第04回 身体が動く仕組み (3)指が独立に動く仕組み
前回は、手を動かすための、上腕や肩、背中の筋肉を中心にお話してきました。今回は、「指の独立性」に注目したお話をさせていただきます。
指を動かす筋肉は、他の身体部位とは比べ物にならないくらいたくさんあります。そのおかげで、私たちの指は、実に多用な動きをすることができます。ピアノを弾く上で特に大切なことは、指同士が全く違った動きをしないといけないということです。その理由は、ポリフォニーが音楽の根幹を成しているからでしょうか、理由は何であれ、バッハの声部の妙、シューマンの内声・・・指を独立に動かす例を挙げると、枚挙に暇がありません。
古くから、指同士を独立に動かしにくい理由は、指の腱同士がつながっているためだと考えられてきました("腱間結合")。腱とは、筋肉と骨をつないでいる部分で、筋肉が収縮すると、腱も引っ張られます。人差し指、中指、薬指、小指の腱の間は、横につなぐ腱間結合があるので、たとえば中指と小指で鍵盤を押さえた状態だと、薬指の腱は「曲がる方向に」引っ張られているので、伸ばしにくい(持ち上げにくい)というわけです(1)。
このような理由から、ピアニストを志す人の中には、手の中の腱間結合を手術で切ってしまう人さえいたようです。事実、私が高校生くらいの時には、友達で腱間結合を切ったという子が実際にいました。確かに、この結合があるせいで、特に薬指が周りの指につられて動いてしまうなど、指同士が独立に動かせないのは事実です。しかし、最近の研究の結果、指の独立の問題は、脳や神経の仕組みや働きとも深く関わっていることが明らかになってきました。
以前、脳には、筋肉ごとの部屋があるとお話しましたが、指はその典型的な「例外」と言えるでしょう。指の場合、個々の指を動かす神経細胞(脳から筋肉に電気の指令を送る細胞のこと)が、それぞれ別の場所に存在しているわけではありません(2)。つまり、「ある神経細胞Aが指令を送ると人差し指が動いて、別の場所にある神経細胞Bが指令を送ると薬指が動く」ことには、必ずしもならないのです。むしろ、ある神経細胞が指令を送ると、中指と薬指が一緒に動いたり、親指と手首が一緒に動いたりといったことが起こります。
また、一つの指を動かすよりも、複数の指を同時に動かす方が、活動する神経細胞の数が"少ない"といった不思議なことも時には起こります(3)。普通に考えると、指を一本動かすより二本動かすほうが、たくさんの神経細胞が必要だと思うのですが、必ずしもそうでないということは、「一本の指だけを動かす際には、他の指が動かないように抑制しなければならないので、その分さらに脳が働かなければならない」と考えることができます。つまり、私達の脳は、一つ(一まとまり)の脳細胞が一本の指を動かすという仕組みにはなっていないので、一本だけ指を動かそうと思うと、脳は「大変」だと思うわけです。
実際、一つ一つの指につながっている筋肉に針を刺して、神経から送られる指令(電気活動)を測ってみると(4)、中指しか伸ばしていないのに、薬指や小指につながっている筋肉も活動することが知られています(5)。また、特に隣同士にある指の筋肉がつられて反応しやすいことから、指同士が独立に動かない原因は、筋肉同士が独立していないだけではなく、脳の細胞同士も独立していないからと考えて間違いないようです。
親指はどうでしょうか?英語では指はfinger、親指はthumbと異なった名前で呼ばれますが、親指は、他の指の筋肉と解剖学的なつながりが無いので、親指は完全に独立に動くものと思われるかもしれません。しかし、親指を持ち上げると、人差し指も同時につられて上がろうとすることや、小指を伸ばす筋肉が同時に活動したりすることが報告されています(6)。特に、手を開いた状態の方が、親指に他の指はつられやすいようです。これも、指同士が脳で独立していないことを示す証拠でしょう。
では、どうして練習すると、指同士を独立に動かせるようになるのでしょうか?指を動かしている時の脳の活動を調べてみると、人差し指よりも薬指を動かす方が、より多くの神経細胞が働いていることがわかります(7)。また、指を動かす訓練を積むと、指を動かす際に働く脳細胞の数が減ることが知られています(8)(あらためて詳述します)。したがって、「指同士を独立に動かせるようになるのは、脳の中での変化が起こるから」というのが、現在最も妥当な説明づけと考えられています。
最後に、指導の上で注意していただきたいのは、個人差についてです。例えば、生まれつき、薬指を伸ばす腱の一部が小指を伸ばす腱とつながっているために、小指を曲げた状態で薬指を完全に伸ばすことができない方がいます。曲げる筋肉も同じで、指の腱が他の人よりも多い方も少なくありません。ですので、他の人より指を独立に動かしにくいからといって、無理にトレーニングし過ぎると、それが元で手を壊すこともありえます。指の独立性を考えるときは、他人とどれくらい違うかよりも、自分の達成したい音楽を作るために何がどれだけ必要かという観点で、身体のことを見て(診て)いくのが良いのではないでしょうか。
【脚注】
- (1)
- ちなみに、人差し指と小指には、それぞれを伸ばすための独自の筋肉があるので、これらの指は中指や薬指より伸ばしやすく(持ち上げやすく)なっています。
- (2)
- Schieber and Hibbard 1993 Science,Sanes et al. 1995 Science.独立しないということは、指同士を協調して動かせるということです。このおかげで、私達は、物を容易に握れるわけですので、少なくとも脳にとっては「指を独立に動かせない=悪いこと」ではありません。
- (3)
- Remy et al. 1994 Ann Neurol.
- (4)
- 蛇足ですが、私は研究を始めた頃、「手の中の筋肉の使い方が大事だから、その筋肉の活動を計測しよう!」と意気込んでいました。でも、実際、個々の指を動かす筋肉の活動を正確に計測するのは、とても難しいんですね。私が共同研究をしていただいているハノーヴァー音大のアルテンミューラー教授の研究室を訪ねた際、彼に針の形をした筋電図を指を動かす筋肉に刺していただき、指を動かしている時の筋活動を計測しました。多少指を曲げ伸ばしするくらいは痛くないんですが、打鍵するように膝の上を指で叩くと痛みがあり、その後、針を抜いた後に黒鍵のエチュードを弾いたのですが、割と痛さが残ってたくさんミスしてしまったのを覚えています。同僚のサラにこの話をすると、「これの方がずっとマシ」といって、針よりも細い、髪の毛くらいの細さの「ワイヤ」のものを見せてくれました。とはいえ、痛みが無くなるかは疑問で、演奏中の指の個々の筋肉を計測した研究は行なわれていません。これが、今の科学の一つの限界だと考えています。
- (5)
- van Duinen et al. 2009 J Physiol. 興味のある方のために補足しますと、これは、必ずしも同じ神経が各指の筋肉とつながっているから、一つの指令で複数の筋肉が収縮するためではありません(Keen and Fuglevand 2004 J Neurophysiol.)。むしろ、別の運動単位同士が同期して発火する要因が大きいと考えられています。
- (6)
- Olafsdottir et al. 2005 Exp Brain Res.親指の力発揮につられて他の指がなぜ力を発揮してしまうのか、その明確な意義は明らかになっていません。
- (7)
- Aoki et al. 2005 Exp Brain Res.二本指でトリルをするような動きをする際でも、どの指を使うかによって、活動する神経細胞の数が違うことが報告されています。
- (8)
- Münte et al. 2002 Nat Rev Neurosci.
大阪大学基礎工学部卒業後、医学系研究科にて博士(医学)を取得。ミネソタ大学神経科学部研究員を経て、現在、ハノーファー音楽演劇大学にある音楽生理学・音楽家医学研究所にてフンボルト財団招聘研究員として勤務。日本学術振興会特別研究員PD、海外特別研究員を歴任。世界に先駆け、ピアノ演奏の脳身体運動学研究を体系的に行い、国内外より注目を集める。主な受賞歴として、Society for Neural Control of Movement (NCM) Scholarship Award、大阪大学共通教育賞、日本音楽知覚認知学会研究選奨など。2009年にはSONY主催「ランランと音楽を科学しよう」において講師を務める。訳書に、ピアニストならだれでも知っておきたい「からだ」のこと(春秋社)、著書に、あなたがピアノを続けるべき11の理由(ヤマハミュージックメディア)など。主なピアノ演奏歴として、和歌山音楽コンクールおよびKOBE国際音楽コンクール入賞、日本クラシック音楽コンクール全国大会入選、兵庫県立美術館にてソロリサイタルなど。これまでに、成瀬修、中野慶理の各氏に師事。「音楽演奏科学」という新しい領域を確立し、ピアノを愛する全ての人に貢献できる教育・研究基盤を国内外に整備することを目指し、研究を行っている。www.neuropiano.net