上の交際を開始。
現在、自分を見つめ直して将来穏やかな生活を営めるように、研究機関勤務のかたわら、総合病院の精神科に定期通院して薬物治療および心理療法を継続中。
というわけで、現在は、離れて元妻と暮らす息子ゆうきのことをとにかく一番大切にしていきたいと考えつつ、負債の返済に追われながらも、自由かつ一生懸命に日々を過ごしている。