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【芸能・社会】ザ・ピーナッツ姉死去 71歳 病気療養中2012年6月28日 紙面から 「恋のバカンス」や「恋のフーガ」などのヒット曲で知られる双子の歌手「ザ・ピーナッツ」の姉、伊藤エミ(いとう・えみ、本名沢田日出代=さわだ・ひでよ)さんが15日、死去した。71歳。愛知県出身。葬儀・告別式は近親者で行った。 関係者によると、病気療養中だったという。 一卵性双生児の妹ユミさんと、小学生のころから合唱団に参加。名古屋市のナイトクラブで歌っていたところをスカウトされ、1959年に「可愛い花」でレコードデビューした。 並外れた歌唱力と双生児ならではの美しいハーモニーを武器に、宮川泰さんの編曲で「情熱の花」や米国のヒット曲のカバーを歌って大ヒット。キングレコードによると、シングル計72タイトル、アルバム計21タイトル、総売り上げ枚数は1750万枚にのぼった。NHK紅白歌合戦には16回連続で出場。 また、クレージーキャッツらと共演した音楽バラエティー番組「シャボン玉ホリデー」では歌に加えてコントなども演じて人気を博した。61年の映画「モスラ」に出演し、劇中歌「モスラの歌」も歌い、ヒットさせた。 海外にも進出し、ドイツ、フランスに続き、66年には、一流タレントが出演する米CBSテレビ「エド・サリバン・ショー」に出演した。 75年に引退。同年、歌手沢田研二と結婚したが、87年離婚した。 ◆姉は主婦、妹はデザイナー 75年4月に引退ザ・ピーナッツは75年4月のNHKホール公演を最後に引退。エミさんは引退会見で「私たちの第1の人生は芸能界でした。これからは第2の人生、普通の生活に戻ります。これで日出代、月子に戻れます」と語った。1つの殻に2粒入っていることから命名されたザ・ピーナッツ。エミさんは主婦、ユミはデザイナーと「1粒ずつ」の第2の人生へと進んだ。 デビュー12年目のインタビューでエミさんは「デビューはとてもラッキーだったでしょう。そのまま4年ぐらいいっちゃった。それから2年ほど、ヒットも出ないし、かなり深刻に考えた時期がある」と芸能活動を振り返っている。 ▽同じ所属事務所だった歌手園まり(68)の話 私は日劇でのザ・ピーナッツさんのショーでデビューしました。私のヒット曲の「逢いたくて逢いたくて」は、ザ・ピーナッツさんの「手編みの靴下」をアレンジしてヒットした作品だったんです。当時は、お姉さんのエミさんに顔が似てるって言われたこともあって、うれしかった。お2人からはドレスをもらったり、芸能界のマナーやファッションなどについてもアドバイスしていただきました。あこがれの存在で、結婚されたり、引退された時はショックでした。このたびは亡くなられたと聞き、本当にショックです。ご冥福をお祈します。 ▽所属事務所の後輩だった歌手小柳ルミ子(59)の話 亡くなられたとお聞きし、本当にショックを受けています。私がまだ新人のころ、ドレスを下さったり、本当にかわいがっていただきました。ザ・ピーナッツの引退コンサートを聴きに行った私に、お2人が「私たちの分まで頑張ってね」と言った言葉が忘れられません。 ▽ミッキー・カーチス(73)の話 名古屋のクラブで歌がうまくて評判の子たちで、(渡辺)美佐さん(現渡辺プロダクション名誉会長)に一緒に見に行ってくれって言われて見つけた子たちなんだよ。双子だからか何を聞いてもユニゾンで返事するくらい仲良かったねぇ。またあの歌声を聴きたかったねぇ。寂しいよ。 PR情報
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