2012年04月09日

中国人の入植サインを見逃すな

画像の一部が徐々に変化していく、アハ体験の画像をご存知だろうか。
徐々に変化していくので、画像の最初と最後では違っている箇所があると言われても、どこが変化したのか、すぐにはピンとこない。予め、変化すると予告されていても、じわじわと変化していくと、目の前で起こっていることなのに、何が起こっているのか気がつくのは難しい。
変化に気づこうとする意識がなければ、変化の兆しを探し当てようとする心構えがなければ、なすすべなく立ち尽くす自分の目の前で、いつの間にか変化は完了してしまう。

新潟市では現在、商業地区の計画が進められ、高層マンションの建設が進んでいる。
新潟市ではかつて、2007年の政令指定都市移行に伴い、マンションの建設が盛んに行われた。しかし、人口との釣り合いがとれずに、マンションは供給過剰となって現在に至っている。
その土地柄において、今この時期に、高層マンションの建設が相次いでいるのはなぜなのか。新潟市の人口は、いつ、それほどまでに増えたのだろうか。それとも、新潟市の人口は、これから増える予定があるということなのか。
商業地区が整備されたあかつきには、果たして、誰のための商店街になるのか。新潟の日本人が潤うことになるのかどうか。

折しも、今年7月をめどに、被災3県を訪れる中国人に、数次ビザの発給が始まることになりそうだ。
訪れる中国人は、いずれ中国と一つになる場所のどこを自分のものにしようかと、見物にやってくるのだろうか。彼らの傍若無人な振る舞いは、教養がないからでも旅の恥はかき捨てだからでもなく、ここは自分のものだから何をしてもいいという感覚からきている。中国人が何かにつけ、「どうせ(日本と中国は)一つの国になるのに」と口にするのを、日本人のほとんどが知らない。
昨年7月からは、沖縄を訪問する中国人に、数次ビザの発給が開始されている。

東北3県は新潟の場合と違い、被災により、土地区画や所有権、住所も、住民票や戸籍もまだ混乱している場所がある。復興の名を借りて入り込んでくるものに対して、その正体を見極めたとしても、自衛したり抗う余裕はまだない。
また、国内からの目や手が届かないがために後ろ盾がなく、暮らしの術を、韓国からの観光客に頼らざるをえないと結論するしかなかった対馬の場合とも違う。国内外からの目や手が届きながらも、民主党政権の国家権力によって、東日本の復興は中国人頼りなのだと徐々に刷り込まれ、その風潮に従うしかないとなったら、東北は、中国に対して最初から下位の立場を決定づけられてしまう。

TPPにおいてもそうだが、このような論議では、保守的で内向きになっていては日本は閉鎖性が加速して立ちゆかなくなる、日本は世界に開かれなければならない、という意見が出る。
しかし、この件においては、それでは本質から外れてしまう。以前の記事でも触れたように、日本や世界の人々が、共に生き延びていくために共有する新しい価値観において、今の中国を日本に入り込ませていいのか、というのが要点である。

中国人相手に商いをするなら、中国人に金を落とさせろ、金を取ってやれ、という気構えで商売をしなければ、日本人は食われる一方だ。
政府の表向きの言い分はどうあれ、東北にとって、日本にとって、何のために中国人観光客を呼び込むのか、その目的を日本人は皆で共に自覚した方が良い。
東北が、日本が、力を取り戻し力を蓄えるために、アジアの均衡が変化して中国の様態が変わるまでの間、中国マネーを利用してこの時期を乗り切り、中国からの勢いに耐えてやり過ごす。経済状況を鑑みて、背に腹は代えられないのなら、今現在金持ちと言われる中国人を相手に、日本人もそれくらい逞しく、日本を守っていかなければならない。

それでも守りきれず、じりじりじわじわと、身の回りの環境の変化に気づくことがあるだろう。
例えば、いつの間にか、ゴミ収集日以外の日にゴミ袋が放置されていたり、道路脇に散乱するゴミなど、地域の汚れが目につくようになったとしたら。例えば、中国人相手の飲食店が増えたり、地域のスーパーで品揃えが変わったり、公共の場でのマナーに違和感のある人が増えてきたとしたら。例えば、集合住宅で、これまでになかった迷惑行為が指摘されるようになったとしたら。例えば、中国語を話しながらベビーカーを押す人たちの光景がよく見られるようになってきたとしたら。例えば、いたずらの通報が、警察や消防の機動力を探るためのものであったとしたら。
何かが起こっている。

そして、住民の不満や不安が募って訴えが増えたとしても、行政が地域の環境改善に乗り出さなかったとしたら。その原因となっている存在と地域の長との間に、よほどの個人的な癒着があるのだと、容易に想像ができる。
例えば、東京都豊島区の区長は自ら、中国籍の会社社長の子供に日本の姓と名をつけてやり、その通名で学校等の諸手続の便宜をはかっていたが、豊島区池袋駅周辺では、チャイナタウン化計画が進められようとしていた時期があった。それをチャイナタウンと呼ぶなら、池袋駅北口周辺は、趣も様相も、集まる中国人の人品骨柄も、歴史と努力を重ねて日本の一部となった横浜や神戸の中華街とは、全く異なる街である。

中国では、2010年に施行された国防動員法により、中国有事の際には海外に住む中国人も動員され、本人がいるその場所で、中国政府の命令に従って動くことになるのだが、有事という言葉がどの範囲に適用されるのか、物は言い様で、言い訳は後からいくらでもつけられる。
それに先立ち、中国政府はすでに、2008年の北京オリンピックの聖火リレーで、日本における中国人動員の予行演習を済ませている。
長野市民にとって、街に人があふれるのは、7年に1度の善光寺ご開帳の時期だろう。その時の人出と比べても、長野市民は圧倒された。
「こんなに大勢の中国人が、いったいどこから集まってきたのだろう」「いつの間に、こんなに大勢の中国人が日本にいることになったのだろう」「紅い旗を振り上げ殺気立った大勢の集団が道路にあふれ、紅い旗をなびかせた車が信号無視で暴走し、無法地帯となっている」「この勢いで中国人に何をされるかわからない。怖くて外に出られない」。
長野市民が体験したのは、侵略される側の恐怖と言っても過言ではなかったが、中国人に対する恐怖感は、首都圏のニュースでは音声をカットされ、チベット側のデモが怖いと発言しているかのように編集されていた。

当時、沿道警備の警察官が、中国に対して声を上げる側の人たちを囲い込み、中国側の味方をした、という指摘もあった。
現場の警察官にどのような指示が出されていたのか、本当のところは、もっと後にならないと情報は明かされないのかもしれないが、他県からの応援が加わっていても、長野県警察には、あさま山荘事件で発揮した機動力が今でもプライドとして受け継がれており、その長野県警が、現場において、もし、「死傷者を出さないためには、衝突させないよう、少数派もしくは勢いの弱い方を囲い込む方が合理的だ」と判断しての行動であったのなら、当時、客観的には中国側の方が優勢だったということになる。
日本人は、長野での聖火リレーからわかることを、もう一度、踏み込んで理解する必要がある。

中国の国防動員法がどういうものか、日本人は、さわりだけでも知っていなくてはならない。中国にとって有事がいかに有利に働くか、有事の際に、いかに日本は中国に丸ごと取られるようになっているかがわかる。国防動員法が発令された時に何が起こるか理解した人は、これを一般の日本人の間に周知させなければと思うことだろう。中国側の予行演習は済んでいるのだ。

近年、中国政府が、国内に金を蓄えていることを忘れてはならない。金と言えば有事である。あとは、中国が何を以て有事と言い張るか、そして、中国と中国から入り込んできているものに対して、日本人と世界がどれだけ声を上げられるか、そこに日本の安全と平和がかかっている。


posted by 金の龍星新社 at 13:52| 生活 | 更新情報をチェックする