日本は美しい。
真水は清く、土地や海が与えてくれるものは豊富だ。ここで育まれた、日本人の細やかな礼節や高い技術力は、世界から尊敬と賞賛を受けている。
ここ日本の国の気候風土で培われてきた日本の精神なくしては、日本人が日本人でなくしては、真水や海や山、産業も技術も、日本が誇る全ての「これぞ日本」を守り育ててくることはできなかった。
中国や韓国は、これら日本の日本たる所以を羨ましがり、これを自分のものにしようとしているが、あいにくと、中国人も韓国人も、日本の精神性を持った人たちではない。
いくら日本のメディアと教育を制して国を乗っ取ったも同然の状態にしても、いくら中国韓国人男性との結婚が日本人女性の憧れであるかのような風潮を作り、チベットやウイグルとは違った形で民族浄化を進めても、日本人が日本人だからこそ創ることを成し得た有形無形の財産を、彼らが手にすることはない。
彼らには日本の精神性がない。よって、日本の精神性によって育まれてきた何ものをも、同じように創り出すことも、守り育てていくこともできないからだ。たとえ日本の技術を横取りしても、その技術を持続継続させ、発展させることは、彼らにはできない。
日本でも、例えば腕時計など、他国の技術から学んで発展させたものがあるが、それが一時的で表面的なパクリでないことは、世界からの評価によって証明されている。
自国の土や水をわざわざ汚染する愚かな行為をしておきながら、それを浄化する努力もせず、よそ様から安全な水や食べ物を取ってこようとし、国ごと取って自分のものにすると、その土も水もまた汚染する中国人。
他国から学ぶ真摯さも、オリジナルの技術を極める根気も誇りもなく、堂々と世界に胸を張れない劣等感ゆえに、何事につけ韓国起源説を口にしては虚勢を張るものの、劣等感も他国への妬みも更に増す韓国人。
それが彼らの精神性である。
グローバル化した現代社会において、中国人や韓国人が嫌われるのは、すでに人種差別の理由からではなくなっている。中国人韓国人の言動行為そのものが、他人から嫌われているからだ。彼らの、人としての振る舞いが嫌われている。しかし、彼らのうち、そのことを理解できる者は少ない。改善しようと試みる者は更に少ない。
振り返ってみれば、日本人にとっての近現代は、国として人として成熟し、西欧に受け入れられるようになろうと努力を重ねた歴史でもある。日系移民は、言葉では言い尽くすことのできない歴史の道を辿ってきた。その先人たちの礎のおかげで、今の日本人は世界から受け入れてもらえ、生かされている。そのことをわかっている者たちが、日本の精神を未来につなぐ。
中国人にも韓国人にも、日本人と同じことはできない。日本国籍を取ったとしても、彼らが日本人になることはない。土壌となる精神が違うからだ。
精神論で片付けるべきでなければ、見方を変えよう。
日本人とは真っ当に勝負することができないからなのか、中国も韓国も、日本を目下に置くために、日本に自虐的な歴史観を植え付けようと励んできたが、これは先を見通せない者の愚策であった。
事実というものは、何の手も加えることのできない、ニュートラルな事実そのものだ。小説よりも奇なり、というような出来事であっても、紐解いて分析すれば、さまざまな要因事実が集まって成り立っていることがわかる。そのうちの一つにでも事実と異なるものが混じれば、全体が成り立たない。どこかに軋みや矛盾が生じる。
毒餃子事件の際、中国側の主張にどれだけの矛盾やほころびがあったか、思い出せばわかりやすいだろう。結果的に、一般の日本人の間に、彼らの話はまず嘘だという前提で扱おうという心構えができた。
中国も韓国も、日本を貶めるために策を弄し、歴史を始めさまざまな事実を歪曲捏造してきたが、うまく立ち回ったつもりでも、その嘘のせいで、自分たちの主張全般に証拠能力を失わせている。
ジャッジは、信頼できる証拠と事実のみによって為されるというのに。なぜ、自ら進んで自分の首を絞めることをするのか、あまりにも愚かしくて失笑することすら叶わない。
ひところ日本人の間には、捏造された歴史を信じ込み、日本が中国韓国にしたことを申し訳なく思う、と口にするのがアカデミックで上等な人間だという風潮があった。しかし、風潮は一過性の流行にすぎない。流行は移ろう。冷静沈着に事実を見極め、証拠を積み重ねて検証していく理性と知性が、今の流行である。精神論も感情論も、この理性知性を以て正当化されるのが、現在の世界的なスタンダードだ。過去の歴史は、今、新たに検証し直されつつある。
今とこれからの日本人は、中国や韓国にとって、いつまでもこうあって欲しいと思う日本人ではなくなっている。
中国韓国に申し訳ないと思う世代は消えていき、中国韓国がこれだけ日本に入り込んでいるところからスタートした世代は、単純に疑問に思うことだろう。反日教育をしているのに、なぜ日本と友好なのか、なぜ彼らは嫌いな日本に来るのか、と。
至極当然のこれらの質問に対して、中国韓国の答えは常に、「日本が何をしたのか知らないのか」の一点張りである。しかし、感情的に迫ったところで、日本人の性格の弱さにつけ込んでいるに過ぎず、戦後の時間経過の中で日本が努力してきた事実が、彼らの切り札の効力を失わせている。そもそも、直接の答えでもなければ論理性もなく、自ら事実を歪曲捏造したせいで根拠の信用性を失った言い分は、切り札ではない。
戦後これだけの年月、日本からの賠償や援助、ODAは何だったのか。
これが日本の真っ当な対応でないと言うのなら、客観的に見れば、むしろ中国韓国が、日本に依存する日本の属国という構図ではないか。
日本人がこの事実を自覚した時、他者を貶めるために策を弄した者が終焉する。
2012年02月18日
中国も韓国も、結局は日本を手に入れることができないという件
posted by 金の龍星新社 at 14:31| 生活
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