きょうのコラム「時鐘」 2012年6月28日

 ソラマメを食べた。梅雨(つゆ)の晴れ間にゆでた豆は、翡翠(ひすい)のような美しさだ

ソラマメ、エンドウ、サヤインゲン。この季節(きせつ)の豆はどれも見事な色である。サクランボも輝(かがや)いている。梅干(うめぼ)し用のウメも店頭に並んでいる。初夏の「小さな実」はみな生き生きしている。命の芽(め)を秘(ひ)めた小宇宙だ

読者の投書に豆の話があった。中学生のころ、母の作った弁当(べんとう)を開けたら、おかずは煮豆(にまめ)だけだった。ご飯が豆汁で染(そ)まっていた。恥(は)ずかしくて箸(はし)をつけることができなかったという。今はそんな自分が恥ずかしいと50代の女性がつづっている

北國文華(ほっこくぶんか)・夏号の大樋長左衛門(おおひちょうざえもん)さんの幼(おさな)い日の思い出も印象深かった。「青い空日の丸弁当おいしいな」。この俳句が教師にほめられた。自分が認められる感激(かんげき)を知った初めだという。弁当にはちょっとした初恋に似た味もある

戦後の一時期まで弁当を持ってこられない子がクラスにいた。先生が自分の弁当を分けていた。いま「弁当男子(べんとうだんし)」の言葉を生むほどの弁当ブームの時代だ。煮豆。梅干し。味覚(みかく)は記憶(きおく)をよみがえらせる。必死(ひっし)に生きていた親や恩師(おんし)を思い出す。