原文入力:2012/06/29 20:02(6326字)
陸英修の空席は実に大きかった
朴正熙政権は東京で反維新活動をした金大中をおとなしくさせれば維新政権に対するすべての抵抗を完全に鎮められると考えたが、それは誤算だった。 金大中拉致事件は戦車を前面に出した維新クーデターの殺伐たる雰囲気の中で凍りついた国内の民主勢力を長い眠りから目覚めさせた。 1973年10月2日ソウル大 文理大生のデモを皮切りに民主化運動がよみがえると朴正熙は緊急措置1号と4号を宣言した。 民青学連事件と人民革命党事件をでっち上げ1千人余りの学生と在野人士を逮捕した維新政権は、その年の夏、一貫して学生運動の中枢勢力に対して死刑と無期懲役を好き勝手に求刑宣告しては減刑することを繰り返した。 朴正熙は捕まえてきた肉をどのように料理するかを考えながら、遠く米国でニクソン大統領が部下が野党選挙運動本部を盗聴しようとして捕まったことで辞任(8月9日)しなければならないことを、どうしてああなるんだろうという心情で眺めていたのだろう。
<ジャッカルの日>と穴の開いた鉄桶警護
1974年8月15日は3年4ヶ月にわたる工事の末にソウル地下鉄が開通する日だった。 朴正熙大統領と夫人の陸英修氏は国立劇場で開かれる29周年光復節記念式を終えて嬉しい気持ちで清涼里(チョンニャンニ)駅で開かれる地下鉄開通式に参加する予定だった。朴正熙大統領が光復節祝辞を読み始め、まだ10分も経たずに「祖国統一は必ず平和的な方法で実現しなければならないということをもう一度…」という部分で突然‘タン！’という音がした。 その瞬間には誰もその音が何を意味するのか分からなかったようだ。朴正熙は続けて祝辞を読んでいるが、壇上の警護室長パク・ジョンギュが立ち上がり舞台の前に走り出て銃を取り出し、銃声と悲鳴が入り乱れ場内は修羅場になった。 朴正熙大統領は防弾処理がされているという演壇の陰に身を隠し、揺れた画面は舞台の下で犯人ムン・セグァンが取り押さえられている場面を映した。 朴正熙大統領に対する狙撃が発生したのだ。 しばらく中断された生放送はまもなく再開された。 朴正熙は大きな拍手を受けて「話を継続します」 としてはきはきした声で中断された地点を正確に見つけて祝辞を読んでいった。 陸英修女史が負傷して病院に運ばれたというコメントがあったが、朴正熙が毅然奪たと言うべきか、冷酷だったに過ぎないのか演説を継続したので視聴者たちは大した負傷ではないだろうと考えた。 午後になって陸女史の容態が深刻だというニュースが出てくると夕方7時頃、全天がめったに見ることのない黄色い夕焼けで覆われた中で陸女史が落命したという報道が出てきた。 彼女は齢四十九だった。
筆者が通っていた国民学校は大統領府への入口にあったが、しばらくは朴正熙がお出ましになるときは大通りへ向かった窓を全て閉じるようにした時もある程、朴正熙は警護に気を遣った。朴正熙が参加する行事ではかなりの人々は式場付近に近づくことさえ大変だった。 特に3・1記念日や光復節のようにいつも大統領が参加する記念式はテロリストの標的になりうるので警備が並大抵の厳重さではなかった。 ムン・セグァンはドゴール暗殺計画を描いた<ジャッカルの日>という小説を読みふけったが、その小説でも暗殺犯ジャッカルはドゴールが必ず参加することになっている解放記念日を挙事の日とした。 ところで厳重な警護は常に弊害を伴うものだ。 その年の3・1記念式では行事に参加した外国大使の夫人のハンドバッグさえ物品保管所に保管させ大使夫人会が陸英修に厳重抗議したせいで警護課長が2ヶ月間の停職処分を受けさえした。 そのために外国人に対する警護が緩くなり、ムン・セグァンが日本大使館職員のフリをしながら無事通過できたのだった。
当日行事の警護には大統領府警護室の3課中、警護2課兵力50人が動員され、警察は座席のあちこちに配置された私服勤務者88人など総勢546人が動員された。 ムン・セグァンが銃を撃って疾走したB列とC列の間の通路だけでも当時、龍山(ヨンサン)警察署に勤めていた全斗煥の兄、チョン・ギファンをはじめとする12人の警察官が配置されていたが、どこの誰もムン・セグァンを阻止しなかった。 ムン・セグァンの足を引っ掛けて倒したのは警護員ではなく独立有功者家族として参加したある税務署職員だった。 もし誰かがムン・セグァンをポンと叩いていれば陸英修女史が被害に遭うことはなかったかも分からない。 そのために警察官40人余りの首が飛んだが、市警局長イ・ゴンゲは警護室の指示なしでは絶対に動くなという警護室の強圧的な態度に警察があまりにも臆することになった点を警察の無気力さの理由に挙げた。
ムン・セグァンの誤発弾なのか、警護員の誤発弾なのか
事件が発生してまだ2時間にもならない状態で、日本のNHK放送解説委員、山室英男は犯人が北韓の武装スパイか民青学連系の極烈分子かも知れないとして、もう一つの可能性として「ナチが1939年ドイツ議事堂に火を付けた後、国会を解散して政権を奪取した例があるように、今回の事件も韓国の現政権によってでっち上げられた可能性がある」と主張した。まだ全てのことが不確かだったし、陸英修女史の容態はどうなのか全く知らされていない状況から出たことだが、公共放送でするには無責任な発言だった。 捏造説は一波万波に広がっていった。 あまりにも粗末だった警備状況とその警備状況よりさらに粗末だった初期捜査発表は数多くの弱点を抱いていた。 捜査発表に現れた弱点はまもなく疑問に変わって行き、小さな疑問は雪だるまのようにかたまって途方もない疑惑に発展した。 昔話に泥棒がはいる時は犬もほえない(不運なときは全てうまくいかない)と言うが、朴正熙政権の徹底した警護がムン・セグァンという在日同胞青年にあえなく穴を開けられたことは事件当時から陰謀説が広がる要因になった。 一般の予想とは異なり、ムン・セグァンを裁判が終わるやいなや死刑に処したのも色々な面で陰謀説を煽った。 もしかしたらムン・セグァン処刑後に生い茂った陰謀説がKAL機爆破犯キム・ヒョンヒの生命を延命させたのかも知れない。
陰謀説の水準も、陰謀の動機もさまざまだった。 当時合同捜査本部の要員だったソウル市警鑑識係長イ・ゴンウ警監は1989年月刊<タリ>で行った証言を通じて、陸英修女史はムン・セグァンが撃った弾丸に当たって亡くなったのではないという衝撃的な主張を展開した。 2005年初めには文化放送(MBC)の<今だから話せる>とSBSの<それが知りたい>が、ほぼ同じ時期にそれぞれ2部作で陸英修女史殺害事件の疑惑を扱った。 ここでもロサンゼルス(LA)タイムズ東京特派員 サム・ジェイムスンはその間、韓国テレビで放映された白黒映像ではない他の角度から撮影した新しいカラー映像を公開しながら、それを土台に陸英修を撃ったのは舞台右側から飛び込んできた警護員であったという主張をすることもした。 イ・ゴンウは31年間警察に奉職し、事件の合同捜査本部に直接参加したという重量感で、サム・ジェイムスンはL.A.タイムズの後光と新映像の力で、それなりに注目される主張を繰り広げた。 ここでは紙面の不足のために逐一検討はできないが、彼らの主張は丈夫でない仮説に立脚していたり、多くの弱点(偽造ナンバープレート問題、警護室の共謀説、襲撃部位、銃撃時の閃光など)を抱いている。 ただし、文化放送とSBSはそれぞれ当時の録音資料を音響専門家に分析依頼したが、両機関の分析は多少違うがムン・セグァンの銃ではない第3の銃から発射された銃声が発見されたという点は注目するに値する。 この仮説によれば、ムン・セグァンの左後方にいた警護員がムン・セグァンに向けて発射した銃弾がはずれてユク・ヨンス女史に当たったということだ。 今まで明らかになったところによれば、B列後方にはペク・サンギュとキム・ヨンワンの２人の警護員が配置されていたが。２人はムン・セグァンが第一発を誤射した時の銃声を認識できなかったし、犯人が飛び出しても犯人を制止したり声さえ上げられないなど何の警護措置も取れなかったという点で非難を受けた。
1974年当時、捜査本部は精密な音響分析と映像フレーム別に陸英修女史の反応を分析することなしに現行犯ムン・セグァンの銃撃で陸女史が被害に遭ったと結論付けた。 ムン・セグァンが陸英修女史を直接照準したというよりは、朴正熙が演壇の陰に隠れた後、舞台の前へ飛び出してきたパク・ジョンギュに向かって銃を撃ったのが逸れて陸女史に当たった可能性が大きいが、新たな疑惑が提起されている状況であるから疑惑解消次元ですべての記録を公開し再調査することが望ましいと言えよう。 文化放送とSBSが疑惑を提起した当時、国家情報院過去事委員会が活動中だったが、委員会は時間と力量不足でこの事件を調査できなかった。
ムン・セグァンが朴正熙の狙撃を試みたタイミングが真に絶妙だった。 事件発生の一日前である8月14日、韓国政府は金大中拉致事件に対する捜査を中止すると日本政府に正式通知した。 翌日、日本政府が偽造された申請書類を摘発できず間違って発行した旅券を持って日本警察から盗んだ拳銃で、日本で生まれ育った若者が韓国のファーストレディを狙撃し絶命させる事件が発生した。 韓国政府は即刻、ムン・セグァンが朝鮮総連幹部キム・ホリョンの指令を受けて犯行を犯したとし、朝鮮総連に対する取り締まりを主張した。 韓国政府は強硬だった。 金大中拉致事件当時、キム・ドンウン一等書記官が残した指紋のために一年中日本政府の苦言を受けてきた韓国政府は、逆攻勢のチャンスを迎えたのだ。
光復節祝辞10分目で "タン!"
あえなく警護に穴が開けられたことが
生い茂った陰謀説の温床になった
裁判が終わるやいなやムン・セグァンを
処刑したことも陰謀説を煽り立てた
母親の悲劇的 死と
ポストレディの重圧感…
朴槿恵は自称‘太子ママ’という
チェ・テミン牧師に依存した
後日、キム・ジェギュはチェ・テミン問題を
朴正熙狙撃の要因に挙げた
攻守が変わった韓日関係…‘東京爆撃論’まで登場
日本も最初は強硬に対応した。 金大中拉致事件に対して韓国政府が一方的に捜査中断を通知したのはとても不快なことだった。 しかも韓国でムン・セグァン事件の捜査を実際には金大中拉致事件を犯した中央情報部が全てを統制していたことも日本としては大きな不満だった。 日本は日本警察が盗まれた拳銃で韓国の大統領夫人が死亡したことは遺憾なことだが、法的には韓国国籍の在日韓国人が韓国の地で韓国人を殺害した事件に対して日本政府が法的責任を負う理由はないと持ちこたえた。 また、日本政府は韓国側の主張とは異なり、この事件はムン・セグァンの個人的犯行だとし、朝鮮総連背後説を一蹴した。 韓国側は荒々しく反応した。 日本通の人々はソウルの雰囲気が‘東京爆撃論’が出てくるほどに激昂していると熱を上げ、朴正熙は日本大使を直接呼び‘断交’まで挙論しながら日本政府の謝罪と朝鮮総連に対する取り締まりを要求した。 この思いがけない事件で韓-日関係が破綻することを憂慮した米国は、だだをこねる韓国政府に対して「米国がやるべきことはすべてやったので、ちょっとじっとしていろ」と面と向かって非難しながらも、日本が適当な線で韓国に謝罪するよう介入した。 日本は1965年の韓-日交渉当時、日本外相であり満州人脈の大物だった自民党副総裁の椎名悦三郎を‘陳謝使節’として派遣した。 朴正熙は椎名に日本に対する不満を腹を括ったように浴びせ、椎名は大統領府を出てからこのような侮辱は生まれて初めてだとし首を横に振ったという。
歴史には原因と結果のない事件は無いと言うが、この事件ほど維新の終末に至るまで絶え間ない連鎖反応を産んだ事件も珍しい。 朴正熙は妻の葬儀を行った後、義理兄弟のユク・インスに「拉致事件がなかったならば、こういうおぞましいことは起きなかったはずなのに」として非常に悲痛がったという。 金大中拉致事件以後、韓国が拉致国家という烙印を捺されながら韓国国籍の在日同胞青年らは深い侮蔑感と挫折感に苦しめられなければならなかった。 ムン・セグァンもやはり金大中の演説録音を10回以上も反復聴取するほど金大中救出運動に積極的に加担した。 彼は朴正熙1人独裁を打倒することが韓国革命に最も重要なこととして、自身は「死か勝利かの革命戦争に立つ」と遺書に書いた。
光復節狙撃事件で朴正熙は夫人を失った。 朴正熙は事件直前の8月12日、野党の緊急措置解除建議案を否決させたが、事件後の23日、緊急措置を解除するなどしばらく融和的な態度を取った。 国民は陸英修の死を心より悲しんだが、その悲しみのために朴正熙の独裁を容認することはなかった。 国民の抵抗が続くや朴正熙は平常心を失い、人民革命党再建委関連者8人に対する司法殺人を行った。 光復節狙撃事件のもう少し直接的な結果は権力構造の変化であった。 金大中拉致事件でイ・フラクが退いたのに続き、狙撃事件で警護室長パク・ジョンギュが退かざるを得なかった。 5・16以後、最側近として朴正熙を支えたユン・ピルヨン、イ・フラク、パク・ジョンギュが順に退くことになり、その空席を埋めたのはチャ・ジチョルとキム・ジェギュであった。 維新体制没落の人的構図が形成されたのだ。 陸英修の空席を埋めたのはフランスに留学に行っていた23才の朴槿恵であった。 1917年生まれの朴正熙の年齢は58才、1〜2年過ぎてから新しい妻をめとるべき年齢だったが、本人はまだ嫁がせていない娘たちがいるという理由で、周辺の権力者は新しい大統領夫人の誕生による権力地形の変化に対する憂慮で、朴正熙の再婚を積極的に推進しなかった。 代わりに大宴会、小宴会など、女性問題をめぐってあらゆるうわさが飛び交った。 母親の悲劇的な死と幼い年齢でファーストレディの役割の重圧感に苦しめられた朴槿恵は、自称‘太子ママ’と言ったチェ・テミンという良く分からない牧師に大きく依存することになった。 子供に勝てる親はいないと朴正熙ですらどうしようもできないチェ・テミン問題は、朴槿恵を除く維新政権核心要人全員の悩みの種になった。 後日、キム・ジェギュは法廷で朴正熙を撃つことになった要因の一つにチェ・テミン問題を挙げた。人間 朴正熙にとって、ひいては朴正熙体制にとって陸英修の空席は実に大きかった。
ハン・ホング(韓洪九)は
おもしろい現代史コラムの世界を開いてくれたヒゲオヤジ歴史学者。聖公会大教養学部教授、平和博物館常任理事として仕事をする。 2004年から3年間、国家情報院過去史委員会で活動し、<ハンギョレ> <ハンギョレ21>に‘歴史の話’と‘司法府-悔恨と汚辱の歴史’を連載した。著書に<大韓民国史> 1〜4巻と<特講>、<今この瞬間の歴史>がある。’維新と今日’は隔週で連載される。
原文: http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/540289.html 訳J.S
