2012年06月28日

多磨全生園内に開設される保育所報道にだまされてはいけない

<多磨全生園>ハンセン病療養所に保育所…来月1日に開所
 国立ハンセン病療養所「多磨全生園」(東京都東村山市)の施設内に来月1日、認可保育所「花さき保育園」が開所する。熊本県合志市の「菊池恵楓(けいふう)園」でも保育所は運営されているが、国の設置基準をクリアした認可保育所は初めて。かつて子孫を残せないよう断種や堕胎を患者に強要した療養所に、子供たちの元気な声が響く日が来る。
http://mainichi.jp/select/news/20120627k0000e040177000c.html


2011年2月25日 東京都知事選挙出馬記者会見当日の配布資料から抜粋
◇「人権の塔」構想の推進
東京都が主体となって推し進める。合わせて多磨全生園入所者がふるさとの地を「望郷」するために築いた望郷の丘(ぐるぐる山)の意味を永遠に後世に伝えるために、周辺の八国を見渡せる高さ「八国山ほど」の望郷の塔を全生園敷地内に構築し、人権侵害の地全生園を「世界人権遺産」として位置付けていく。
現全生園入所者や全国のハンセン病回復者の方々の意思を尊重し、子供たちが集う「にぎやかなエリア」として発展させていきたい。併設して、いじめや差別をなくすための啓蒙的役割も担っていく施設もつくっていきたい。
<終了>

筆者は、多磨全生園の現在の自治会長である佐川修氏から「物凄い話」を聞くことになりました。その話を要約すると以下の通りです。

◇佐川少年は、67年前の昭和20年3月10日の東京大空襲でやけどを負ったが助かった。
◇佐川少年は山積みされた死体を焼く作業を手伝った。
◇やけどを治療するため、医者に行ったところ、ハンセン病と診察され、草津の栗生楽泉園に入所した。
◇栗生楽泉園の監禁施設でも、死者(凍死者、病死者)の死体を焼くことになったが、佐川少年には「見慣れた光景」であったため、なんとも感じなかった。
◇その後、他の入所者同様に隔離され続け、1996年の「らい予防法」の廃止後も多磨全生園に住み続け、今日に至っている。

多磨全生園入居者自治会が発行している「正しく学ぼう!!ハンセン病Q&A」を読むと、厚生労働省が「私たちは悪くなかった。元患者が死に絶えれば、何もなかったことにできる」という空恐ろしい計画が読み取れます。

以下は、その内容の一部であす。

Q 何が間違っていたの?
A 国が行った強制隔離政策です。

放浪するらい患者(浮浪患者)の存在が、欧米人の目に触れることを国辱(国の恥)と考え、1907(明治40年)、法律「癩予防二関スル件」の制定によってその一掃を図りました。この法律の下では、実際に強制隔離されたのは患者全体の一割にも満たない浮浪患者だけでした。1931(昭和6)年制定の「癩予防法」では、「民族浄化無癩日本」を旗印に、すべての患者を根こそぎ、療養所に収容し、強制隔離して新たな患者を「終生隔離(一生、療養所に隔離すること)、患者撲滅政策(社会から患者をなくすこと)を展開していきました。各県の衛生担当者と警察は患者を探し出し、療養所に送り込みました(無らい県運動)。こうしてハンセン病患者は、危険人物というレッテルを貼られ、家族を含めて地域からはひどい差別にあいました。
1953(昭和28)年には、既にハンセン病の治療法も確立しつつあったことを国側は知りながら、強制隔離政策を永続・固定化する「らい予防法」を、患者の猛反対を押し切って制定しました。これらの法律には、退所(療養所を出る)の規定がないこともあり、病気が治ったとしても、社会(故郷)に戻れる人は、ほとんどいませんでした。
これにより、多くの患者は色々な人権侵害を受けてきました。
療養所長には懲戒検束権(大正5年に定められ、療養所長に、7日以内常養食、《いつも食べている食事の量》を2分の1まで減食、30日以内の監禁《閉じ込める》などの懲戒又は検束の権限が与えられていました)が与えられ、患者はそれにより、反抗的な態度をとる等、まったく些細なことで監房(悪いことをした人を入れる部屋)に入れられるなど、24時間体制で監視され、その中で労働などの作業を強制されました。中にはそれによって亡くなった人もいました。
逃亡防止(逃げないようにする)のための特別病棟(重監房)の設置や園内通用券(療養所では、入所者が逃亡を防止するため、お金の代わりにその療養所の中でしか使うことの出来ない金券)の発行も行われていました。特別病室(重監房)とは、国立ハンセン病療養所栗生楽泉園(群馬県)設置されたハンセン病患者のための監禁施設です。1938(昭和13)年から1947年の9年間にわたって運用されてきました。
特別病室には全国から患者が送られ、冬はマイナス16〜17度という環境の下、電灯も暖房もない暗い部屋で、一日梅干し一個と飯、布団2枚という状況で、医師による医療行為も行われなかったため、多数の人たちが亡くなって行きました。「特別病室収容簿抜き書き」によると、その9年間の内に、全国から93名のハンセン病患者が収監され、このうち、監房内で死亡した者(獄死者)が14名、監禁中に衰弱して出所後に死亡した者(出所後死亡者)が8名に達しました。また、監禁日数は長期に及び、全収監者の平均で131日。500日以上という例もありました。
このように施設の性格は「病室」ではなく「監禁・懲罰」目的に作られた施設であることは明確でした。
また、園内で結婚する場合は、療養所内において断種(子どもができなくなる手術)や、堕胎(お腹の子どもを殺してしまうこと)を行うことが条件とされました。(断種手術は1992年(平成4年)迄行われていました)
ハンセン病の原因である“らい菌”の感染力は弱く、かつ、仮に感染しても発病することは極めてまれな病気です。
しかし、ハンセン病は、恐ろしい伝染病であるという誤解から、ハンセン病にかかった人々は、このように長い間、人権を侵害されてきたのです。
<終了>

筆者は、佐川さんや、全療協で働く知人に対して尋ねました。「1983年に開業した東京ディズニーランドを訪問する計画や、ミッキー、ミニーたちの慰問は一度もなかったのですか」と。

答えは「一度も考えませんでした」

東京ディズニーランドは、オープン以来一貫して「障害をお持ちのゲストも健常者も、まったく同じゲストであり、料金割引などの差別対応をすることはない」というポリシーを維持し続けてきました。最初の数年は「なぜ、割引をしない」と主張するグループと、「どんな障がい者にも、暖かく接する東京ディズニーランドが好き」というグループに分かれましたが、次第に「東京ディズニーランドは、別世界」という評判により、日本中で現在でも行われている「障がい者への差別」は東京ディズニーランドでは通用しない、という風潮になっていったのです。

筆者は、多磨全生園のある東村山市に1986年から住んでいました。ハンセン病問題の深刻さを知ったのは、筆者が同様に、人権侵害を被った後の2009年秋のことです。筆者は、自身の無知と無関心さを痛く恥じました。

もし、1986年にハンセン病の問題に気付いていれば、筆者は間違いなく多磨全生園を訪れ、東京ディズニーランドへの来園を促したでしょう。実情を知った東京ディズニーランドは、つまり筆者たちパーク運営の責任者たちは、出来ることを惜しみなくして差し上げたことでしょう。

東京ディズニーランドには、「難病の子の夢を叶える」などと宣伝しながら、売名慈善団体が特別対応を求めて連絡してきますが、特別対応はおこないません。しかしながら、ハンセン病患者の集団という「世間から白い目でみられている」特別な団体に関しては、「これがディズニーだ」というほどに親切に対応します。

悔しくてなりません。当時の厚生省の謀略、人目にさらさない政策を逆手にとり、「東京ディズニーランドはハンセン病患者を喜んで受け入れている」というメッセージを日本中に発信できていれば、東京ディズニーランド開業とともに、ハンセン病患者差別問題はなくなっていたはずです。

知りませんでした。知っていれば世界中のディズニーの仲間たちとともに、ハンセン病差別問題と戦いました。そして、勝利を得ることができたものと確信します。
そうすれば、1992年まで続いた断種手術など、まさに「アウシュビッツ」以上の虐待は行われなくなっていたはずです。

確か2003年頃でした。熊本県の黒髪温泉を訪れた元ハンセン病患者一行が、宿泊を断られた事件がありました。結局、ホテルは閉館することになりましたが、テレビで元患者たちが激しく抗議する姿をみた市民から、「ハンセン病患者は何様だと思っている。国からカネをもらっていきているのだから大きな顔をするな、宿泊拒否は当然だ」というような誹謗中傷の手紙が、元ハンセン病患者のもとに多数届きました。その手紙集は、多磨全生園の国立ハンセン病資料館内の図書室に、隠すように置かれていますが、恐らくそれを目にする人は、一年に数十人だと勘案されます。

その国立ハンセン病資料館は、1996年に菅直人厚生大臣が訪問した時の資料館ではなくなり、まさに「日本にはハンセン病に関する失政は存在しなかった」という展示内容に変わってしまっています。詳しくは、ハンセン病市民学会の年報の特集記事「リニューアル資料館を考える(シンポジウム記録)」に厚生労働省の「悪だくみ」が書かれています。

<引用開始>
国のお金をつかって国の過ちを認めて資料館をつくることは、日本の国においては画期的な出来事あって、ハンセン病だからというよりは、この国が過去の反省をするということに、私は注目していました。どんな資料館になるか楽しみにしていました。去年、新館に足を運んでみて、驚きました。何を言いたいのか分からない
資料館になってしまって、悪夢を見ているような腹立たしい気持ちになりました。何がいけないのか。なんでこんな気持ちにならなければいけないのか。私なりに整理してみました。
まず最初に「古くから差別されてきたハンセン病とはこんな病気です」とものすごく大きな字で、最初のパネルにでてきます。これは番組でいうと、タイトルみたいなもので、人に印象を与えるパネルです。
<終了>藪本雅子 元日本テレビアナウンサー談

さすがに「伝える側の技術」である記号論を習得しているパネラーらしく、かなり良い所に着眼しています。
筆者は何十回もこの資料館を訪れています。そして、類推して「誰が何の目的でリニューアルしたのか」という命題の結論を得ました。

結論は、
「私たち厚生労働省は、世界に類を見ないほどの人間虐待行為をつい最近まで行ってきました。どうか、私たちの犯した犯罪を罰して下さい。私たちは過去を悔い改め、薬害エイズ事件後に生まれ変わった厚生労働省として、新しい厚生労働行政を行っていくことを約束し、実行に移します。」

これをひっくり返しに読むと、「誰が何のためにリニューアルしたのか」が分かります。

「私たち厚生労働省は、世界に類を見ないほどの人間虐待行為をつい最近まで行ってきませんでした。どうか、私たちの犯していない犯罪を罰しないで下さい。私たちは過去を悔い改めません。薬害エイズ事件後に生まれ変わらなかった厚生労働省として、明治以来の連続性を維持する厚生労働行政を行っていくことを約束し、実行に移します。」

「厚生労働省は当事者ではない、第三者であり間違ったことをしない」という「神話」つまり作り話を推理しながら、館内の展示物を見て回ると楽しくて仕方ありません。なぜなら、元ハンセン病患者の方々のために、厚生労働省をやっつけることができる、と思えてくるからです。

展示物はすべて「記号」です。記号とは、脳の情報処理を強制コントロールする「アイコン」のようなものです。見える形になったコンピュータ上で単純化された「アイコン」には、それをクリック、つまり選択して受け入れると、必ず同じに作動する仕掛けがかくされています。「アイコン」がなかった、ビフォア・ウインドウズ時代には、コンピュータにいちいち「呪文」を打ち込まなくてはなりませんでした。(複雑でしたが、他者にはできないという達成感があって面白い時代でした)

このように、「記号」には、隠された「呪文」という、命令が自動的に含まれます。藪本氏が指摘した「人に印象をあたえるパネル」というのは、パネルという「記号」を受け取ったものは、「記号」を発信した人間、つまりパネルを作った人間の言いなりになりなさい、と脳に対して命令してくるのです。
日本人は、「厚生労働省がつくったパネルだから」「有名人の発言だから」と、目や耳から受け取る「記号」を、何も疑うこともなく、そのまま丸飲みするようにつくり上げられています。まさに「神話」の世界に生きているのです。

ハンセン病資料館は、厚生労働省に都合がいい「記号」で溢れかえり、都合が悪い「展示物」は、「すべて削除」と言っても過言ではありません。

特にひどいのは、「外国人キリスト教徒の貢献隠し」ですが、長くなりますので後日に記します。

佐川さんや入居者の方々には、子どもたちの元気な声が聞こえるという錯覚を与える報道ぶりにはあきれます。多磨全生園内を歩いても、人の姿は見かけられません。来月開園する保育園も南東の角地にあり、自動車による騒音が一番ひどい所です。

そもそもです。多磨全生園内にはもともと保育園がありました。入口を入り、すぐ右に曲がってすぐのところです。認証保育園ではありませんが、もちろん入居者との交流もありません。

この度できた保育所は東村山市の社会福祉法人が経営しているそうですが、長い目で見ていかないと「厚生労働省」の思い通りになり、入居者との交流などすぐに打ち切られる可能性もあります。まさに「シメシメ」の世界です。

ハンセン病の問題に関しても「クリスチャンの私でなくてはできないこと」があります。決して追求の手を緩めません。
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2012年06月27日

読売新聞の読者だましのテクニック

読売新聞2009年5月19日 記事31面 
「最後のパレード」出版社が謝罪広告
著作権 大半が不明確

ベストセラー「最後のパレード 東京ディズニーランドで本当にあった心温まる話」の盗用疑惑で、発行元の出版社「サンクチュアリ・パブリッシング」(東京都新宿区)は社団法人「『小さな親切』運動本部」の発行物の著作権を侵害している可能性が高いとして、同本部などに謝罪する広告を16日の全国紙に出した。しかし同書に収録された33のエピソードのうち、著作権上、問題がある話がいくつあるかは不明で、著者の中村 克氏からも説明や謝罪はない。「感動」を売り物にした本を巡り、なぜ今回のような事態が起きたのか。

今年3月発売以来、2か月足らずで約23万部を売り上げた「最後のパレード」について、同社は15日、エピソードの一つが、同本部の発行物に掲載された「あひるさん、ありがとう」の著作権を侵害している可能性が高いとして、同本部との間で、自主回収の実施と謝罪広告を出すことで合意。読売新聞と毎日新聞の16日朝刊に掲載された。ただ、書店などに卸した未販売の16万部の回収には6月までかかり、購入者からの返金要求も相次いでいるという

同社によると、東京ディズニーランドを運営する「オリエンタルランド(OLC)」での勤務経験をもとに講演活動などをしていた中村氏に対し、同社側が出版を依頼。その後、出版の1年ほど前に、中村氏が「ディズニーランドであった話」として、プリントアウトした200以上のエピソードを持ち込み、同社編集者がネット上から集めたディズニーランドに関するエピソードも合わせ、中村氏が33の話を選んだという。同社はこの時、「(33の話は)自分が見聞きしたことだから著作権上の問題は大丈夫」と話した、と説明している。

社内調査では、このうち「あひるさん、ありがとう」以外に、6話がOLCの社内教育文書と酷似していたとしている。しかし残りは原典が不明としており、著作権の帰属先はあいまいなままだ。
「著者の原稿を客観的な目で確かめるという編集者の認識が不足しており、著作権者への配慮も欠けていた」。同社の鶴巻謙介社長はそう弁明した。今後も社内調査を続けるとしているが、担当した編集者の責任や出版の経緯を第三者が検証することには消極的だ。

さらに、「あひるさん、ありがとう」は別な遊園地での出来事をもとにしており、「ディズニーランドで本当にあった」とした同書の副題にも問題がある。
一方、OLCは4月上旬、著作権侵害を指摘する配達証明を中村市に送っているが、現時点でも回答がないという。「小さな親切」運動本部も「中村氏に謝罪を求める気持ちに変わりない」とする。中村氏は読売新聞の取材にも応じていない。
著作権に詳しい小泉直樹・慶応大法科大学院教授(知的財産法)は出版社には刊行にあたって、著作権を侵していないか調べる義務がある。しかし今回はそれを怠ったまま出版し、ベストセラーになってしまった。多額の利益をあげた出版社として、問題がどこにあったか調査を尽くし、説明する責任があるはずだ」と話している。


オリエンタルランドからの手紙 読売讒言(ざんげん 他人を陥れようとして、事実をまげ、いつわって悪しきさまに告げ口をすること)報道前の4月11日の受け取り

オリエンタルランドからの手紙.JPG


最後の部分
 つきましては今後、ディズニー社の財産を使用しての営業行為または広告宣伝、ならびに貴殿が在職中に知り得た秘密情報を使用しての出版活動、営業活動につきましては、厳に謹んで頂きたく、誠実な対応がいただけない場合には、法的措置を講じることも検討させて頂く所存です。

OLCとしては、当たり前のことであり、私が兼ねてから主張していた「イエローカード」です。一発退場の「レッドカード」にすると、ディズニー出身者は誰も講演活動や出版活動などできなくなります。

返事を求められていないのに、読売新聞は、

一方、OLCは4月上旬、著作権侵害を指摘する配達証明を中村氏に送っているが、現時点でも回答がないという。「小さな親切」運動本部も「中村氏に謝罪を求める気持ちに変わりない」とする。中村氏は読売新聞の取材にも応じていない。と書く。

もちろん、読売新聞社からの取材依頼などなかった。

だまされ、購読料を支払っている読売新聞の読者が哀れでならないのである。

posted by M.NAKAMURA at 17:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

書店をだましたサンクチュアリ出版

弁護士の紀藤正樹先生から聞いた話です。サンクチュアリ出版の鶴巻社長は、「最後のパレード」の著者の私に対し「著作権問題のすべての責任は中村が取れ」という、一方的な通知書を送付してきた2009年の6月中旬以前に、全国書店を「行脚」し、書店に対し、「サンクチュアリ出版は何も悪いことはしていません。著者がすべての責任を取るといっています」というような責任逃れをして回ったそうです。

たぶん、弁護士法などどうでもいいと考えている悪徳弁護士からの入れ知恵なのでしょう。

弁護士法
第1章 弁護士の使命及び職務
(弁護士の使命)
第1条 弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする。
2 弁護士は、前項の使命に基き、誠実にその職務を行い、社会秩序の維持及び法律制度の改善に努力しなければならない。

サンクチュアリ出版の弁護士
長島・大野・常松法律事務所
弁護士 小林利明
http://www.noandt.com/

紀藤正樹弁護士はさすがです。7月のことだったと記憶していますが、鶴巻社長との交渉の中で「サンクチュアリ出版にも事件の責任はある」という言質(「ち」は人質や抵当の意》のちの証拠となる言葉。ことばじち。「交渉相手の―を取る」「不用意に―を与える」 大辞泉)をしっかりとってくださっています。

つまり、サンクチュアリ出版は全国の書店をだましていたのです。偽計業務妨害罪(虚偽の風説を流布し、または偽計を用いて人の業務を妨害する罪)で逮捕されるべきものと考えます。

紀藤先生には、用意ができたら訴訟に踏み切ることも伝えてあります。残された問題は、訴訟費用だけです。負けることはないでしょう。

以下に、紀藤先生にも見ていただいた「最後のパレード」事件に関する公式見解を提示させていただきます。


公式見解

「最後のパレード」事件に関する公式見解(お知らせ)

2009年10月1日

2009年4月20日以降の「最後のパレード」に関する報道後、書籍の回収という結果に至り、読者の皆様および関係者の皆様に多大なご迷惑をおかけしまいたことを心よりお詫び申し上げます。

「最後のパレード」の著者である私は、株式会社サンクチュアリ・パブリッシングの編集者と共に、書籍「最後のパレード」の出版に携わってきました。結果的に現行法の著作権法をクリアしていない「欠陥商品」を世に送り出してしまいましたことを重ねて謝罪いたします。誠に申し訳ありませんでした。

「欠陥商品」であることに気付かずに出版に至ってしまった最大の原因は、著者である私も、商業出版社である株式会社サンクチュアリ・パブリッシングの編集者も、現行法の著作権法を熟知していなかったことと私は認識しています。

読売新聞により「盗作の疑い」と報道されましたが、著者も出版社の編集者も、読売新聞に掲載されたオリジナルの著作物の存在を知っており、罪となる事実を認識した上で「盗んだ」ことはありません。すべてのエピソード(体験談)は書籍に明記したように、「東京ディズニーランド関連資料、東京ディズニーランド元関係者の方々の談話、東京ディズニーランドのファンサイトの情報などを基に再現したもの」です。

しかしながら、たとえファンサイトに掲載されているエピソードを基に再現したものであっても、現行法では「海賊版の制作」であることには変わりありません。

著者である私は、ディズニーランドにおける体験談のファンサイト等への善意での公開は、「語り継がれるべき戦争体験談」「読み聞かせるべき被爆体験談」の公開と同じように、時間、空間を超えて人々が共有するべき「貴重な情報」「著作権の生じないデータ(記録)」の公開と同じであり、公開者に権利が生じない「公共的情報」ととらえていました。

私が勤務していた頃のディズニーランドも、ゲスト体験談の公開には積極的であり、株式会社オリエンタルランドの元役員も、講演等において「最後のパレード」に掲載された「天国のお子様ランチ」のエピソードをたびたび紹介していたことも事実です。元役員や多くの仲間たちと共にディズニーランドを創生してきた私には、「公共的情報」を公開する権利と義務があるものと信じて疑わなかったことも失敗の原因です。

もう一つの失敗です。私の著作権に関する認識の甘さがありました。私は性善説的に、著作権の侵害(権利を侵して、損害を与える[大辞泉])を親告されても、事後に誠意を持って対応することにより問題は解決されると考えていました。この認識は株式会社サンクチュアリ・パブリッシングの鶴巻謙介社長も共有しており、鶴巻氏は、4月22日の産経新聞掲載のインタビュー記事で同認識であると話されています。

このように、著作権に関する間違った認識が「欠陥商品」を生みだし、回収に発展するという結果に至らしめました。

著者である私は、報道から約2ヶ月後の6月中旬に、株式会社サンクチュアリ・パブリッシングより、「著者が欠陥部分を7日以内に修復しないと出版契約を解除する」という内容の催促状を受け取りました。

この間、「最後のパレード」の回収決定も、関係者への謝罪広告の掲載も著者である私との協議を経ずに行われており、株式会社サンクチュアリ・パブリッシングの著者である私への対応に不可解感を抱いていたのは事実ですが、この一方的な催促状には正直、義憤の念を禁じ得ませんでした。

数日後に、弁護士と面談し「何が起こっているのか」がはじめて理解できました。

この書籍「最後のパレード」の「発案」「企画」「設計」は、出版社主導で執り行われましたが、初期段階から現行法の著作権法のクリアができないという「欠陥」を抱えていたのです。大手出版社であれば稟議書が通らなかった可能性が高い商業出版に加担してしまったと私は反省しています。

それでも著者である私は、「最後のパレード」の読者のこの本に対する気持ちを思い測ると、公衆の面前で株式会社サンクチュアリ・パブリッシングとの「敵対した泥沼の争い」を繰り広げることだけは避けようと考え、「最後のパレード」の改訂版の出版も視野に入れ、友愛精神を基に、弁護士に円満解決に向けての対応を依頼しました。

私が、書籍の回収後に残された問題の解決を一任した弁護士は高名な先生です。先生は私に「良い仕事をすることにより名誉を回復しなさい」と仰ってくださいました。私は先生のこの言葉を重く受け止め、今後、地球温暖化防止などの分野で良い仕事をし、社会に貢献していくと共に、失墜した名誉を回復していきたいと考えております。

しかしながら、今日まで株式会社サンクチュアリ・パブリッシング側は、当方に誠意を持った対応をしてきませんでした。当初はユニセフへの寄付金の返還要求にも応じていただけませんでした。

こうしている間に大きな事件が発生しました。有名女優の麻薬問題です。この事件は、一見「最後のパレード」事件とは関連性がないようですが、当事者の私には事件報道の背景にあるものは同じであると確信できます。

別荘への放火が事実であるならば、思想的にはテロ行為と同じです。一昨日(9月29日)には、福岡で15歳の少年二人が、小学3年の男児を海に突き落としたとして殺人未遂と傷害の容疑で逮捕されました。容疑者は「懲らしめてやろうと思った」と動機を語っています。

ここで、皆様に公表しておかなくてはならないことを記します。私はキリスト教徒として新生致しました。イエス・キリストを救いの主として受け入れ、新しい人生において、新しい考え方、新しい人生観、新しい人生の目的を見いだしました。キリストの道こそ最善の道であり、イエス・キリストと共に歩む神への道を前向きに、そして力強く進んでいくことを決意し、9月6日にバプテスマ(洗礼)を受けました。

今後は、「最後のパレード」事件に関する事柄だけでなく、すべてのことに対し、全世界のクリスチャンが共有する教義と価値観に則して発言していくことを誓いたいと思います。

少年が選択した「懲らしめる」行為とは、人をジャッジし(裁き)制裁を加えるということです。聖書は、「裁いてはなりません。裁かれないためです。(マタイの福音書 7章1節)」と教えています。人は人を裁いたとおりに裁かれるのです。
陪審員制度における「推定無罪」の考え方も、このキリストの教えから来ています。

世界中のクリスチャンは、読売新聞の「メディア・リンチ」や、日本で日常的に繰り返されている犯罪容疑者への「懲らしめる」行為やテロと同様な私的制裁行為は、「反キリスト教的な邪悪で野蛮な行為」として忌み嫌っているに違いありません。

読売新聞は5月19日の「最後のパレード」盗作疑惑報道の続報で「中村氏が33の話を選んだ」と報道していますが、事実に反します。

問題となった「白い大きな手」のエピソードを含む40余のエピソードを選び、編集のテーブルに上げたのはサンクチュアリ出版の編集者です。出版社が嘘をついているのか、それとも新聞社が嘘を書いているかのどちらかなのです。エピソードを選択したのは私ではありません。私は聖書に手を置いてこのように証言させていただきます。

この「白い大きな手」の体験談掲載により著作権が侵害されたと表明した、社団法人「小さな親切」運動本部は、著者の私に対し、再三謝罪を要求しています。この件について説明したいと思います。

先に記した「戦争体験談」を例に取ります。
1、社団法人「小さな親切」運動本部は、戦時中の「親切を受け心温まった体験談」を募集した。
2、賞を取った「戦争体験談(オリジナル)」を読売新聞が掲載した。
3、読売新聞に掲載された体験談を読んだ誰かが(著作権を侵害し)複製し、サイト上に公開した。
4、さらに誰かが、複製された体験談を基に、オリジナル体験談に酷似した第二の体験談に再複製しサイト上に公開した。(エピソードとしてブラッシュアップさせた)
5、「心温まる体験談」を集めていたサンクチュアリ出版の編集者が、公開された第二の複製体験談を見つけ「心温まる体験談集」の掲載候補として編集のテーブルに上げた。

この経過が事実です。株式会社サンクチュアリ・パブリッシングは社団法人「小さな親切」運動本部に対し、この件で謝罪しています。しかしながら私は、書籍全体の著者である私と、社団法人「小さな親切」運動本部が著作権を主張する個別の体験談との間に接点はなく、著者が社団法人「小さな親切」運動本部に謝罪したくても謝罪する理由が見つからずに困惑しているというのが偽らざる気持ちです。

マハトマ・ガンディーは「真実と愛は必ず勝利する」という言葉を残しています。この言葉を信じる私には、読売新聞とも接点がなく、読売新聞による「最後のパレード」の盗作疑惑報道後も、心に一点の曇りもありませんでした。社団法人「小さな親切」運動本部関係者には、神を汚す読売新聞ではなく、神に従う私を信じていただきたい、そう願ってやみません。

「最後のパレード」読者の皆様や関係者の皆様にお伝えしたいこと、お伝えしなくてはならないことを、この場にまだまだ記したいとは思いますが、とてもここには記しきれませんので、別な著作物をもって説明責任を果たしていきたいと思います。

「最後のパレード」の著者である私は、この事件をさらに省察し、過ちを二度と繰り返さないよう、より一層の注意をもって著作業務に邁進していく所存です。この度の過ちをお許しいただき、今後も宜しくご指導いただきますよう伏してお願い申し上げます。 

最後にお願いがございます。弁護士の先生には、著者と出版社である株式会社サンクチュアリ・パブリッシング間の調整業務をお願いしております。マスコミによるメディア・リンチの問題や、著作権法の解釈など、「最後のパレード」事件全体に関わる諸問題ついては関与されておりませんので、先生にご迷惑がかかる行為は厳に謹んで頂きますようお願いいたします。

「最後のパレード」著者
中村 克

当公式声明のポイント
右矢印1 著者として欠陥商品である書籍を出版し、読者や関係者の皆様にご迷惑をかけたたことを心より謝罪致します。
右矢印1 私は神に誓って「盗作者」ではないことを表明いたします。
右矢印1 今後、良い仕事をすることにより名誉を回復していく所存です。
右矢印1 今後も「最後のパレード」の改訂版出版に向けて、株式会社サンクチュアリ・パブリッシング側とは「敵意」ではなく「友愛精神」を持って残された問題の解決に当たっていきたいと考えます。

posted by M.NAKAMURA at 15:51| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

原発事故で自殺した事件の弁護士に送った手紙


原発事故の避難生活でうつ病になり焼身自殺、遺族が東電を提訴
<引用開始>
福島県川俣町の渡辺幹夫さん(62)の自宅は、東京電力福島第一原発事故による計画的避難区域の中にある。39年間連れ添った妻のはま子(当時58歳)さんは、一時帰宅中だった昨年7月、ここで焼身自殺した。

はま子さんはガソリンをかぶり、自ら火を放った。避難生活のストレスでうつ病を発症していたという。「原発事故がなかったら、こんなひどい目に遭わずにすんだ」と幹夫さんは言う。「これは東電の責任だ」
<引用終了>
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120621-00000014-cnn-int

○○市の中村○といいます。渡辺さん同様にPTSDに伴う、うつの症状で苦しんでいます。

はま子さんのケースは、私が経験したPTSDの症状によく似ています。それは、PTSDの原因をつくった場所に戻ったことによるフラッシュバック症状です。阪神淡路大震災後に長田地区の人は、精神的ショックを受けたその地に戻ることがなかなかできなかったという事実を何かの本か、新聞記事で読んだことがあります。

私の体験は以下の通りです。

昨年の7月20日に多摩済生病院の精神科で「傷病」と診察され、東村山市の勧めで東村山ソーシャルホーム(生活困窮者向け宿泊所)に入りました。

ホームページでの施設の紹介
アルコール、ギャンブル、薬物に関連する依存症でお悩みのご本人、ご家族の方がたの相談を無料で受け付けております。
「仲間と共に歩む会」は、日本で初めてアルコール依存症者のための共同作業所「仲間の家」を東村山市に開設し、 以来アルコール依存症で苦しい思いをする本人・ご家族と、活動を通じて助け合っていこうと活動を続けています。
<引用終了>
NPO法人 仲間と共に歩む会
http://www10.ocn.ne.jp/~ayumukai/

5人部屋ですが、ただの貧困者や、アルコール+精神障害の人たちと、私のような精神障害者だけの人間が混在しているにもかかわらず、「部屋長」という見張り役が、全ての人がアルコールで問題を抱えているかのごとく、利用者の生活態度をチェックしています。

私は、「ゴミ箱が5センチ動いている」「トースターにパンくずが残っている」「コーヒークリームがこぼれている」などの「説教」を受けました。特にショックを受けたのは、毎日の食事です。ホームといっても3Kのマンションが十数部屋あるだけのもので、事務室がある一階の部屋で順番に食事をとるのですが、座布団もない畳の上に座らされ、ほんの数分で冷たい弁当を食べさせられるのです。私が、夕刊を見ようとすると「食事の後にしろ」とせかします。まるで家畜を扱っているかのような施設側の対応でした。

私を診察した精神科医は、私の「福島で仕事がしたい」という発言に「やめなさい、疲労によりうつがひどくなります。専門的な仕事をしながら2年位かけて治しなさい」というアドバイスをしてくださいました。

ソーシャルホームでの生活は苦痛でしたが、2週間に1度(制限はないのですが)の外泊が私の何よりの「息抜き」でした。私は、○○市に母が所有する畑に私が建てた小屋に外泊しました。そのときのことです。キャンプにきたような、あまりの解放感からか少量のアルコールで「バッドトリップ」してしまい、強い自殺願望に見舞われ、自分が怖くなり救急車を呼びました。生まれて初めて失禁も経験しました。

救急車の隊員と話して落ち着きました。その夜、自転車で東村山に戻ることにしました。ここからが核心です。東村山に近づくにつれ鼓動が激しくなり、ホームまで数百メートルのところで苦しくなり、東村山警察署から救急車を呼んでもらいました。酸素吸入が行われ、市内の久米川病院に着く頃には隊員の方から「顔色がよくなってきましたね」と言われるほどに落ち着いてきたため、病院からは精神安定剤を処方してもらうだけで済みました。

ドクターが言った通りになりました。精神的疲労は知らず知らずのうちに私を重病にしていたのです。私はクリスチャンですが、ドクターは「これまでフラッシュバックがでなかったのは信仰のため」と明言されていました。

はま子さんも、おそらく同じだったのでしょう。家に帰ったことでフラッシュバックが起こり、苦しくなり、その苦しさから逃れるために衝動的に自殺を選んでしまったのだと推察します。

自分と同じようなトラブルを経験したことがない人から助言を受けてはならない。Never take the advice of someone who has not had your kind of trouble.  Sidney J. Harris  

PTSDの苦しみは、まさに筆舌に尽くし難い苦しみです。はま子さんが自殺に至った原因をつくったとされる「東京電力単独悪者説」に関しては、私は違った見方をしていますが、はま子さんのケースはまさにアフターケアができていない東京電力の経営姿勢が問題であり、当然損害賠償の対象になると考えます。

はま子さんの死を無駄にしてはなりません。なぜならば、避難している人が戻ったときに、はま子さん同様のフラッシュバックに襲われる人が出てしまうかもしれないからです。今、精神を病んでいる人に警鐘を鳴らしておかなくてはならないからです。

この証言を私は聖書に手を置いて行う用意がありますので、必要でしたらお申し出ください。





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日本人が元気になる本「モラトリアム国家日本の危機」

1998年に精神科医の権威であった小此木啓吾元慶応大学教授が書かれた本です。

私は以前に以下のようにブログに記しました。

日本語がつくる脳
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/jogbd_h14/jog240.html

この記事には湯川秀樹博士の卓見が紹介されています。

つまり日本人はいままでなんとなく情緒的であるというていた。(西欧人が)論理的であるのに対して、より情緒的であるといっていたのが、構造的、機能的、あるいは文化といってもいいけれども、そういうところに対応する違いがあったということが、角田さんのご研究ではっきりしたわけです。

 そうするとそこで私が考えますことは、その違うということを生かすという方向です。違うということは上とか下とかいうことではなくて、その違いということを生かす。
(中略)違うがゆえに独創的なものが生まれるのである。 西洋に比べてあかん、劣っているという考え方が根深くあったけれども、そういう受け取り方をしたら劣等感を深める一方です。
<終了>
日本人脳と湯川秀樹博士の卓見
http://dream333.seesaa.net/article/277163183.html

引用ばかりと叱られそうですが、現在「青い顔」をしている日本人を元気にさせることが目的ですのでお許しください。

<引用開始>
戦後50年たった現代でも英国の代表的な国立の精神分析研究所でドイツ人の留学生は半年もたないという。戦時中のロンドン空襲の恨みつらみを毎日のように聞かされて、いたたまれなくなるのだ。
英国の最も親日家と言われる長老の精神分析家と宮城のお堀端を歩いていた。「あの第一生命の建物がマッカッサーの司令部だった」と言うと、日頃温厚な彼にこう言われた。
「かねてから聞きたいと思っていたことがある。どうして君たちはあんなに米国の人たちと仲良くできるのかね。私なんかいまだにドイツ人の顔を見るのもいやだよ。君たちは不思議な人たちだなあ」

現代史家トーランドの示唆するもの
ここで、私たちは、英国人のこの執念深さに少しあやかってもう一度、現代史について、日本国民らしい自分本位の物の見方を回復する必要があるのではなかろうか。
こう主張する際に言及したいのは、米国の現代史家ジョン・トーランドの仕事である。
私の義兄ジョン・トーランドは、ピュリッツァー賞を受賞した現代史家であるが、もっぱら世間で悪玉視されている人物の伝記を詳細に調査し、できるかぎり客観的、中立的な立場で明らかにすることを、自分の使命と心得ている。
彼には、次のような信念がある。
「人間には100%の悪玉も100%の善玉もいない。にもかかわらず、人々はその人物が何か一つ犯罪を犯したり、悪事を行ったり、過ちを犯したりすると、その人物すべてが悪玉であったかのようなイメージを抱く。しかし、これは科学的な事実の認識に反することである。たとえ90%、その人物に犯罪的な事実があっても、もしかしたら10%はよいことをしているかもしれない。100%悪玉視することによって、その10%の善行を否認してしまえば、それは現実認識の誤りを引き起こすことになる。自分はこのような認識の人類的誤りをただすことをもって使命としたい」

<中略>

やがてジョンは、ルーズベルト大統領が真珠湾攻撃について事前に情報をキャッチしながら、その情報を現地の司令官に伝えなかった事実を克明に証明した本「インファミー(汚辱)」を刊行した。ルーズベルト大統領は、むしろ真珠湾攻撃をひそかに期待していたというのだ。
見事に米国国民はルーズベルト大統領によって「リメンバー・パールハーバー」の世界へと引き込まれ、米国国民がすべての正義の味方になって日本と戦う機運が作り出されたが、実はルーズベルトの真の狙いは、対独選への参戦にあったのだ。
ちなみに、真珠湾攻撃の報を聞いたヒトラーは、憮然として一言も言葉を発しないで、自室ひとらに閉じこもってしまった、とジョン・トーランドは書いている。ヒトラーにすれば、なんとか米国の参戦を食い止めたかったのである。

いまこそ、精神的な主体性の回復を
ここで、ただ単純に日本は侵略戦争を行った、真珠湾攻撃が悪かった、だから太平洋戦争は全部日本が悪い、という論旨から、われわれは一度解放されなければならない。
日米対等の、それぞれが自分の論理を持った国と国として対峙することが可能な時代はいつくるのだろうか。米国側に同一化した自己認識のあり方から、自分本位の自己認識を持つことができるような視点の転換を図ることが、いま、私たち精神的な主体性を回復する課題である。
<引用終了>

私は、今年の8月6日の原爆記念日から815終戦記念日までの間、世界中の人々がアメリカの日本人大量虐殺行為である、東京大空襲や各地への空襲、原爆投下について再考してもらえるよう、できることを惜しみなくしていきたいと考えます。日本中があっと驚く戦略があります。読売新聞社以外の新聞社にも情報を提供するつもりです。

それまでに、このブログに大量の情報を蓄えておきたいと考えます。

さて、ますます凶暴化するアメリカ人について一言。

アメリカ人牧師の愚行2.JPG



この写真は、アメリカ人牧師によって「柿の実」がならなくなってしまった柿の木の写真です。野蛮な彼らにチェーンソーという武器をあたえると、それまで子どもたちが秋の収穫を楽しみにしていた柿の木を「めった切り」にしてしまったのです。

そして、彼らは言うのです。「イスラエルのために祈りましょう」と。

「イスラエルのために祈りましょう」で検索
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&source=hp&q=%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AB%E7%A5%88%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86&gbv=2&oq=%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AB%E7%A5%88%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86&gs_l=hp.12...4296.18326.0.32362.29.7.0.20.0.0.471.1629.0j4j1j1j1.7.0...0.0.sCLTwwZvbfQ

私は決してイスラエルのために祈りません。その理由は、こちらをご覧ください。
http://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%80%80%E3%83%91%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%8A%E3%80%80%E7%A9%BA%E7%88%86&hl=ja&gbv=2&gs_l=hp.12...4296.18326.0.32362.29.7.0.20.0.0.471.1629.0j4j1j1j1.7.0...0.0.sCLTwwZvbfQ&oq=%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%80%80%E3%83%91%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%8A%E3%80%80%E7%A9%BA%E7%88%86


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2012年06月26日

「政治とカネ問題」はもう終わりにしなくてはならない

高村薫(作家)「これまで政治資金の実態は見えにくく、有権者はそこで何が行われているのか知りたいという気持ちを抱いてきた。」

この指摘がすべての出発点であるが、小沢一郎は「実態」を絶対に明かすことはない。それは、「実態を見せられないもの」ではなく、「見せない方が国民の利益につながるもの」でなくてはならないということを、小沢一郎は心得ているからである。
その「見せる必要のない政治とカネの実態」とは何か。それは明治以来の役人主導政治の中で、唯一、政治家主導を可能にさせるシステムである。そのシステムを一言で表せば「陳情」となる。

以下は、筆者が体験した「政治とカネ」の「実態」である。

現職時代の土屋義彦埼玉県知事(故人)と県の幹部一人、筆者と筆者のおじは、知事公邸近くの料亭で昼食を共にした。おじは土屋知事に対し、メキシコ市の大平正芳公園の改修費用500万円を「陳情」したのである。
土屋知事は、ウイスキーのウーロン茶割り(に見えた)を飲みほし、「分かった」と答えた。


土屋知事.JPG

このことは何を意味するのか。昭和30年代初頭からメキシコに住み、メキシコ政府の一員としても活躍してきたおじは、日本の外務省が、このような「案件」には、決して手を付けないことを体得しているのである。
役人支配の日本では、政治家は、団体や企業からの寄付金(お布施、ノブレス・オブリージュ、賢者の献金に相当)がなければ、政治活動に支障をきたす制度が、役人主導で構築されていたのである。
現在は、政党助成金制度があるが、以前は、田中角栄、土屋義彦といった「大物政治家」と言われる政治家にカネが集まるのは、当然のことだったのだ。

小沢一郎の問題視された多額の「原資」も同様に、陳情対応などの政治活動用のカネであろう。あるいは後進の政治家を育てるためのカネだろう。
土屋知事のように必要資金を企業に求めた政治家は多い。だから、小沢一郎は企業からの「清いカネ」の出所や使い道を隠す。人間として当然のことである。
類推すれば、土屋知事に「500万円の出所」を明かせ、と言ってみても、決して明かさなかったろうと筆者は確信する。(筆者も、これまでにこの件を他言したことはない。)
posted by M.NAKAMURA at 11:39| Comment(8) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

小沢一郎変質の理由


新渡戸稲造「博愛や慈愛が身近なところから始まるように、インターナショナル・マインドはナショナル・マインド(武士道)の延長である」
これは「武士道」の中の一節で、細川元首相が国連演説で引用したとして話題になったものです。

神との同盟契約を結んでいるクリスチャンから見ると、まるであべこべなのです。

多くの日本人の思考的特徴は「自分の目から自分以外のものを見る」つまり、ミクロの発想である「インサイドアウト」の発想です。西洋のクリスチャン(アメリカンクリスチャンは含まれません)は、反対にマクロの発想である(アウトサイドイン)の発想が求められます。

航空機に例えるとこの発想方法の違いが分かります。航空機が出発するときには、パイロットは操縦席から外を見ながら、つまりインサイドアウトの発想で航空機を操縦します。安定飛行に入り管制を離れてからは、今度は反対にアウトサイドインの発想で航空機を操縦します。操縦席から外を見ても何も見えません。GPSによりアウトサイドイン、つまり外から自機の位置を見ながら、正しい目的地に向かっているかを見ているのです。

この発想ができないと、「自分勝手な人間」として西洋人には相手にされません。新渡戸稲造や細川元総理の発想は、自国のマインドの延長が世界のマインドになるとしていますが、常に「絶対の正義」である神の目というアウトサイドから、自国の価値観や個人の価値観を発想しないと国際人として認められないのです。

小沢一郎元幹事長の問題も、和子夫人の手紙の問題も同じです。自分の目から「今、彼らはどこにいてどういう状態にあるのか」を面白おかしく探っても、何も正しい答えには到達しません。アウトサイドインの発想でとらえなくてはいけないのです。

神の目からお二人の今を見ると、まさに「迷っている」としかいいようがありません。つまり、アウトサイドインの発想ではるか上空からお二人の位置と進んでいる方向を見ると、とても人生の目的地に向かっているとは思えません。私にはとても危険な方向に向かっていると思えます。

菅直人元首相が「小沢グループは目を覚ませ」と語っていますが、まさにその通りであり、変質してしまった小沢一郎元幹事長についていっても大いなる未来は開けません。

しかし、です。私は小沢一郎元幹事長や和子夫人を責める気にはなれません。その理由は簡単です。病気なのです。マスコミや世間からの集団的私的制裁(集団リンチ)に会いPTSD(DNA通りの生命力維持機能が働かなくなるほどの打撃を受けたときにできる心の傷、それに伴う脳の機能障害)に陥っていると考えられます。

こんな言葉もあります。

自分と同じようなトラブルを経験したことがない人から助言を受けてはならない。Never take the advice of someone who has not had your kind of trouble.  Sidney J. Harris  

私のように、死ぬほどの苦しみを受けてきた人間にしか分からないことかもしれません。週刊文春に掲載された手紙が和子夫人の自筆かどうかなど、興味本位で報道されていますが、アウトサイドインの発想では、「和子夫人も夫同様に苦しんでいる、苦しみを分かって欲しいと訴えた(私が以前に苦しみをネットで訴えたように)ものが、11枚に渡る手紙なのです。

私は読んでいませんが、和子夫人は「迷える私を見つけて助けて欲しい」そう願っているに違いないと思います。

以下に、私たち家族を襲ったマスコミと世論の集団リンチの結果を記します。私は今でも6月29日に87歳になる母にも会えません。親戚の家に行くことも許されません。怖がられるのです。まるで、黒人が怖い、朝鮮人が怖い、という差別の真っただ中にいるのです。

当然ですが、妻や家族とも会えません。(共通の知人を通して手紙を渡しています)

冤罪は本当に怖い、そう実感している毎日です。

妻への手紙
<前部略>
最後に、お詫びを申し上げます。
3年前の今ごろ、私はPTSDという病気になりました。読売新聞に後ろから突然切りつけられ、深手を負いました。その傷に、日本ユニセフ、サンクチュアリ出版、香山リカなどの多くの人たちが「傷口に塩をぬる」行為で、私を苦しめ殺そうとしました。

私はその時、自分が病気であることに気付きませんでした。6月中旬、紀藤先生と会い、「だまされている」ことに初めて気づいた時、○○(妻)さんも同時にPTSDになったのですが、そうとは知らず、私は○○さんを助けるどころか、「自分だけ助けてくれ」という言行を行っていたのです。

ジャスミンの花のような○○さんが「てめー」と言ったり、「25年間犠牲になって来たのよ」という発言をしたりしたことが、PTSDの特徴的な症状であったことを知ったのは、昨年の9月のことです。

昨年の9月、私は東村山消防署横の公園で、昼食に缶ビールを片手に(夜は飲酒禁止でした)オニギリを食べていたところ、初老の男の人(○○と言います)が、同様に缶ビールを持って寄ってきて、「話をしていいですか」と話しかけてきました。私は、同じ境遇の人(孤族)と直感し、人恋しさもあって話し込みました。

男は、「私もビールが大好きなんです。アパートが近くです。ビールを家で飲みませんか、と誘われ、私は男の住むアパート(元の「愛ちゃんの家」のそば)に行き、ビールをごちそうになりました。

350mlの缶ビールを2本ほど飲んだところで、男は突然、私の股間を触るという「実力行使」に出てきました。男の言い分は「私は病気なのです。私を助けてください。私の願いを聞いてください」というものでした。

私は、即座に逃げ出しました。

アパートの写真を撮ったところまでは、記憶があります。昼の出来事です。その後の記憶がまったくありません。気がついたのは、久米川病院のベッドの上でした。時間は事件後3時間近く経っていました。
私は、ビール数本で酔っ払うほどお酒には弱くありません。ご存知の通りです。救急車で運ばれたそうですが、起こされた記憶もありません。どこで倒れていたのかも記憶にありません。

○○さんなら「あっと」思ってくれるでしょう。そうです。若き日に添乗員として下呂温泉を訪れた際、「き○○」というホモセクシャルな人物に襲われ、下着姿で逃げ出した恐怖の体験がフラッシュバックしてしまったのです。

その後、私は東村山市から○○市に逃げ出し、自分の病気PTSDについて調べました。そして、こんな症状もあることに驚きました。

乖離病状
乖離というのは、さまざまなレベルで意識の連続性、続合性が絶たれる状態をいいます。「自分を外から見ている感じ」「現実味がない」「ぼうっとしている」というようなものから、「よく覚えていない」「まったく記憶にない」といもの、そして、いわゆる「多重人格」まで、さまざまな形があります。
「乖離症状」は、もともとは、自己防衛的な意味のあるもので、あまりにも苦しい状況に耐えられず、しかも、物理的に逃げ出すこともできない時に「精神的にその場から逃げる」という目的をもった、症状です。
苦しい状況から逃げられないでも、それ以上留まったら、頭がおかしくなってしまう、というような状況では、よくできた防御だと思います。
対人関係療法でなおす、トラウマ、PTSD 水島広子著

長くなりましたが、確かに私は病気です。紀藤先生にだまされているといわれた晩「一晩眠れなかった」「生まれて初めて人をぶん殴りたいと思った」○○さんも、あるいは二人の子どもたちも、症状は重くないが間違いなくPTSDであった、と理解できました。

私は、常にインサイドアウトの自己中心的な見方をしてきました。そのことが家族全員を病気にさせてしまったのです。

心からお詫び申し上げます。


参照
「妻の手紙」
http://dream333.seesaa.net/archives/20120617-1.html

posted by M.NAKAMURA at 08:42| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

読売新聞社会部、門間順平記者と中村の関係とは

映画「ゴースト」の妻をこよなく愛するサムと、サムを金のために人殺しまで企てるカールとの関係と同じだ。

ところで、今朝の朝日新聞埼玉版の記事には驚いた。

<引用開始>
川越市のお茶「安全」とPR 

狭山茶は江戸時代には「河越茶」とよばれていたという。
鈴木会長らは、「800年前の発祥は川越。今後は川越茶のブランドも広めたい」
<引用終了>

まさにシミュラークル(オリジナルなきコピー、事実と虚構が入り交じっている)である。

狭山茶の本家本元は旧元狭山地域にある。(現在の東京都瑞穂町と埼玉県の一部)

東京都瑞穂町箱根ヶ崎1番地にある狭山神社、狭山池、狭山神社の由緒


狭山神社.JPG



狭山神社宮の池.JPG


狭山神社由緒.JPG





狭山茶とは、鎌倉時代に茶祖栄西が京都の栂尾に中国から仕入れた種をまき、育て、管理し、駿河の国や大和の国、牟佐志の国に国家の政策として作付けしたものである。オリジナルは、鎌倉時代からの天領(幕府領)であった元狭山の地に作付けされたのである。(筆者はいくつもの動かし難い証拠を得ている)

川越市は歴史を私物化せず、子どもたちに本当のことを教えなさい。

posted by M.NAKAMURA at 08:15| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月25日

「ウルトラ人体警備隊」 VS 「本当の自分自身ぶちこわし暴力団」

PTSD(自分では対処できないほどのショックを受けたことによる脳の機能障害)や、放射線被ばくによるガン発症などの病気を単純化すると、こういうことです。

人間は生命体という、それぞれの個人に与えられたDNAをつくり続けることができる仕組みをもった装置です。被ばくなどの悪性ストレスにより、脳を含む体内の細胞が傷つけられ変異してしまいますが、人間にはもともと、免疫力という「ウルトラ人体警備隊」が体内で活躍していて、DNAつまり、「生まれ持った自分らしさ」「人間としてのみずみずしさ」を維持管理しています。

病気になる、それは、「本当の自分自身ぶちこわし暴力団」の仕業により、自分らしくない自分になってしまうということです。「ウルトラ人体警備隊」が「本当の自分自身ぶちこわし暴力団」に負ければ病気になる、すべての病気にこの法則はあてはまります。

自分自身を病気にしてしまうか、してしまわないかは、自分が決めることであり、他人が決めることは決してできません。なぜなら、自分の体内で活躍する「ウルトラ人体警備隊」に対しがんばれ、と命令できる人間は、自分しかいないのですから。

エレノア・ルーズベルトは、こう言っています。
「あなたの許可なくして、誰もあなたを傷つけることはできない」

さらに朗報です。人間には医学というマニュアルがあります。例えば西洋医学では、手術によりガン細胞の集団をきりとったり、放射線をガンという傷つけられた細胞が変異した集合体に外科的に「熱射」したりして、ガン、「本当の自分自身ぶちこわし暴力団」をやけどにより弱体化させるという、「ウルトラ人体警備隊」支援作戦で臨んでいます。

東洋医学では、良性ホルモンを食事という「胃腸から消化吸収させる内科作業」により、「ウルトラ人体警備隊」に「戦闘力」をつけ、「本当の自分自身ぶちこわし暴力団」をやっつける作戦をとります。

繰り返しますが、「自分が病気になることを選択」、反対に、「自分を病気にさせないことを選択」するという意思決定をするのは自分です。

インフルエンザで亡くなる人は、免疫力が弱い、つまり「ウルトラ人体警備隊」が正常に活躍していない虚弱体質の高齢者や子どもたちがほとんどです。

古来より日本民族は、中国三千年の漢方医学という、とてつもない「人体実験」の積み重ねから得た免疫力の維持管理法を受け入れてきました。であるからこそ、江戸時代の娘さんのように、明るく朗らかで美しい笑顔があふれていたのです。

その日本人が、長い年月適応してきた免疫力維持管理機能を捨て去ったのが、明治維新の文明開化という、わずか数百年のマニュアルしか有していない西洋医学、「知ったかぶり医学」の「押し売り」でした。

もうお分かりでしょう。今日の日本民族を健康、健全にする方法を。

そうです。日本民族の本来の姿、健康健全であったころの姿に立ち返れば良いだけです。東洋医学を取り戻せば良いだけなのです。

そして、良性ホルモンを正しく消化吸収する方法さえ手に入れれば、ガンであろうが、PTSDであろうが、すべての病気は完治するのです。そのことを信じる、つまり、「それは正しいからその道を進んでいこうと決意する」「心に願う」ことが、病気にならない体にし、病気を治すのです。

posted by M.NAKAMURA at 13:15| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日本人脳と湯川秀樹博士の卓見

(株)オリエンタルランド勤務時代の1997年に「日米ビジネス・コミュニケーション・セミナー」という研修を受けました。
主催会社は(株)インテック・ジャパンというコンサルタント会社です。
http://www.intecjapan.com/

この研修資料には1981年に発刊された角田忠信著「右脳と左脳」その機能と文化の異質性 小学館創造選書の一ページが紹介されています。
http://www.amazon.co.jp/%E5%8F%B3%E8%84%B3%E3%81%A8%E5%B7%A6%E8%84%B3%E2%80%95%E3%81%9D%E3%81%AE%E6%A9%9F%E8%83%BD%E3%81%A8%E6%96%87%E5%8C%96%E3%81%AE%E7%95%B0%E8%B3%AA%E6%80%A7-%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E9%A4%A8%E5%89%B5%E9%80%A0%E9%81%B8%E6%9B%B8-44-%E8%A7%92%E7%94%B0-%E5%BF%A0%E4%BF%A1/dp/4098200449/ref=sr_1_6?ie=UTF8&qid=1340507605&sr=8-6

この研修で日本人と米国人の自然音、言語音、楽器音の認識機能の差を学びました。当時はアメリカ人のカウンターパート(同位格者)と議論するためには役だったとは思いますが、最近のアメリカ人の傍若無人ぶりを見るにつけ、日本国民はアメリカ人を相手にしない方が幸せになると確信しるようになりました。

この会社が、今でもこの本を使っているのか分かりません。ホームページには外国人の姿が多く見受けら得ますが、「自然は征服するもの」「虫の音は雑音にしか聞こえない」「古池や 蛙飛び込む 水の音 はカエルの集団がボチャボチャと飛び込む音としか認識できない」、つまりこの本の内容を理解できない外国人から研修を受けても異文化間コミュニケーション(アメリカ人が日本人を絶対に理解できないのですから、コミュニケーションなど成り立つはずがないのです)のトレーニングにはならない、単にアメリカ方式を押し付けられるだけだと考えるに至りました。

キリスト教を理解しないで英語を話しても相手の心には届きません。私は、日本人にはまずしっかりとした日本語と日本文化で「ファーストフォーマット」としてアメリカ人にだまされない知力づくりを行うべきと考えます。英語は教えない方が良いと思っています。世界で一番幸福度の高いデンマークでは、期末テストなどの子どもを苦しめる制度はなく、個性を伸ばす教育が施されます。この本を読むと日本人は秀でて優秀な民族であることが理解できます。教育により個性をのばし、日本人が得意の「進化力」を磨きあげる教育を行えば、日本は世界一幸福な国になるに違いありません。

もちろん日本人の脳が優秀である理由は、白人社会を築いたアメリカと違い、オリジナルの「日本人」と古くからの中国や朝鮮からの渡来人が交配を重ね、より良い遺伝子を持つ「優秀な脳」に品質改良してきたためと私はこの本を読みそう確信しました。

引用文を掲載しますが、難解であるために結論から記します。それは、12歳くらいまで日本で日本の教育を受けないと、絶対に「小川のせせらぎ」や「虫の声」などの情緒音は脳に認識されないというものです。ドナルド・キーン氏がいくら古文を読んでも、日本人のように背景にある情緒はまったく理解できないのです。

この本は、湯川秀樹博士も交えたシンポジウムの内容を記した本です。
≪学習する脳の姿≫
「近来こんなおもしろい話をきいたことがない。思いあたることが多い」と湯川秀樹博士がいっておられる。ほんとうにそういう本である。脳の研究もここまで来たか、という印象がつよい。わたしは読みながら何度か興奮してページを閉じて考え込んだ。大脳半球が、言語脳と音声脳に分かれていることは、最近方々でとり上げられて、この本を読む前から知っていた。しかし、この本はその二つの半球が、それぞれ、どんな音や声を「学習」するか。という問題をかいけつしてくれるのである。
波多野完冶

<引用開始>
12歳から始められる外国語の学習は、すでに日本人型の脳の働きに定着した後ですから、欧米人と違って著しく左脳に偏った学習を要求され、たとえ、この時期に理想的な聴覚中心の言語教育を受けても、決して西欧型の脳の分業型にはなりません。
左脳に強く依存する外国語の学習は、論理的描像能力を鍛えるには極めて有効な手段として考えられますが、同時に本来の脳の働き方を犠牲にしているという負の側面があることが注目されます。

<中略>

西欧人の場合には、子音が言語脳にあることは当然ですが、子音を含むような音節単位で言語脳に入っている。もう一つ計算も言語脳で扱う。計算は日本人も西洋人も同じですが、ただし西欧人はこれだけにかぎられて、そのほかの音は言語脳に入ることはありません。ないといいましても、子音に似たような意味のない合成音をつくれば言語脳処理になります。(CV、CVCのこと?)しかし、だいたい社会音として存在する音はほとんどすべてが音楽脳優位の音になります。ひじょうにはっきりと二分している。この劣位半球、音楽脳では、西洋楽器、それから母音もそうですし、人間の声としての鳴き声とか、ハミングだとか、いびきだとか、人間のすべての声、それから物の鳴き声、昆虫の鳴き声、それから機械音、こういう分担をしています。日本人の場合にはこうなりません。知的な計算は西欧人と同じですが、言語音のなかの子音と母音とはウエイトが同じです。子音のほうが優位性が大きくて母音は少ないということはけっしてない。しかも、人間の声がみんな入ってしまって、動物の鳴き声や昆虫の鳴き声も入る。こんなふうに、自然界にある音がほとんど言語脳に入ってしまうわけです。音楽脳にある音といいますと、西洋楽器の音だとか機械音、雑音だけですから、左半球にひじょうに偏った脳の使い方をしているわけです。
 こういうパターンからいいますと、やはり西欧人の場合には、非常に論理的な知的なものが言語脳に偏っている。これはロゴスで表わされる。
 非言語脳のほうはパトス的なものを分担する。しかも自然界にあるほとんどの音がことらに入っている。すなわち感情だとか自然の音がみなこちらに入っている。そういう意味で音の分担としては、知的なロゴスとパトスを含めた自然全体とに分かれてしまう。そういうパターンになる。ところが日本の場合には、こちらの知的な物の中に感情的なパトスが入りますし、それから自然の音も入ってしまう。
 ですから、これは私のかってな考えなんですけれども、日本人の心というのは、こうした左脳のはたらきであらわされるのではないか、音楽脳のほうはむしろマテリアルというか、無意識なものであらわされるのではないか、現代人のなかにはこういう音の認知の仕方がまだ生き続けているわけです。文化と称するのは、こういう脳のはたらきのパターンから生まれたものと考えているのです。そして、昔から日本文化の特色とされているような情緒性とか自然性、むしろ非論理的といわれているようなことというのは、こういう感覚を通しての自然界の認知の仕方が原点になっているのではないか。西欧人や西欧文化は論理性ということで表現されますが、自然と対決してものごとを知的優位に処理していくという生き方は、どうも脳の自然界の認知の仕方自身に違いがあるのではないか。こういう音の処理の仕方が違うということは、われわれの自然とのかかわり方の違いを意味する。われわれは生まれてからずっと音につつまれているわけです。われわれは五感をもっていますが、この場合自然を認知するのは、なんといっても視覚と聴覚が非常にだいじである。聴覚というのは、とくにことばを覚えるのに不可欠な感覚である。先ほど申しましたように、十歳までポルトガルで育った人は母音の優位性が西欧型に変わってしまうように、脳の生理機能もじつはことばの影響をひじょうに受けるわけです。ことばの差が原点になって、母音が言語脳のほうで処理されるという日本語の特徴が生まれた。母音のそういう特徴的な音形に似た多くの自然界の音も、日本語を母国語とするかぎり言語脳のなかで処理されている。これが日本人の自然観や心情をつくっているのではないか。そういう原点は日本語の母音の特徴に求められるのではないかと、じつはそういう仮説を私は立てております。
<引用終了>

日本語がつくる脳
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/jogbd_h14/jog240.html

この記事には湯川秀樹博士の卓見が紹介されています。

つまり日本人はいままでなんとなく情緒的であるというていた。(西欧人が)論理的であるのに対して、より情緒的であるといっていたのが、構造的、機能的、あるいは文化といってもいいけれども、そういうところに対応する違いがあったということが、角田さんのご研究ではっきりしたわけです。

 そうするとそこで私が考えますことは、その違うということを生かすという方向です。違うということは上とか下とかいうことではなくて、その違いということを生かす。
(中略)違うがゆえに独創的なものが生まれるのである。 西洋に比べてあかん、劣っているという考え方が根深くあったけれども、そういう受け取り方をしたら劣等感を深める一方です。
<終了>

韓国人も中国人も西洋脳ではありますが、アメリカ人より数段情緒的な脳を有していますから、付き合うのでしたら東洋人です。

哲学+宗教観=思想になりますが、西洋人脳では、主にギリシャ哲学とキリスト教の宗教観に分けて思考を生み出します。翻って東洋人脳は儒教や陽明学などの哲学と神仏崇拝などの宗教観を混ぜ合わせにして思考を生み出しているようです。まるで、西洋人が「食材が分かれている」コース料理を好むのと、東洋人の「食材が一緒になった」どんぶり物やなべ料理を好むのとの違いのようです。

強調しますが、アメリカ人は虫の音は雑音です。私も何回もアメリカに渡っていますが、セミや虫など見たことがありません。人間以外の生物の存在を確認できるのは、道路上に転がる無数のぺちゃんこになったアライグマの死体だけです。

アメリカ人は、アメリカという国からどれだけの生物を排除してきたのでしょうか。上記ホームページでは「文明生活の敵だとして、とことん退治してしまったのだろうか?」と記されているが、戦時中の東京大空襲のように、生きる権利のある人々を皆殺しにしたように、上空からの薬剤の空中散布で、虫たちを皆殺しにしたに違いないのである。(映画「インディペンス・デイ」にそのようなシーンがあったことを思い出した)

「結婚は世界で一番気持ちも心も感情も合わない人と一緒にくらすことだ。これは神さまが合わせたものだ。」「お互いがぶつかることがなければ、どちらかが早く死んでしまう」斎藤一人
「天声妻語」中野雄一郎著 いのちとことば社

結婚と違い、お互いに自国益を求める外交や経済において、気持ちも感情も合わない「野蛮人」たちと付き合うことは、私たち国民にとって「不幸への道」の選択以外何ものでもない、私はそう断言します。


posted by M.NAKAMURA at 10:38| Comment(7) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

三井不動産は逃げ切れない


<引用開始>
浦安の液状化訴訟、三井不動産側は争う姿勢
 東日本大震災による液状化で住宅が傾くなどしたのは地盤改良工事を怠ったためとして、千葉県浦安市の集合住宅の住民32人が分譲販売した三井不動産と関連会社に、復旧費用など計約7億円の損害賠償を求めた訴訟の第1回口頭弁論が26日、東京地裁(戸田久裁判長)であった。三井不動産側は請求棄却を求め、争う姿勢を示した。
 同社側は答弁書で「巨大地震や、それによる深刻な液状化被害が発生する可能性は全く予想できなかった」と主張。「地盤改良工事を実施する義務は負っていなかった」としている。
<引用終了>
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/trial/552379/

三井不動産が販売した物件は1981年に販売開始です。1976年から、オリエンタルランドと三井不動産が行ってきたディズニーランド液状化対策についてお教えします。

訴訟で住民側が勝利することを願います。

<一部転載開始>
第四章 開業前の運営準備の段階
1、 注目を浴びた地盤改良工事
 施設の建設に当たっては、社会性・企業性の検討のほか、物理的な配慮がそれ以上に重要であり、特に最大の悩みは地盤の問題、建設費の難問題であった。
 開発用地は、東京湾奥にいくつもの河川が注ぎ込む江戸川河口のデルタ地帯に位置した埋め立て地である。この地帯は、古くは、東京江東地方と同じく土層構成が軟弱な粘土層で、埋立て地では支持杭に支えられた建築物に周辺地盤の沈下ギャップが発生し易く、軟弱地盤の上に定着している建物や配管類などに不当沈下による深刻な影響が出やすい。また、新潟地震にみられたように地震発生時の液状化現象が起こり得る。年間一千万人のゲストが出入りする施設としては、不当沈下による舗装面の凹凸や段差などは論外で、如何なる安全上の障害もここでは許されない。
 一九七六年(昭和五十一年)七月にディズニー社との間で第二フェーズ作業として、マスタープラン策定に関する契約を締結して以来、ディズニー社の施設計画作業の進展に対応する形で、オリエンタルランドは建設担当役員であった常務の高田博照さんに加え、三井不動産技術担当常務の石田繫之介さんがオリエンタルランドに非常勤取締役として出向し、建設推進体制の強化を図ることとした。石田さんは、かつて三井不動産の超高層ビル第一号の三井霞が関ビルの計画・建設にかかわった実績をもち地盤問題等にも造詣が深い。そして埋め立て軟弱基盤の大規模開発に不可欠な地盤改良計画に対して、その分野における国際的な権威である東京工業大学工学部建設学科の吉見吉昭教授を本プロジェクトに紹介してくれた。
 吉見教授はさらに新進気鋭の土質コンサルタント橋場友則さんを推薦し、同教授の現地に関する傾向分析とその対策に関する指導的役割のもとに、橋場さんが地盤改良対策法とその地盤に対する建築についての提言を続け、地盤改良の成功と工事費の抑制に大きな貢献をされた。地盤改良は、開発用地二十五万坪にわたるもので、工法は、サンドドレーン工法、グラベルドレーン工法、サンドコンパクションパイル、タフネルドレーン法といった複合工法が採用され、サンドドレーンは囲碁盤の網目状に二メートルピッチ、打ち込んだ数は実に十万本に及んだ。このような複合工法で、これだけの大規模な地盤改良をやったことは、かつて日本において前例を見ないことだった。液状化についても、未だ日本ではさほど認識されていなかったし、土木建築業界でも余り実績がなく、従ってデータなどほとんどない時代だった。
 一九八〇年(昭和五十五年)の真冬の夜中に、吉見教授、橋場さんたちが現地の埋め立て地で液状化実験を行ってデータ収集をされたことがあったが、地中に振動を与えている実験中に浸透管を通して水が噴出したこともあった。複合工法による地盤改良工事の結果、建築の杭打ちも困難になるくらい堅固な地盤に改良され、土質も極めて施行性の高いものになったことが評価されて、吉見教授の発表が学会でも注目を浴びた、と伺っている。事実、東京ディズニーランドのオープンの翌年、千葉県東海岸沖を震源とした震度五に近い「茂原地震」が発生した時にも、全ての施設はクラック一つ入らず微動だにしなかった。全体の重量バランスによって建物の平衡が保たれ、施行後の傾向が、当初の工法で計画・予測されていた通りの結果が出て、施設毎に個別にとった対策がピタリと当たり、何の障害もでなかった。
<一部転載終了>
http://campus.jissen.ac.jp/seibun/archives/contents/etext/publication/disney/Kamisawa/fileDLD.htm

上澤昇著 ディズニー・テーマパークの魅力−「魔法の王国」設立・運営の30年−
(著作権者により無料ダウンロードが許可されていることを確認しています)

これでも、三井不動産は「想定できなかった」と開き直れるのでしょうか
posted by M.NAKAMURA at 09:48| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月24日

全国の鈴木さん必読「鈴木さんのルーツ」

約170万人の鈴木さんのルーツはここにあります。

<引用開始>
 ヒンズー教徒や仏教徒には、10月〜11月の夕方に、若い葉を付けた青竹を神の依代として、庭や屋根に立て、家の中に神を迎えて永遠の青春を祈願するならわしがある
 日本でも、かつてこれに似た行事が行われていた。稲田の穂積中に聖木(すすき)とよぶ一本の竹竿を立てて祈る、この聖木を伝わって稲魂が降臨し、稲がよみがえる。この籾を蒔けば豊作を約束されるのである。そして聖木を立てて稲魂を祈念する専門の神官が聖木、後の鈴木であった。
 当の鈴木は豊作や晴雨の祈念のほか、農業指導、生活相談、医療相談までひきうけ、農民にとっては鈴木がいなければ夜も日も明けぬ存在であった。したがって農耕のすすむところには必鈴木ありで、日本中どこへ行っても鈴木姓が多いのである。
<引用終了>
竹を知る本  地人書館  室井綽著

東洋医学を少し学ぶと、中国漢方医が時の皇帝や住民の「医療相談員」であったことが分かります。西洋医学が「病気を治す」の対し、中国漢方は「その人らしさに戻す」健康管理に重点をおいており、日本は西洋医学の「押し売り団」が侵入してくるまで、長く東洋医学による健康管理方法を維持してきました。

私は、富山の薬売りは日本人の健康管理にとって必要不可欠な制度であると考えます。なぜなら、現在の薬局は漢方を全く理解していないために、漢方では「劇薬」として扱われているセンナ茶までもを妊婦に販売しています。

健康茶で重体に
http://www.botanical.jp/library/news/025/index.shtml

美空ひばりの死とセンナ茶
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%8A%E8%8C%B6%20%E7%BE%8E%E7%A9%BA%E3%81%B2%E3%81%B0%E3%82%8A&rs=2&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=0&oq=%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%8A&fr=top_ga1_sa

<引用開始>
 センナは中国では「番瀉葉(ばんしゃよう)」と呼ばれるマメ科カワラケツメイ属の灌木の葉で、薬典には「下剤」と記載されるとともに「劇薬」ともある薬草だったのです。
  このお茶を飲むと、たしかに便は出ますが、疲れやすくなり体に脱力感を生じてきます。ちょっと動いただけで息切れしたり、汗を大量にかくほか、食欲が減退して胃腸が重苦しくなる、風邪をひきやすくなるなど、慎重の上にも慎重に扱うべき薬草なのです。ですから、当時の佐藤さんのような妊娠中の女性に勧めるとは、まったく開いた口がふさがりません。
<引用終了>
漢方―日本人の誤解を解く 劉大器著 講談社

アメリカの薬を強制的に飲ませる今日の日本の医学界は異常です。日本人の持って生まれた遺伝子を正しく機能させるためには、東洋の健康管理システムが欠かせません。

江戸時代には、鈴木さんがこの健康管理のキーマンでした。これからの日本、新しい「鈴木さんシステム」をつくっていこうではありませんか。

この記事を知り合いの「鈴木さん」に紹介してください。きっと喜ばれますよ。
posted by M.NAKAMURA at 10:52 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

三井不動産の殺人訓練


昨年の9月28日に、三井アウトレットパーク入間において薬物テロを想定した防災訓練が行われましたが、この訓練は地下鉄サリン事件の教訓や安全管理の鉄則を無視した殺人訓練でした。

殺人訓練3.JPG



写真の白い煙が「薬物」がまかれた「発生元」ですが、三井アウトレットパークの女性と写真の警備員は「倒れることなく」、「発生元」に近寄って、ただ「避難してください」とハンドマイクを持ってお客に呼びかけていました。

殺人訓練.JPG


殺人訓練2.JPG


つまり、三井不動産は、従業員は死んでも構わないと考えているのです。

私は、三井アウトレットパーク入間がオープンする前から、渋滞問題が必ず発生する、パーク運営を甘く見てはいけないと警鐘を鳴らし、三井不動産に対してパーク運営のコンサルをプロポーザルした経緯もありますが、三井不動産の回答は「自分たちでできる」でした。

マーク・トウェインの警句です。
「災いを引き起こすのは知らないことではない。知らないのに知っていると思いこんでいることである」

無知で傲慢な三井不動産は入間の地から出ていってほしい、そう願ってやみません。

三井アウトレットパーク入間による渋滞への警鐘
五十嵐文彦財務副大臣のブログ
http://blog.garachan.com/?search=%C3%E6%C2%BC%B9%EE

今でも、渋滞は発生しています。私がコンサルすればごく短期間で渋滞問題は解決するのですが。

思い違いにより「三井物産」と記入しました。関係者の方々に深くお詫び申し上げます。


posted by M.NAKAMURA at 09:27| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

読売新聞を読むとバカになる@

「羊が1匹…」では眠れない?理由は日本語に

「羊が1匹、羊が2匹……」と数えると早く眠れるというのは本当か。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120623-00000475-yom-sci

キリスト教を知らない愚者は本当に困ったもんです。

シープ(羊=キリスト)とスリープのいわば「洒落」の世界なんですよ、読売新聞さん(笑)

posted by M.NAKAMURA at 03:13| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月23日

原発事故問題の根底を覆す決定的事実


昨日の朝日新聞には「米原発監視、現場が勝負」という見出しの記事が掲載されています。

「常駐検査官、抜き打ち検査、どこでも出入り」
「日本と違い書類に溺れず」
「情報を疑う力、必要」

内容は引用しません。その理由はこの質問から得られます。

「みなさんの中で、原子力発電所の所長や品質責任者の本音を聞いたことがある人はどれだけいますか」

手を挙げる人は皆無でしょう。申し訳ありませんが、誰もが原子力発電所の仕事に「無知」と言わざるを得ないのです。

これから記すことは、事故後1年3ヶ月間繰り広げられた原発論争の根底を覆す重大な事実です。

筆者の講演レジュメから
■ 研修の出発点と終着点   
1、 世の中おかしいです。正しく動いていません。申し上げるまでもないでしょう。
2、 みんな訳が分からなくなって困っています。日本人誰もがおかしさには気が付いているものの、どうしたらよいか分からないというのが実情でしょう。
3、 どうしたらよいか。その答えは「正しく動いているところから学ぶ」しかないのです。ディズニー社会と日本社会には大きな違いがあります。その違いを学ぶことにより企業も社会も正しく動いていくことでしょう。

福島第二原子力発電所.JPG

※2011年8月11日の東京新聞によると、福島第二原子力発電所も震災直後の3日間一部電源喪失していたそうです。増田尚宏所長は「人海戦術でかろうじて対応できた。人手が足りなければ無理だった。危機一髪だった」と話しています。

2007年5月に東京電力福島第二原子力発電所で「ディズニーランドに学ぶ安全管理」を行った際、私は以前から抱いていた疑問を所長以下幹部にぶつけてみました。

当日配布資料から
参議院会議録情報 第094回国会 エネルギー対策特別委員会 第7号
昭和五十六年五月二十九日(金曜日)

事故をめぐる解釈の問題であります。現在は、軽微な事故でも報告が義務づけられておりますが、軽微な事故とはどういうものなのか、また事故と故障の区分けは、どういうところで区分けをすべきなのか明らかでありません。その観点から、われわれはいままで環境への影響がどうなのか、さらには、そこに直接働くわけでありますから、作業の安全性についてはどうなのかという視点で物を考えてきたのが実態であります。そういう観点で見ますならば、今回の事故もその観点のみで見ていく場合には、十分配慮されたと確信をいたしておりますが、その判断の前提でありました設備の不信、設備が悪かったわけでございますから、設備に対する信頼が崩れていたわけでございまして、そういうことが今回の問題の大きな起因となっているというふうに思います。
 そこで問題なのは、軽微な事故をめぐります判断が、率直に申し上げまして、直接原子力発電所に働いている者と、国民の皆様方との間にやはり事故、故障に対する認識に対してのギャップがあったということは否めない事実として、われわれとしては認めていかなければいけないと考えております。そういう中で、軽微な事故でも報告をしていくという前提で、事故の公表範囲を明らかにするために、第三者の中立機関を早急に設置をすることを検討していただきたいと考えております。そのための協力については、電力労連といたしましても積極的に協力をしていきたいと考えております。
全国電力労働組合連合会政策局長     高松  実
<引用終了>

4月29日の日曜日に、テレビ朝日のサンデープロジェクトという番組がありました。東京電力の桝元取締役が出演された番組でした。
この番組で、当時のキャスターの田原総一郎氏はこういいました。
「他の発電所と比べ、東電は原子力発電所の事故が多い、98件もある」
フリップには「不正、不備」と明記されているのに、キャスターは事故と表現するのです。

筆者は、当時の高橋明男所長(6月に柏崎刈羽原子力発電所に移動され、中越沖地震にあわれました)や、増田尚宏ユニット所長(現在の福島第二原子力発電所の所長です)ら幹部に対し、「どこの発電所のホームページを見ても事故と故障の区別がされていない。『作業員が頭を配管にぶつけた』など、明らかに労働災害であるものまでもが公開されている。これが原子力発電所内からの情報を分かりにくくしているのでは」とたずねました。

この問いに対する答えは「何をいってもマスコミは悪く書く。(自己防衛上)もうあきらめている。」というものでした。

私は、講演前は原子力発電所の所長とは私服勤務で地元の住民とのコミュニケーションを取ったり、入り口や周辺の警備状況を確認したりしているものと思っていましたが現実は違いました。よく見かける電気配線工事の制服と同じです。この意味は、四国電力伊方原子力発電所での「体験」で明らかになりました。会社の「体質」が表顕されているのです。

原発の重大事故に関しても、高橋所長は「重大事故など起こしたくても起こせない」と断言されていました。当日私は、シミュレーション施設で原発運転中に非常停止させる体験をしました。私の前に同体験をしたのは、鳩山邦夫元総務大臣だそうです。

この体験は、私にとっては面白くもなく、何の勉強にもならないものでした。その理由は、東京ディズニーランドのアトラクションキャストが「エマージェンシー・ストップ(非常停止)」のマッシュルーム型の赤いボタンを押す行為と同じだったからです。

そんなこともあり、私はそのときも「原子力発電所の安全性は保たれている」と判断しました。今から考えると、当時の幹部にも巨大津波の襲来など頭になかったものと勘案されます。東電の幹部やとりまきの役人が、原子力発電所の現場で働く人たちを「安全神話」という作り話で洗脳していたのでしょう。もちろん、私も洗脳されていた人間の一人ですが。

同年の11月に四国電力伊方原子力発電所での講演のため、ミカン畑が実に美しい愛媛県八幡浜市を訪れました。伊方原子力発電所はさらに西方の佐田岬半島に位置するため、講演前日に八幡浜市に宿をとりました。近くの料亭で伊方原子力発電所の品質保証責任者の林直義氏と会食しましたが、私の多くの「酒の席」体験でも、もっとも愉快な会食でした。

二人で三時間ほど話したと記憶していますが、そのほとんどが「技術論」でした。誰でも同じでしょう。車を自分が思うように操縦する話や、ゲーム機を操り、思うように物語を進めていく話などは他人に聞いてもらいたいに違いありません。「そうだ、そうだ」と確認し合うことで、お互いの満足感も高まるのものです。

その酒席では、「ジェットコースターを安全に動かす話」や「原発プラントを安全に維持管理する話」などに花が咲きました。

私は、「原発反対論者が『角砂糖5個分のプルトニウムで日本を全滅させられる』と宣伝しているが、どのようにして全日本人に配布(注射?)するのか、あまりにも無知滑稽ないいがかりである」と発言したところ、林氏は「プルトニウムの毒性はフグの毒性と同じです。その手の報道には本当に困っています」と教えてくださいました。

さらに私は、以下のような質問を試みました。
5月に「私の講演を聞いて下さった高橋氏が所長の柏崎刈羽原子力発電所が、4ヶ月前の中越沖地震で被災しました。あのとき、さもや外部変電施設火災の消火を放棄していたかのように報道されていました。NHKは上空から黒煙を挙げる火災現場の映像を流しつづけました。私なら付属施設の消火など放っておき、本体施設点検に全力を注がせますが」

林氏の答えは「私もそうだと思い、高橋所長に確認したところ、冷やす、閉じ込めるの原則にのっとり、全員を本体に集中させたそうです」という答えでした。

311により、配管が張り巡らされた原発内部の様子をうかがい知ることができました。あの複雑な建屋内の冷却施設などに損傷がないか点検し、指令センターに報告する作業が優先されるのは、「冷やす作業」の必要性上当たり前のことです。

東京ディズニーランドも同じです。地震によりアトラクションは緊急停止しますが、再開させるにはマニュアルに基づいた施設の点検が必要不可欠です。

中越沖地震後の原子力発電所において外の変電施設の消火活動などまったく論外なのです。

ウィキペディアより
今回の地震では放射性物質の漏れは健康に問題があるとされる量を遙かに下回っているとされる[18]が、たび重なる報道により、観光・漁業・農業などで「買い控え」がおきると言った二次的な風評被害が発生している。さらには2007年7月26日から8月まで秋田、静岡、千葉の3試合を日本で行う予定だった、セリエAのカターニアは、放射性物質の流出を理由に日本遠征を中止した。泉田裕彦新潟県知事は「日本全土が放射能に包まれているような報道が海外でなされ、サッカークラブの来日中止どころじゃない甚大な風評被害が生じている」と語っている[19]。地震後の優先順位は電源確保が最優先され変電機の火災(煙)に対する消火は地震発生時全体に比べ危険度は微々たるものであったが、媒体などで煙をあげる変電機の映像を繰り返し、正確さよりも事故の危険性を煽ることを中心とした報道がなされた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%8F%E5%B4%8E%E5%88%88%E7%BE%BD%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80#.E9.A2.A8.E8.A9.95.E8.A2.AB.E5.AE.B3.E3.81.AE.E7.99.BA.E7.94.9F

このNHKの報道により、風評被害が広がり柏崎市や新潟県の損害は2000億円とも3000億円とも言われているのです。
柏崎市はNHK対しに風評被害拡大にともなう損害賠償訴訟を行うべきなのです。

さらに、林氏は「制御棒が抜け落ちたことが問題になったことがありますが、制御棒が全部抜けるとどうなるか分かりますか」
私が「いや、分かりません」と答えると、林氏は「私たちは東海村の原子力研究所でその実験をさせられるのです。全ての制御棒が抜けるとドップラー効果により核分裂の連鎖反応が低下し、原子炉内の温度は逆に下がっていくのです。」と教えてくださいました。

次の日、時間があったので近くの港の魚市場を見学にでかけました。ところが、です。行き帰り二回も道に迷い、二回町の人に道をたずねましたが、なんとも親切な応対に感銘を受けました。

そのことを、迎えの四国電力の社員に話したところ、「私ども四国電力の社員は、かならず年に一度、地元の一軒一軒の家を回り、コミュニケーションを取っています。そのことが影響しているとすればうれしい限りです。」と話してくださいました。

伊方原子力発電所の社員の気風は違いました。東京電力同様に制服を着用していましたが、東京電力以上のモチベーションの高さを感じました。前日の林氏の「原発運転は楽しい」という言葉が思い起こされました。

頂いた所長の名刺には、四国電力株式会社 取締役 原子力本部 伊方発電所長 柿木一高と明記されています。福島第二原子力発電所の所長は、東京電力株式会社 福島第二原子力発電所長 高橋明男 となっています。

四国電力の所長は「取締役」、つまり、会社経営の役員ですが、東電の所長は社員ということになります。会社の思想や組織体系が両社では全く違う、私は今もそう思っています。東京電力であるから今回のような事故が起きた、そう断言しても良いとさえ思います。

ある幹部が重要なことを話してくださいました。
「全国の原子力発電所には、国の役人が常駐しています。その人たちは、私たちをまるで監視しているかのように、箸の上げ下ろしまで見ているのです。若い社員は『何か、私たちは悪いことをしているみたいでいやになる』と言っています。モチベーションの低下が本当に心配です。」

私はこのこと、今回問題になった「現場から逃げ去った無能で悪質な原子力安全保安院の役人たち」が、現場である原子力発電所で働く人々のやる気を失わせている」という事実を世界に向けて発信していきたいと思います。冒頭のアメリカの原子力発電所の内部調査と正反対のことをしているのですから、そのことを世界中に知らせる必要がある、私にはその責任があると考えます。

現場に常駐している原子力安全保安院制度について説明します。

経済産業省発行の「原発2007」より
原子力防災対策については、従来から災害対策基本法に基づいて、国、地方公共団体において防災計画を定めるなどの措置が講じられてきました。1997年6月には、災害対策基本法の枠組みの中で、関係者の役割分担の明確化などを内容とする防災基本計画原子力災害対策編が策定されました。
<中略>
1999年9月のJCOウラン加工施設における事故への対応において、初動段階で事故の状況の迅速かつ正確な把握の遅れなどの問題が明らかとなりました。このため1999年12月に@迅速な初期動作と、国、都道府県及び市町村の連携強化、A原子力災害の特殊性に応じた国の緊急時対応体制の強化、B原子力防災における事業者の役割の明確化などを規定した「原子力災害対策特別措置法(原災法)」が成立し、原子力防災対策の根本的な強化を図ることになりました。
<中略>
現地に駐在している原子力防災専門官が原子力近傍に設置されている緊急事態応急対策拠点施設(オフサイトセンター)において警戒態勢の立ち上げを行うなど、原子力災害対策のための業務を実施します。
<中略>
 原災法においては、平時より原子力防災専門官が現地に駐在し、事業者や地方公共団体と連携した活動を行うとともに、原子力緊急事態が発生した際には、あらかじめ指定されたオフサイトセンターに原子力災害合同対策協議会を組織することとされています。
<終了>

彼らは、「バケツで臨界」という世界最低の恥ずかしい原子力事故を起こした施設の管理もできていなかったのです。張本人なのです。しかしながら、その後彼らは、マスコミや世論の間違った「扇動」で、さらに自分たちの「支配力」を強化することに成功したのです。

さて、実に愉快な記録をお見せしましょう。それは、2007年の中越沖地震後にあの「原子力安全保安院」が出した中間報告書です。

<引用開始>
C電源の確保
冷やす機能を確保する上で、燃料から発生する熱を除去する系統を作動させるために必要な電源確保が重要である。このため、停電や送電系統の故障により外部電源が確保できなくなった場合を想定して、非常用のディーゼル発電機(DG)が各号機に複数備えられている。
今回は、大規模な地震であったにもかかわらず、地震直後に4系列ある外部電源(送電系統)のうち3系列(後に一時的に2系列)が確保されていたため、非常用DGを用いるには至らなかった。
しかしながら、非常用DG の健全性は速やかに確認しておくことが必要であるため、地震後のパトロール及びその後行われた点検において、非常用DGに損傷がないことを確認するとともに、月1回の定例試験(7月25日に地震後初めて実施)により、当該DGの作動確認試験を行い健全性が確認された。
したがって、今回の地震により仮に外部電源が喪失していたとしても、非常用DGによる電源が確保されていたものと判断される。
以上のことから、「電源の確保」はできていたと評価する。
http://www.nisa.meti.go.jp/shingikai/800/16/090213.pdf

この報告書によると制御棒投入は地震発生2秒後に行われています。東京ディズニーランドのジェットコースタータイプのアトラクションのタワーと呼ばれる運転モニターキャストは、いつでも停止できるように常にエマジェンシー・ストップボタンに手を置いていいます。同様に、いつでも手動停止できる役割の原子力発電所中央制御室の所員が手動停止ボタンを押し停止させたのか、地震の高い加速度を感知したコンピュータが自動停止させたのかは記述がありませんが、いずれにしても「最大相対変化(最大の揺れ)」以前に制御棒が投入されている点は高く評価されているのです。つまり、現場は正しい仕事をして、正しい結果を出したということです。

最大の揺れの前に原発に対し「止めろ」という指示が出せたこと、火災を放っておいて冷温停止に集中したこと、東京電力は経営陣には大きな問題がありますが、現場の運転者は立派な人たちである、私はこのことを世界中の人々に知ってもらいたいと考えます。

このことは、あることを教えてくれています。それは、現場には無知な役人は必要ないということです。

菅直人前首相が言うように、役人は本当にバカなのです。私は東京ディズニーランド勤務時代に、何回も横浜の旧運輸省にチケットやカレンダーを届けました。「このチケットで視察に来てください」と伝えていますから賄賂性はありませんが、彼らがチケットを私物化しているとすれば、収賄になります。私が在任中は一度も視察に来たことがありません。私物化している可能性が極めて高いと思います。

さて、ここまで二つの原子力発電所で体験したこと、「本当にあった」話を中心に記してきました。

私が一番言いたいことは、福島第二原子力発電所の当時の高橋所長を唸らせた私のこの一言です。

「安全管理上、最も大切なことは、護送船団に入らないこと、国や関係組織からの通達は無視すること、だからディズニーランドは成功し続けているのです。」

産業界には、役人を寄生させない健全な組織でなくては事故や不祥事は防ぐことはできないという「勝利の方程式」が存在するのです。

今後も追求をしないとさらに現場から逃げた役人はさらに逃げ続けます。絶対に、「私たちも無責任であったことを反省します。ぜひ処分してください」などとは考えません。

東京電力を責め立てても感情が高ぶるだけでメリットはありません。全国民にとっと本当の敵は役人組織である、実利を得るためにはこの国に寄生する国家公務員を激減させることしかない、私はそう考えドリーム党の政策づくりを進めたいと思います。

長くなりました。ここまでお読みくださいまして本当にありがとうございます。最後に私も行った東京ディズニーランドのアトラクション、ジャングルクルーズのスピールのほんの一部をお楽しみください。

あっ、みなさん見てください。(ゴリラにキャンプを襲われた)探検隊がサイに追いつめられています。
(ポールに上っている5人の探検隊員のうち)一番下の人には・・・勇気があった。
まんなかの三人には・・・知恵があった。
一番上の(白人の)隊長さん・・・・勇気も知恵もなかった。
あったのは逃げ足の速さだけ。
ジャングルで生き延びるのに大切なこと、それは逃げ足の速さなんですね。

(そしてジャングルクルーズの終着点へ)
みなさん、これからみなさんをこのジャングルで最も危険で、最も恐ろしいところにご案内します・・・・・それはみなさんが住む文明社会です。

posted by M.NAKAMURA at 15:49| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

高句麗からの渡来人は人知れずに母国に帰っていった

埼玉県南西部を歩いていると色々な史実に出会います。

たとえば、入間市木蓮寺にある桂川神社の由緒には、「入間市大字木蓮寺字元狭山八百七十八番地と明記されています。これは、歴史上この地が元狭山村の支配下にあったことを示しますが、埼玉県も入間市もそんな史実はなかったことにしています。

桂川神社 .JPG


もう一つ、高麗神社脇にある高句麗からの渡来人の王である若光の墓があるとされる聖天院(しょうでんいん)には、なんと弘法大師の像が・・・

弘法大師 006.JPG


このことについて、本当の歴史を中学生でも分かるように簡単に記します。

ときは、666年。朝鮮半島北部から現在の中国北西部を支配してきた高句麗は、たびたび唐の侵略を受けたが、青野作戦(人々の暮らす野を空にして山の上に蓄えたてこもり、侵攻してきた敵に米一粒も与えないで消耗させる頭脳的作戦)をもって敵を打倒してきたが、山に火をつけられ苦境に陥った。

高句麗が滅亡することを恐れた国王は、若き王子一行を日本に送った。日本には弥生時代から、「中国(シルクロード)を経由して逃げてきた渡来人」や「百済人のように敵に滅ぼされてやってきた朝鮮系渡来人」がたくさんおり、当時は、和(算数の「和」、民族+民族=「和」)をもって貴しとす、という外国人受け入れの思想が行きわたっていた。

668年高句麗は唐により滅ぼされた。この間に高句麗から日本に渡来した朝鮮民族は相当数であった。
日本国の朝廷(時の最高権力者)は、渡来人を厚遇し「東の国(牟佐志?)」に生活の地をあたえた。現在の狛江市などはその時の地名が残っていると考えるべきである。

694年、大和(現在の奈良)の朝廷は、藤原京という権力の本陣を築いた。これをみた高句麗からの渡来人は「甘い、中国の大軍が攻めてきたら防ぎきれない。背後にがけのような山がある狭い野に本陣を構えないと平安はない。
」と進言。

アメリカ合衆国同様に、もともと、日本は渡来人の「和」であることを心得ている大和朝廷はこのアイデアを即座に受け入れ、藤原京から北方の狭い野に平城京を建設し再遷都した。それは710年のことであった。

この時に活躍したのが、高句麗から渡って来た渡来人だ。彼らは位置的に日本より早く大陸の文明を知る地域に住んでいた。馬の扱いや製鉄、木造建築などの分野で平城京づくりに大きく貢献したのである。

「東の国」に住む高句麗人も、日本に助けてもらった恩義もあり、平城京遷都の仕事に加わった。持てる知恵、力を出し切ったのである。

この時に、奈良平野の西の野に居を構えた高句麗人は「西野」の姓を北の野に居を構えた高句麗人には「北野」の姓が与えられている。(このことは、当時からの家系を有する西野和弘氏から教えていただいた)

大和朝廷は喜び、東の国に散っている高句麗人に「高麗郷」という地を与えた。その地が現在の高麗神社がある日高市周辺なのである。

この背後に山が迫る「狭い野」に政権の本陣を構えるという知恵は、平安京、鎌倉幕府へと継承されていくことになる。

710年に平城京遷都がなされ、2010年に1300周年記念のイベントが行われたが、遷都6年後の716に高麗郷が誕生した。つまり、平城京遷都を見届けた高句麗人は6年かけて奥武蔵の地に結集したのである。高麗神社では2016年に1300年記念のイベントが催される。
http://www.komajinja.or.jp/1300year.html

話はこれだけでは終わらない。

平安の内に野を開拓し、高句麗の地に信仰の神社を築いてきた若光を中心とする高句麗人は、728年にある知らせを受け取る。

それは、以前に高句麗が支配していた領域の朝鮮半島を除いた部分(朝鮮半島は「新羅」という国が支配していた)を高句麗民族や周辺の騎馬民族が「唐」から取り戻し、「渤海」という国を築いているという願ってもいなかった朗報であった。
渤海 ウィキペディアより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A4%E6%B5%B7_(%E5%9B%BD)

高句麗人は、人知れずに新天地渤海へと帰っていったのである。

渤海に帰った彼らは、今度は日本からの渡来を歓迎した。新羅は敵国であるから、若狭湾(福井県)と渤海を結ぶ交流がなされたのであろう。遣唐使も何回も渤海経由で長安(西安)に入っている。

弘法大師、空海が渤海経由で長安に入ったかどうかの記録はないが、高句麗の地、旧高麗郷に弘法大師の像が建てられていることから類推すると、弘法大師が四国につくった満濃池という溜池は長安ではなくて、渤海から学んだ可能性も否定できない。だから、旧高麗郷に弘法大師の像がある、そう考えたほうが納得がいくのである。
満濃池
http://www.maff.go.jp/j/nousin/sekkei/museum/m_kakuti/46_manno/index.html

666年に日本に渡来した高句麗人一行は、六十数年後に静かに帰っていった。今、旧高麗郷の地を訪れても高句麗文化は何一つ残されていない。

それでも、彼らは「白髭神社」と「赤」を残した。

「すとりーてらぁ」小林サヤ佳さんに教えていただいた「彼らが残した赤」

命の

絆の

情熱の

太陽の

思い出の

そして・・・マンジュシャゲの赤

高句麗1 002.JPG


ウィキペディアより
高松塚古墳
壁画について、発掘当初から、高句麗古墳群(世界遺産)と比較する研究がなされている[3]。四神はそもそも高句麗様式の古墳に特徴的なモチーフであるが、高松塚古墳およびキトラ古墳では高句麗の画風とは異なった日本独自の画風で四神図が描かれていることが指摘されている一方で、天空図に関しては、高句麗から伝来した原図を用いた可能性が指摘されている[4]。また、女子群像の服装は、高句麗古墳の愁撫塚や舞踊塚の壁画の婦人像の服装と相似することが指摘されている[5]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%9D%BE%E5%A1%9A%E5%8F%A4%E5%A2%B3


高松塚古墳 002.JPG

高松塚古墳が大野安麻呂の墓、つまり高句麗人以外の墓としている歴史家がほとんどだが、歴史を日本人優位説で解釈しても何のメリットもない。北朝鮮も含めた朝鮮民族との友好を深めるためには、正しい歴史認識とお互いが助け合ってきた史実を尊重し、互いに敬意を持ってこれからの歴史をつくっていくという前向きな姿勢が必要なのである。






posted by M.NAKAMURA at 12:25| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月22日

小沢一郎裁判と夏目漱石の「草枕」

聖書を読みながら自殺した芥川龍之介が残した言葉である。

「輿論は常に私刑であり、私刑は又常に娯楽である。たとひピストルを用ふる代わりに新聞の記事を用ひたとしても」

私刑とは何か。世界では私刑とは「リンチ」と表されるのである。

聖書の言葉を引用する。
姦淫の場で捕えられた一人の女が、律法学者らに石を投げられる場面でのイエス・キリストの言葉である。

「あなたがたのうちで罪のないものが、最初に彼女に石を投げなさい。」
ヨハネの福音書 8章7節

「クリーンハンドの原則(自らがクリーンハンドでなくては、相手のダーティを責められない)」も同じである。日本社会はメクラ判社会である。どこの会社でも経理は「経理部」と「税理士」にまかせ、経営者は細かい内容をチェックせずにメクラ判を押すことが慣習となっている社会である。

この原則により一度でもメクラ判を押したことのある「ダーティーハンドの者」は、小沢一郎が政治資金収支報告書にたとえメクラ判を押したとしても、批判することは許されないのである。

次に、この「メクラ判を押す」行為がどの程度の罪なのかを考察する。聖書では、このような形式犯、手続き違反など、人間が人間を制御するためにつくった律法と、殺人や盗みなど、神によってつくられ、すべての人間の遺伝子に組み込まれている律法(原則)を明瞭に分けている。

「悪い考え、殺人、姦淫、盗み、偽証、ののしりは、心から出てくるからです。これらは人を汚すものです。しかし、洗わない手で食べることは人を汚しません。」
マタイの福音書16章19節、20節

人間のつくった「洗わない手で食べる、人を汚さない決めごと」である政治資金報告書の記載漏れや、以前に問われた「贈収賄」とは次元の違う犯罪なのである。

五十嵐文彦財務副大臣のブログから

官の権威
2009.03.26 Thursday
 小沢代表の秘書の起訴について、人気テレビキャスターが「政治資金規正法違反は重罪ですよ」と発言していました。報道する側が「重罪」という極めて強い非難の言葉を安易に用いるのは問題です。法的には重罪ではありません。裁判が確定するまでは推定無罪の原則もあります。
 政治家がたやすく大金を集める手法に対する国民の反発は当然ですし、改めるべきだと考えます。政党、そも党首としての反省も必要です。
 しかし、麻生政権は政敵を重罪犯扱いしてイメージを損ない、政権交代の大義を覆そうとしているように見えます。未だに「官の権威」に弱いという日本国民の習性を悪用しているのではないでしょうか。
 永田メール事件を思い出します。政府が窮地に陥った時にニセ・メール事件は人為的に起こされました。ニセ・メールの作者は政府要人と友人で、銀座を飲み歩いていました。正義感が強く、功名心にはやった有能な若者がだまされ、糾弾され、命を落としました。だました男たちは全く追及されませんでした。私の携帯には、未だに永田寿康さんの携帯番号が残っています。心配して掛けてもついに返って来ることのなかった番号です。まだ削除することができません。可哀想でたまりません。悔しくてたまりません。
 権力は何でもする。権力は許されてしまう。それを勘案して、報道機関も、報道の受け手も判断していただきたいと思います。
<終了>

ここで、小沢一郎元幹事長を苦しめている検察審査会とは何かを確認しておく。ウィキペディアより
「日本の検察審査会は、戦後GHQ が日本政府に対し検察の民主化のために大陪審制及び検察官公選制を求めたのに対し、日本政府が抵抗した結果、妥協の産物として設けられたものである。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%99%AA%E5%AF%A9

アメリカ側が提案した検察官公選制により、役人支配層に民間人が入り込むことを恐れた日本側の役人が、強烈に反対して「手に入れた制度」なのである。

マスメディアは、このような知識を有しているにもかかわらず、役人支配層から相手にされなくなることを恐れ、「知らんぷり」を図っているのである。アメリカ側が懸念した「検察の暴走社会の悲劇」を世に伝えることなく、表面的な検察批判にとどめている、つまり国民をだましているのである。

小沢一郎裁判を単純化して表せば、「バカと阿呆のだまし合い」がもたらした、人権侵害の国家的犯罪である。集団リンチが国家をあげてなされているのであるから。

芥川龍之介は、阿呆をこう表現している。
「阿呆はいつも、彼以外の者を阿呆であると信じている。」

最後に、このような愚行を繰り返す、明治維新以降にアメリカによって変質された「日本人」の特性について、夏目漱石の「草枕」の引用文をもって明らかにしたい。

「世の中はしつこい、毒々しい、こせこせした、そのうえずうずうしいいやなやつで埋っている。」
「五年も十年も人の尻に探偵をつけて、人のひる屁の勘定をして、それが人生だと思っている。そうして人の前に出てきて、御前は屁をいくつひった、いくつひったと頼みもせぬことを教える。前へ出て云うならそれも参考にしてやらんでもないが、後ろの方から御前は屁をいくつひった、いくつひったと云う。分かったと云ってもなおなお云う。よせと云えば益々云う。そうしてそれが処世の方針だと云う。」

今、この国に住む者は、小沢一郎の「屁をひった」勘定をするのではなく、まさに小沢一郎が言うように「天下国家」を考えた高コンプライアンスで国民主権型の知行合一(ちこうごういつ「知ること」と「行うこと、心の働き」は分けられない)を実践しなくてはならない。

過去は変えることはできないが、未来は変えられる。日本人力の再構築が、今、世界中から求められているのである。
posted by M.NAKAMURA at 09:39| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月21日

「自然エネルギー 大きく育てたい純国産」東京新聞社説に反応します。


 自然エネルギーの固定価格買い取り制度が七月から動きだす。小出力の電源ではあるが純国産だ。火力発電の燃料高で生じる所得の海外流出を抑え、日本経済に元気を取り戻す役割も担わせたい。
<引用終了>

実に的を射ています。これからの日本は所得の海外流失を防ぐ政策を何よりも優先させなくてはなりません。

2010年のチリ地震により、木材チップがチリから22%輸入されていることが分かりました。
自民党政権時代に日本の商社をもうけさせ、外国に所得が流れるシステムが出来上がってしまいました。それは、日本の森林では雇用も所得も発生させず、森林大国アメリカに巨大な利益をもたらすという「日米政府」と「日米の商社」の策略です。もちろん、裏で暗躍しているのはユダヤです。

これからは、東京電力だよりから脱却し、私たちの国の木材を惜しみなく使うバイオマス発電システム育成に、私たちの所得(税金)をつぎ込みましょう。膨大な雇用と所得が生み出されます。

吾妻バイオパワー
発電量13,600キロワット
カバー世帯数 23,000世帯
一日当たりの使用木クズ 433トン 10トントラック43台分
http://agatsuma.orix-eco.jp/service/index.htm


川崎バイオマス発電
発電量 33,000キロワット
カバー世帯数 40,000世帯
一日当たりの使用木クズ 600トン 10トントラック60台分
http://www.kawasaki-biomass.jp/

福島市 114,293世帯
会津若松市49,447世帯
郡山市128,387世帯
いわき市139,720世帯
白河市23,184世帯
須賀川市26,658世帯
喜多方市18,401世帯
相馬市13,615世帯
二本松市19,118世帯
田村市12,373世帯
南相馬市23,764世帯
伊達市21,796世帯
本宮市9,654世帯

計算上、福島市は川崎型バイオマス発電所3基で地産地消エネルギーを確保できるのです。白河市の世帯数なら吾妻型バイオマス発電所1基です。(オフィス用は資料がないので計算に入れていませんが、水力発電や太陽光発電などをくわえれば、夏のピーク時も乗り越えられるものと考えます。)

木を切る雇用、木を加工してチップにする雇用、運ぶ雇用などの「国産」の雇用が拡大します。これを日本全国で行い、競争力をつけるために電気代を実質無料化すれば、日本経済は劇的に生産性が向上するに違いありません。

当面は原発を維持管理しなくてはなりませんが、このシステムが完成した10年後くらいには間違いなく原発は停止できます。その後の原発は、解体し、最新の安全装置を取りつけたうえで、電力不足の途上国へ輸出すればよいのです。

大前研一氏著「知」の衰退からいかに脱出するか 光文社によると世界で、完全な原発プラントを建設できるのは、フランスのアルヴァ社と日本の3社(三菱、日立、東芝)だけだそうです。
日本には必要なくなる日が来ますが、10年後も電力不足で苦しんでいる国はなくならない、私はそう考えます。

菅直人首相時代のブログより
人間が使うエネルギーも、産業革命で石炭を燃すようになるまでは、大半を植物から得ていました。ある学者は、「地球上の植物の1年間の成長分の8分の1だけを利用して、それを腐らせる代わりに全てエネルギーに変換できれば、全人類が現在1年間に使っているエネルギー総量をまかなえる」と試算しています。二酸化炭素を出すプロセスを利用するだけなので、これによって大気中の二酸化炭素の総量が増大することはありません。この様に、風力や太陽光エネルギー以上に大きな可能性を持つのが植物、つまりバイオマス・エネルギーです。
http://kanfullblog.kantei.go.jp/2011/08/20110829-3.html

ドリーム党は菅直人前首相の「植物党」づくりを応援します。

posted by M.NAKAMURA at 15:17| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「ざまーみろ」の本当の意味

石原慎太郎東京都知事も「ざまあみろ」という発言をしています。
http://news.nicovideo.jp/watch/nw64383

このことばは典型的な公家ことばです。このことばは「様を見ろ」から来ていると誰もが信じ切っていますが、明らかに間違っています。

「ざまーみろ」は、「座間を見なさい」という鎌倉時代の公家ことばでした。鎌倉から見ると座間(現在の座間市)は、鎌倉街道沿いの「はるか向こう」でした。「座間」とは仏さまの座る場所という位置付けだったのでしょう。「はるか向こう」の「仏の座」を見なさい、近くを見ないで遠くを見なさい、仏さまの視点で物事を考えなさい、そういう意味なのであり、失敗した人を嘲笑うような下品なことばではないのです。

京ことばは、zamaomiro を zama‐miroのように二重母音をなまらせる特徴があります。
出典 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E8%A8%80%E8%91%89

「座間を見なさい」が庶民のことばとして「ざまーみろ」になり、無知な人々により曲解されて伝わってしまったのです。

どなたか、石原知事に本当のことを教えてあげてください。
posted by M.NAKAMURA at 10:09| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月20日

「牟佐志国」とは 今、日本の歴史を変える本を書いています。

御田八幡神社
ウィキペディアより
和銅2年(709年)8月、東国鎮護の神として牟佐志国牧岡の地に祀られたのに始まる。寛弘7年(1011年)、武蔵国御田郷久保三田に遷座し、嵯峨源氏渡辺一党の氏神として尊崇された。延喜式神名帳には「武蔵国荏原郡 稗田神社(ひえだじんじゃ)」として記載されている。ただし、「延喜式内稗田神社」は、大田区蒲田の稗田神社・東六郷の六郷神社も論社となっている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E7%94%B0%E5%85%AB%E5%B9%A1%E7%A5%9E%E7%A4%BE

牟佐志.JPG


この写真は港区で撮影したものではありません。埼玉県の旧武蔵町内で撮影したものです。

本の題名は未定ですが、時代は鎌倉時代であり、鎌倉幕府と「牟佐志国」の関わりを明らかにしていきます。この本により、いつか必ず教科書の日本史内容が大きく変わる日がくるに違いない、筆者はそう確信しています。

書きかけの「はじめに」を記しておきます。
はじめに
スタジオジブリというより宮崎アニメの大ファンです。数多い作品の中でも映画「もののけ姫」は日本人の遺伝子が組み込まれていない人間には絶対に理解できない作品であり、日本中で行われている欧米人と学者がつくった学校教育を受けるより、この作品を鑑賞させたほうがはるかに効率的です。効率的というとすぐに西洋方式のベルトコンベアー的効率と考えてしまう人が多いのですが、その考えは間違っていることに気がつかなくてはなりません。

17世紀初頭にアメリカに自由を求めて移住した清教徒は、ピューリタンの思想を土台にすることにより、共同体建設の理念を明確にしました。その理念を現実にするために、決めごとをつくり、その決めごとを一族全員が守ることにより「効率(efficiency)」が得られるということを知っていました。
ディズニーランドの考え方も同じです。ゲストやキャストの安全を第一に考え、自分以外の者への思いやりを欠かさず、最高のおもてなし(英語でエンターテイメント)を提供する、こうすることによりゲストのリピートという最大の「効率」が得られるのです。

宮崎駿監督は映画「もののけ姫」のパンフレットのなかで以下のように語っています。
「最近の歴史学、民俗学、考古学によって一般に流布されているイメージより、この国はずっと豊かで多様な歴史を持っていたことが判っている。」
「武士と百姓の区別は定かでなく、女達も職人尽くしの絵にあるように、より大らかに自由であった。」
「タタラ者と呼ばれた製鉄集団の、技術者、労務者、鍛冶、砂鉄採り、炭焼き。馬宿あるいは牛飼いの運送人達。彼らは武装もし、工場制手工業ともいえる独自の組織をつくりあげている。」

この本を読むことにより、映画「もののけ姫」に登場するタタラ集団を率いるエボシ御前とは何者か、どうしてこのような集団ができ、日本の国づくりの歴史に加わってきたのかが手に取るように判ってきます。そして、これまで教え込まれてきた歴史と常識は、そのほとんどが時の支配者の手で書き換えられた「にせもの」であったことに容易に気がつくでしょう。

目からうろこが落ちるに違いありません。なぜならば、神話という作り話と違い確たる証拠が残っているからです。筆者が集めた情報は、今日のビジネス上の思惑だけで宣伝されている「狭山茶」の常識を一変させるに違いありません。いや、全国民のお茶に対する価値観そのものを大きく変えてしまうことになるでしょう。
夏目漱石が「西洋の猿まね」と評した和魂洋才という欧米人による日本人愚民化作戦は功を奏し、今や日本人には組み込まれていないソフトウエアを強制的に使わされているため、ほとんどの日本人は誤作動による健康被害、精神被害を受け続けています。

この本で主張したいことは一つです。「故きを温ねて新しきを知る(ふるきをたずねてあたらしきをしる)」のです。新しい歴史は子どもたちだけでなく、日本人にとって大きな希望につながります。荒廃した今の社会、私たちはもう迷っている時ではありません。新しい歴史は私たち市民がつくっていくしかないのですから。



posted by M.NAKAMURA at 13:14| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする