目の前にあるものをそのまま見ると何がわかるか、自分をテストしてみよう。
例えば、出生率が発表される度に、気づく人はどれだけいるだろうか。
社会的風潮として婚外子が認められにくく、シングルマザーが生きにくい日本にあって、「○○歳〜○○歳の女性が生涯に出産する数」という統計条件は間違っている。「婚姻期間中の女性が生涯に出産する数」と、「婚外子を出産した女性の数および婚外子の数」などの条件を組み合わせた統計であれば、実情に近く、精度の高い統計情報として信頼できるはずなのだが。
そして、実際に、出生率が大きく報道され始めた十数年前には、「結婚した女性が生涯に出産する数」の数値は存在した。存在したが、発表はされない。その理由はなぜか、そして、発表された数字に日本人がコントロールされた結果、何に都合よく利用されるのか、考えを進めてみよう。
少しコツがつかめてきたら、応用してみよう。
近頃の、大阪市で提案されたバス運転手の給与削減の件で、比較された給与の根拠となる、統計の条件を知ろうとした人はどれだけいるだろう。
例えば、Aの条件が「25歳〜35歳の、それぞれの年齢から○人ずつ抽出し、算出した平均値」であった場合、比較対象であるBの条件も同じに揃えるはずなのだが。
Bの条件が例えば「30歳〜40歳」であれば、給与であれば特に、AとBの比較対象の間で数字の差が開く。また、給与なのか可処分所得なのかも統一条件でなければ、平均値の信憑性は損なわれる。
トリックはあったのかなかったのか、トリックがあったとしたら、そのメリットは何なのか、考えを進めてみよう。
目が慣れてくると、例えば、日本に帰化した人数における犯罪件数の比率といった、本来そこにあるはずの情報が、人目から隠されていることにも、気がつくようになる。
なぜなのか、その理由は、目に見えないようにされているがために、一目瞭然である。まるで禅問答のようだが、真贋は心眼で見極めるものだ。
目の前にあるものをそのまま見るということは、あてがわれた情報を、そのまま信奉することとは違う。穿った物の見方をするのが良いわけでもない。
目の前にあるものをそのまま見ると、そこから自ずと見えてくるものがある。
見えてくるものを見るべきだ。そして、思考せよ、日本人。
正しく行動するために、考えよう。
正しく行動しないと、最初の一手を間違えて、チェックメイトされることを決定づけてしまうという話は、次回。
2012年03月19日
失礼ながら、日本人の目は節穴でございますか?
posted by 金の龍星新社 at 01:31| 提案
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