「はじめての編集」の著者で編集者の菅信さんと、Groovisionsデザイナーの伊藤さんの対談を聞いてきました。
編集者は減っていく
印象的だったのは、菅付さんが語っていた「編集」の未来についての話。
ストックフォトの大手にインタビューしたところ、「今後はプロの写真家は減っていく」と語っていた。インターネットで無料の写真を手に入れられるようになるから。
編集者も10年後には半分になっていく。その中でどうサバイブするかを考えないといけない。
「編集」というと非常に高度な知的スキルが求められる仕事(ある種の「神職」ですらあると思います)に思えますが、これからは編集が「民主化」され、誰もが編集を行うようになっていくのでしょう(菅付さんも講演・著書の中で「編集は誰でも使える道具」というメッセージを投げかけていました)。
NAVERまとめは編集を民主化する
「編集の民主化」と聞いて真っ先に思い付いたのはNAVERまとめ。まさにここは、普通の個人が、ウェブ上に散乱している無数のコンテンツを編集することを促す場です。NAVERまとめを通して、初めて「編集」を体験した人も多いでしょう。
編集にこだわりがあればあるほど、NAVERまとめのような、一見インスタントに見える編集は邪道のように見えると思います。「編集」という聖域が貶められているような感覚を抱く方もいるはずです。が、NAVERまとめのような「民主化」は不可避の流れだと思います。
例えば、10年前は「写真撮影」はプロが行う神職でしたが、今や誰もが普通に行うことになりました。昨今では「出版」も民主化されつつあります。
テクノロジーは、これまで特権的に行われていた創造性のある仕事を、民主化する力を持っているのです。
これからは「作家性」を高めていかなくてはいけない?
編集がコモディティ化するとなると、「プロの編集者」に求められる要件はいったいどんなものになるのでしょう。
プロの要件の一つは「作家性」になるでしょう。編集者の個性を感じさせるような編集物を作る能力です。
しかしながら、対談の中では「編集者が作家性を持つべきか否か」については、慎重な見解が示されていました。
お話を伺う限り菅付さんは、編集はそれ自体が黒子的な存在であり、結果的に作家性が生まれるならまだしも、意図的に作家性を打ち出すことは違和感がある、という感覚を抱いていらっしゃるようでした(余談ですが「セルフブランディングという言葉は大嫌い」だそうです笑)。
作家性の是非に答えを出すのは難しいですが、コモディティ化が進む中では、ある程度のバランスで作家性を打ち出していくことは、必要不可欠になっていくようにも思います。
苛烈な競争が待っているとしたら、作家性を「打ち出さざるを得ない」時代になっていくということです。
また、今後は情報が今以上に氾濫し、編集にまつわるテクノロジーやメディアも多様化していくでしょうから、
・高い情報感度、圧倒的なインプット量
・新しいテクノロジーへの深い理解
・新しいテクノロジーを試す実験精神と、迅速なアウトプット
なんてあたりが、「プロのウェブメディアの編集者」には求められる資質になっていくのではないでしょうか。僕はここら辺を特に強みにおいていこうと思います。
なお、菅付さんの本は素晴らしい内容ですので、編集という言葉に関心がある方はぜひ手に取ってみてください。売れ行きも好調で、既に4刷とのこと。書評も合わせてぜひ。