政府主催の東日本大震災一周年追悼式がテレビ中継されたが、何らかの違和感を感じた日本人はどれだけいるだろうか。
天皇陛下に微妙に最敬礼の姿勢をしなかった野田総理は、しなかったのではなく、腹がつかえてできなかったのかもしれないが、それはそれで国民のために身を削っていない証拠と言える。増税で日本を細らせるという血迷ったことをする前に、デフレ対策で日本人を生き延びさせることに心血を注ぐのが、今の日本の政治家の急務、最優先課題だろう。それとも、日本の政治家でないことをも証明する気でいるのだろうか。
天皇陛下のお言葉に起立しないのは、天皇問題の思想を云々する以前の、マナーや教養の欠如である。
中華民国台湾の代表を指名献花から除外したのは、政治的配慮という名で中国の顔色を窺う以前の、人として在るべき姿の欠如である。
この追悼式は政府主催ゆえ、これらの恥ずべき事実はまた、日本国民の総意ということになるのだが、日本人はそれでいいのか。
翌日の参院予算委員会で、台湾を指名献花から除外した件を追及された野田総理は陳謝したが、その内容を見れば、謝罪の仕方がいつもの詭弁パターンにすぎないことが一目瞭然だ。いつでも泥の中に逃げ込める、どじょう内閣とはよくぞ言ったものである。
その自称謝罪ですら、その翌日に藤村官房長官があっさり撤回し、念には念を入れて恥の上塗りをしてくれた。
日本人が選んだ政権の所業ゆえ、日本は恩を仇で返す国だと世界に表明することが、日本国民の総意となったのだが、日本人はそれでいいのか。
日本と日本人への温情を抜きにして、これを日本の外から客観的に見てみれば、日本人は劣化したと判断されて当然の事態だ。
口惜しいと思おうが、志なき政府のこの有様を恥と思おうが、日本人であるならば、民主党に投票しなかったからといって、連日の恥さらしの責任から逃れるわけにはいかない。民主党政権を批判だけしていれば自分は善人だといって済ませられると思っているなら、甘い。危機感がなさすぎる。
民主党政府が世界にさらしたこれらの民度の低さは、他人事でも、本人の個人的無教養や人間性のなさのせいでもなく、この政権を選んだ日本人全体の責任なのだ。それは認めなくてはならない。日本人がそこまで真剣にならなければ、どこを端緒に、日本を立ち直らせなくてはならないと奮い立つことができるのか。
衝撃的な責任の重さを、これではいけない、この状況を変えなくてはならないと、声を上げ行動していくための足場にしなければならない。
その上で、政府の態度は日本人の本意ではない、日本人はこんなではないと言いたいのなら、それを行動で証明しなければ、誰をも納得させることはできない。日本人にとって、そこからやり直さなければ、世界における日本の位置をとどめ続けることはできないだろう。
本来の日本人なら何をすべきか、実際にその行動をとるという選択肢が日本人にはある。できるのにしなければ、「沈黙は最大の加担」と同じことになる。
台湾の人たちと共有できる場所で、気持ちを伝えようとコメントを書き込む人たちもいる。
(参考:http://www.youtube.com/watch?v=rB36inEK__s)
優秀な台湾製品をアピールすることで意思表示をする人たちもいる。テレビでは報道されない情報を、周囲の人に知らせるよう努める人たちもいる。
何をすべきか、何ができるかを考え、行動をすることはできる。そういう日本人で在ろう。
目の前にあるものを自分で見聞きして、自分の力で考えることができないと操られるという話は、次回。
2012年03月15日
日本人は劣化している
posted by 金の龍星新社 at 10:26| 提案
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