中国は、日本を丸ごと中国にしたい。
韓国は、日本が妬ましくて日本になりたい。
アメリカは、日本が生み出すものを取り上げたい。
ロシアは、誰の島でも住めればいい。
日本列島の上では、他国のさまざまな意図が交錯している。しかし、日本列島は日本のものである。
海を渡って来た人々の影響で日本の国が成り立ったという説は、もっともでもある。が、だからといって、日本は中国でもなければ韓国でもない。
古代、他所からこの列島に初めてやって来た人々は、この地域の自然に感銘し、この地と共に生きたい、この地にふさわしい者でありたいと願ったのではないだろうか。その彼らと、この列島に元々暮らしていた者たちが共に、この地域の気候風土によって精神を培われ、そして作り上げてきた、ここはまぎれもない日本という国なのだ。
周囲360度に開かれた日本列島では、現代人の思いも及ばないような、遠方からのDNAが混じり合ったことだろう。
しかし、それは、ここが誰をも受け入れる国であることを意味しない。この国は、ここで生きる者を選ぶのだ。
この国の気候風土によって培われた精神性に共鳴し、そのような在り方で生きる者たちが、信教や国籍や民族、習慣の違いに関わらず、人と人同士でつながりあい、この国に敬意を持って生きていく。ここはそういう国なのだ。
そうでない者は、この国に立ち入るべからず。この国に入れるべからず。でなければ、日本という国の、存在の意味が失われる。
日本国内には、他国が侵攻してきた場合には、抵抗せずに侵攻を受け入れると宣言している都市もあるが、それは果たして平和主義と言えるのか。こういうことが日本で起こるのを許す宣言となるのではなかろうか。
参考:
http://tibet.turigane.com/tibetmurder.html
http://tibet.turigane.com/tibetanrights.html
国防や、愛国、護国、という言葉を見聞きすると、すぐに戦争と結びつけてナーバスに反応する人たちは、会社員が自分の会社の悪口を言うのに似ているが、いったい何の高をくくって国防に悪口を言えるのか。
どのような考えを持っていようと、誰もが、感情的な反応をする前に、何のために国境があるのかという根本的な点を考えなければならない。
国境とは、縄張り意識のためにあるのではない。
国と国との、自他互いのリスペクトを確かめ合ってこその、信用と信頼。この信用と信頼があって初めて、互いに安全だという確信が生まれ、緊張することなく互いに付き合えるという安心が生まれる。そこでやっと、人類には国境等の区別が不要だと、きれい事が言えるのだ。
遠い未来のいつの日か、国同士、人同士の、あらゆる境目が必要なくなる日が来るかもしれない。しかし、きれい事の未来に向かう途上には、きれい事では済まないプロセスを踏まねばならない。日本も世界も、まだ、その進化の途上にいる。
中国が、そのように信用できる国なのか。
韓国が、そのように信用できる国なのか。
アメリカは、ロシアは、そのように日本と信頼しあえる国なのか。
日本人は今、あらゆる主義主張の前提として、まず、ここがまぎれもない日本という国であることを自覚しなければならない。
ここは、他国の誰のものでもない。まぎれもなく、日本人の、日本の国である。
この自覚なくしては、外交も平和も、日本が立ち上がっていくことも、何も始めることができない。
中国と韓国が、日本を陥れたつもりで自分の首を絞めている件については、次回。
2012年02月11日
日本列島は誰のものか
posted by 金の龍星新社 at 23:15| 生活
|