2012年01月16日

橋下市長のここが危ない

大阪市の橋下市長が、自分を批判する学者たちとの公開討論を求めているそうだ。
見方を変えると、これは権力者橋下市長による「狩り」とも言える。

特に公人は、ある主張を掲げた時点で、それに賛否を始めとするさまざまな意見が浴びせられて当然だということも、同時に引き受ける。
健全に機能しているリーダーならば、そのことを忘れているはずがないのだが。橋下市長は、自分を批判する者を一人一人叩かずにはいられないのだろうか。
悪政と闘った民衆のリーダーが、ついに政権を手にした後に、自ら独裁の道を歩むことがあるが、橋下市長の「狩り」にはそういう匂いがまとわりついている。

今、世間には、橋下市長への意見を表立って口にするのをはばかる空気があるようだ。
橋下市長の発言の口調が、最初から噛みつくようなけんか腰だからにしても、主張の強い相手を怖がって口を閉じ、身をすくめ息を潜めるのは、日本人の悪い癖だ。

橋下氏に投票した人たちは、これをどう考えているだろう。
橋下氏に投票することで、これまでの行政に対する鬱憤を晴らしただけなのだろうか。それとも、単にメディアに煽られて、知名度のあるアイドルにノリで一票を投じただけなのか。
地域の立て直しを願い、共に世直しをするつもりで、そのリーダーに橋下氏を選んだ人たちが今も志を変えていなければ、今こそ軌道修正を考えるべき時だ。

大阪市に限ったことではない。
今のままでは、政治に関わる有権者として日本人は田舎者のまま、そこから抜け出すことはできない。その一端がここに現れている。

橋下市長とは対照的に、けんか腰ではないのに危険な人の例は、次回。

posted by 金の龍星新社 at 00:12| 人物 | 更新情報をチェックする