プロゴルファー、尾崎将司の謝恩コンペで大好きなゴルフを楽しむ小野ヤスシさん(左端)。ジャンボ尾崎、美空ひばりさん、ハナ肇さん、元横綱の輪島大士さん(左から)ら豪華メンバーとラウンドした=1975年12月撮影【拡大】
昭和を彩ったテレビスターがまた逝った。
東京・世田谷区の自宅前でサンケイスポーツの取材に応じた長女の菜々美さん(28)によると、小野さんは28日午後10時すぎ、容体が急変。大好きなプレスリーの曲を聴きながら、芳子夫人(55)と菜々美さん、長男(25)に看取られ、眠るように息を引き取ったという。
小野さんは2009年11月に定期検診で腎盂(腎臓と尿管を結ぶ部位)にがんがみつかり、翌10年1月、約12時間にも及ぶ右の腎臓の全摘出手術を受けた。同3月、都内で行われた芸能生活50周年パーティーには元気な姿をみせ「たばこの副流煙で弱ってしまった~」と明かし、「健康な体でみなさんに会いたかった」と感無量の表情を浮かべていた。
だが、完治はせず、その後も入退院を繰り返していた。別の関係者によると、今年に入ってがんの放射線治療を行い、その副作用で髪が抜け、かつらにしていたという。体調が悪化したのは今月13日。都内の病院に入院したが、自宅に戻ることはできなかった。
小野さんは1964年、ザ・ドリフターズから独立した形で音楽バンド「ドンキーカルテット」のリーダーに就任し、本格デビュー。71年の解散後はバラエティー番組を中心に活躍した。
フジテレビ系「スターどっきり-」では、「おはようございま~す」と寝室に入り、軽妙な語り口で松田聖子(50)や郷ひろみ(56)ら70~80年代アイドルを驚かせ、人気者に。同局系クイズ番組「なるほど!ザ・ワールド」ではレギュラー解答者を務めた。
一方、「鳥取が生んだ天才“スーパースター”」と自負するほどの郷土愛の持ち主で、95年の参院選には自民・無所属の推薦で鳥取選挙区から立候補し、落選するなど話題を振りまいた。
昨年4月には埼玉・川口市内で行われた東日本大震災の復興支援チャリティーライブに俳優、石田純一(58)らと出演。「被災者のために何でもやっていきたい」と支援活動にも力を入れていた。
最後の公の場は今年3月1日、ドリフターズの後輩、加藤茶(69)の結婚披露宴で、司会を務めた。加藤はたびたび小野さんの見舞いに訪れていたという。
前日の27日には、同じ所属事務所だったザ・ピーナッツの伊藤エミさんが同じがんで死去していたことが明らかになったばかり。天国のステージで再会し、一緒に歌っているに違いない。
(紙面から)