2012-06-29 なぜ私はtwitterをやらないのか(+バットマン四方山話)
え〜、前のエントリでも書いたことですが、『ダークナイト』が地上波放映されて以来というもの、だいぶ昔に書いたエントリへのアクセスが急増しています。で、そこでの反応の中にはしょうもないものがかなりあって、正直めんどくせえなと思っているのですが。
そんな中に、私に関する無根拠な思いこみからデマを流しているようなものもあって、これはきちんと訂正しておいた方がいいなと思って新たにエントリを立てました。で、デマを流す当事者がなんでそんなことを考える風に至ったのかということを考えてみるにつけ、そういう人物は「自分の思いつき=仮説」と「裏付けのある知識=確実な情報」の区別がついていないよなあ、と。
そういう人物がtwitterを始めたりすると、ただの主観的な思いこみを垂れ流し続け、結果として他人に関するデマを平気で拡散させるんだなあということを実感しました。そこで、そういう人物をサンプルとして取り上げつつ、私に関して言われているデマの間違いも同時に説明しようという次第。
twitter上で特にデタラメな発言をしているのはTokioSakuranoとかいう人物なのですが、このブログ内の、映画『ダークナイト』に関するエントリにリンクを貼りつつ、こんなことを書いています。
またアメコミを誤解してる人のレビューかRT @izumino このジョーカーがあんな腑抜けのバットマンを宿敵として評価するわけがないようにも思える。ここはちょっと分かる気がする/自らの作品をダークナイトなどと称する愚かな思い上がりについて
レギュラーシリーズのバットマンもろくに読んでない人がダークナイト・リターンズを過大評価してるのを見るのはもうウンザリだよー。
? 何言ってんだこいつ。
まず大前提として、私はあのエントリでフランク・ミラーによる『ダークナイト・リターンズ』と『イヤー・ワン』の二作に言及しました。そして、『ダークナイト・リターンズ』は確かに外伝的な位置づけで、バットマンのレギュラー・シリーズでの正史に組み込まれたことはありません。しかし、そもそも『イヤー・ワン』は、発表の場からしてバットマンのレギュラー・シリーズなんですが。
つまりこの時点で、私がバットマンのレギュラー・シリーズを読んでいない、という指摘は既に崩壊しているわけです。
さらに言うと、『イヤー・ワン』は正史に組み込まれているため、つい最近のバットマン作品でも回想シーンで言及されています。例えばグラント・モリスンの『リターン・オヴ・ブルース・ウェイン』では、過去に起きたこととして、もろに『イヤー・ワン』の引用があるんですが。
それから、昨年9月にDCコミックスは作品設定を一挙に刷新しましたが、それ以降に書かれたスコット・スナイダーの『バットマン』誌にも『イヤー・ワン』の引用があります。なのでリランチ後も依然として『イヤー・ワン』は正史に組み込まれているようですね(もっとも、リランチ後のバットマンの設定がきっちり確定されるのは、もうすぐ発売されるジェフ・ジョンズの『バットマン:アース1』でのことになるはずなので、それまで確かなことは言えないのですが)。
さて、私がバットマンのレギュラー・シリーズを読んでいるということを確認した上で、このTokioSakuranoとかいう人物の発言のおかしさをさらに検証しましょう。
この人物は、私のブログ内のあるエントリを一つ読んだ上で、そこでは言及されていない「バットマンのレギュラー・シリーズ」に関して、私が読んでいない、と断定しています(まあこの際、『イヤー・ワン』は例外としておきましょう)。
もちろん、私のブログ内のある一つのエントリを読んで、それに対する批判や不満を述べるのは各自の自由です。しかし、そのエントリでは述べられてもいないことに関して、私に知識があるかどうかなどということを、たかがエントリ一つ読んだ程度で判定することなどできないでしょう。
もともと私はあのエントリを書いた際、アメコミに関する知識があまりない人に読まれることの方が圧倒的に多いだろうと考えていたので、邦訳も出ているような超有名バットマン作品にしか言及しませんでした。ところがこの人物は、あのエントリを読んだ結果、未邦訳の作品に関する言及がないことから、私がレギュラー・シリーズを読んでいないと考えた。
さて、ここに問題があります。私がレギュラー・シリーズを読んでいないと考える。これはこの段階では、あくまで仮説です。あのエントリ内には何も言及がないのだから、その仮説は検証できない。
ところがこの段階で、この人物は「レギュラー・シリーズをろくに読んでいない」などと断定してしまった。
しかし、このブログには他にもアメコミに関するエントリがいくつもあるので、私が未邦訳のレギュラー・シリーズを読んでいるかどうか、ということに関する裏付けの検証は簡単にできるわけです。
ではなぜこの人物は簡単にできる仮説の検証すらしなかったのかと言えば、おそらくは、そんなことをする必要性すら感じていなかったからでしょう。結果として、なんら裏付けがなされていない自分の思いこみを、twitter上で不特定多数に向けて垂れ流した。一個人に対するデマを拡散した。
しかし、自分の仮説が適切かどうかを検証する必要最低限の手間をかけていれば、自分の間違いにすぐに気づいたはずなのです。だって、このブログの他のエントリを読めば、私が普段からアメコミのレギュラー・シリーズを読んでいるのはすぐにわかることなのですから。
あとはまあ、映画『ダークナイト』でのダークナイト―ホワイトナイトという対立軸に否定的な私を批判するなら、単に「読んでない」と言い張るだけじゃなくて、以前コミックに登場したホワイトランタン・バットマンを持ち出すくらいのことをしたら、まだしも芸があるとも思えるんですが。
さて、その後のことです。私は、件のエントリに関して、小田切博さんとやり取りするエントリをアップしました。
すると、例のTokioSakuranoとかいう人物は、新しいエントリにリンクを貼った上で、今度はこんなことを書き始めました。
この人が典型的だけど、90年代アメコミブームの時に邦訳されたコミックスと情報「だけ」で身につけた、歪んだアメコミ観のまま止まってる人って結構多そうだよなぁ。そのくせ自分はマニアだと勘違いしてんの。
なんなんだよこいつ! 後出しで立場変えてるよ!
……よく読むと、この人物の言っていることが事後的に少しすり替わっていることにお気づきでしょうか。
新しいエントリでは、私は、『ゴッサム・セントラル』という未邦訳のバットマン作品に言及しました。もちろんそのことを知れば、私がバットマンのレギュラー・シリーズを読んでいない、という断定のおかしさには誰でも気づくでしょう。
するとこの人物は、私が「読んでいない」のではなくて、90年代に「邦訳だけ」で得た知識に基づく偏見で歪んでおり、「止まってる」、ということに立場を変えたのです。
つーか、そもそも自分が他人に対して勘違いからデマを流していたことに気づいたんなら、まず先に訂正しろよ! と思うのは私だけでしょうか。この人物の場合、自分の以前の発言のおかしさには何も触れないまま、後出しで以前とは違う立場から私に対する非難を続けました。なんとも浅ましく卑怯な話だと思います。
と言うか、勝手に他人に知識がないと思いこんでおいて、その無根拠な前提の上に、自分がマニアだと勘違いしている、などというさらに無根拠な決めつけを積み上げられる精神がどんなものなのか、私にはまるで見当がつきません。
まあそれはともかく、すり替えられた後出しの発言は適切なのでしょうか。この人物はいかにも訳知り顔に語っていますが、90年代のアメコミ邦訳の事情を知っている人は、この発言のおかしさに気づくと思います。だって、90年代にはDC社のコミックは圧倒的少数しか邦訳されなかったので、邦訳だけ読んでDC派になる人なんてほとんどいなかったはずなのです。
このことは既に他のエントリで書きましたが、私がDC社のコミックにのめりこんでいったのは、90年代のアメコミ邦訳が退潮してからです。いざ原書オンリーでしか読めなくなってみたら、マーヴルよりDCの方が面白く感じることが多くなっていたからです。
つーか、めんどくさいから私の状況をここにまとめて書いておきましょう。私が最初にDCの原書に手を出したのは、ハードカヴァーの単行本として『ロング・ハロウィーン』がまとまった直後のことです。これを読んでみたら面白かったので、それまでマーヴルのものしか原書で読んでいなかったのが、どんどんDCも読むようになっていったのです。
学生時代は金がないのでTPB待ちでさらにピンポイントに絞ったりしていましたが、その後もず〜っとアメコミを読み続けています。私は基本DC派なので、マーヴルは昔の作品だけ読んでオンゴーイングのものは全く読まないような時期もあったりしましたが。
現在では、オンゴーイングのコミックブックで購読するのはだいたい月に15誌くらい(まあこの数は、ほんとにコアな人に比べたらマニアでもなんでもないですね。資金と時間から自分に制限をかけているわけですから)。バットマンフランチャイズは多すぎるので『バットマン』『バットマン・インコーポレイティッド』の2誌しか購読しておらず、後は単行本待ち。
また、『バックイシュー』『アルターエゴ』のような情報誌も毎号購入しています。もっともこれらの場合は、毎号すぐに読むわけではなくて、資料として取っておいて、調べ物をしているときに興味のある記事が出てきたら読むような感じですが。
それから、以前小田切博さんが紹介していたような、『Comic Book Nation』とか『Seal of Approval』のようなアカデミックなアメコミ研究書もこれまで読んできました。
レギュラー・シリーズを読んでない、情報源が邦訳だけということを強調しているのは、要するに私に英語力がないと言いたいのかもしれない(と言うか、そう思いたい?)ので、比較的わかりやすい指標で私の英語力も公開してしまうと、何ヶ月か前に受験したTOEICというテストのスコアは975と出ていました(リスニング満点、リーディング480点)。
私の現在の英語力だと、コミックブック1冊を読むのにだいたい10〜15分くらい。まあ昔の作品だと文字が多いのでもうちょいかかりますが。こんな感じなのでほぼ毎日コミックブックだと2〜3冊、もしくは単行本で同じ分量くらい読んでいるという感じでしょうか。新刊の発売日とかだとまとめて10冊ぶんくらい読むこともありますが。
……ということで改めてこのTokioSakuranoという人物に聞きたいのですが、私のどのへんがレギュラー・シリーズを読んでなくて、邦訳から得た知識のまま止まってるんでしょうか?
まあ私自身のことは置いといて、バットマンのことについてもう少し掘り下げてみましょう。
割と最近いろいろなところで耳にするのが、フランク・ミラーのバットマンを強調する人間はにわかだとか、バットマンの普通の姿がわかっていない、などというものです。
正直、これは私にはよくわかりません。私の主観的な評価としては、例えばバットマンのライターならフランク・ミラーが、Xメンのライターならクリス・クレアモントが、スパイダーマンのライターならスタン・リーが、それぞれオールタイムでのベストだと思っています。
で、これは別にアメリカ国内での現在のファンの標準的な意見ともあまり変わらないと思います。現在のファンによるオールタイムベストとか最も印象に残ったシーンとかの投票があった場合、たいていミラー版バットマンは今でも上位に食い込んで、バットマン関連の中だけで見たら不動の一位だったりすることがよくあるわけです。
確かに、『ブラック&ホワイト』みたいな各作家が好き勝手にできるアンソロジーとか、カートゥーン版まで含めて考えれば、実に多種多様なバットマン像があるでしょう。
しかし、『ディテクティヴ・コミックス』と『バットマン』というバットマンの最も中心的なレギュラー・シリーズで描かれてきたバットマン像は、あるいはジャスティスリーグや各種クロスオーヴァーにDCの看板キャラとして登場するバットマン像は、フランク・ミラー以降、その影響を受けまくりだと思うんですが。
例えばミラー版バットマンの前夜、『クライシス・オン・インフィニトゥ・アース』においては、宇宙滅亡の危機に瀕して、「とりあえず僕らにできることは今はないよ」などとロビンに言いつつ呆然としているバットマンの姿がありました。ところが二十年近く後の続編『インフィニトゥ・クライシス』においては、バットマンが他のヒーローに対する疑心暗鬼に取り付かれた結果、各ヒーローの正体やら弱点やらをかき集めたデータベースを独断で構築し、それが流出したことが巨大な危機の一因となりました。
つまり、DCの看板クロスオーヴァーにおける最もスタンダードなバットマン像ですら、その二十年の間に劇的に変化したということです。
私の印象としては、現在のスタンダードなバットマン像の形成の大きな要因となっているのは、『ダークナイト・リターンズ』と『ナイトフォール』だと思っています。『ダークナイト・リターンズ』において「核戦争の勃発」とか「スーパーマンとの衝突」といった事態すら事前に完璧に想定して準備してあるバットマン像、それから『ナイトフォール』では完璧な事前準備とバットマン対策をしてきたベインに戦闘力よりむしろ知恵比べで負けたこと、この二つが組み合わさった結果、「あらゆる事態を完璧に想定しつつ、時にダーティな手段も辞さずに断固として結果を求めるバットマン」という姿が確立したのではないでしょうか。
しかし、巨大イヴェントとかにはあまり関係ない普段の展開においては、ある時期から増殖し始めたバットマンフランチャイズタイトル、要するにバットマンの周囲に集まった疑似ファミリーたちとの人間関係が大きな軸になってはいます。しかしこれも考えようによっては、トゲトゲしくて近づきづらい孤独な人間としてのバットマン像が確立したからこそ、周囲の人間たちとの関係がドラマとして成立する、とも言えるのではないでしょうか。バットマンったら他のヒーローに対してはファーストネームで呼ばずにファミリーネームで押し通すこともかなりあるのに、ゴッサムに戻って周りにファミリーがいるときは、割と気安くファーストネームで呼びかけるよなあ、とか。バットマンが引きこもりがちな性格じゃなかったら、今のようなアルフレッドやティムの魅力はないよなあ、とか。
……とまあ、おおよそ以上のようなことを考えつつ、私は90年代以降のバットマンのレギュラー・シリーズにはフランク・ミラーの影響が色濃く残っていると思うのですが……これって、邦訳からしか情報を得ていない者の歪みなんですかねえ?(つーか、上での言及ってほとんど未邦訳のものばっかり参照してるんだが……)
また、フランク・ミラーとジム・リーが組んで仕事します、というだけの『オールスター・バットマン&ロビン』が大ヒットし、あれだけ伏線を練りに練りまくってDCの総力を結集させた『インフィニティ・クライシス』でようやっと売り上げが同じくらい、ということからも、現在のアメリカ国内のファンにも大きな影響力が残っていることがわかると思うのですが。また、これも以前に別のエントリで書きましたが、私はミラーの作品でも『シン・シティ』後半とか『オールスター・バットマン&ロビン』とか『ホーリー・テラー』とかは全く評価しておらず、昔の名前でヒットしちゃうことをむしろ苦々しい気持ちで見てるんですが。……歪んでますか? 止まったままですか?
もう一人、別の人物についても書いておきましょう。y_yoshihideという人物が、最近しばしば私のアメコミ関連のエントリにリンクを貼った上でtweetしているのですが。
勝手に内容を誤読した上で見当はずれなコメントを書いてるなあ、とか思っていたのですが……まあ、もうめんどくさくなってきたので、そういったコメントの内容面についてはとりあえずほっておきます。
ただ、中には看過できないtweetもあります。例えば、私が昔書いたエントリが今さらアクセス数が急増したのを受けて、荒れているコメント欄にリンクを貼った上で、こんなことをtweetしています。
アーカム・アサイラムはあなたをお待ちしています! / “自らの作品を『ダークナイト』などと称する愚かな思い上がりについて - The Red Diptych”
これは完全にアウト。アーカム・アサイラムというのは要するにバットマンの作中に登場する精神病院のことです。ということはつまり、この人物はあるブログをやっている特定個人に対して名指しで「精神病院にようこそ!」「あなたは精神病院入りですよ」という意味のことを書いて、不特定多数に垂れ流しているわけです。
民主的な法治国家において、これは完全に一線を踏み越えてしまっているということがわからないのでしょうか。結局、自分の考えに裏付けがあるのかないのか、自分がやろうとしていることが合法なのか非合法なのか、という判断を、何かを公表する前に働かせる習慣のない人がtwitterなんかをやると、このようにして害悪をまき散らすというサンプルでしょう、これは。というか、そういう判断が普段は働いている人でさえ、ちょっとでも気を抜いたら迂闊なことをしかねないんだから、便利な反面、やっぱりtwitterは怖いなあと思いました。
このy_yoshihideという人物のtweetに関して、現段階ではめんどくさいからどうこうする気はないですが、今後のことと次第によっては、法的措置も辞さないですよ、私は。
私自身は、映画やコミックも日々享受していますが。このような間口の広いジャンルに言及していると、しょうもないことしか言わない人がわんさかやってくるので、なんだかめんどくさくなってきました。