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ザ・ピーナッツの伊藤エミさん死去 15日に71歳で

死去した伊藤エミさん
死去した伊藤エミさん
Photo By 共同 

 「恋のバカンス」「恋のフーガ」などのヒット曲で知られ、1960〜70年代に一世を風びした双子姉妹「ザ・ピーナッツ」の姉、伊藤エミ(いとう・えみ、本名澤田日出代=さわだ・ひでよ)さんが15日、東京都内で死去した。71歳。愛知県常滑市出身。死因など詳細は非公表。葬儀・告別式は近親者で済ませた。引退した75年以降は、公の場に姿を見せることはなかった。

 最期の時はザ・ピーナッツで過ごした。関係者によると、晩年は病気で療養生活を送り、独身の妹ユミさんと暮らしていた。関係者は「最期をみとったのも妹さんだと聞いてます」と明かした。

 名古屋市立西陵商業高校を中退後、「伊藤シスターズ」として同市内などで歌っていたところ、58年に大手芸能事務所「渡辺プロダクション」にスカウトされて上京。59年、レコード各社の争奪戦の末、キングレコードから「可愛い花」でデビューした。

 ユミさんのメロディーに、エミさんがコーラスを重ね、一卵性双生児らしい息の合ったハーモニーと抜群の歌唱力で注目された。顔は、ほくろで見分け、エミさんは左目の横にあった。フジテレビ「ザ・ヒットパレード」のレギュラーに起用されるなど一気にスターの座に。日本テレビ「シャボン玉ホリデー」では61〜72年まで司会を務め、日曜日の夜の茶の間をにぎわせた。

 宮川泰さんの編曲で「情熱の花」などの米国ヒット曲をカバーして大ヒットを連発し、NHK紅白歌合戦には59年から16年連続出場。女優活動も行い、61年の特撮映画「モスラ」で演じた双子の妖精・小美人役は有名。劇中歌「モスラの歌」も歌い、♪モスラヤ モスラ…と独特な歌詞が話題になった。

 全盛期を知る当時の渡辺プロ関係者は「とにかく気さくで良い人だった。スタッフにも頭を下げる人で、スターだからと威張るようなことはしない人」と振り返り、仕事仲間からも愛される存在だった。人気絶頂の75年2月、引退発表。同年6月には同じ渡辺プロ所属で「東京の女」の作曲を手がけた歌手沢田研二(64)と結婚。1男をもうけたが87年1月に離婚した。

 75年4月5日のNHKホール公演を最後に引退。その後、「ザ・ピーナッツ展」などの催しにも姿を見せることはなかった。87年1月、最大の恩師、渡辺プロ社長の渡邊晋さんが急死した際は、人目につかないように弔問していたという。

 ◆伊藤 エミ(いとう・えみ)本名澤田日出代。1941年(昭16)4月1日、愛知県出身。小学生のころから合唱団に参加。デビューした59年から74年までNHK紅白歌合戦に連続出場。「シャボン玉ホリデー」では歌声だけでなく、コントも披露。

[ 2012年6月28日 06:00 ]

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