学生時代の青春に戻る
学生時代、・・・・・皆それぞれに青春の思い出がある。
私は蕎麦屋の2階で「早稲田キャンパス新聞」を創刊した。20数年続いたがそのときの後輩の一人、村山創太郎君が今度、日本放送の社長に就任した。
嬉しいものである。東洋経済の社長を最近までやっていた同じ後輩の高橋宏君の紹介だろうか、東洋経済ビルのホールで、私の大臣就任祝いも兼ねてかつての悪童どもが30人ほど集まった。
それぞれに齢は重ねてきて、髪も白くなってきたが多士済々の面々だ。
日経新聞の局長まで勤めて、今では企業格つけ会社の社長もいれば、慶応大学の教授もいる。
品川の商店街の事務局長もいる。
なんとも懐かしい。
卒業して30数年は経ているのに、よく顔を見るとちっとも変わっていない。
近況よりも、学生時代の話に戻った。酒も久しぶりに弾む。
それぞれに勝手なことを語り始めた。
「バンチョウ、おめでとう・・・・・・・・」皆が喜んでくれている。
ちなみに私は学生時代皆にバンチョウと呼ばれていた。番長と野蛮人の長とをもじったものらしい。
後輩の植松百合子が立ち上がった。
「バンチョウに昔、百合っぺ、人生で何が一番大切であるかわかるかと聞かれたことがあった。何ですかと聞いたら、それは誠実に生きることだと言われた。
今でも忘れられない。あのころのバンチョウは美しかった。テレビで見ても、今も変わらず誠実で美しいと思う」
他人に、美しいと言われたのは初めてで驚いたが、私自身そのようなことを言ったことなどすっかり忘れていた。
当時は学生運動が華やかなころで、マルクスレーニン、サルトルの実存主義など談論風発の時代だった。その大学の新聞会で大真面目に「誠実」なんて言葉をのたまわったのだろうか。
気恥ずかしい思いがする。それにしても未だ、学生時代とそう変わらずに生きてこれたと褒められたようで嬉しかった。
宴はいよいよ弾んで、たけなわになった。
「オイ、青成,おいどんがどんな気持ちかわかるか、わが胸の燃ゆる思いに比べれば、煙は薄し桜島山・・・・・・・・・・・」
と森川君が立ち上がり腕を組んで、尾崎士郎の「人生劇場」の前口上を大声でうなり始めた。
あとは、あらんばかりの声を皆で振り上げて、早稲田大学第二校歌、人生劇場歌いだした。
昔、「コンパ」と称して安い酒、焼酎などで酔いつぶれるまで唄い踊っていたが、ちっとも変わらない。
最後だ。
山根君が立ち上がって、両手を大きく開いて前後左右に振り上げ「フレーフレー早稲田」を始める。
「・・・都の西北早稲田の杜に集まり散じて、人は変われど、仰ぐは同じき理想の光り・・」
肩を組んで左右に揺れながら、静かに皆で唄う。
楽しかった。